ひがんのひなぎくたち

九、おまじない


 いつものように、五官王ごかんおうは現十王じゅうおうから任された仕事をしていた。斜め後ろには閻魔王が椅子に座っており、時折手元を覗き込んでいた。

「ひまだなあ。ねえ、ごかんくん。あそぼうよ」
「後でな」
「やだー!いまあそぶのー!」

 後ろから五官王の両肩を掴むと前後に揺さぶられる。これでは手元がぶれて、まともに文字が書けない。助けを求めようと、同室にいた前髪で顔半分を隠している男性冥官みょうかんへ視線を向ける。だが、微笑ましそうに見ているだけだった。

 ――あ、これ助けてくれないやつ。

 この男性冥官は、閻魔王の補佐兼教育係でもあった。面白そうな事には野次を入れ、面倒事は上手く交わすような男なのだ。恐らく今は、様子見をしているのだろう。五官王が本気で嫌がれば止めてくれる。だが、今は特段嫌がっているようには見えないのだろう。冥官は、ただそれは微笑ましいと言いたげな表情で見守っていた。

「あの、たかむらさん。見てないで助けてくれませんか」

 閻魔王に揺さぶられながら、冥官――小野篁おののたかむらへ声を掛ける。明らかに聞こえている筈なのに、そっぽを向いて、口笛を吹き始めた。

「聞こえてますよね」
「何も聞こえないですね。何か仰いましたか?最近歳のせいなのか、耳が聞こえにくいのです」

 どう見ても二十代そこらの風貌なのに、何を言っているのだろうか。五官王は内心ツッコミを入れる。

 ここ冥府では、生きていた年齢までなら自由に体を変えることが出来る。篁は閻魔王の相手をするには、二十代の姿が体力もあり丁度いいと判断したのだろう。時折、壮年期の姿も見掛けるが、基本篁は二十代の姿で過ごしていた。

「ねえ、ごかんくん!むししないで!」

 耳元で大きな声を出され、五官王は眉間に皺を寄せる。閻魔王の行為が段々とエスカレートしてきた。そんな時、篁はわざとらしく咳払いをすると、口を開いた。

「閻魔様。それ以上は迷惑行為ですよ。聡明な閻魔様なら、お分かりですよね?」

 聡明という言葉を聞くと、閻魔王は五官王から離れ、どことなく嬉しそうな表情へとなった。小走りで机を挟んだ向かい側まで行くと、閻魔王は頭を下げた。

「ごかんくん、ごめんなさい」
「そこまでしなくて――」
「いえ、五官様。こういうのは普段からしっかりとしていないと、意味がないのです。……そんな事も分からない五官様ではありませんよね」

 篁の言葉に五官王は苦笑した。時折出る追加の一言に、毎度五官王は言い返せなかった。

 ――言葉で勝てねえし、力でも勝てねえし一体何なんだよこの人。

 以前篁と腕相撲をやった事がある。五官王は勝てるだろうと思っていたのだが、一瞬で負けてしまったのだ。その時の篁の表情は、思い出すだけで腹立たしいものだった。

 そんな事を考えていた時、部屋の扉をノックする音が響いた。

「どうぞ」

 扉の向こうにいる人に向かって、五官王はそう返す。数秒後、音を立てず静かに扉は開いた。そこには白髪の癖のある髪をひとつに結き、ボタンを掛け間違えているのか、着物の中に着ているワイシャツがひとつずつずれているのが印象的な青年がいた。

 青年は静かに扉を閉じると、ゆっくりと五官王へ近付いた。

「五官君、これ」

 そう言うと両手で持っていた紙の束を、五官王へ差し出す。受け取ると、それを机へ置いた。

「ありがとう、都市王としおう

 にこりと笑って礼を言う。それに青年――都市王は、微笑み返した。だが、いつもと比べて少しだけ元気がないように見える。気のせいだろうか。

 ――こういうの、聞いても良いのか?

 どうするべきか考えていると、立っていた閻魔王は首を傾げて尋ねた。

「としくん、どうかしたの?」

 勝手に五官王はデリケートな部分だと思っていたので、閻魔王をたしなめようと思うも、今はやめた方がいいと判断し都市王を見た。

 聞かれるとは思っていなかったのか、都市王は驚いた表情を浮かべていた。

「ちょっと、ね……。寝不足なだけなんだ。心配かけちゃってごめん」

 にこりと笑うも、どことなく影があるように見えた。なんと言えば良いのか分からず、五官王は返答に詰まる。そんな時、閻魔王は屈託のない笑みを浮かべ、いつも通りの声量で声を発した。

「じゃあ、このあとおひるねしなよ!たのしいゆめがみられるように、いのっててあげる」

 そう言うと閻魔王は都市王の手を包み込むように、優しく触れた。また笑顔を向ける。自然と都市王も笑顔になった。

「ありがとう、閻魔君」

 礼を言うと、頭を軽く下げ都市王は部屋から出て行った。

 五官王は今しがた見た光景に、少しだけ違和感を感じていた。

 ――やっぱり閻魔って、わざとああしてる?いや、まさかな。

 首を横に振ると、先程都市王が持ってきてくれた資料へ目を通す。なんとか時間内に終わらせてやると思い、五官王は筆を持ち直した。
10/12ページ
スキ