第一幕 斯くも暗き水底で

 屋敷の一番奥にある、一際豪華な部屋。そこが妹の部屋だった。

凪砂なぎさ、出てこられますか?」

 優しい声で言う。妹――凪砂はとても大切な家族だ。だからこそ、結婚相手を見極めた上で、式を挙げて欲しい。大事な局面だった。なのに、後ろにいるうみは先程からずっと文句を垂れていた。いい加減黙って欲しい。後ろを振り向くと、にこりと笑った。

「海君。少しは静かにしてもらえませんか?これから妹と会って貰うんですから、もっと喜んでください」
「だから、急に結婚とか何なんだよ。俺は嫌だからな。つーか、とっとと陸へ戻せよ」

 また始まった。ここに来るまで何度も同じ事を言ってきた。海凪みなぎは何度目か分からないため息をついた。

 そんな時、襖が少しだけ開く。隙間からこちらの様子を伺っているのか、それ以上は開かなかった。

「凪砂、恥ずかしがらずに出ておいで」

 そう言うと、襖がゆっりと開いていく。妹が、姿を現した。長い黒髪をハーフアップにし、真紅色の大きめなリボンで結んでいる。海がここに来ると聞いたからか、前髪は綺麗に切りそろえていた。表情は無表情に近かったが、これが通常通りだ。兄同様赤い瞳を持った、極上の美貌を持った少女に、海は黙ってしまった。きっと、見蕩れているのだろう。

「お兄ちゃん……。この人が、私の結婚相手なの?」

 小さな声で言う。鈴のような可愛らしい声だ。凪砂の言葉に、海凪は頷いた。

 じっと凪砂は海を見た。一歩ずつ、確かめるように近づいて行く。海は、喉を鳴らして唾液を飲み込んでいた。海凪は、自然と顔が綻んだ。やっと、ここまで来たのだ。絶対に成功して欲しい。それだけを、願った。

「私は凪砂。あなた、名前は?」
「う、海です」
「よろしくね、海さん」

 声を出さず、海は頷くだけだった。凪砂ほどの美少女に出会った事がないのだろう。惚けていた。

「さて、今日は豪勢に宴でも開きましょうか。私は準備があるので、これで失礼します。是非とも、仲を深めてくださいね」

 最後の言葉を力強く言う。それだけ残すと、海凪は台所へと向かった。一度、振り返ってみる。二人とも喋らず、お互いを見つめ合っていた。

 ――ずっと文句を言っていましたが、これなら大丈夫でしょう。後は、仲を深めて貰うだけですね。

 また、笑みが溢れる。今日という日のために、食材はたんまりと溜め込んでいた。海がずっとここにいたいと思うように、美味しい料理を作らなくては。

 海凪は気合いをひとつ入れると、颯爽と台所へと入って行った。
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