[まぎ+あと]SS
「いいなぁ……」
ため息交じりの声に間切が顔を上げれば、網問が桶を抱えたまま沖に目をやっている。視線の先を追えば、重と舳丸が水上でじゃれ合っていた。
「混ざってくればいいじゃないか」
終業時刻はとうに過ぎている。誰も怒りはしないだろう。
「ちがうよ。そうじゃなくて」
夕映えを背に、重の笑い声が響き渡る。めったに笑うことのない舳丸も、弟分が可愛くて仕方がないといった様子で目を細めている。網問はなおも羨望の眼差しをそんな二人に向けた。ああ、と間切はちょっとだけ、わかってしまった気がする。網問はようやく二人から視線をそらし、よいしょ、と重ねた桶を抱えなおした。そのまま間切に背を向け、水軍館へ戻ろうとする。
「……甘えていいんだぜ」
「え」
足を止め、網問は間切の方を振り向く。四功の兄貴たちに比べればまだ頼りない体躯だが、背はすらりと高い。櫂をもたせれば一人前の漕ぎ手だ。だから間切はときどきすっかり忘れてしまう。重よりも一つ下、まだほんの16なのだ。
「別に、舳丸の兄貴は重ひとりだけのものじゃねぇだろ。義丸の兄貴も鬼蜘蛛丸の兄貴も、お頭だって。みんなお前のこと、弟だと思ってる」
仕事の腕は一丁前だから、自分もつい同輩みたいに扱ってしまうけれど。
「ありがとう間切。ちゃんと甘えさせてもらってるから大丈夫」
「……そうか」
「でもさ、おれ。重にとっての舳丸の兄貴みたいな存在、いないじゃない」
「うん?」
「航にとっての東南風。なんていうのかな、直属の兄貴分、みたいなの」
「!」
間切は思わず足を止めてしまった。それは。
「ああやってほんとの兄ちゃんみたく、……どうしたの間切。帰ろうよ」
「……ああ、その、お前の言う、直属の兄貴。いるぜ、ちゃんと」
「ええ、なにそれ初耳だよ!」
だれ? ねえ、と迫られ、間切は左頬の傷を指でかいた。
「……おれ」
桶を手放して網問がすっとんきょうな声をあげたことはいうまでもない。重と舳丸がなんだなんだと陸へ上がってくるのが見えた。
「し、知らなかった?」
「知るわけないよ。だって初めて会ったとき、呼び捨てでいいとか言ってたじゃない。どうして言ってくれなかったの」
「いや、なんというか、……照れくさくて。年も二つしか違わないし、教えることもあんまりないし。兄貴って呼ばれて敬語つかわれてもと思って」
「そんな理由で」
「うるさいな。だいたいお前もこういうほうがいいだろ」
「そうだけど。ええぇ」
網間は口を尖らせ、不満げに転がった桶を拾った。そうこうしているうちに館に着いてしまい、二人して道具を倉庫にしまう。
「間切が。おれのあにきなんだ」
「そうだよ。悪かったな」
「だからおれのこと、ずっと気にかけてくれてたの」
急に真っ直ぐな瞳で問われ、どぎまぎする。確かに、気にしてはいた。櫂の扱いこそ文句のつけどころがないものの、まだ戦闘経験は浅く、傷も少ない。仲間を多く失った戦の後、いつもどおり明るくふるまう網問から目が離せなかった。反対に、祝宴の夜も。ひとり、浜辺で耳慣れぬ北国の唄を口ずさむ背中を目の当たりにし、胸のあたりがきゅうと締めつけられる心地がする。でもそうやって網問を気にかけるのは、決して仕事上の弟分だからという理由だけではないような気もして。もやもやする気持ちを陸酔いとともに飲み込む。網問に背を向け、さび止めした金物を丁寧に並べた。
「……別に」
「別にってなに。いっつもおれのこと見てるじゃないか」
「見てない。自意識過剰」
「見てる」
間切はふいに背中に重みを感じた。網問が頭をのせているらしい。そのままぐりぐりと額をこすりつけてくる。
「間切の兄貴」
兄貴と呼ばれるのは、間切りとしてはやっぱりなんだかくすぐったい。それは網問も同じだったようで、間切、といつもの呼び方で言い直した。
「いつも、ありがとう」
「……おう」
「間切が、兄貴でよかった」
網問は年上に可愛がられる術を心得ていると間切はわかっていた。わかっていながらまいってしまう間切も大概だった。
間切にとっても初めての弟分がお前でよかったのだとは、伝えることはできなかった。
