頂いた小説(シンリン様より)

⬛️マリさんの話



「ごめんなさい、亮一さん。」

運命というものは信じていない、だけれども沢山の偶然が重なって起こるこれは既に決まっていた事だと今となっては思うものだ。
そう…彼女に出会ったのは、田舎から転勤のため東京へ引っ越して半年位たったある日の事だった。

「あー、乗り遅れた…。」

全速力で走り駅へ駆け込んだ俺が見たのは目の前で無情に動き出した電車の後ろ姿、終電を告げるアナウンスが流れるなか滴る汗をぬぐう、電車に間に合わなかった現実に肩を落とした。

時計の針は0時を回り最終バスも出てしまった今、家に疲れずに帰る方法は皆無に等しい。
これからどうするか…息の上がった体を落ち着かせながら時刻表を眺めることにした。

(始発は5時…まだまだ先だな。)

上司に付き合わされ遅くまで飲み会をして終電を逃すなんて初めての経験だ、電車が無いならここから家までどれくらいあるのか調べなくては。

「はぁ…歩いて帰れない距離ではない…帰ろう。」

探し出した地図を見て誰も居ない駅前で呟いた、昼間は人で賑わうこの場所も時間が変わればただ風の音と微かに遠くの店の人の声が聞こえるだけの寂しい場所。
独り暮らしだから遅くなっても誰も居ないし、タクシーを使うのももったいない…。

(歩くのが辛いのであって…暗闇が怖い訳じゃない。)

酔いが冷めてしまうがこの際諦めよう。出来れば歩きたくないが…ここで悩んでいても仕方がない、秋の気配を纏い涼しくなった空気を肌で感じながら歩き始める。
飲み屋で賑わう繁華街を抜け、住宅地へ入れば一転し皆が寝静まる夜の世界。

「さっきと違って静かだ…。」

初めて歩いて帰るが半年も立てば近所の地理は分かってくる、家に帰るにはこの公園を通り抜けた方が早い、悩んでいても変わらないと足早に踏み込んだ。

明かりの乏しい薄暗い公園、小さめだが昼間は都会のオアシスとして親子連れで賑わう場所なのだが、今は誰も居ない。
鉄棒に滑り台にシーソー…考えてはいけないのに…、まるでホラー映画のワンシーンのように風が木々を揺らしザワワと笑っているように感じた。

キイッ…キッ…

金属が擦り合わさった高い音…風に揺れたブランコの音が聞こえる、滑り台の影になっているがその向こうにあるのだろう。

(懐中電灯を持ってくればよかった…。)

ある程度目がなれて来たとはいえ暗闇で前が見辛い、だから近付いてからしか気づかなかったのだ、雲に隠れていた月が顔を出しほんの少し明るくなったその時…自分以外の影があったことを。

(あ…。)

足が止まりブランコに座る女性を見つけてしまったのだ、俺に気づいていないのだろう…俯いて風に身を任せるように揺られる彼女の姿に頭の中は高速回転で状況を理解しようと動いていた。
猪も熊も平気なのに…お化けが駄目なのだ、見たことはないが…走り出したい気持ちと走ったら気づかれてしまう気持ちが戦ってその場に立ち尽くし、静かに彼女を見つめるしか出来ない。

(だだだだ大丈夫、足がある。)

息もしている女性は確かに生きている、落ち着いてきた体を動かして気付かれないように…逃げた。

(誰だったんだ…。)

我が家であるアパートの一室に駆け込んで鍵をかけた、バクバクと脈打つ心臓と背筋を汗が伝い夏のように体が熱い、お化けの類いじゃないとは思うけれど膝が震える。
その場に座り込んで息を落ち着かせながら数分間深呼吸をすれば徐々に覚め、脳内に映る姿は変わっていくのだ。

(…でも、気になる。)

幽霊なら只の恐怖体験、でも…脳裏に残るのは生きてる人の姿で今感じるのは怖さじゃない、あの人の頬に光る滴があったのも思い出した、夜中の公園で一人泣いているのに声もかけず逃げたのだ。
女は愛嬌男は度胸、あんたは度胸がたりないと母親の言葉が何度も頭のなかをかき回す。

