番外編
久し振りの時間に
一日の仕事を終え衣領樹 に寄りかかり、奪衣婆 は閻魔庁がある方向を眺めため息を漏らした。
「大王様、ちっとも会いに来てくれない……」
するとたまたま聞いていた懸衣翁 はわざとらしく大きなため息を吐き口を開く。
「お前以外に女がいるから来ないんじゃねえの。てか、お前も手伝え!」
要らなくなった衣をゴミ袋に詰め込みながら適当に懸衣翁はそう言った。その言葉に奪衣婆は近くにあった衣を拾い、懸衣翁へと投げつける。
その事にカチンときた懸衣翁はゴミ袋ごと奪衣婆の方に投げると、喧嘩腰に言い放った。
「こんな直ぐ手が出る女、男からしたら誰も要らねえんだよ」
「あんた以外の男に手を出した事なんか一度もないわ!それに大王様は私の事大事にしてくれてるんだから、他に女がいる筈ないでしょ!!この馬鹿懸衣翁!大っ嫌い!」
「そーかよ!なら今すぐ大王の所行って確認して来いよ!きっと女といるに決まってんだ!」
お互いフンと顔を背け違う方向へ歩いて行く。途中懸衣翁はちらりと奪衣婆の方を見るも、奪衣婆は怒っているのかそのまま閻魔庁のある方へ向かってしまっていた。
今更行くなと言う事も出来ず懸衣翁は立ち止まると、また足元に落ちている衣を拾い始めた。
「全くお兄ちゃんったら酷いんだから!」
怒りが収まらず奪衣婆はそのまま大股で歩いて行くも、途中で立ち止まり不安げな表情になった。
「でも確かにこんなに来ないって事は、私の事なんてもうどうでもいいって思ってるのかも……そ、そんな事ない!大丈夫よ、大丈夫。敵は篁だけの筈、よね……?」
一度不安になるとある事ないこと考えてしまい、奪衣婆は泣きそうになりながらも、兎にも角にも閻魔大王へ会いに行こうと足を早めるのだった。
歩き続ける事数十分。やっと閻魔庁へと続いている扉に辿り着き、奪衣婆は緊張しながらその扉を恐る恐る開いた。
中へ入ると丁度仕事を終えた官吏達で廊下はごった返していた。
流れに逆らい閻魔大王がいるであろう部屋へ行こうとするも、人が多く中々前へ進めず困っていると聞き覚えのある声が奪衣婆の名を呼んだ。
「これはこれは奪衣婆殿。どうかされたのですか?」
声のする方を見るとそこには小野篁 が立っていた。よく見てみると隣には篁が世話をしている閻魔王もおり、奪衣婆へ笑顔を向け手を振っていた。
「奪衣婆ちゃん、こんばんは」
「お疲れ様です、閻魔様。と、篁」
一応篁の名前も言うと、篁は手で顔を覆い泣き真似をし始めた。
「オマケのように扱われて、篁悲しいです。よよよ」
そんな篁を閻魔王は適当にあしらうと、気にせず奪衣婆と話し始める。
「父上なら今日は地獄へ行ってるから、あっちの門で待ってれば会えるよ」
「ありがとう、閻魔君!行ってみる!」
閻魔王の手を握り笑顔でお礼を言っていると、後ろから篁が顔をひょっこりと出し言ってきた。
「もしかしたら大王、とてつもなく臭くなって戻ってくるやもしれませんので、これをどうぞ」
そう言うと袖口から何故か持っていた消臭スプレーを取り出すと奪衣婆へと渡す。そんな篁に、閻魔王も奪衣婆も驚きを隠せない表情を向けた。
「篁君、何でそんなもの持ってるの?」
「大王が地獄へ行く日はいつでも持っているんです。ささ、奪衣婆殿これを是非持っていってください」
「あ、ありがとう……?」
消臭スプレーを思わず受け取ってしまいどうするか考えていると、閻魔王と篁は用事があるのかいつの間にかいなくなっていた。
廊下を歩きながら消臭スプレーを見つめ、奪衣婆は閻魔大王がそんなに臭くなる事を知っていた篁に静かに怒りを感じていた。
「私が知らない事ばっかり知ってるの何だかむかつく……大王様、地獄へ行っただけでそんなに臭くなるのかな?」
首を傾げなら不思議に思っていると、地獄へと続く門へいつの間にか辿り着いていた。ちょうど中へいるのか門番である牛頭と馬頭は不在であった。
少し待っていると門が開き、中から閻魔大王が疲れた表情で出てくる。
久しぶりに見た好きな人に奪衣婆は気持ちが抑えきれなくなり、名前を呼んで閻魔大王へと抱き着いた。
「大王様!お久しぶりです!」
「奪衣婆、久しぶり。どうしたんだい?」
「…………」
抱き着いた瞬間は良かったのだが、声を出す為に息を吸い込んだ時強烈な刺激臭が閻魔大王から臭ってきて、奪衣婆は思わず「臭い」と言ってしまいそうになるのをすんでのところで堪える。最愛の人を臭いと言いたくはなかったが、この臭いには思わず奪衣婆も臭いと言いたくて仕方がなかった。
先程篁から受け取った消臭スプレーを持ち直すと、黙って閻魔大王へ吹きかける。
「ちょ、ちょっと奪衣婆。何で篁みたいな事するの。やめなさい」
