1章 蕾

 熱は大気を巻き上げる。木の葉は燃え火の粉を散らす。朱雀の体に纏う炎は不思議と朱雀の衣類は燃やすことはなかった。唸る魔障を見据える灰と桜の瞳は陽炎を映す。鋭い咆哮の後に大きく開いた口は確実に獲物を捉える獣の口。長い舌と濡れた牙が目と鼻の先まで迫る。

 大地を震わせるのは咆哮ではなく、耳を貫く不死鳥の鳴き声。
 長槍に纏った炎はやがて大きな鳥へと姿を変える。不死鳥のように翼を広げ、火の粉を散らす姿は鳳凰を思わせるだろう。
 朱雀が一点に向けて長槍を思い切り投げる。崖の上からでもよく見える炎は魔障の口から体内を貫き大空へと羽ばたいていく。幻想的なその姿は刹那でありながら圧倒的であり、何よりも美しかった。
 魔障は灰に還り、残るのは散りばめられた赤と朱雀のみ。魔障が原因であるならば視界は晴れるはずだが、あたりは相変わらずモヤがかっている。
「こりゃぁ、どうなってやがるんだ」
 朱雀が違和感を覚えるのはすぐであった。晴れる事のないモヤに、魔障が討伐されたのに瘴気の濃度は濃くなっていく。呼吸も重く、視界は悪くなる一方、朱雀は一人身構える。

「これは驚いた。キミは勘も冴えているんだな」

 声の主は不意に現れる。晴れる事のない視界の中、白魚のような指が急に視界に現れる。朱雀が身を引き距離を保とうとするがそれよりも早くにその腕が体に絡みつく。抱きしめられる朱雀は、少し考えながらも口を開いた。
「あそこにあった死体、ありゃあの魔障がやったんじゃねぇ。アンタだろ?」
 声の主は少しの呼吸音をみせる。そしてふはっと息を漏らした。
「そぉだよ。よくわかったね。ボクがやったんだ。全部全部キミのため」
「そりゃ結構。あの魔障の爪があまりにも綺麗でな。違和感があったんだ」
 声の主は体躯は大きく中性的であった。けれどどこか女性的な曲線もあり、無性、両性をほのめかす。抱きしめられるような形でありながら、低い体温の奥にある熱は他者の熱を奪い膨張していく。
「……熱烈なのは結構だが、離しちゃくれねぇか」
 朱雀の言葉に応えるように声の主は密着させた体を少し離すが、決して逃さないと言わんばかりに腕は絡めて解かない。朱雀が顔を視認すると、その存在はゆっくりと目を細めた。淡い水色は朧げな視界でもはっきりと目に焼き付けてくる。
「だめだよ。だってボクはキミのことを待っていたんだから」
 細身だが大きく長い体に肌は真っ白という異質さは、その正体が人ではない存在であることを物語っていた。魔障は言葉を使うがそれは手段でしかない。感情や心など持ち合わせていないはずだ。
「お前さんは……」
「ボクは玉兎ぎょくとキミたちはそう呼んでいるよ。人型魔障・玉兎ひとがたましょう ぎょくと
 細められる淡い水色の瞳はまるで氷のように冷たく温度はない。けれど朱雀を捉え、低くもおびただしい熱を孕む。
 朱雀が引き剥がそうと力を込める刹那、白く冷たい唇が朱雀の唇を塞ぎ込む。
「っ!?」
 ねじ込まれる舌は体温からは想像もつかないほどに熱く、沸騰した血液を流し込まれているような感覚さえ覚える。強ばる朱雀にお構い無しに何かを流し込む玉兎は、それを飲むように舌で促す。それは有無を言わさずの強制であり命令である。
 顔を顰め、朱雀が飲み込むと身体の熱が大きくなる。朱雀は玉兎の舌を噛み、突き放す。するとひらりと玉兎は離れていく。
「テメェ、何しやがった」
 睨みつける朱雀とは違い玉兎は満足そうに微笑む。朱雀の唇の端にまとわりつく自身の血液をまるで紅のように朱雀の唇に引く。
「……種は十分。次会う時は咲かせてあげるね。ボクからのプレゼントだよ」
 姿は瘴気と共に薄らぎ朧気になっていく。
「またね朱雀。次はボクの名前も呼んでね」
 淡い水色の瞳がゆるりと歪む。それはまるで月のように最後まで焼き付いていた。

「……い、おーい朱雀!大丈夫かぁ!」
 瘴気が晴れると同時に、頭上から瀬戸の声が届く。血液が沸騰するような熱を押さえ込みながら、朱雀は振り返り笑顔を見せる。
「大丈夫!なんともねぇよ!」
 元気に両手を振り、瀬戸と香取に無事を知らせる。安堵した様子の瀬戸と香取が崖から飛び降り朱雀の元に駆け寄る。
「すげぇじゃん!よくやったな!」
 朱雀の頭を力いっぱい撫でる瀬戸に、嬉しそうに笑う朱雀の様子を香取はふと笑みを零しながら眺めていた。
「獣型魔障・禍喰討伐完了。帰るぞ」
 朱雀は鳴り止まない鼓動を押さえ込みつつ、ただひたすらに笑っていた。
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