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・・・
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――あの日。
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そろそろバイトが終わるという頃、雨が降り出しそうだったこともあり、
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眞白は店の周囲に立てかけていた幟を片付けていた。
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瀬名 眞白
(…よし、これでおっけ)

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すべてを回収し、店の裏手にある物置にしまい込んだあと店内に戻ろうとしたところで、夜空にいきなり怒声が轟いた。
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--《さっさとしろ!》
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--《トロいだよんだよっ、おまえはっ!》
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その声の主は、中年というには早い30代くらいの男性。
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瀬名 眞白
《(…え、なに…?)》

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咄嗟にそちらに視線を向けると、その男の罵詈雑言を背に、小学校低学年くらいの男の子があたふたと店に向かって走って来た。
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-《…っ、!》
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瀬名 眞白
《…、》

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子どもが大人に怒鳴られる様子も異景だが、眞白がさらに不可思議に思ったのは、その子どもの異様な姿。
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どこか痩せたような体。
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何日もお風呂に入っていないかのような、汚れた髪や体、薄汚れた服。
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慌てて店内を目指す子どもが眞白の前に踏み入ったことで、眞白はその子を先に行かせようとその場と立ち止まった。
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瀬名 眞白
《……》

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-《――ご、ごめんなさい…、》
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瀬名 眞白
《…いや…、》

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--《なにチンタラしゃべってんだよ!さっさと食いもん買ってこい!》
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眞白の対応に気遣った子どもの態度が気に食わなかったのか、それとも、眞白がその子に対して反応したのが悪かったのか、
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男は子どもに向けて再び怒声をまき散らしながら、こちらに向かって歩いて来る。
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そんな状況で、背後に迫る男に恐怖を感じた様子でビクリと肩を震わせた子どもは、
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-《っ、…わッ…、?!》
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店のマットの角に足を取られ、派手につんのめってこけてしまった。
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-《ッ…う、》
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瀬名 眞白
《大丈夫か…?!》

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思わずその子を抱き起こそうと眞白が手を伸ばすよりも早く、
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--《…ったく、どんくせーな、おまえは!》
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--《さっさと起き上がれよ!》
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子どものそばまで辿り着いた男は、その髪を鷲掴みにして、小柄な上体を引き起こした。
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-《っあぁ…ッ!》
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-《ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!!》
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それは、目を疑うような、稀に見るおぞましい場景。
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瀬名 眞白
《―――》

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瀬名 眞白
《(大のオトナが、バカか…!?)》

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眞白の中で、ブチッと何かが切れる音がした。
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子どもは好きじゃない。
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どのように接していいのか分からないし、普段なら避ける存在。
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でも今は、そんなことは論外。
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瀬名 眞白
《やめてやれよ。こんな小さな子どもに、なにやってんだ。》

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じっくり考えるよりも先に、自然と言葉が滑り出た。
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--《うるせー!店員はおとなしく客を敬え!》
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瀬名 眞白
《(なんだコイツ…酔っぱらってんのか?)》

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男の口から漂うアルコール臭。
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至近距離ではないここからでも分かるレベルの臭いだということは、相当酒を煽っているに違いない。
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瀬名 眞白
《(飲酒運転でパクられろ。…早速、通報するか)》

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考えを巡らせながらワンボックスカーの運転席を見遣ったが、
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そこには覇気のない色白の女性の姿が見えて、彼女が運転してここまで来たことがうかがえた。
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離れた場所からでも、女性が男に怯えているのが見て取れる。
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瀬名 眞白
《(あー…、飲酒運転ではしょっ引けねーな)》

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おそらくあの女性も、この狂ったような男の言いなり。
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見下ろした先には、泣きじゃくりながら男に許しを請う子どもの姿。
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今ここで、すぐに何かしらのアクションを起こせるのは自分しかいない。
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そう判断した眞白は、
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瀬名 眞白
《いいから、やめろって。よくねーから、そういうの。》