「ごめんなさい、大王様。これは仕方ないんです。許してください!」
そう言い全身くまなくスプレーをかけられた閻魔大王は、臭いと言われた方がマシだと思うのだった。
数分後、奪衣婆は閻魔大王に土下座して謝っていた。
「ごごごごめんなさい、大王様。大王様は決して臭くなんかないんですけど、今日はなんていうか、たまたま篁から貰ったこれを突然使いたくなってしまいまして……どうかお許しください」
「そんな土下座しなくても……地獄へ行っていたから臭くなるのは当たり前なんだし、それを使いたくなる気持ちも分かるよ。ほら、奪衣婆立ちなさい」
そう言い手を差し伸べられ奪衣婆にとっては嬉しい状況であったが、閻魔大王からする刺激臭により顔を上げる事すら出来ないでいた。
「ごめんなさい、大王様。臭いが強過ぎて顔が上げられません」
「……そんなに臭う?」
「はい、凄いです」
正直に臭うと言われた閻魔大王は少し考えてから口を開いた。
「これからお風呂に入って来るから、出たらまた話そう。せっかく来てくれたんだし、夕食くらいは共にしたい」
それを聞き喜びのあまり顔を閻魔大王へと向けるも、臭いにやられた奪衣婆は直ぐに顔を下へと向けた。
「ぜひ一緒に食べましょう!大王様のお部屋で待っていても良いですか?」
「ああ、構わないよ。では、臭いの根源である私は先に行くとしよう。また後で会おう、奪衣婆」
本当は一緒に行きたかった奪衣婆であったが、臭いがキツすぎて隣を歩く事すら出来ず、閻魔大王が去るのを待つしか出来なかった。
その後閻魔大王が去り、残り香に苦しめられながらも奪衣婆はその場から移動するのであった。
閻魔大王の部屋へと入ると奥からシャワーの音が聞こえ、何故だか緊張してしまった奪衣婆は物音を立てないよう、つま先だけを使いこそこそと二人がけのソファへと移動した。
「……ふう」
物音一つ立てずソファへ座ると今度は落ち着かず、そわそわしながら奪衣婆はお風呂場の方を見つめる。
「もしも、もしもの話よ。今ここで服を脱いで大王様の所へ行くとするじゃない?そうしたら大王様喜んでくれるかな……うーん……でも、な」
以前閻魔大王を誘惑しようと思い、少々セクシーな服を着てみた所、はしたないと言われ直ぐ着替えるように言われた事を思い出す。
「あれはちょっとショックだったな」
やはり自分以外に女がいるから事足りているのだろうかと奪衣婆は考えてしまう。こうなったら証拠でも探してやろうかと思い立ち上がると、閻魔大王の部屋を勝手に物色し始めた。
手始めに閻魔大王がいつも使っているであろうデスクの上を見てみるも、特に証拠になりそうな怪しいものは無かった。次いで引き出しを開けてみるも、自分があげたものや一緒に撮った写真が大事にしまわれているだけで、ここにも何も無かった。
「大王様、写メも一々印刷してるんだ」
鍵穴のある一番上の引き出しも特に鍵がかかってはおらず、簡単に開けられてしまった。中には手紙が沢山入っており、ここが怪しいぞと思った奪衣婆は宛先を確認し始めるも、どれも自分宛の手紙であり驚きのあまり思わず「えっ」と声を上げてしまう。まさか自分宛の手紙が十通以上入っているとは思わず、奪衣婆は好奇心を抑えられずに手紙を開けようとした。
「だ、奪衣婆!それを今すぐしまいなさい!」
突然の大声に奪衣婆は持っていた手紙をうっかり落としてしまい、拾おうとするも次の瞬間物凄い勢いでやって来た閻魔大王に手紙を奪い取られてしまった。
「奪衣婆!引き出しを勝手に開いたら駄目だろう」
手紙を引き出しの中へと戻すと勢いよく閉める。
「大王様、その手紙私宛てですよね?何故しまってあるんですか?私宛ならください」
「そ、それは出来ない」
「欲しいです」
そう言い奪衣婆は詰め寄り、瞳を潤ませて閻魔大王を見上げた。しかし閻魔大王は視線を逸らすと、奪衣婆の両肩に手を置き宥めるよう喋り始める。
「あれらは時が満ちたら奪衣婆へ送るから、待っていてほしい」
「えー……一通くらい駄目ですか?」
「駄目」
むー、と言い頬を膨らませて可愛く拗ねている間も、閻魔大王は絶対に引き出しを開けさせないよう机の前へ陣取っていた。
「ならキスしてくれたら、あの手紙たちは見なかった事にしてあげます」
「き、キス……」
その言葉に閻魔大王は顔を真っ赤にさせ、どうするべきか悩み始めた。中々返事をしてこない閻魔大王に痺れを切らした奪衣婆は、閻魔大王を机へと押し倒し顔を近付ける。
「手紙とキス、どっちくれるんですか?」
顔が近く恥ずかしいのか閻魔大王は顔を横に向け、何か言おうとしているのか口を開閉させていた。
「奪衣婆……どちらか選ばなければいけないのかい……?」