ため息交じりの声に間切が顔を上げれば、網問が桶を抱えたまま沖に目をやっている。視線の先を追えば、重と舳丸が水上でじゃれ合っていた。
「混ざってくればいいじゃないか」
終業時刻はとうに過ぎている。誰も怒りはしないだろう。
「ちがうよ。そうじゃなくて」
夕映えを背に、重の笑い声が響き渡る。めったに笑うことのない舳丸も、弟分が可愛くて仕方がないといった様子で目を細めている。網問はなおも羨望の眼差しをそんな二人に向けた。ああ、と間切はちょっとだけ、わかってしまった気がする。網問はようやく二人から視線をそらし、よいしょ、と重ねた桶を抱えなおした。そのまま間切に背を向け、水軍館へ戻ろうとする。
「……甘えていいんだぜ」
「え」
足を止め、網問は間切の方を振り向く。四功の兄貴たちに比べればまだ頼りない体躯だが、背はすらりと高い。櫂をもたせれば一人前の漕ぎ手だ。だから間切はときどきすっかり忘れてしまう。重よりも一つ下、まだほんの16なのだ。
「別に、舳丸の兄貴は重ひとりだけのものじゃねぇだろ。義丸の兄貴も鬼蜘蛛丸の兄貴も、お頭だって。みんなお前のこと、弟だと思ってる」
仕事の腕は一丁前だから、自分もつい同輩みたいに扱ってしまうけれど。
「ありがとう間切。ちゃんと甘えさせてもらってるから大丈夫」
「……そうか」
「でもさ、おれ。重にとっての舳丸の兄貴みたいな存在、いないじゃない」
「うん?」
「航にとっての東南風。なんていうのかな、直属の兄貴分、みたいなの」
「!」
間切は思わず足を止めてしまった。それは。
「ああやってほんとの兄ちゃんみたく、……どうしたの間切。帰ろうよ」
「……ああ、その、お前の言う、直属の兄貴。いるぜ、ちゃんと」
「ええ、なにそれ初耳だよ!」
だれ? ねえ、と迫られ、間切は左頬の傷を指でかいた。
「……おれ」
桶を手放して網問がすっとんきょうな声をあげたことはいうまでもない。重と舳丸がなんだなんだと陸へ上がってくるのが見えた。
「し、知らなかった?」
「知るわけないよ。だって初めて会ったとき、呼び捨てでいいとか言ってたじゃない。どうして言ってくれなかったの」
「いや、なんというか、……照れくさくて。年も二つしか違わないし、教えることもあんまりないし。兄貴って呼ばれて敬語つかわれてもと思って」
「そんな理由で」
「うるさいな。だいたいお前もこういうほうがいいだろ」
「そうだけど。ええぇ」
網間は口を尖らせ、不満げに転がった桶を拾った。そうこうしているうちに館に着いてしまい、二人して道具を倉庫にしまう。
「間切が。おれのあにきなんだ」
「そうだよ。悪かったな」
「だからおれのこと、ずっと気にかけてくれてたの」
急に真っ直ぐな瞳で問われ、どぎまぎする。確かに、気にしてはいた。櫂の扱いこそ文句のつけどころがないものの、まだ戦闘経験は浅く、傷も少ない。仲間を多く失った戦の後、いつもどおり明るくふるまう網問から目が離せなかった。反対に、祝宴の夜も。ひとり、浜辺で耳慣れぬ北国の唄を口ずさむ背中を目の当たりにし、胸のあたりがきゅうと締めつけられる心地がする。でもそうやって網問を気にかけるのは、決して仕事上の弟分だからという理由だけではないような気もして。もやもやする気持ちを陸酔いとともに飲み込む。網問に背を向け、さび止めした金物を丁寧に並べた。
「……別に」
「別にってなに。いっつもおれのこと見てるじゃないか」
「見てない。自意識過剰」
「見てる」
間切はふいに背中に重みを感じた。網問が頭をのせているらしい。そのままぐりぐりと額をこすりつけてくる。
「間切の兄貴」
兄貴と呼ばれるのは、間切りとしてはやっぱりなんだかくすぐったい。それは網問も同じだったようで、間切、といつもの呼び方で言い直した。
「いつも、ありがとう」
「……おう」
「間切が、兄貴でよかった」
網問は年上に可愛がられる術を心得ていると間切はわかっていた。わかっていながらまいってしまう間切も大概だった。
間切にとっても初めての弟分がお前でよかったのだとは、伝えることはできなかった。
1/1ページ