I : 頼まれ事〈side : ZORO〉

 一つの冒険が一段落し、毎度恒例の宴の席では自称『海の超一流コック』によるご馳走が振る舞われ、船長始めクルー全員は飲めや歌えの大騒ぎ。
 ただし重傷を負った無口な客人は医療室にて一人、深い眠りについていた。

 しばらくして皆の食欲が落ち着いてきた頃、コックは空いた皿を片付け、今度は酒のつまみを作る為にキッチンへと入って行く。
「マメだな……」
 無意識に呟いた。
 あいつはいつメシを食ってるのだろうか、と疑問に思う。だが、戦闘時にはあの細身の体で信じられない程の力を発揮するのだ。昼夜を問わず、人目も気にせずトレーニングしている自分とは明らかに違う。
 絶対負けたくねェ……!!
 心の中で決意を新たにして酒を口に含もうとした時、目の前が人影に覆われた。
「ゾロ、ちょっといいか?」
 初めて聞くような静かな声だった。声の主は口に咥えていた煙草を簡易灰皿へ詰める。
 おれを『マリモ』とは呼ばず、普段ひっきりなしに吸っている煙草までも消したコック。そのただならぬ雰囲気を悟り、おれは素早く周囲を窺った。
 芝生の上でフランキーの新作メカに目を輝かせている残りの男達。その様子をにこやかに見ているロビン。あと一人は……?
「ナミさんなら、ローの所だ」
「……!?」
「おれがローの食事を運ぶのを頼んだ」
 ナミの傍に男が少しでも寄ろうものなら、自慢の足蹴りを飛ばすこの男が? 特にローが近寄ると人一倍食ってかかってたこいつが!?
「どういう風の吹きまわしだ?」
「別に……普通だろ」
 その言葉とは裏腹に、現在の二人を気にしている表情が明らかに見てとれる。鈍いおれが見てもわかる程の動揺ぶりなのだから、他のクルーが見たら更に無理が見え見えだろう。
 だが、そうまでしておれに話してェ事とは何だ?
 おれはその場に酒の瓶を置いて立ち上がり、誰もいねェ船尾の方へ向かった。コックもゆっくりとおれの後についてくる。

 皆に声が聞こえないであろうことを確認し、おれは振り返った。
「……で、何だ?」
 コックは一呼吸してから少し俯いていた顔を上げると、おれの眼を真正面から見据えて言った。それは予想もしねェ一言だった。
「おれは、一度この船を降りる」
「……!?」
 こいつ、何を言ってやがる!?
 おれは咄嗟に言葉が出なかった。
 そんなおれの反応はコックには想定内だったのだろう。落ち着き払った様子で視線を外し横を向く。顔の右半分を覆う特徴的な長い前髪で、おれからはコックの表情が見えなくなった。
「十日分の食料をまとめて、レシピと共に用意してある。調理は野郎共には無理だから、ナミさんとロビンちゃんにお願いするしかねェだろう。レディの綺麗な手を煩わせちまうのは気が引けるが……」
 しばしの沈黙の後、おれはやっと口を開いた。
「ルフィには?」
「……言ってねェ。お前だけだ」
「何でおれなんだ? ルフィが船長だろ」
「もし言ったら、あいつはどうすると思う?」
「許さねェだろうな」
 コックの口の端が少し上がった。
「だろ? だからゾロ、お前なんだ」
「おれだったら許すとでも思ってんのか?」
 こいつはムカついて仕方のねェ野郎だが、常に仲間のことを考えて動き大切に思う姿は、さすがのおれも認めてる。だから今、仲間を置いていくという決断がこいつにとってどれほど苦しかったか、それは計りしれねェ。
「さあな。なんとなくお前ならわかってくれそうな気がしたんだよ。何でだかわかんねェけど」
 あぁ、わかるさ。てめェが一時でも仲間から離れる決意をするなんてのは、余程の理由があるからだ。
 こいつが話したくねェだろうことは百も承知で、おれはあえて問うことにした。
「そんなとんでもねェことを了承させるには、それなりの理由を話すべきだと思うが?」
 コックはやっぱりな、と言うように溜め息をつく。
 おれは構わずに言葉を続けた。
「全部話さなくても構わねェ。ただ、おれを納得させろ……!!」