「はい、選んでください!どちらか選び終えるまでずっとこのままですから!」
それを聞き閻魔大王はどうするか悩んだ末、小さな声でぼそりと言った。
「……き、キスで」
「分かりました!大王様、こっち向いてください」
逸らしていた顔を奪衣婆へと向けるも、閻魔大王は直視出来ず視線をさ迷わせていた。気にせず奪衣婆は閻魔大王へ顔を近付けるとそっとキスを落とす。何回か啄むようにすると、奪衣婆は舌を捩じ込ませようとしたが閻魔大王により阻まれてしまう。もう一度触れるだけのキスをすると、奪衣婆はそのまま閻魔大王から離れた。
「どうして拒むんですかー!」
「そ、そいういのは夜にするものだろう……」
「もう夜ですけど」
「………………まだ夕食をとっていないから夜ではない。そうだ、今持ってこさせるよう言ってくるから、そこで大人しく待っていなさい」
閻魔大王は上体を起こし奪衣婆の頭をひとなですると、夕食を持ってくるよう人を呼ぼうと部屋の入口まで行き扉を開いた。するとそこには今までの事を覗き見していたであろう、閻魔王と小野篁がいた。
「こ、こんばんは、父上」
「私達は別に最初から全て覗き見ていたなど、そんな事していませんので……」
「そ、そうだよ。奪衣婆ちゃん宛の手紙を隠していたのがバレて、そのまま渡せばいいのに渡せない意気地無しな父上なんて見てないよ」
「……全て見ていたではないか」
はあ、とため息を吐き閻魔大王は二人を中へ入るよう促すと、静かに扉を閉めた。
「あっ、篁!さっきはスプレーありがとう」
小走りに近寄ると奪衣婆は使い終えた消臭スプレーを篁へと返した。篁は消臭スプレーを袖口へしまうと小声で「役に立ちましたか?」と聞いてくる。そんな篁に奪衣婆も小声で「役に立っちゃった」と返した。
「それで、二人は何故あそこにいたんだい?」
「今日の報告書と資料を渡そうと思って……」
そう言うと閻魔王は両手に抱えていた資料と報告書を閻魔大王へと渡す。篁もそれに続き資料を閻魔大王へと手渡した。
「タイミングが中々掴めず困り果てていたので、大王が開けてくださって助かりました」
「改めて出直すとか考えなかったのかい」
「話し合いの結果、わざわざ出直すのも面倒なので待とうという事になりました」
閻魔大王が口を開こうとした瞬間、閻魔王は何かを察したのか困ったような表情で話し始めた。
「俺が待とうって提案したから、篁の事叱らないで欲しい。覗き見してごめんなさい」
頭を下げて謝る閻魔王に、篁も同じく頭を下げる。素直に謝られた事により、閻魔大王は叱るに叱れずどうしたのものかと頭を搔いた。
「大王様、見せて減るもんじゃないんですし、良いじゃないですか!そんな事よりこの二人に夕食持ってきてもらって、皆で食べましょうよ」
「そう、なのかな?まあ、いいか。そうしよう。二人とも、それで良いかな?」
閻魔王は顔を上げると「うん!」と大きな声で返事をし、篁を引き連れ急いで部屋から出て行った。
「二人きりでなくて良かったのかい?」
念の為閻魔大王はそう問うと、奪衣婆は一気に嬉しそうな表情へとなった。
「大王様、もしかして私と二人きりが良かったんですか?」
「あ、いや、そういう意図で言った訳では――」
「次来た時は二人きりで食べましょう?」
約束、と言うと奪衣婆は小指を閻魔大王へと向けた。閻魔大王も小指を奪衣婆へと絡めるとそのまま指切りをする。
「大王様と約束しちゃった!嬉しい」
にっこりと笑う姿に閻魔大王はどきりとし、気付いたら奪衣婆の事を抱き締めていた。
「え、だ、大王様!?」
驚きの余り素っ頓狂な声を出してしまうも、閻魔大王からされた抱擁が嬉しく、奪衣婆は直ぐに抱き締め返す。
暫くそうしていようと思った瞬間、突然扉が勢い良く開き閻魔王が入ってきた。
「父上!食堂が思ったより混んでるみたいだから、暫く時間かかるみた――」
タイミング悪く入ってしまった閻魔王はどうすべきか固まっていると、後ろにいた篁が入ってきて徐に喋り始めた。
「私達が戻ってくると分かっていながら、こういう事をするのは如何なものかと思いますよ。ね、閻魔様」
同意を求められ固まっていた閻魔王は、はっと気が付くと大きく頷いた。
しかし閻魔大王は二人に見られてしまった事により、どうすれば良いのか分からず固まってしまっていた。
「大王様?」
動きが止まった事に気付いた奪衣婆は、閻魔大王の顔を見る。そこには耳まで真っ赤になり変な汗をだらだらと流している閻魔大王がいた。これは暫くこのままだぞと気付いた奪衣婆はそっと閻魔大王から離れると、閻魔王と篁の方へと移動する。
「大王様、固まっちゃった」
「見られて困るなら二人きりの時にすれば良いのにね」
「もっともです。どうします?」
