Ⅳ : 嘘

 ナミさんが、船を慎重に岩場の隙間へ泊める。そこはこの船がちょうどハマる広さだった。停泊した場所は、まるで天井の様に木々の葉が青々と生い茂り、遠目なら船の存在に気付く奴なんていねェだろう。
 あの洞窟にあった二隻のうち、この船の方が小さかった。それがぴったりだということは、もう一隻はここには泊められねェ。だとしたら、あの船の停泊場所はこの島の違うどこかにあるってことだな。
 甲板から陸地の足場を探すと、左手前方に平らな地面を見つけた。そこは固く踏まれた土が存在を主張している。
 ルフィが甲板から嬉々としてそこへ飛び降りた。
「おい、早く行こうぜ‼︎」
 実年齢とは程遠いガキの様に無邪気な笑顔でこちらを見上げている。
 三人一緒で正解だったぜ、まったく。
 おれは本来気が進まねェ言葉を、彼女にかけた。
「じゃ……ナミさん。降りよっか?」
「そうね」
 ナミさんも目の前のルフィを見て、おれと同じことを思ったんだろう。腰に手を当てて一度ため息をつくと、躊躇することなくジャンプして地面へ着地する。
 出来れば彼女を抱きかかえて降りたかったというおれの小さな野望が、あっけなく崩れ去った。
 普通の女の子なら怖がるようなことでも、ナミさんは気軽にこなしちまうんだよなぁ。
 そんなことをボーッと考えてすぐ降りなかったおれを、ナミさんが不思議そうな顔で見上げていた。
「サンジ君! 何か忘れ物でもあるの?」
「えっ⁉︎ いや、特に何もねェよ」
 おれは少し慌てて船から降りた。
 それから再び冷静に辺りを見回してみる。
 今おれ達が立っているおよそ五メートル四方の周囲には、腰の高さほどの草がびっしりと壁の様に生えていた。つまり、おれ達が立っている場所だけが明らかにぽっかりと空いている。
 さっきから頭をよぎっていた疑問が、確実な証拠を帯びて現実となった。
 あのおっさんは頻繁にこの島に来てる。
 いったい何のために?
 食料の確保か物資の調達もあるだろうが、もしそれが理由ならなにもこんな島の裏側じゃなくて、正面から堂々と上陸すればいい話だ。それなのにわざわざ誰にも見つからねェ場所に船を泊める場所を作ってまでやって来る目的は何なんだ?
 でけェ声で言えねェことなんだろうことは予想がつく。
 まぁこれくらいのことなら、ナミさんもおれと同じ様に考えてるだろうか。
 そんなことを思いながらチラッとナミさんの表情を確認したモノの、ナミさんは何事もなさげな様子だった。気付いてるのか、気付いてねェのか? もしくは気付きたくねェのか?
「さ、早くみんなを探すわよ。ルフィ、勝手に先行くのは許さないからね! 二人とも、ちゃんと私を守るのよ‼︎」
 おれの心中とは正反対に、ナミさんの明るく芯のある声が辺りに響いた。