「泣いてる女性を放って置くなんて男らしくないよな…。」

意を決してもとの場所に戻ったが誰も居なかった。

きっと笑ったら綺麗な人なのに、ただただ気になっていた。

………

次の日も朝早くに向かってみたが昨日の公園にはあの人姿は無い。
夢だったのか無事に帰ったのか、これ以上探すのは迷惑に感じるかもしれない…安堵と不安が合わさった気持ちで息を深く吐いた。

(さて、今日も仕事だ…。)

「やっぱり…気のせい、ん?」

今日は朝に余裕がある、のんびり歩いて駅に向かう通勤の途中でたまたま目に入った幼稚園、子供たちに手を引かれ歩く保母さんについ声を出してしまった。

「えっ、あの人…幼稚園の保母さん。」
「私…ですか?」
「す、すみません!」

慌てて口を紡ぐが時すでに遅し、不思議そうに振り返る姿はあのときの女性で間違いなかった。

「マリせんせー!おはよう」
「マリ…さん。」

「あの、何か?」
「その…昨日の夜に、公園で。」

見てしまって、昨日とは違う子供たちに対し優しげに微笑む姿は太陽によって光輝いて…予想通りの美しさ、思わず見入ってしまった。

「ああ、見られてしまいましたか…すみません。」

少し儚げに微笑んだ女性…二階堂マリさん、これが彼女との出合いだった



「今日は、子供たちとキン肉マンさんの話題で持ちきりだったんですよ。」
「ああ、俺のところでも話題で…近くに居たんだな。」
「ええ、今はアメリカ遠征に行ってしまいましたが。」
「追いかけたい?」
「そ、そんなんじゃないですよっ…いいんです、見てるだけで。」

あれから数ヵ月、たまに公園のブランコに座りながら
他愛もない話をする仲になっている。

マリさんは近くの幼稚園の保母さんで子供たちにも人気が高い、更に今活躍しているキン肉マンとも交流のあるようでよく話に上がり、そのたびに自分と違う世界を知ることが多くなった。

(それに…きっとキン肉マンが好きなんだろう。)

本人は伝える気持ちはないようだが話す顔は笑顔で本当に嬉しそうに話す、許嫁がいなければ相思相愛になっても可笑しくない。
彼女はそれでも引いてしまう引っ込み思案な自分に悩んでいる、あの日も悩んで頭を冷やしていたと話していた。

(入る隙間がない、それでも彼女が…好きなんだ。)

淡い恋心は育ち根を張って心を支配しているんだ、だから…花屋で見つけた花を渡して気持ちを伝えよう、撃沈したくないけれど…その手を掴みたい。

「マリさ…あの。」
「亮一さん、その…。」
「マリさん、先に」
「はい、じつは…。」

寂しげなそれでいて確りとした言葉は予想していない事を紡いだのだ。

「アメリカ?」
「ええ、勉強をしに。なかなか言い出せなくて…。」

(もう来週に…嘘だ…。)

キン肉マンが帰ってくる前に彼女はアメリカへ行く、そういったのだ。
自分にできること、ブーケに包まれた花を渡して何て伝えよう…荷物にはなりたくないんだ。

「俺はマリさん、俺はキン肉マンのように強くない、戦えないし度胸も…でも。」

「あなたがキン肉マンを見守るだけでいいように、俺も貴女を見守っています。これを…。」
「これは…?」

「マリさんに似ていたから、俺は…貴女の事をずっと想ってる、アメリカに行っても…」

好きだとは言えない。

「ごめんなさい…私、わたし。」
「マリさん、いいんです。」
「…ありがとう。」

ここで言えたらどんなにいいだろう、だけど口からでるのは応援する気持ちだけ。
縁があったらまた会える、泣きたい気持ちを押さえて頑張れと手を握った。




あれから二十数年後、ある日の夜の事。

「で、そのあとどうしたの?」
「何もないわよ、日本に帰ってきて幼稚園を引き次いで…。」
「違うよ、亮一って人と!」

「…そういえば、もらった花は鈴蘭でね。そんなに似てると思う?」
「はぐらかさないでよー!」

マリの娘である凛子は驚いていた、たまたま引き出しの奥に手紙と押し花をみつけたら「懐かしい」と言って笑みを浮かべる母親がポツポツと話始めたのは今まで聞いたことのない恋の話で…。
まさかキン肉マン以外に居たなんて、全然気づかなかった。