奪衣婆は少し考え、どうしようもないなと答えを出すと取り敢えず二人を座るよう促した。
「お料理来るまで固まった大王様でも眺めてましょ」
奪衣婆は閻魔大王の隣へそっと腰を下ろし、閻魔王と篁は向かいの一人用椅子にそれぞれ座った。
「それもそうだね」
「ついでに写真も撮っておきますか?こんな面白い大王は中々見られないので貴重ですよ」
そう言い篁は懐からスマートフォンを取り出し、カメラを起動させる。
横からの写真を一枚撮ると、今度は正面から撮ろうと閻魔大王の前へ回った所で、気が付いた閻魔大王は篁のスマートフォンを奪い取る。
「何をしてるんだい?」
「大王の面白瞬間を思い出に残しておきたく、勝手ながら写真を撮っておりました」
そう返した瞬間閻魔大王は篁のスマートフォンを操作し初期化しようとするも、その事に気付いた篁は「やめてください」と言い奪い返す。
「人の事を勝手に撮ってはいけないよ、篁。今の写真を消しなさい」
「奪衣婆殿に送るまでは消せません」
そう言うと慣れた手つきでスマートフォンを操作し、奪衣婆へたった今撮った写真を送り付ける。その間閻魔王はこっそりと部屋から抜け出していた。
「あっ、来た!ありがとう、篁」
喜んでいるのも束の間、奪衣婆と篁は笑顔を浮かべた閻魔大王にこっぴどく説教されてしまった。
折角久し振りに会えたのに説教をされてしまった奪衣婆は途中で泣き出してしまい、閻魔大王も篁もどうすれば良いのか分からず困り果ててしまう。そんな時泣き声を聞き付けた閻魔王が戻ってきて、奪衣婆を宥めるのであった。
四人で夕食をとった後、閻魔王と篁は「邪魔したら悪いので」と言いすぐに退出してしまい、部屋には閻魔大王と奪衣婆の二人きりになったいた。二人がけのソファへ座り、お互い寄り添うように座り見つめ合う。
「その、先程は説教なんてしてしまって、すまなかった」
「いえ、私こそ怒らせるような事してしまって、ごめんなさい」
そう言い奪衣婆は閻魔大王の手をぎゅっと握ると、そのまま恋人繋ぎをした。
「あの、大王様」
「なんだい?」
奪衣婆は閻魔大王へ視線を送ると、すぐに逸らし言い難いのか、暫く沈黙が続いた。そんな奪衣婆の頭を優しく撫で、言えるようになるまで閻魔大王は待っていると、言う覚悟が決まったのか奪衣婆は口を開いた。
「大王様って、私以外に妻がいたりしないですよね?」
「……え?」
なんでそんな事聞くの?と閻魔大王は思わず返しそうになるも、ここの所全く会えていなかった事を思い出し、奪衣婆を不安にさせていた事に気付く。
「いる筈ないだろう。私は、その、だ、奪衣婆しか、み、見えてない、というか、奪衣婆しか考えられない、のだから」
余程恥ずかしいのか閻魔大王はまたも耳まで真っ赤に染めながら、誤解を与えないよう言った。そんな閻魔大王を見て、奪衣婆はくすりと笑う。
「机の引き出しも私との思い出しかない男が、他に女作る筈ないですよね。良かった……」
「分かって貰えたなら良かった」
お互い見つめ合い穏やかな空気が流れる。閻魔大王はそっと奪衣婆の頬へ手を当てると、奪衣婆は自然と瞳を閉じた。そのままキスをするのかと思っていた奪衣婆は暫く待つも、中々唇に何の感触も来ず不思議に思い目を開ける。すると、何故かそこには顔を真っ赤にし目を思い切り閉じている閻魔大王がいた。
いつも通りまたヘタレを発動させているのかと思った奪衣婆は、少し顔を動かしちゅっと音を立てて閻魔大王へとキスをした。すぐに離れて見詰めていると閻魔大王は奪衣婆から手を離しゆっくりと瞼を開け、眉を八の字にして笑う。
「また自分から出来なくて……なんというかすまない……」
「いえ、良いんです。以前はこうしてキスする事すら拒否されていたので、大分進歩しましたよ」
「そうだったっけ」
思い出せないのか首を傾げるも、「そうです」と奪衣婆に言われ閻魔大王は苦笑した。
「そうか、それはすまない事をしていたね」
「大王様と一緒にいられるだけで幸せなので、気にしてないです」
そう言うと奪衣婆は閻魔大王の腕を両手で抱き締め、頭を閻魔大王の肩に預けた。
「今日、泊まっていっても良いですか?」
「……いいよ」
駄目と言われるだろうと思っていた奪衣婆は驚いて思わず閻魔大王の顔を見る。
閻魔大王はにこりと笑い奪衣婆の頭を撫でながら話し始めた。
「せっかく祝言を上げたのだから、たまにはこうして過ごすのも悪くないだろう。奪衣婆には寂しい思いばかりさせてしまって、本当に申し訳ないと思っている。あの子に跡を継がせたら奪衣婆、一緒に暮らそう。それまで待っていてほしい」
一緒に暮らす、その言葉に奪衣婆は嬉しさのあまり涙が出てきてしまった。
