Ⅱ : 忠告
ドアが閉じる音がした。人の気配と共に食事の匂いが徐々に近付いてくる。わかってるのに、すぐに目が開かない。
おれ自身平気だと思っていた傷は予想以上に深く、この船の船医はおれが勝手に動き出さないよう眠りに導かれやすい薬を使っていた。
本来なら、医者であるおれが他の医者の言いなりになることはないのだが、何故だかトニー屋の言うことには素直に従ってしまっている。
そして、そんな自分を少なからず楽しんでいるのも事実だった。
もうそんな時間か。
おれが医療室の住人と化してから毎日、律儀に同じ時間に食事を運んでくるのは、口の悪い金髪のコックだ。
腹が立つ時も多いが、この船のクルー全員のヤツへの信頼度は半端ない。まだこの船の客人になって日の浅いおれにもそれが明らかに見てとれる。
椅子を軽く引き摺って、ベッドの横に座る音がした。ここでいつもと違うことに気付く。
黒足屋は、おれが寝ている時にはまったく音を立てない。それがあいつの無意識の気遣いであるのだと思う。だからいつもは、食事と微かな煙草の匂いであいつの存在を知る。
つまり、今のドアの音、椅子を引き摺る音はあいつではあり得ない。
誰だ?
ふと顔の傍に何かの気配を察知し、おれはそれを左手で掴んだ。
「きゃっ……!!」
女の声!?
目を開けるとオレンジ色。おれは、この船の航海士の右手首を掴んでいた。
「何で……いや、何をするつもりだった?」
「なっ、何よ! ずっと起きてたの!?」
「いや、お前が入って来たトコからだ。あいつと違って騒々しかったからな」
「あいつって?」
この女はこういう所が鈍感だ。
もともと麦わらの一味は騒々しいヤツらばかりだ。なにしろ船長があの麦わら屋なのだから。その中で空気を読み、相手に気遣うことが出来る人間は限られている。
「おれなんかにまで気を遣う、お前らのコックだ」
「サンジ君のこと?」
「他に誰がいる?」
黒足屋に最上級の扱いを受けているこの女には、そんな些細な気遣いも当たり前なのだろう。
「とりあえず離してくれる?」
「嫌だと言ったら?」
おれは彼女の手首を掴んでいる左手にさらに力を入れた。もしかしたら痛いかもしれない。それに対してこの女は、いったいどんな反応をするのか。
ナミ屋は溜め息をつき、おれをじっと見る。
「どうして欲しいの?」
「さあな。お前が考えてみろ」
するとナミ屋の空いている左手がおれの右頬に優しく触れる。そして彼女は目を閉じた。それに合わせておれも目を閉じる。
だが彼女の唇は、唇ではなく額に触れた。
「……!!」
予想が外れ、おれはすぐに反応が出来なかった。
ナミ屋はそのタイミングを逃さず、おれの手からサッと離れる。自由を取り戻した彼女は立ち上がり、ベッドに寝たままのおれを笑顔で見下ろしていた。
「もう熱も下がってきたみたいだし、それだけ元気があれば大丈夫ね。予定通り明日出航するわよ」
おれはいったい何を期待したのだろう。
何のことはない。ナミ屋は最初からおれの額に触れて、熱の具合を知りたかっただけなのだ。おれの挑発に乗ったように見せかけて、すっかり乗せられたのはおれの方だった。
急に自分自身が馬鹿馬鹿しくなり、声を出して笑う。
「あんたが笑った顔なんて初めて見た」
「おれだって人間だ。笑う感情くらいはある」
ナミ屋は少し不思議そうな顔をしていたが、ここへ来た本来の目的を思い出したようだ。
「そうだ! 早くご飯食べちゃってよ。冷めちゃったらサンジ君に悪いわ」
「あぁ、わかってるよ」
おれはゆっくり起き上がり、金髪コック特製の食事に口をつける。
まだ弱っているおれの体に優しいお粥。温度もちょうどいい。いつもながら、あいつの料理の腕は認めざるを得ない。
「ねえ、サンジ君はあんたの食べてる間、いつも何をしてるの?」
椅子に座ったナミ屋は、暇をもて余している様子だった。
そう言われると、あいつ……黒足屋はいつも何をしていただろう?
