1章 蕾
応接室に着くなり、先程まで喜びを見せていた瀬戸は萎縮した。縮こまったような姿勢になったと思えば、顔を赤らめては逸らしたり忙しない様子で香取に並ぶ。
「……おい香取!女がいるなんて聞いてねぇぞ!」
瀬戸は精一杯の小声で香取に耳打ちをする。忙しい表情を見せる瀬戸は心の底から動揺していた。勢いよく肩を組みその存在に背を向ける。眉を顰める香取は心底呆れた様子で瀬戸を見る。
確かに目の前に座るのは艶やかな黒髪を持ち、色艶の良い肌、長いまつ毛から覗かせる灰と桜色の瞳。そしてぷるんと色付いた唇をもつ絶世の美女と言われても頷ける容姿の持ち主である。
「どうみても女じゃねぇか!うわ任務終わりだから服汚れてるしどうしよう」
「お前は何しにここに来たんだ?」
耳打ちだけでは抑えきれず、とうとう瀬戸は麗しの存在を指さした。勢いよく振り返り大きく振り下ろした腕には瀬戸の動揺と感情が込められていた。それに気がついたのか、その存在は瞳を蕩けさせ微笑み距離を詰めてくる。
「えっ……」
言葉を詰まらせる瀬戸に対し、その存在はぴとりと身を寄せる。黒手袋に包まれた指先を瀬戸の胸に添え、耳に息がかかる程近づき息を吸う。色付いた唇がゆっくり動き、瀬戸の耳に触れそうなほど近づける。
「兄さん、俺が女だっていうなら楽しまてくれるんだろ?」
低く芯が通っているが蜂蜜のように甘美なその声に、瀬戸は驚きを隠さず顔を向ける。にんまりと笑うその存在に今度は羞恥の赤が顔を染め上げていく。
「冗談だよ!本気にすんな。俺は朱雀 、本日より遊撃部隊より移籍で世話になる。よろしくな?先輩」
香取の冷ややかな目線を感じながらも、瀬戸はやり場の無い感情を吐き出せずにいた。先程まで赤かった顔は青くなったりと忙しなく移ろう。ようやく感情が整理出来たのか瀬戸は大きく息を吸い込む。
「もうやだー!!なんだよほんとに!」
「そもそも覡は女性禁制だ。何を期待してんだか」
レンズ越しの瞳は非常に冷たく呆れた色を映し出す。香取に深い溜息をつかれ、泣きべそをかいていた瀬戸は勢いよく振り返る。
「それでも期待しちゃうのが男だろ!うわぁ〜ん騙されたよ〜!」
呆れ果てた香取は朱雀に向かい眼鏡に手を添える。小さくついたため息を切り替えとし涼しい表情をみせる。
「悪いな。アイツは放っておいていい」
ただ一言そう言うと茶封筒に入った書類一式を取り出し朱雀に差し出す。それを受け取ると香取は朱雀の前に腰掛け説明を始める。
「遊撃部隊にいたお前なら分かるだろうが、覡隊はそのほとんどが異能持ちで形成される最前線部隊だ。異能には三種類、生まれつきの先天性、後から目覚める後天性、そして人工移植だ」
目線で朱雀に座るように促す。それを汲み取り朱雀も香取の目の前に視線を合わせる高さで腰掛ける。
異能。それは所謂特異体質である。通常人が持ちうることのない神の御業ともされる。異能は魔性にとって有効であり異能持ちは重宝される。生まれつき所持する場合と何らかのきっかけにより目覚める場合が割合のほとんどである。だが文明は進み、その異能は適合者には人工的に植え付けることが出来る。ただ成功率は限りなく低く改善の余地があるとされている。
「朱雀、お前のは……」
香取の言葉は腹の中を探るような様子がある。鋭い視線と的確な言葉は聞くものからすれば堪えるものだろう。尋問に適した人を天秤に図る言葉だ。
「俺は生まれつきだよ。婆さん曰く産まれた時に炎の鳥に抱かれてたらしいからな」
言葉は耳から脳へと流れる。その過程で与える印象によっては相手を支配することも出来る武器となる。その要素を強く持つ香取の言葉にも動じることも無く朱雀は言葉で返す。
俄に信じ難いと眉を顰める香取に対し、あまり気にもとめず朱雀は資料に目線を落とす。その様子すら香取は視線から外すことは無かった。