 実際に歩き始めると、思った以上に深い森が続いていた。
 鬱蒼とはしているが、木々の隙間から日の光が適度に差し込んでいて、困るほどには暗くない。空気は湿気を帯びているモノの、まだ心地よい範囲だ。
 明らかにさっきまでいたあの小さな島と似ているとしか言いようがなかった。
「ナミ、この方向で合ってんのか⁉︎ かなり歩いたけどずっと森じゃねェか。そろそろ海へ出ても良さそうなモンだぞ」
 ルフィは途中拾った長い木の枝を振り回して地面や周りの木を叩き、この退屈な道のりに飽きているのが見え見えだった。
「わかってるわよ、そんなこと。道は合ってるハズだからもう少し我慢して!」
「そうだぞルフィ。ナミさんの言うことは絶対だ」
 おれはいつものごとくナミさんの援護射撃をする。普段はそれで諦めるルフィだが、今はどうにも諦めきれねェらしい。
 数秒黙った後、ブツブツと口を尖らせてごね始めた。
「けどよォおれ、なんかこの森すげェ居心地が悪くて仕方ねェんだ。だから早く出てェンだよォ」
 居心地が悪い?
 そう言われてみれば、おれもルフィと同じかもしれねェ。なんとなく落ち着かねェこの気持ちは、今後の不安からだけだと思ってたが、どうやら違うようだ。
 普通の森と何かが違う。
 いったい何だ?
 おれはその場で立ち止まって、木々の隙間から覗く青い空を見上げる。
「サンジ君?」
 数歩先を行くナミさんが歩みを止め、おれを見る。
「サンジも気付いたか?」
「うっせェルフィ、ちょっと黙れ」
 おれは目を閉じて、耳をすませてみた。
 時折吹く風が木の葉の間をすり抜けていく音だけが聞こえる。
「なるほどな」
「え?」
 目を開けると、ナミさんが目の前で小首を傾げている。
「ナミさん、わかんねェ?」
「何のこと?」
「音がしねェ」
「……?」
「だから、風が吹く以外に何の音も聞こえねェんだよ。つまり、この森には鳥やら何やら動物のいる気配が全く感じらんねェってことさ」
「そんなことあるワケ……だって、これだけの森よ」
 ナミさんは信じられない様子で耳の後ろに手を当て、目を閉じた。
 僅かな後、綺麗なブラウンの目がパチッと開く。
「ホントだ。鳥の声がまったくしないわ。これだけ暖かな島なら、うるさくて仕方ないくらいでもいいのに」
「だろ? なんか落ち着かねェんだよなぁ。いつでも食える獲物が傍にいねェっていうのはよォ」
 どうやらルフィの物事の判断基準は、食いモンらしい。だが、相変わらず妙なトコロで核心をついてくる。
 さっきの島には、ルフィが楽しんで狩りをするくらいの獲物になる動物達がいた。だから浜辺で夜中に作った臨時のメシは、ルフィが捕ってきた小動物をメインにした。
 ルフィの天然的な発言にナミさんの拳が炸裂してもいい状況だが、嫌な違和感に気付いちまった今はそんな気も起きねェようだ。
「とにかく一刻も早くこの森を出て、みんなと合流した方が良さそうだな。そういやナミさん、地図とかあのおっさんから貰ってるのかい?」
「ううん、地図は特に貰ってないの。ただ、進む道に印があるからその通りに進めって」
「印?」
「ほら、あれよ」
 そう言ってナミさんが指差した木には、よく見ると根元近くに小さな傷が横に二本刻まれていた。
「分かれ道の正面の木にあるっておじさんが言ってたの。横向きはその場所を右へ、縦向きは左へ。それからバツは真っ直ぐだそうよ」
「へェ、そうなのか‼︎ じゃあ、この先は右に曲がりゃあいいんだな!」
 ルフィが新しい遊びを見つけた子供の様に、一気に元気を取り戻した。
 わざわざ二本も傷を付けてあるのは、もし見えにくくなった場合でも読み取りやすいからだろうが、真っ直ぐ進むのがバツだなんてのはずいぶんとひねくれてんじゃねェか? 普通はバツがあったら進みたくなくなるモンだ。
 まぁ自分の感覚を信じたとしてもちゃんと前に進んでる気がすっから、今ンところはその指示を信じることにするか。
 とりあえず今の時点での不安の芽を、少しでも取り除かねェと。
「ルフィ、進む道がわかったからって突っ走るんじゃねェぞ。これから先は何が起こるかわかんねェんだ。ナミさんの傍から絶対に離れるなよ!」
「おう、わかってるって。ナミ、離れねェでちゃんとついて来んだぞ!」
「だーかーらっ‼︎ あんたが離れるんじゃないって言ってんのよ! 私の無事が最優先なんだからね」
「シシシ、だからわかってるって!」
 笑顔を浮かべるルフィは誰から見ても、明らかに楽しみの方が勝っていた。
 そしてそんなルフィを見てると、自然と笑顔になって安心しちまうから不思議だ。ルフィの持って生まれた才能とでも言うべきか。おれまで思わず顔が緩むのがわかる。
 怒っていたナミさんにも、笑みがこぼれていた。
 こんなに不安な時でも、ナミさんをすぐに笑顔に出来るルフィが羨ましくなる。おれには到底出来ねェことだから。
「ほらルフィ、わかったらさっさと歩け!」
「はぁ? 何だよ⁉︎ 早く行くなって言ったり行けって言ったり、ワケわかんねェなァ」
「何か言ったか? ルフィ」
「いや……何も言ってません」
 ルフィがおれの蹴りの構えを見て、慌てて前を向いた。
 そんなおれ達を見てナミさんが笑いをこらえていたなんてことに、おれはまったく気付かなかった。

 いくつめの印を過ぎた後だっただろうか。
 おれ達の進行方向左手奥の草の茂みが、不自然にガサガサッと揺れた。
 先頭を歩くルフィの足がピタッと止まる。
 急に止まったルフィに驚くように、ナミさんの歩みも止まる。
「何?」
「しっ‼︎ ナミさん黙って」
 おれは振り返ったナミさんの口に人差し指を当て、音のした方向に視線を向ける。そしてそのままルフィと小声で話す。
「ルフィ、どうする?」
「サンジはナミといろ。おれが行って確かめてくる」
 ルフィは行く気満々だ。珍しく冷静さも感じられたので、おれはそのまま任せることにする。
「わかった。くれぐれも深追いはすんなよ。確認出来たらすぐに戻ってこい」
「あぁ。お前たちはここで待ってろ」
 ルフィはそう言うと、少し先の木の枝にゴムの能力で手を伸ばし、音のした場所へ飛んでいった。
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