「アメリカでもたまに手紙を書いていたわね。でもそれっきりよ、…それっきり。」
「もったいないよー。」
「はいはい、昔話はおわり。」
「はーい。」

しぶしぶ部屋へと戻って行く凛子を眺めながらマリも亮一との思い出にクスリと笑った、実はこの話には続きがあるのだ。
凛子には言っていないがあの数ヵ月後、海外転勤で亮一さんがアメリカに来ることになった時は心底驚いた、予定を合わせて再会した彼は相変わらずの照れ臭そうな笑顔でやっぱり綺麗だと…その言葉と笑みに心が揺らいだ。
見守るだけだった自分が、誰かに慕われる心地よさを知ったのだ。

(あの頃は若かったから誰か一人としか考えてなかった、浮わついた気持ちじゃ駄目だって…でも、今ならきっと…彼は受け入れてくれるのかしら?。ううん、過ぎたことね。)

娘が一番だからきっともう二度と一緒になることはないけれど、握られた手の温かさは今でも覚えている、これがあったから頑張れた。

そして今も手紙のやり取りは続いている。

それでも数ヵ月届いてないけれど、彼の事だ元気でやってるはず。
まぁ、お互い結婚のタイミングを逃して独り者、後悔なんてしないけれど…会いたいとしみじみ思う。

(やっぱりこんな顔をした私を…凛子には見せられないわね。)

ピンポーン

「あ、お客さん。」
「凛子、私が出るわ。」

「ごめんください。」

この時間に誰だろうとドアに近づいた私は驚いた、聞こえる声は年を取ったが間違いなく…あの人で、一気に脈が上がっていくのを止められない。

「マリさん、遅くなりました。」
「亮一…さん?」
「ははは、また日本に戻ることになりましてね。ずっとバタバタしていてやっと…手紙より先に来てしまいました。」
「いきなり過ぎですよ!」

そう、ドアを開けたら立っていたのは亮一だったのだ。

「お、お互い年を取りましたね。」
「そ、そうね…、もう娘も高校生になるものね。」

何から話していいか分からず、目を合わせられず右へ左へ視線を泳がせている二人を見て助け船を出したのはさっき一部始終を聞いた凛子であった。

「見てられないよ、さあ二人とも立ち話もなんですから。」
「凛子。」
「ささっ、はいって。」

にこりと笑う娘に茶化されそうだけれども、今は助けがありがたく思う。

「ふふっ、確りした娘さんじゃないですか。」
「そ、そんなんじゃないからね!」
「あの、どうぞ亮一さん。」

「すみません…どうしても顔がみたくて来てしまいましたが、これを渡したら今日は帰ります。」

深々とお辞儀をした後、渡された鉢植えには青と白のコントラストが美しい、まるで鳥が羽ばたいているような形の花が連なった小さめの花が咲いている。
美しさはそのままに大輪だと飾りにくいだろうと、見栄を張らない気楽さが心地いい。

「ありがとう。」
「また、来ます。」

お休みなさいと、風のように去っていく彼に少しの間処理が追い付かず立ち続けてしまった。

「ママ、私は良いと思うよ。好きな人なんでしょ?」
「早すぎよ、まだなにもないわ。」
「ううんちゃんと知ってる、手紙を読んでるときの嬉しそうな顔とか…なんだっけ、そうだ最初の男より最後の男だよ。」

そんな私に娘は笑い…そう言って、凛子は部屋へと帰っていく。

「あっ、この花は…気づいてないのかしら。」

胡蝶蘭を君に。

「ううん、多分…。」

きっと来年には三人で歩く事が出来るだろう。

今夜は眠るのが遅くなりそうだ、頬を染めながら取り出した鈴蘭の押し花の隣にそっと鉢植えをかざるのだった。


おわり

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