「続けよう。次は魔障だ。朱雀は魔障との交戦経験は?」
朱雀は少し考えるように腕を組みこてんと首を傾げる。少し迷うような様子を見せたあと、相も変わらず甘い笑顔を浮かべる。
「あれが魔障かは知らねぇけどよ。人間を食っちまう輩がいたんで何度か止めたことはあった」
「そいつがカニバリズムか野生動物でないなら魔障だ」
納得したように笑う朱雀に対し、香取は深くため息をこぼす。先程から香取は朱雀に対して確認と称した試す物言いをしている。朱雀はその全てに緊張はなく、どことなく慣れた素振りを見せる。
香取の中で確信した違和感は次第に膨らんでいく。そして一言、言葉に形を変える。
「朱雀、お前はいくつだ」
単純であり明確。確認するように香取は問いを投げる。
「十八歳だよ」
「なっ、未成年!?」
先程まで拗ねていた瀬戸が立ち上がり驚いた様子を見せる。その驚きはおかしな事ではない。軍に所属する十八歳は決して少なくはない。驚く点はそこではなく、朱雀自身にある。
あまりにも慣れすぎている。
十八歳など戦場に出たばかり、あるいは訓練を終えたばかりがほとんどだ。そんな中怯むこともなく真っ直ぐとした物言いは異質である。
「朱雀、お前は一体」
香取がその先の言葉を言う前に、朱雀は立ち上がり香取の唇に人差し指を添えて微笑んだ。
「死ぬか殺すか。そういう世界だ」
その言葉に香取も瀬戸も息を飲む。簡単な仕草ひとつで相手を圧倒する事すら異質であるのだ。
二人のその様子を満足気に見て朱雀は微笑む。
「それにここも俺の故郷もたいしてかわらねぇからよ。そうだ。一歩間違えたら簡単に命なんてなくなっちまう。そんな世界なんだ」
その瞳はとても十八歳のする瞳ではなく、まるでいくつもの死をその目で見てきたものの悲しい瞳であった。それでもにこりと微笑んでいられる朱雀の状況に、香取は手に汗を握りながらも口角を上げた。
「いいだろう。ようこそ覡隊へ。俺達はお前を歓迎するよ」
天秤が傾き幕を閉じる。香取が再度手を差し出し、握手を求めようとしたその時だった。
応接室の扉がゆっくりと開く。
「随分と打ち解けたようじゃないか」
拍手とともにその人物は応接室へと足を踏み入れる。その場にいた全員がその人物に視線を送り、瀬戸と香取はすぐさま頭を下げて跪く。
二人の姿勢と行動を見た朱雀もすぐ様同じように頭を下げる。
あからさまに雰囲気が違う男に対して、朱雀は頭こそ下げてはいるが表情は決して穏やかなものではなかった。
「軍師殿」
香取のその発言にその存在の立場を理解する。低く落ち着いた声色の軍師は男性なのだろう。老人とまではいかないが背が高く白い軍服に身を包んでいる。頭を下げているため、顔まではよく確認することは叶わない。だが非常に冷静で腹の底など到底読めない表情をしているのだろう。
「仲が良いことはいい事だ。一騎当千の戦姫が入る事は帝もお喜びのようだしな」
上機嫌かつ人の腹を探るような声色は、その場にいた者の半分以上は不快に感じていた。瀬戸は気遣うように朱雀に視線だけを向ける。朱雀の綺麗な顔に眉間のシワがみえる。その表情は瀬戸にとって軍師がどのような人物か伝える必要が無いと判断するのに十分すぎるものであった。
「早速、洗礼といこうか。司令だよ」
軍師は一枚の用紙を香取に手渡すと再度扉へと向かう。コツコツと大理石の上を歩く音だけが空間に響く。
「承り致しました……帝の、意のままに」
香取の声は静かな空間によく響く。
足音を聞いた朱雀がちらりと目線を上げる。後ろ姿の軍師は綺麗な銀髪をしていた。扉を開ける際、香取のその言葉に口角を上げ扉の外側に出ていった人物はなんとも不愉快な空気を纏っていた。黄金色の瞳が妙にこびり付く。
「期待しているよ」