「今日のメニューの話とか?」
「それもあったが……」
「その日の出来事とか?」
「それもあるが……」
続けざまの質問に興味なさげに答えるおれに気付いたらしいナミ屋は、再び立ち上がり歩み寄って来た。目をキラキラと輝かせた彼女は少し屈んで、食事中のおれの目の前に顔を出す。
「じゃあ、私の話とか?」
くだらねェ。お前は知ってるんだろ? あいつがどれだけお前のことを好きかなんて。
「そうだな」
「……!!」
自分で訊いといて、ナミ屋はおれの返答に驚き紅くなる。目の前でこうも敏感に反応されると、もっと苛めたくなってくるのは当たり前だろう。
「お前をおれのモノにしたい、とかな」
完全に固まった彼女を真剣に見つめ、おれは静かに告げた。
「おれは本気だ」
おれ自身平気だと思っていた傷は予想以上に深く、この船の船医はおれが勝手に動き出さないよう眠りに導かれやすい薬を使っていた。
本来なら、医者であるおれが他の医者の言いなりになることはないのだが、何故だかトニー屋の言うことには素直に従ってしまっている。
そして、そんな自分を少なからず楽しんでいるのも事実だった。
もうそんな時間か。
おれが医療室の住人と化してから毎日、律儀に同じ時間に食事を運んでくるのは、口の悪い金髪のコックだ。
腹が立つ時も多いが、この船のクルー全員のヤツへの信頼度は半端ない。まだこの船の客人になって日の浅いおれにもそれが明らかに見てとれる。
椅子を軽く引き摺って、ベッドの横に座る音がした。ここでいつもと違うことに気付く。
黒足屋は、おれが寝ている時にはまったく音を立てない。それがあいつの無意識の気遣いであるのだと思う。だからいつもは、食事と微かな煙草の匂いであいつの存在を知る。
つまり、今のドアの音、椅子を引き摺る音はあいつではあり得ない。
誰だ?
ふと顔の傍に何かの気配を察知し、おれはそれを左手で掴んだ。
「きゃっ……!!」
女の声!?
目を開けるとオレンジ色。おれは、この船の航海士の右手首を掴んでいた。
「何で……いや、何をするつもりだった?」
「なっ、何よ! ずっと起きてたの!?」
「いや、お前が入って来たトコからだ。あいつと違って騒々しかったからな」
「あいつって?」
この女はこういう所が鈍感だ。
もともと麦わらの一味は騒々しいヤツらばかりだ。なにしろ船長があの麦わら屋なのだから。その中で空気を読み、相手に気遣うことが出来る人間は限られている。
「おれなんかにまで気を遣う、お前らのコックだ」
「サンジ君のこと?」
「他に誰がいる?」
黒足屋に最上級の扱いを受けているこの女には、そんな些細な気遣いも当たり前なのだろう。
「とりあえず離してくれる?」
「嫌だと言ったら?」
おれは彼女の手首を掴んでいる左手にさらに力を入れた。もしかしたら痛いかもしれない。それに対してこの女は、いったいどんな反応をするのか。
ナミ屋は溜め息をつき、おれをじっと見る。
「どうして欲しいの?」
「さあな。お前が考えてみろ」
するとナミ屋の空いている左手がおれの右頬に優しく触れる。そして彼女は目を閉じた。それに合わせておれも目を閉じる。
だが彼女の唇は、唇ではなく額に触れた。
「……!!」
予想が外れ、おれはすぐに反応が出来なかった。
ナミ屋はそのタイミングを逃さず、おれの手からサッと離れる。自由を取り戻した彼女は立ち上がり、ベッドに寝たままのおれを笑顔で見下ろしていた。
「もう熱も下がってきたみたいだし、それだけ元気があれば大丈夫ね。予定通り明日出航するわよ」
おれはいったい何を期待したのだろう。
何のことはない。ナミ屋は最初からおれの額に触れて、熱の具合を知りたかっただけなのだ。おれの挑発に乗ったように見せかけて、すっかり乗せられたのはおれの方だった。
急に自分自身が馬鹿馬鹿しくなり、声を出して笑う。
「あんたが笑った顔なんて初めて見た」
「おれだって人間だ。笑う感情くらいはある」
ナミ屋は少し不思議そうな顔をしていたが、ここへ来た本来の目的を思い出したようだ。
「そうだ! 早くご飯食べちゃってよ。冷めちゃったらサンジ君に悪いわ」
「あぁ、わかってるよ」
おれはゆっくり起き上がり、金髪コック特製の食事に口をつける。
まだ弱っているおれの体に優しいお粥。温度もちょうどいい。いつもながら、あいつの料理の腕は認めざるを得ない。
「ねえ、サンジ君はあんたの食べてる間、いつも何をしてるの?」
椅子に座ったナミ屋は、暇をもて余している様子だった。
そう言われると、あいつ……黒足屋はいつも何をしていただろう?
「今日のメニューの話とか?」
「それもあったが……」
「その日の出来事とか?」
「それもあるが……」
続けざまの質問に興味なさげに答えるおれに気付いたらしいナミ屋は、再び立ち上がり歩み寄って来た。目をキラキラと輝かせた彼女は少し屈んで、食事中のおれの目の前に顔を出す。
「じゃあ、私の話とか?」
くだらねェ。お前は知ってるんだろ? あいつがどれだけお前のことを好きかなんて。
「そうだな」
「……!!」
自分で訊いといて、ナミ屋はおれの返答に驚き紅くなる。目の前でこうも敏感に反応されると、もっと苛めたくなってくるのは当たり前だろう。
「お前をおれのモノにしたい、とかな」
完全に固まった彼女を真剣に見つめ、おれは静かに告げた。
「おれは本気だ」