Mr.Right


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(落ち着け、落ち着け…)

心の声に従い我を戒め、努めて平静を装う。

全て成り行きに任せ、ただ静観するのみと決めここへ来たのだ。
狼狽しようが今更何の役にも立ちやしない。

マスクマンでよかったと思う。
今の表情はおそらく酷いものだろう。
暑くもないのに汗が額から頬に伝う。
冷や汗というやつか。

これから始まる一部始終を最後まで見届けなければならない。その結果がどうであろうがオレには………関係ない。


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正義超人を育成するヘラクレスファクトリーを卒業した新世代超人達。
その一期生対二期生の試合会場―――満員御礼の観客に紛れ、ケビンマスクは複雑な思いを抱えつつスタンド席に腰をおろした。


もうじきに試合が始まろうとしていた、そのとき。


「きさまがケビンマスクか?」

不意に背後から名を呼ばれ、振り向く。

「その体格、佇まい…父親のロビンマスクにそっくりだな」

ケビンマスクは自分の目を疑った。
まさか“あの人”に、ここで会うとは思わなかったのだ。

「…あなたは…レジェンド・ブロッケンジュニア…」

ただでさえ複雑であった胸中は、彼の登場で更に乱れに乱れた。

ケビンは超人レスリング観戦をする為にだけ、ここに来ている訳ではない。
二期生として決勝に残った、元は同じ悪行(デーモンプラント)に属していた超人、未だその真実の姿を暴かれぬままの―――スカーフェイスと名乗る悪行超人、マルスを追っていたのだ。

そんな状況下で偶然とはいえ、長年の想い人に出会ってしまった………なんという運命の悪戯だろうか。
忙しく巡る思考とは逆に、ケビンは彼を前にただ固まる事しか出来なかった。

「どうした、ケビン?きさまから何か迷いのようなものを感じるが?」

「……う…っ」

初対面で、しかもマスクマンの自分の心を、何故この人は読めるのだろうか。
ケビンの胸は更に激しくかき乱された。

迷いは確かにある。
彼の正体を世に暴くべきか否か。
三年前に命を救われ、以来マルスに恩義を感じていたケビンは、迷いながらここへ来たのだ。

混乱したケビンは彼から目を離すことができずにいた。

「心に蟠りがあるなら、早いうちに吐き出してしまった方がいいぞ…」
と言い置き、ブロッケンJr.はケビンの前の席に座った。

「な、なんの話だ!」

ケビンは思わず立ち上がり、目前のブロッケンジュニアの背中に叫んだ。

ブロッケンJr.は少し何か考えるような素振りの後、
「なら、いいが」
と短く答え、それきり黙り正面のリングを見つめた。


ケビンは複雑な思いで、立ったままその背中を見つめ続けた。
彼は…前の試合でマルスと戦い、重態となった愛弟子・ジェイドに付き添い、病院にいるのだと思っていた。
それがなくとも、マルスの試合を観にわざわざ足を運ぶとは予想だにしていなかった。
しかし、正義超人で昔仲間のキン肉マンの息子・万太郎の試合でもあるのだから、興味あってのことかも知れないと思い直す。

短い時間にありとあらゆる思考が次から次へとめぐり、ケビンの汗は止まることなく流れ続けている。

(すまない…オレは何も話せそうにない)

ケビンは心の中で誰にともなく詫びた。
マルスには恩義だけではなく、生まれて初めて抱いた淡い友情すら感じていた。
もしマルスが正々堂々と戦うのであれば、無理に暴露せずとも…などという思いが頻繁に過る。

そして、やはりブロッケンJr.という男は、不思議な魅力のある伝説超人だ、と感じた。
先程の、ケビンの内心を見透かしたような言葉と、鋭い視線。
完全にケビンは気圧されてしまったのだから、それは相当な威厳だった。
父親以外に初めて一対一で向き合ったレジェンド…
想像していた以上の人物だとケビンは素直に感じた。
この人に自分は、長年懸想に似た感情を抱いてきた…
実際に会ってケビンのそれは確かなものへと助走を早めることになったのだが…
今は状況がそれを許さない。
リングの上では優勢だった万太郎が途端に押されはじめた。

「あの馬鹿…」
ケビンは思わず呟いて身を乗り出した。

「万太郎!最後まで戦いを捨てるなっ!」
叫んでしまって気付く。
ケビンは自分でも知らずうちに万太郎を、正義超人を応援している。
万太郎が勝てばマルスは改心するかも知れぬと、自分は願っているのではないか?などと自問自答しながら。
目前の光景に更に身を乗り出せば、す、と前の席から片手が挙げられた。
ブロッケンJr.だ。
ハッとして開きかけた口を閉ざしたケビンに、
万太郎にはきっと何か策がある、と彼は言った。