「それまで私三途の川で待ってます」
「ありがとう」
閻魔大王は優しく包み込むように奪衣婆を抱き締めると、奪衣婆もそれに応えるよう背に手を回した。
一日の仕事を終え
「大王様、ちっとも会いに来てくれない……」
するとたまたま聞いていた
「お前以外に女がいるから来ないんじゃねえの。てか、お前も手伝え!」
要らなくなった衣をゴミ袋に詰め込みながら適当に懸衣翁はそう言った。その言葉に奪衣婆は近くにあった衣を拾い、懸衣翁へと投げつける。
その事にカチンときた懸衣翁はゴミ袋ごと奪衣婆の方に投げると、喧嘩腰に言い放った。
「こんな直ぐ手が出る女、男からしたら誰も要らねえんだよ」
「あんた以外の男に手を出した事なんか一度もないわ!それに大王様は私の事大事にしてくれてるんだから、他に女がいる筈ないでしょ!!この馬鹿懸衣翁!大っ嫌い!」
「そーかよ!なら今すぐ大王の所行って確認して来いよ!きっと女といるに決まってんだ!」
お互いフンと顔を背け違う方向へ歩いて行く。途中懸衣翁はちらりと奪衣婆の方を見るも、奪衣婆は怒っているのかそのまま閻魔庁のある方へ向かってしまっていた。
今更行くなと言う事も出来ず懸衣翁は立ち止まると、また足元に落ちている衣を拾い始めた。
「全くお兄ちゃんったら酷いんだから!」
怒りが収まらず奪衣婆はそのまま大股で歩いて行くも、途中で立ち止まり不安げな表情になった。
「でも確かにこんなに来ないって事は、私の事なんてもうどうでもいいって思ってるのかも……そ、そんな事ない!大丈夫よ、大丈夫。敵は篁だけの筈、よね……?」
一度不安になるとある事ないこと考えてしまい、奪衣婆は泣きそうになりながらも、兎にも角にも閻魔大王へ会いに行こうと足を早めるのだった。
歩き続ける事数十分。やっと閻魔庁へと続いている扉に辿り着き、奪衣婆は緊張しながらその扉を恐る恐る開いた。
中へ入ると丁度仕事を終えた官吏達で廊下はごった返していた。
流れに逆らい閻魔大王がいるであろう部屋へ行こうとするも、人が多く中々前へ進めず困っていると聞き覚えのある声が奪衣婆の名を呼んだ。
「これはこれは奪衣婆殿。どうかされたのですか?」
声のする方を見るとそこには
「奪衣婆ちゃん、こんばんは」
「お疲れ様です、閻魔様。と、篁」
一応篁の名前も言うと、篁は手で顔を覆い泣き真似をし始めた。
「オマケのように扱われて、篁悲しいです。よよよ」
そんな篁を閻魔王は適当にあしらうと、気にせず奪衣婆と話し始める。
「父上なら今日は地獄へ行ってるから、あっちの門で待ってれば会えるよ」
「ありがとう、閻魔君!行ってみる!」
閻魔王の手を握り笑顔でお礼を言っていると、後ろから篁が顔をひょっこりと出し言ってきた。
「もしかしたら大王、とてつもなく臭くなって戻ってくるやもしれませんので、これをどうぞ」
そう言うと袖口から何故か持っていた消臭スプレーを取り出すと奪衣婆へと渡す。そんな篁に、閻魔王も奪衣婆も驚きを隠せない表情を向けた。
「篁君、何でそんなもの持ってるの?」
「大王が地獄へ行く日はいつでも持っているんです。ささ、奪衣婆殿これを是非持っていってください」
「あ、ありがとう……?」
消臭スプレーを思わず受け取ってしまいどうするか考えていると、閻魔王と篁は用事があるのかいつの間にかいなくなっていた。
廊下を歩きながら消臭スプレーを見つめ、奪衣婆は閻魔大王がそんなに臭くなる事を知っていた篁に静かに怒りを感じていた。
「私が知らない事ばっかり知ってるの何だかむかつく……大王様、地獄へ行っただけでそんなに臭くなるのかな?」
首を傾げなら不思議に思っていると、地獄へと続く門へいつの間にか辿り着いていた。ちょうど中へいるのか門番である牛頭と馬頭は不在であった。
少し待っていると門が開き、中から閻魔大王が疲れた表情で出てくる。
久しぶりに見た好きな人に奪衣婆は気持ちが抑えきれなくなり、名前を呼んで閻魔大王へと抱き着いた。
「大王様!お久しぶりです!」
「奪衣婆、久しぶり。どうしたんだい?」
「…………」
抱き着いた瞬間は良かったのだが、声を出す為に息を吸い込んだ時強烈な刺激臭が閻魔大王から臭ってきて、奪衣婆は思わず「臭い」と言ってしまいそうになるのをすんでのところで堪える。最愛の人を臭いと言いたくはなかったが、この臭いには思わず奪衣婆も臭いと言いたくて仕方がなかった。
先程篁から受け取った消臭スプレーを持ち直すと、黙って閻魔大王へ吹きかける。
「ちょ、ちょっと奪衣婆。何で篁みたいな事するの。やめなさい」
「ごめんなさい、大王様。これは仕方ないんです。許してください!」
そう言い全身くまなくスプレーをかけられた閻魔大王は、臭いと言われた方がマシだと思うのだった。