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こういった状況ではインパクトに欠ける丁寧語を封印しつつも、ひとまず大きな揉め事にならないようにと、冷静に男を窘めたのだが。
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--《うるせーって言ってんだろうが!》
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酒のせいで呂律も回りにくい状態の男は、子どもを突き放すと眞白に向き直り、
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ズボンの後ろポケットからいきなり棍棒のようなものを取り出して、威圧的な態度を晒した。
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瀬名 眞白
《(おいおい、マジかよ…。めんどくせーな…)》

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内心で呆れながらも眼光が鋭く鈍色に変わり、店員としてお客を見る眼差しの色が一瞬で褪せる。
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鉄製であるソレは、中学時代の喧嘩相手たちが持っていたモノに似ていた。
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ただ、そのときのモノと違う点は、
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敢えて棍棒だと分かりにくいようにしているのか、包帯のような布切れをくるくると巻いていて、ところどころに褐色の汚れが目立つということだ。
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瀬名 眞白
《…なによ、ソレ。》

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瀬名 眞白
《ガキがカッコつけて持ち回るようなモノ…、オトナでも振り回すんだな。》

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--《…んだと?!おまえもコレでぶちのめしてやろうか?!》
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瀬名 眞白
《……、「おまえも」?》

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アルコール臭い呼気とともに吐き出した男の言葉に引っかかった眞白は、足元で小刻みに震えながらうずくまったようになる子どもに視線を移した。
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瀬名 眞白
《(おいおい、まさか…、嘘だろ…?)》

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子どもが男にこの棍棒で殴られる光景を想像して、背筋が粟立つ。
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瀬名 眞白
《…なあ、おまえさ、あの棒で殴られたことある?》

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-《…、》
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少しばかり緊迫したような眞白の問い掛けに、子どもは縋るような瞳でこちらを見上げたが、押し黙ったまま口を噤んで答えようとしない。
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男からのさらなる仕打ちが怖いから、何も言えずにいるのだ。
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-《……、》
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瀬名 眞白
《お兄ちゃんさ、めっちゃ強いから。おまえのこと守ってやれるかもしれねー。》

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瀬名 眞白
《だから、怖がらずに正直に言ってみ? 》

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--《ガタガタ何言ってんだよ、てめえは!》
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瀬名 眞白
《黙ってろ!》

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--《――んだと?!コラ!? 》
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瀬名 眞白
《俺は今コイツと話してんだよ、邪魔すんな!》

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男を睨むように凄んで見せた後、その存在を無視するかのように子どもの目線まで屈んだ眞白は、俯き加減の幼い顔を覗き込んだ。
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瀬名 眞白
《…な、大丈夫だからさ、本当のことを教えてくんね?》

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-《…っ、》
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瀬名 眞白
《俺がいるから、絶対大丈夫。》

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-《……っ、》
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-《…ある、殴られたこと…。》
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-《いつも、この人が酔っぱらったら…殴られる…。》
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瀬名 眞白
《…「この人」?》

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瀬名 眞白
《え、このオッサン、おまえのパパじゃねーの?》

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-《違う、パパじゃない…。》
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-《本当のパパは、病気で死んじゃって…お空にいる…。》
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瀬名 眞白
《…マジか…、》

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百歩譲って実の親ならまだしも…いや、それでも絶対に許されない暴○行為。
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それが、血の繋がりのない、大人の勝手な都合で作り上がった関係から生じた行為だと知った眞白の心には、
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瀬名 眞白
《(…マジでありえねー…)》

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爆発しそうに怒りが込み上げた。
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瀬名 眞白
《…―――》

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どうしようもなく怒りに震えたとき、眞白は少しだけ瞳を閉じることがある。
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怒りで自身を見失い、暴走しないためだ。
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瀬名 眞白
《ヤバい、マジで俺…、今…、》

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とにかく、ちょっと深呼吸…。
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このときもまた、制御不能にならないようにと、いったん気持ちを鎮めた。
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