1章 蕾


 がたん、ごとん。
 鼻につくオイルの匂いに土煙。不規則に揺られる体を乗せて景色は徐々に移り変わる。朱雀は愛用の長槍を抱きしめつつ窓の外に目をやる。見慣れた帝都はみるみるうちに小さくなり、朱雀の視線の端より更に外にでる。
「朱雀は遊撃部隊にいたんだろ?」
 傍らに両手斧を置いた瀬戸が不意に声をかける。期待に胸をふくらませた表情は瀬戸の目線から溢れ出る。その様子を見て朱雀は少し考えるような仕草をとる。
「まぁな。というか珍しい部隊じゃないぞ?」
 キョトンとした朱雀に対して瀬戸は首を大きく横に振る。その様子を同じく狙撃銃を抱えた香取は呆れ気味の横目でため息をついた。
「わかってねぇな朱雀はさ!珍しい部隊じゃねぇってことはさ……」
 瀬戸は真面目な表情を浮かべ、朱雀に対して身を乗り出す。ほんの少し身を後ろに倒しじっと見つめる朱雀に対して瀬戸は溜めた言葉を吐き出す。
「女の子がいるってことだろ」
 がたん。ごとん。
 身を揺らす振動と車体の軋む音が空気をゆるりと流す。香取のなんとも言えない呆れた表情と冷ややかな目線、目を丸くする朱雀の表情に対して瀬戸は終始得意げである。場の空気は既に冷えきっているが、瀬戸の得意げな表情と発言は加速する。
「遊撃部隊と医療部隊は可愛い女の子が多いって聞くしな。で、だ。実際どうなんだよ」
 期待に膨らんだ表情の瀬戸がずいと朱雀に詰め寄る。鼻がつんと触れそうなほどの至近距離に朱雀はほんの少し戸惑いを見せる。少し視線を逸らし、瀬戸の口元に軽く指先で触れる。
「近いよ、先輩」
「朱雀の言うとおりだ馬鹿」
 ようやく香取が瀬戸を引き剥がす。瀬戸はようやく距離感を理解したのか少し照れくさそうに笑って見せた。
「悪い悪い!そこらの女の子より可愛いお前に聞いたのはちょっと違ったよな」
「そこじゃないんだけどよ。まぁ、いいや」
 瀬戸の明るい笑顔に流されるように朱雀も笑って見せた。瀬戸という男は場の空気を良くも悪くも変える存在である所謂ムードメーカーである。その優しさや明るさに支えられることは少なくないのだろう。その度に香取が口を挟み会話が広がっていく。バランスの取れた二人組であることを朱雀は感じていた。二人のやりとり音であり、体を揺らす車体のリズムにのせられる。鼻につくオイルの匂いさえも心地よいと感じさせるほど、朱雀にとっては心地よいものであった。
 ――朱雀はいいよ。お前は一人で生きていけるんだからさ。
 不意に脳裏をよぎる言葉は記憶による襲撃である。冷え切った言葉の主はどこにもいやしない。それでも冷水をかけられたような衝撃は心臓を痛める。目を見開けばそこには仲の良い先輩同士が他愛のない言葉を交わしている。
「朱雀?どうした」
「気分がすぐれないならば早めに言え」
 目線が交わればあたたかい言葉が朱雀を包む。その言葉は徐々に鼓動を穏やかにしていく。
「なんでもない。ありがと先輩」
 穏やかな鼓動と共に記憶は遠のいていく。温度が戻ると共に居心地の悪い悪夢は次第に醒めていく。景色に木々が増えつつ、木漏れ日が柔らかに頬を照らす。
 その様子を眺めていた香取が軽く咳払いをし、眼鏡に指を添え進行方向に視線を促す。
「みろ。目的地だ」
 香取に促されるままに進行方向に視線をやる。気がつけば帝都はもう見えない位置まで来ていた。薄暗い森へと差し掛かった際にチラリと視界の先に『 帝都管理区 東陰ノ森ていとかんりく とういんのもり』の木製看板が映る。古びて苔や蔦が巻き付くその看板はこの森が帝都の管理下に置かれてからの年月を感じさせるものであった。じっとりと湿り気のある香りと共に自然の放つ香り、木々の話し声が耳に触れる。その心地よさとまとわりつく嫌な気配は変な気さえ起こさせる。
「気を引き締めろ。いくら管理下とはいえ魔障が発生し定期的に留まる場所だからな」
 香取のその言葉を合図に車体は音を立てて止まる。目的地に付き、降りる事を促すように扉が開かれる。
 追い立てられるように外に出るとより一層気配が強くなる。その気配に朱雀はほんの少しだけ顔をしかめる。香取は気配の強い方角へと躊躇なく足を進める。ポンと瀬戸が朱雀の背中を叩きニカリと笑う。
「ここはなんつーかさ、居心地がいいんだよ。人にとっても魔障にとってもさ。だからすぐ集まるんだよな。ここでの仕事は結構多いぜ?」
 そういうと瀬戸は朱雀の背中を軽く押し、前に進むように促す。その催促に気を取られている間にも香取はどんどんと前に進んでいく。朱雀は少し駆け足で距離を縮める。苔や固い地面を踏み締める感覚と頬を撫でる湿った空気。時折差し込む陽だまりは確かに心地の良い温度である。
「人も魔障も案外同じなんだな」
 朱雀がそういうと瀬戸は少し目を丸くし、その目をゆっくりと細めた。
「そりゃ人の発展から生まれた代償みたいなもんだから、習性みたいなのは同じところがあるんだろうけどさ」
 瀬戸の大きな手が朱雀の頭を優しく撫でる。ゴツゴツと硬いその手は誰かを守るために積み重ねてきた軌跡であり、瀬戸自身の生き方全てが刻まれていた。硬い指の間を朱雀の絹糸のような髪が滑る。その瀬戸の表情は優しさ以外のなにものでもないのだろう。
「でもアイツら魔障に人間みたいな意志や感情はねぇよ。あれら全てが習性であってそうすれば俺達人間が怯む事を覚えてる、知識みたいなもんだよ」
 魔障に感情もなければ血縁もない。人類が前に進むにつれて影ができるように突然現れる現象に等しい存在である。群れを成す同個体のもは多くいるが、それは仲間意識ではなくあくまでその個体特有の習性に過ぎない。
 人の様な言動をとる事や、稀に言葉を話す魔障もいるが、それは人から生まれた歪み故の知恵である。そこにあるのはただの猿真似、悪意のみ。
 朱雀は脳裏に焼き付いた今まで出会った魔障を思い浮かべる。そしてグッと唇を噛み締めた後に顔を上げる。
「わかってる。でもありがとな先輩。頑張るよ」
 身勝手な独り言だったと朱雀は思う。けれどその独り言に真っ直ぐ言葉を返してくれる存在は何よりも貴重だ。その存在は朱雀にとってとても大きく頼もしいものであった。
 晴れやかに笑顔を浮かべる朱雀に、瀬戸はホッとした表情で肩を組む。
「そんじゃ行こうぜ朱雀!香取に置いてかれちまう!」
 瀬戸と二人三脚のような足取りで香取との距離を詰める。ちらりと目線が交わり、瀬戸と朱雀は同時に笑う。
「早くしろ二人とも」
 眼鏡越しの緑の瞳が二人の表情を捉える。少し口元を緩めた香取に二人は嬉しそうな表情を浮かべた。

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