数分後、奪衣婆は閻魔大王に土下座して謝っていた。
「ごごごごめんなさい、大王様。大王様は決して臭くなんかないんですけど、今日はなんていうか、たまたま篁から貰ったこれを突然使いたくなってしまいまして……どうかお許しください」
「そんな土下座しなくても……地獄へ行っていたから臭くなるのは当たり前なんだし、それを使いたくなる気持ちも分かるよ。ほら、奪衣婆立ちなさい」
そう言い手を差し伸べられ奪衣婆にとっては嬉しい状況であったが、閻魔大王からする刺激臭により顔を上げる事すら出来ないでいた。
「ごめんなさい、大王様。臭いが強過ぎて顔が上げられません」
「……そんなに臭う?」
「はい、凄いです」
正直に臭うと言われた閻魔大王は少し考えてから口を開いた。
「これからお風呂に入って来るから、出たらまた話そう。せっかく来てくれたんだし、夕食くらいは共にしたい」
それを聞き喜びのあまり顔を閻魔大王へと向けるも、臭いにやられた奪衣婆は直ぐに顔を下へと向けた。
「ぜひ一緒に食べましょう!大王様のお部屋で待っていても良いですか?」
「ああ、構わないよ。では、臭いの根源である私は先に行くとしよう。また後で会おう、奪衣婆」
本当は一緒に行きたかった奪衣婆であったが、臭いがキツすぎて隣を歩く事すら出来ず、閻魔大王が去るのを待つしか出来なかった。
その後閻魔大王が去り、残り香に苦しめられながらも奪衣婆はその場から移動するのであった。
閻魔大王の部屋へと入ると奥からシャワーの音が聞こえ、何故だか緊張してしまった奪衣婆は物音を立てないよう、つま先だけを使いこそこそと二人がけのソファへと移動した。
「……ふう」
物音一つ立てずソファへ座ると今度は落ち着かず、そわそわしながら奪衣婆はお風呂場の方を見つめる。
「もしも、もしもの話よ。今ここで服を脱いで大王様の所へ行くとするじゃない?そうしたら大王様喜んでくれるかな……うーん……でも、な」
以前閻魔大王を誘惑しようと思い、少々セクシーな服を着てみた所、はしたないと言われ直ぐ着替えるように言われた事を思い出す。
「あれはちょっとショックだったな」
やはり自分以外に女がいるから事足りているのだろうかと奪衣婆は考えてしまう。こうなったら証拠でも探してやろうかと思い立ち上がると、閻魔大王の部屋を勝手に物色し始めた。
手始めに閻魔大王がいつも使っているであろうデスクの上を見てみるも、特に証拠になりそうな怪しいものは無かった。次いで引き出しを開けてみるも、自分があげたものや一緒に撮った写真が大事にしまわれているだけで、ここにも何も無かった。
「大王様、写メも一々印刷してるんだ」
鍵穴のある一番上の引き出しも特に鍵がかかってはおらず、簡単に開けられてしまった。中には手紙が沢山入っており、ここが怪しいぞと思った奪衣婆は宛先を確認し始めるも、どれも自分宛の手紙であり驚きのあまり思わず「えっ」と声を上げてしまう。まさか自分宛の手紙が十通以上入っているとは思わず、奪衣婆は好奇心を抑えられずに手紙を開けようとした。
「だ、奪衣婆!それを今すぐしまいなさい!」
突然の大声に奪衣婆は持っていた手紙をうっかり落としてしまい、拾おうとするも次の瞬間物凄い勢いでやって来た閻魔大王に手紙を奪い取られてしまった。
「奪衣婆!引き出しを勝手に開いたら駄目だろう」
手紙を引き出しの中へと戻すと勢いよく閉める。
「大王様、その手紙私宛てですよね?何故しまってあるんですか?私宛ならください」
「そ、それは出来ない」
「欲しいです」
そう言い奪衣婆は詰め寄り、瞳を潤ませて閻魔大王を見上げた。しかし閻魔大王は視線を逸らすと、奪衣婆の両肩に手を置き宥めるよう喋り始める。
「あれらは時が満ちたら奪衣婆へ送るから、待っていてほしい」
「えー……一通くらい駄目ですか?」
「駄目」
むー、と言い頬を膨らませて可愛く拗ねている間も、閻魔大王は絶対に引き出しを開けさせないよう机の前へ陣取っていた。
「ならキスしてくれたら、あの手紙たちは見なかった事にしてあげます」
「き、キス……」
その言葉に閻魔大王は顔を真っ赤にさせ、どうするべきか悩み始めた。中々返事をしてこない閻魔大王に痺れを切らした奪衣婆は、閻魔大王を机へと押し倒し顔を近付ける。
「手紙とキス、どっちくれるんですか?」
顔が近く恥ずかしいのか閻魔大王は顔を横に向け、何か言おうとしているのか口を開閉させていた。
「奪衣婆……どちらか選ばなければいけないのかい……?」
「はい、選んでください!どちらか選び終えるまでずっとこのままですから!」
それを聞き閻魔大王はどうするか悩んだ末、小さな声でぼそりと言った。
