4-15 それは、約束できねーかも。

  • 鷹野 光星

    …痛むか?

  • 瀬名 眞白

    大丈夫。なんてことねーよ。

  • 校庭の端っこにある手洗い場の水道水で、左肘の傷口を洗い流す。

  • ヒリヒリしたのは最初だけで、冷水が傷口の感覚を麻痺させるから痛みはあまり感じない。

  • 体育祭が続いている真ん中から少し離れたこの場所は、まるで学校から切り取られたみたいにとても静かで、蛇口からの流水の音がやけに周囲に響き渡った。

  • 瀬名 眞白

    うう、水が冷てー。

  • 鷹野 光星

    ヤンチャだった頃は、やっぱりよく怪我をしたのか?

  • 瀬名 眞白

    ん?
    …まあな。喧嘩に怪我は付き物だから。

  • 瀬名 眞白

    俺、喧嘩は強いほうだから、どっちかっつーと怪我させてた側だけど…、

  • 瀬名 眞白

    額をパックリ切られたことあるよ。

  • 鷹野 光星

    えっ…

  • 瀬名 眞白

    見る?

  • 言いながら、右手で前髪を横に流して、8センチほど斜めに細く伸びた傷跡を見せる。

  • 前髪の根元近くに残るそれは少しケロイド状になっているからか、目にした鷹野は絶句した。

  • 鷹野 光星

    っ…、

  • 瀬名 眞白

    中3になってすぐだったかな…この喧嘩はちょっと大変だった。

  • 瀬名 眞白

    額からの出血がすごくて、前が見えにくくてさ。

  • 鷹野 光星

    どうして、そこまでの怪我を…?

  • 瀬名 眞白

    仲間が一人絡まれて助けに行ったんだけど、こっちは6人で向こうが8人の喧嘩で。

  • 瀬名 眞白

    そのときに、40センチくらいの角材でやられたんだよ。

  • 鷹野 光星

    か、角材…?!

  • 瀬名 眞白

    殴りかかってきたのを避けたつもりだったんだけど、角材の先が掠って、思ったよりもスパッと切れてさ。

  • 瀬名 眞白

    まともに喰らってたら、頭割れてたわ。

  • 前髪をほぐして元通りに直しながら苦く笑う。

  • 瀬名 眞白

    喧嘩自慢してるみたいで嫌だから、こうやって前髪で隠してる。

  • 鷹野 光星

    そこまで傷痕が残る怪我をしてたなんて…、

  • 瀬名 眞白

    こんな感じの傷痕なら他にもある。

  • 瀬名 眞白

    たいしたことじゃねーよ。

  • 俺にとってはもう過ぎたことで、ヤンチャ時代の思い出話を普通に語ったまで。

  • でも、鷹野にとっては違ったみたいで。

  • 鷹野 光星

    もう二度と、そういった殴り合うような喧嘩はするなよ?

  • 少し顔を強張らせて、低い声で諭した。

  • 鷹野 光星

    その怪我…、ご家族の方たちも心配しただろう。

  • 瀬名 眞白

    んー…まあな。
    当時の俺にとって喧嘩は日常茶飯事だったけど、

  • 瀬名 眞白

    母親と兄貴はすごく心配してたかな。

  • 瀬名 眞白

    父親は、俺のことはフル無視。

  • 鷹野 光星

    「フル無視」ってそんな…、

  • 瀬名 眞白

    そんなもんだよ、あの人は。

  • 鷹野 光星

    ……、とにかく。

  • 鷹野 光星

    これからは、怪我を伴う喧嘩はしないこと。

  • 瀬名 眞白

    もともと好き好んで喧嘩してきたわけじゃねーし、

  • 瀬名 眞白

    たぶん、もうしねーよ。

  • 鷹野 光星

    「たぶん」じゃなくて、もう絶対にしたらダメだ。

  • 瀬名 眞白

    「絶対に」?

  • 鷹野 光星

    そう、絶対に、だ。

  • 瀬名 眞白

    それは、約束できねーかも。

  • 傷口以外の手の汚れを洗い流しながら、当然のことのように切り返した。

  • 鷹野 光星

    どうして?

  • 瀬名 眞白

    時と場合によるから。

  • 瀬名 眞白

    これから先、もしかしたら殴り合いの喧嘩しなきゃなんねーときがあるかもしれねーじゃん。

  • 鷹野 光星

    ……この間の、山那のときみたいに、か。

  • 瀬名 眞白

    そ。あのときも、俺が喧嘩してなかったら、山那がどうなってたか…。

  • 考えただけでもおぞましい。

  • あのときのヤツらの喧嘩相手が、俺で本当に良かったと心から思う。

  • これは不遜な考えじゃなく、喧嘩慣れしていない山那の彼氏がもしも予定通りに来ていたら、どうなっていたか分からない。

  • 瀬名 眞白

    マジでゾッとするわ、あのとき対応したのが俺じゃなかったら…って思うと。

  • 鷹野 光星

    確かに、山那を助けてくれたことにはとても感謝しているが…、

  • 瀬名 眞白

    喧嘩が役に立つときもあるじゃん?

  • 鷹野 光星

    ……

  • 瀬名 眞白

    ……なに。

  • 瀬名 眞白

    なんか、納得いかないって顔してる。

  • 蛇口をひねって水を止めてから、鷹野に向き直る。

  • それに合わせて傷口にガーゼを優しく押し当ててくれた鷹野は、どこか思いつめたような顔つきで口を噤んだまま。

  • 鷹野 光星

    ……

  • しばらく、俺たちの間に沈黙が続いた。

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