閉じられた扉は、再度空間に平穏をもたらした。
「帝の意のままに……か」
朱雀の表情は少しだけ暗く影を落とす。
「……おい香取!女がいるなんて聞いてねぇぞ!」
瀬戸は精一杯の小声で香取に耳打ちをする。忙しい表情を見せる瀬戸は心の底から動揺していた。勢いよく肩を組みその存在に背を向ける。眉を顰める香取は心底呆れた様子で瀬戸を見る。
確かに目の前に座るのは艶やかな黒髪を持ち、色艶の良い肌、長いまつ毛から覗かせる灰と桜色の瞳。そしてぷるんと色付いた唇をもつ絶世の美女と言われても頷ける容姿の持ち主である。
「どうみても女じゃねぇか!うわ任務終わりだから服汚れてるしどうしよう」
「お前は何しにここに来たんだ?」
耳打ちだけでは抑えきれず、とうとう瀬戸は麗しの存在を指さした。勢いよく振り返り大きく振り下ろした腕には瀬戸の動揺と感情が込められていた。それに気がついたのか、その存在は瞳を蕩けさせ微笑み距離を詰めてくる。
「えっ……」
言葉を詰まらせる瀬戸に対し、その存在はぴとりと身を寄せる。黒手袋に包まれた指先を瀬戸の胸に添え、耳に息がかかる程近づき息を吸う。色付いた唇がゆっくり動き、瀬戸の耳に触れそうなほど近づける。
「兄さん、俺が女だっていうなら楽しまてくれるんだろ?」
低く芯が通っているが蜂蜜のように甘美なその声に、瀬戸は驚きを隠さず顔を向ける。にんまりと笑うその存在に今度は羞恥の赤が顔を染め上げていく。
「冗談だよ!本気にすんな。俺は
香取の冷ややかな目線を感じながらも、瀬戸はやり場の無い感情を吐き出せずにいた。先程まで赤かった顔は青くなったりと忙しなく移ろう。ようやく感情が整理出来たのか瀬戸は大きく息を吸い込む。
「もうやだー!!なんだよほんとに!」
「そもそも覡は女性禁制だ。何を期待してんだか」
レンズ越しの瞳は非常に冷たく呆れた色を映し出す。香取に深い溜息をつかれ、泣きべそをかいていた瀬戸は勢いよく振り返る。
「それでも期待しちゃうのが男だろ!うわぁ〜ん騙されたよ〜!」
呆れ果てた香取は朱雀に向かい眼鏡に手を添える。小さくついたため息を切り替えとし涼しい表情をみせる。
「悪いな。アイツは放っておいていい」
ただ一言そう言うと茶封筒に入った書類一式を取り出し朱雀に差し出す。それを受け取ると香取は朱雀の前に腰掛け説明を始める。
「遊撃部隊にいたお前なら分かるだろうが、覡隊はそのほとんどが異能持ちで形成される最前線部隊だ。異能には三種類、生まれつきの先天性、後から目覚める後天性、そして人工移植だ」
目線で朱雀に座るように促す。それを汲み取り朱雀も香取の目の前に視線を合わせる高さで腰掛ける。
異能。それは所謂特異体質である。通常人が持ちうることのない神の御業ともされる。異能は魔性にとって有効であり異能持ちは重宝される。生まれつき所持する場合と何らかのきっかけにより目覚める場合が割合のほとんどである。だが文明は進み、その異能は適合者には人工的に植え付けることが出来る。ただ成功率は限りなく低く改善の余地があるとされている。
「朱雀、お前のは……」
香取の言葉は腹の中を探るような様子がある。鋭い視線と的確な言葉は聞くものからすれば堪えるものだろう。尋問に適した人を天秤に図る言葉だ。
「俺は生まれつきだよ。婆さん曰く産まれた時に炎の鳥に抱かれてたらしいからな」
言葉は耳から脳へと流れる。その過程で与える印象によっては相手を支配することも出来る武器となる。その要素を強く持つ香取の言葉にも動じることも無く朱雀は言葉で返す。
俄に信じ難いと眉を顰める香取に対し、あまり気にもとめず朱雀は資料に目線を落とす。その様子すら香取は視線から外すことは無かった。
「続けよう。次は魔障だ。朱雀は魔障との交戦経験は?」