「……き、キスで」
「分かりました!大王様、こっち向いてください」
逸らしていた顔を奪衣婆へと向けるも、閻魔大王は直視出来ず視線をさ迷わせていた。気にせず奪衣婆は閻魔大王へ顔を近付けるとそっとキスを落とす。何回か啄むようにすると、奪衣婆は舌を捩じ込ませようとしたが閻魔大王により阻まれてしまう。もう一度触れるだけのキスをすると、奪衣婆はそのまま閻魔大王から離れた。
「どうして拒むんですかー!」
「そ、そいういのは夜にするものだろう……」
「もう夜ですけど」
「………………まだ夕食をとっていないから夜ではない。そうだ、今持ってこさせるよう言ってくるから、そこで大人しく待っていなさい」
閻魔大王は上体を起こし奪衣婆の頭をひとなですると、夕食を持ってくるよう人を呼ぼうと部屋の入口まで行き扉を開いた。するとそこには今までの事を覗き見していたであろう、閻魔王と小野篁がいた。
「こ、こんばんは、父上」
「私達は別に最初から全て覗き見ていたなど、そんな事していませんので……」
「そ、そうだよ。奪衣婆ちゃん宛の手紙を隠していたのがバレて、そのまま渡せばいいのに渡せない意気地無しな父上なんて見てないよ」
「……全て見ていたではないか」
はあ、とため息を吐き閻魔大王は二人を中へ入るよう促すと、静かに扉を閉めた。
「あっ、篁!さっきはスプレーありがとう」
小走りに近寄ると奪衣婆は使い終えた消臭スプレーを篁へと返した。篁は消臭スプレーを袖口へしまうと小声で「役に立ちましたか?」と聞いてくる。そんな篁に奪衣婆も小声で「役に立っちゃった」と返した。
「それで、二人は何故あそこにいたんだい?」
「今日の報告書と資料を渡そうと思って……」
そう言うと閻魔王は両手に抱えていた資料と報告書を閻魔大王へと渡す。篁もそれに続き資料を閻魔大王へと手渡した。
「タイミングが中々掴めず困り果てていたので、大王が開けてくださって助かりました」
「改めて出直すとか考えなかったのかい」
「話し合いの結果、わざわざ出直すのも面倒なので待とうという事になりました」
閻魔大王が口を開こうとした瞬間、閻魔王は何かを察したのか困ったような表情で話し始めた。
「俺が待とうって提案したから、篁の事叱らないで欲しい。覗き見してごめんなさい」
頭を下げて謝る閻魔王に、篁も同じく頭を下げる。素直に謝られた事により、閻魔大王は叱るに叱れずどうしたのものかと頭を搔いた。
「大王様、見せて減るもんじゃないんですし、良いじゃないですか!そんな事よりこの二人に夕食持ってきてもらって、皆で食べましょうよ」
「そう、なのかな?まあ、いいか。そうしよう。二人とも、それで良いかな?」
閻魔王は顔を上げると「うん!」と大きな声で返事をし、篁を引き連れ急いで部屋から出て行った。
「二人きりでなくて良かったのかい?」
念の為閻魔大王はそう問うと、奪衣婆は一気に嬉しそうな表情へとなった。
「大王様、もしかして私と二人きりが良かったんですか?」
「あ、いや、そういう意図で言った訳では――」
「次来た時は二人きりで食べましょう?」
約束、と言うと奪衣婆は小指を閻魔大王へと向けた。閻魔大王も小指を奪衣婆へと絡めるとそのまま指切りをする。
「大王様と約束しちゃった!嬉しい」
にっこりと笑う姿に閻魔大王はどきりとし、気付いたら奪衣婆の事を抱き締めていた。
「え、だ、大王様!?」
驚きの余り素っ頓狂な声を出してしまうも、閻魔大王からされた抱擁が嬉しく、奪衣婆は直ぐに抱き締め返す。
暫くそうしていようと思った瞬間、突然扉が勢い良く開き閻魔王が入ってきた。
「父上!食堂が思ったより混んでるみたいだから、暫く時間かかるみた――」
タイミング悪く入ってしまった閻魔王はどうすべきか固まっていると、後ろにいた篁が入ってきて徐に喋り始めた。
「私達が戻ってくると分かっていながら、こういう事をするのは如何なものかと思いますよ。ね、閻魔様」
同意を求められ固まっていた閻魔王は、はっと気が付くと大きく頷いた。
しかし閻魔大王は二人に見られてしまった事により、どうすれば良いのか分からず固まってしまっていた。
「大王様?」
動きが止まった事に気付いた奪衣婆は、閻魔大王の顔を見る。そこには耳まで真っ赤になり変な汗をだらだらと流している閻魔大王がいた。これは暫くこのままだぞと気付いた奪衣婆はそっと閻魔大王から離れると、閻魔王と篁の方へと移動する。
「大王様、固まっちゃった」
「見られて困るなら二人きりの時にすれば良いのにね」
「もっともです。どうします?」
奪衣婆は少し考え、どうしようもないなと答えを出すと取り敢えず二人を座るよう促した。
「お料理来るまで固まった大王様でも眺めてましょ」
