短編

あなたしかいない


 雨を気にすることなく男は何かを探していた。傘を差しているも、全身濡れ鼠だった。

 男は周りへ首を巡らせながら、早歩きで歩く。しかし、探している人はどこにもおらず、思わず下を向く。その瞬間、女性の足元が見える。だが、顔をあげるも誰もいなかった。

 これ以上探しても埒が明かない。そう思い、男は帰ることにした。

 やけに、疲れていた。

 きっとあちこち探し回ったので疲れたのだろう。男はそう思うことにし、家に帰り着くと濡れたまま椅子へと座った。思い切り息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。

 ふと視線を感じ後ろを振り返る。誰もおらず、薄汚い壁があるだけだった。

 何かがおかしい。考えようとするも、睡魔が襲いかかり思考を邪魔してくる。

 ――少しだけ寝るか。

 椅子に深く身を沈め、男はゆっくりと瞼を閉じた。





 次に目を開けた時には真っ暗だった。座ったまま数時間眠っていたようだ。

「……あれ?」

 誰もいないはずの部屋に、光が差し込んでいた。そちらへ向かうと、風呂場の電気がついているようだった。水の流れる音も聞こえてくる。

 恐る恐る手をやると、立て付けの悪い風呂場の戸を一気に開ける。

 しかし、そこには誰もいなかった。シャワーの音だけが響いていた。

 ――止め忘れたのかな。

 中に入り水を止める。そこで気が付く。風呂場一帯に鉄のような、よく分からない生臭い匂いが立ち込めていることに。その匂いに男は思わず顔を顰めた。

 シャワーを止めるも中々水が流れていかない。おかしいと思いながら排水溝を開く。しゃがんだ瞬間女の足が見え、急いで顔を上げる。しかし、そこには誰もいなかった。

 ――疲れているだけだ。

 そう思い、男は排水溝に顔を向ける。手を突っ込むか少し悩むも、何か詰まっているのならば取らねばならない。意を決すると、男はそこに手を入れた。手に触れたものを、そのまま持ち上げる。

 女の長い髪が、手に絡まっていた。

 心臓が、どくりと鳴った。男は髪を乱暴に床へ叩きつけ、急いで風呂場から出て行く。

 何が何だか分からなかった。顔に手を押し当てる。苛立ちからか、足がむずむずした。

 そんな時また視線を感じ、男は顔を上げた。今度はクローゼットの方だ。

 ――そこか?

 淡い期待を抱き、クローゼットを開けた。そこに探している人はおらず、分かりやすく落胆する。

 何かが視界の隅に入り、腰を落としそれを取った。女性ものの白いワンピースだった。よく見ると、血のようなものがついている。

 男は嫌な予感でいっぱいになった。家にいる場合ではない。そう思い急いで靴を履くと、外へと出て行った。

 雨はとうに止んでいた。

 行く宛てもなく男は彷徨っていた。だが、このまま進むより、あの人とよく歩いた場所へ行く方が、何かヒントが得られるかもしれない。

 夜の公園を一人練り歩く。人っ子一人いなかった。一周りするも、誰にも会えないまま男は公園から出て行った。

 ――やっぱり帰ろう。

 帰宅を視野に入れた瞬間、腕がやけに怠いことに気がついた。なんとなしに手を見てみる。街灯に照らされた手は、何故だか土まみれだった。

 転んだのだろうか。そう思うも、そんな記憶は一切なかった。

 男は混乱したまま家路についた。

 部屋へ戻ると、またクローゼットが気になった。部屋の明かりもつけず、そこへ近づいて行く。恐る恐る開いてみるも、やはりそこには何も無かった。

 視界にベッドが入る。

 ――何か変だ。

 そこで男はやっと部屋の明かりをつけた。

 ベッドのシーツには血がべっとりとついていた。何故それがついているのか、分からなかった。

 瞬間、頬に鋭い痛みが走る。

 もしかしたら怪我をしていたのかもしれない。男は洗面所へ行き顔を見る。

 頬から血が出ていた。時間が経っていたからか、血は固まっていた。

 視界の端に、何かが映る。

 目を凝らし鏡を見る。男の後ろには髪の長い女の姿があった。空洞のようなその瞳と目が合う。自然と口角が上がっていくような感覚がした。

 ――ああ、そうか。いなくなる筈がなかったんだ。

 遠くで、サイレンの音が鳴り始めていた。
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