 再び沈黙が流れる。先ほどよりも長い沈黙だった。その間、おれの視界にはコックの金髪が夜風に靡くだけだった。
「全部話さなくても構わねェ、か。やっぱ敵わねェや、お前には。おれの人選は大正解だったよ」
 コックはそう言うと、おれに向き直る。それまで少し笑顔のあった表情が一瞬にして真剣なモノへと変わった。
「おれの……、おれの中に流れる血へのケジメってやつだ」
「血……?」
「あぁ、そうだ。これはおれ一人の問題だ。だからこそ、自分自身でケジメをつけてェ」
 静かな口調だが、それは少し興奮したように熱を帯びていた。
「他のヤツらに言えば、絶対一緒に来ると言うだろう。それは嬉しい限りなんだが、今回の件に関しては仲間のことは考えたくねェ。自分自身のことだけを考えて動きてェんだ」
 確かに、こいつはどの戦闘においても常に周りのことばかり考えて、自分はどうなろうがお構いなしだった。そんなヤツが今は自分のことだけを考え、仲間が邪魔だと言っている。
 面白ェじゃねェか。
「おれ達は邪魔ってことだな?」
「あぁ……これで十分か?」
 言い難いことを言わせたからか、コックはバツが悪そうな顔をしている。
「十分だ。ただし、条件がある」
「何だ?」
 おれはコックの襟元を両手で掴み上げた。
「この船のクルーが悲しむようなことはするな」
「……!!」
「てめェの邪魔はしねェし、させねェ。だが、離れてもてめェは一人じゃねェんだ。てめェのことを思う仲間がいる。それだけは覚えとけ!」
 一瞬、こいつには珍しく、心底驚いた表情が見えた。それから少し照れたように軽く両手を上げる。
「……参った。了解するよ」
 おれはコックから手を離して、少し距離をとった。
 こいつはおれの言わんとしていることをどこまで理解しているのだろうか。『仲間』の中にはもちろんおれも含まれているのだ。
 コックに背を向けておれは言った。
「十日間」
「……?」
「皆を、特にルフィを抑えるには、てめェがさっき言った十日間が限界だ。それを過ぎても戻らねェ時は、もうおれにも止めらんねェぞ」
「……」
「それが最低条件だ」
「厳しいな」
「てめェは一味のコックだからな。当然だ」
「肝に銘じるよ」
「だがあいつは……」
「……?」
「あいつは、耐えらんねェんじゃねェのか? この二年間、てめェがいなくて相当寂しかったらしいからな」
「……!!」
 コックの目が一瞬見開いた。それはこの薄暗い中でもはっきりと分かる薄いブルーの瞳。
 しかし返答は、その表情とは反対に冷めたモノだった。
「気のせいだろ?」
「本気で言ってんのか?」
「だったら?」
「ここでそれを責めれば、てめェは楽になるのか?」
「……!!」
 ナミがこいつに本気で惚れてるのは明らかだった。それなのに、普段騒がしい程メロメロで騎士きどりのこいつが、何故ナミの気持ちに本気で向き合おうとしねェのか、ずっと不思議だった。
 きっといつか、こんなことになるのを予感していたからなんだろう。そのことにおれは、今気付いた。
「おれはそんなに出来た男じゃねェよ」
 と言い放つと、コックは胸ポケットを探り煙草を取り出した。それが、この話の本題が終了した合図の様に。
 そして煙草に火を点け、深く吸い込んだ煙を勢いよく吐き出す。
「本当は夜中のうちに降りてェが、今夜の様子を見てるとそうもいかねェ」
 そう言いながら、コックはおれの左横に立った。再びおれから表情が見えなくなる。
「明日の朝食後、出航する直前に船を降りようと思ってる」
 自分勝手に降りるクセに、自分勝手になりきれねェこいつに可笑しくなった。
 今夜遅くまで騒いだクルー達が、翌朝早く起きられるワケがねェ。騒ぎ疲れて起きた所に食事がなく、一から作るのは相当の苦労が目に見えているからだ。
 さらにこの船には、いつでもメチャクチャ食いやがる船長がいる。まあ、こいつはそれを毎回いとも簡単にやってのけているのだが。
「片付けまではしていくつもりだから、その辺のタイミングで協力をよろしくな」
 と、おれの左肩をポンと叩くと、あっという間にコックは離れて行く。
「何!? てめェで決めたことはてめェで……」
 おれの言葉はあっさりとした一言で遮られた。
「頼りにしてるよ」
 コックは背中越しに右手を軽く振って船内に消えて行った。
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