奪衣婆は閻魔大王の隣へそっと腰を下ろし、閻魔王と篁は向かいの一人用椅子にそれぞれ座った。
「それもそうだね」
「ついでに写真も撮っておきますか?こんな面白い大王は中々見られないので貴重ですよ」
そう言い篁は懐からスマートフォンを取り出し、カメラを起動させる。
横からの写真を一枚撮ると、今度は正面から撮ろうと閻魔大王の前へ回った所で、気が付いた閻魔大王は篁のスマートフォンを奪い取る。
「何をしてるんだい?」
「大王の面白瞬間を思い出に残しておきたく、勝手ながら写真を撮っておりました」
そう返した瞬間閻魔大王は篁のスマートフォンを操作し初期化しようとするも、その事に気付いた篁は「やめてください」と言い奪い返す。
「人の事を勝手に撮ってはいけないよ、篁。今の写真を消しなさい」
「奪衣婆殿に送るまでは消せません」
そう言うと慣れた手つきでスマートフォンを操作し、奪衣婆へたった今撮った写真を送り付ける。その間閻魔王はこっそりと部屋から抜け出していた。
「あっ、来た!ありがとう、篁」
喜んでいるのも束の間、奪衣婆と篁は笑顔を浮かべた閻魔大王にこっぴどく説教されてしまった。
折角久し振りに会えたのに説教をされてしまった奪衣婆は途中で泣き出してしまい、閻魔大王も篁もどうすれば良いのか分からず困り果ててしまう。そんな時泣き声を聞き付けた閻魔王が戻ってきて、奪衣婆を宥めるのであった。
四人で夕食をとった後、閻魔王と篁は「邪魔したら悪いので」と言いすぐに退出してしまい、部屋には閻魔大王と奪衣婆の二人きりになったいた。二人がけのソファへ座り、お互い寄り添うように座り見つめ合う。
「その、先程は説教なんてしてしまって、すまなかった」
「いえ、私こそ怒らせるような事してしまって、ごめんなさい」
そう言い奪衣婆は閻魔大王の手をぎゅっと握ると、そのまま恋人繋ぎをした。
「あの、大王様」
「なんだい?」
奪衣婆は閻魔大王へ視線を送ると、すぐに逸らし言い難いのか、暫く沈黙が続いた。そんな奪衣婆の頭を優しく撫で、言えるようになるまで閻魔大王は待っていると、言う覚悟が決まったのか奪衣婆は口を開いた。
「大王様って、私以外に妻がいたりしないですよね?」
「……え?」
なんでそんな事聞くの?と閻魔大王は思わず返しそうになるも、ここの所全く会えていなかった事を思い出し、奪衣婆を不安にさせていた事に気付く。
「いる筈ないだろう。私は、その、だ、奪衣婆しか、み、見えてない、というか、奪衣婆しか考えられない、のだから」
余程恥ずかしいのか閻魔大王はまたも耳まで真っ赤に染めながら、誤解を与えないよう言った。そんな閻魔大王を見て、奪衣婆はくすりと笑う。
「机の引き出しも私との思い出しかない男が、他に女作る筈ないですよね。良かった……」
「分かって貰えたなら良かった」
お互い見つめ合い穏やかな空気が流れる。閻魔大王はそっと奪衣婆の頬へ手を当てると、奪衣婆は自然と瞳を閉じた。そのままキスをするのかと思っていた奪衣婆は暫く待つも、中々唇に何の感触も来ず不思議に思い目を開ける。すると、何故かそこには顔を真っ赤にし目を思い切り閉じている閻魔大王がいた。
いつも通りまたヘタレを発動させているのかと思った奪衣婆は、少し顔を動かしちゅっと音を立てて閻魔大王へとキスをした。すぐに離れて見詰めていると閻魔大王は奪衣婆から手を離しゆっくりと瞼を開け、眉を八の字にして笑う。
「また自分から出来なくて……なんというかすまない……」
「いえ、良いんです。以前はこうしてキスする事すら拒否されていたので、大分進歩しましたよ」
「そうだったっけ」
思い出せないのか首を傾げるも、「そうです」と奪衣婆に言われ閻魔大王は苦笑した。
「そうか、それはすまない事をしていたね」
「大王様と一緒にいられるだけで幸せなので、気にしてないです」
そう言うと奪衣婆は閻魔大王の腕を両手で抱き締め、頭を閻魔大王の肩に預けた。
「今日、泊まっていっても良いですか?」
「……いいよ」
駄目と言われるだろうと思っていた奪衣婆は驚いて思わず閻魔大王の顔を見る。
閻魔大王はにこりと笑い奪衣婆の頭を撫でながら話し始めた。
「せっかく祝言を上げたのだから、たまにはこうして過ごすのも悪くないだろう。奪衣婆には寂しい思いばかりさせてしまって、本当に申し訳ないと思っている。あの子に跡を継がせたら奪衣婆、一緒に暮らそう。それまで待っていてほしい」
一緒に暮らす、その言葉に奪衣婆は嬉しさのあまり涙が出てきてしまった。
「それまで私三途の川で待ってます」
「ありがとう」
閻魔大王は優しく包み込むように奪衣婆を抱き締めると、奪衣婆もそれに応えるよう背に手を回した。