朱雀は少し考えるように腕を組みこてんと首を傾げる。少し迷うような様子を見せたあと、相も変わらず甘い笑顔を浮かべる。
「あれが魔障かは知らねぇけどよ。人間を食っちまう輩がいたんで何度か止めたことはあった」
「そいつがカニバリズムか野生動物でないなら魔障だ」
納得したように笑う朱雀に対し、香取は深くため息をこぼす。先程から香取は朱雀に対して確認と称した試す物言いをしている。朱雀はその全てに緊張はなく、どことなく慣れた素振りを見せる。
香取の中で確信した違和感は次第に膨らんでいく。そして一言、言葉に形を変える。
「朱雀、お前はいくつだ」
単純であり明確。確認するように香取は問いを投げる。
「十八歳だよ」
「なっ、未成年!?」
先程まで拗ねていた瀬戸が立ち上がり驚いた様子を見せる。その驚きはおかしな事ではない。軍に所属する十八歳は決して少なくはない。驚く点はそこではなく、朱雀自身にある。
あまりにも慣れすぎている。
十八歳など戦場に出たばかり、あるいは訓練を終えたばかりがほとんどだ。そんな中怯むこともなく真っ直ぐとした物言いは異質である。
「朱雀、お前は一体」
香取がその先の言葉を言う前に、朱雀は立ち上がり香取の唇に人差し指を添えて微笑んだ。
「死ぬか殺すか。そういう世界だ」
その言葉に香取も瀬戸も息を飲む。簡単な仕草ひとつで相手を圧倒する事すら異質であるのだ。
二人のその様子を満足気に見て朱雀は微笑む。
「それにここも俺の故郷もたいしてかわらねぇからよ。そうだ。一歩間違えたら簡単に命なんてなくなっちまう。そんな世界なんだ」
その瞳はとても十八歳のする瞳ではなく、まるでいくつもの死をその目で見てきたものの悲しい瞳であった。それでもにこりと微笑んでいられる朱雀の状況に、香取は手に汗を握りながらも口角を上げた。
「いいだろう。ようこそ覡隊へ。俺達はお前を歓迎するよ」
天秤が傾き幕を閉じる。香取が再度手を差し出し、握手を求めようとしたその時だった。
応接室の扉がゆっくりと開く。
「随分と打ち解けたようじゃないか」
拍手とともにその人物は応接室へと足を踏み入れる。その場にいた全員がその人物に視線を送り、瀬戸と香取はすぐさま頭を下げて跪く。
二人の姿勢と行動を見た朱雀もすぐ様同じように頭を下げる。
あからさまに雰囲気が違う男に対して、朱雀は頭こそ下げてはいるが表情は決して穏やかなものではなかった。
「軍師殿」
香取のその発言にその存在の立場を理解する。低く落ち着いた声色の軍師は男性なのだろう。老人とまではいかないが背が高く白い軍服に身を包んでいる。頭を下げているため、顔まではよく確認することは叶わない。だが非常に冷静で腹の底など到底読めない表情をしているのだろう。
「仲が良いことはいい事だ。一騎当千の戦姫が入る事は帝もお喜びのようだしな」
上機嫌かつ人の腹を探るような声色は、その場にいた者の半分以上は不快に感じていた。瀬戸は気遣うように朱雀に視線だけを向ける。朱雀の綺麗な顔に眉間のシワがみえる。その表情は瀬戸にとって軍師がどのような人物か伝える必要が無いと判断するのに十分すぎるものであった。
「早速、洗礼といこうか。司令だよ」
軍師は一枚の用紙を香取に手渡すと再度扉へと向かう。コツコツと大理石の上を歩く音だけが空間に響く。
「承り致しました……帝の、意のままに」
香取の声は静かな空間によく響く。
足音を聞いた朱雀がちらりと目線を上げる。後ろ姿の軍師は綺麗な銀髪をしていた。扉を開ける際、香取のその言葉に口角を上げ扉の外側に出ていった人物はなんとも不愉快な空気を纏っていた。黄金色の瞳が妙にこびり付く。
「期待しているよ」
閉じられた扉は、再度空間に平穏をもたらした。
「帝の意のままに……か」
朱雀の表情は少しだけ暗く影を落とす。