ケビンは再びリングを見つめた。
しかし、万太郎の奇策、マルスの不意をついた必殺のキン肉バスターは呆気なく破られ…
やはり、とケビンの頭は嫌な予感だけが音を立ててざわめき始めた。

「このままでは大変なことが起きてしまう…ま…万太郎…」

本当に危険な戦いだった。
マルスなら万太郎を殺すことなどどうということでもないだろう。
止めなければならない。この試合を、今すぐに。

「ケビンマスク」

ブロッケンJr.が振り向いた。
ケビンはまだ見ぬ恐怖を感じつつ、怯えたような目で見つめ返した。

「きさま、スカーフェイスについて何か知っているな?」

(まただ、何故見透かされる?
他には誰にも気付かれていないというのに。
何故この男には…)

汗が髪と頬を伝い、手袋に落ちて飛び散る。

叫びたい。
全てを暴露したい。
しなければいけない。
だが…

初めて感じた友情、そして命の恩人を裏切ることは…
ケビンにはまだ勇気がなかった。
何かを失う気がした。
二度と取り戻せない何かを。
ブロッケンJr.は、そんなケビンを見つめ、やや強い口調で言った。

「さあ…俺と一緒に大会本部に行って、いっさいがっさい話すんだ」
その目は有無を言わさぬ確信に満ちたもの。
もうケビンは逆らえなかった。

「わかった…」

一緒に、と言われた。
彼が一緒ならば。
自分に付き添ってくれると言うのだから、とケビンはなけなしの勇気を振り絞り、ブロッケンジュニアの後についてスタンドを後にした。


リングサイドに二人で向かう。
ケビンの胸にはまだ様々な葛藤が去来している。
一歩一歩踏みしめながら、歩く。
ブロッケンジュニアは途中、何度か振り返った。
その度に目が合う。

「ケビンマスクよ、何を躊躇っている?」

リングサイドに着いても押し黙ったままのケビンを、ブロッケンジュニアが促した。

「真に勇気ある超人はいなかる場面においても、つねに正直であるものだ」

「勇気ある超人…正直であるもの…」

「さあ、洗いざらいぶちまけるんだ」

何か心の鍵がはずれたような気がした。

「わかった!」

ケビンは大会本部だけではなく、会場の観客にまで全てをぶちまけた。
マルスの顔色がみるみるかわっていく。
が、三年前のあの時、ケビンを助けたのは…
何か事あった時の為にだけ、恩を売っておいたなどと残酷なことを口にした。

そうとも知らずに恩義を、更には朧気に友情までも感じていたのだと、現実をつきつけられたケビンはにわかに傷付いた。

しかし。

終始ずっと隣りにいたブロッケンジュニアが、ポンとケビンの右肩に手を置いた。

「よく話してくれた、ケビンマスク」
「ブロッケンジュニア…」
二人は一瞬見つめあった。
だがそれはすぐ反らされ、依然としてジュニアの視線はマルスを追っている。
肩の手が離れた。
ケビンはふと不思議に思う。何故労いの言葉をかけるのだろうかと。
正義超人界の為に、正・悪どちらにも属さない一匹狼の自分が貢献したからだろうか。
それとも他に何か?

ケビンの疑問はすぐに解けることになる。
ジュニアが執拗にマルスを敵視していたのは、愛弟子・ジェイドの仇を万太郎に取って欲しいがため…
激しい試合でジェイドから外れた、ドクロの徽章を試合前に万太郎に託したという。
結果、それが摩訶不思議なパワーで何度も万太郎を救った。
それを見てジェイドを思い、しきりにジェイドの名を呼ぶブロッケンジュニアが、ケビンには痛ましかった。
ジェイドの無念を自分の無念として強く思う彼…
師弟の絆というものは、これほどまでに強いのか。
ケビンにはわからない。
そしてジェイドに対して嫉妬に似た感情が芽生えた。

手塩にかけて育てた弟子なのだから当然なんだろう、と思いはしても、この時にケビンははっきりと自覚することになる。

自分はやはり、この男…ブロッケンジュニアという超人に惹かれているのだということを。
そしてそれは独占欲特有の嫉妬と、決して敵わないという切なさもはらみ、膨らんだ。

試合は万太郎が勝利し、マットに倒れたマルスを見届けると、ケビンはそっとその場を離れた。
早く消えたい。
一人で考えたい。


暗かった空が晴れていく。

ケビンは一度だけ立ち止まり、リングの方向を振り返った。
「彼」の姿はもう見えない。

追いかけて、探したい、と一瞬思った。
今なら間に合う。

が…「彼」の足は、ジェイドのいる病院へと勇んで向かっているんだろう、と儚く思いを馳せる。
差してきた陽の光の幾つもの筋が眩しく目に染む。
ケビンはもう振り返らず、足早に会場を後にした。


これが二人の、事実上初めての出会いだった。

そしてこれから交わり変わっていく二人の運命を前に…
いわば始まりを暗示する、静かな別れだった。


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to be continue…

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