Ⅳ : 誕生日の約束

 帰りに駅前のケーキ屋さんに初めて寄り、バースデーケーキの代わりに唯一残っていたベイクドチーズケーキを一つ買って夕食後に食べたら、とても美味しかった。週末にそのお店の前を通るたび店内にお客さんがいるのが見えていたから、地元では人気なのだろう。
 いまだに住んでいる街のことを何も知らないし、知ろうとしていなかった自分に改めて気付く。自ら動き出さないと、何も変わらないことはわかっているのに。
 今日だってサンジ君が察してくれたから、誕生日を伝える勇気が出た。私はいつも彼に助けられてばかりだ。

 あの雨の日もそうだった。
 帰り際、同じフロアで働く男の人にしつこく誘われて私がハッキリ断ると、「なんで? サンジとは最近もう話してないみたいだし、関係ないんでしょ? あいつがいつも君の傍にいたから、今までなかなか誘えなかったんだよね」と、言われた。
 突然サンジ君の名前を出されて驚いたけれど、言われて初めて、私がサンジ君を一方的に避けるようになった後から、社内の男の人達に話しかけられることが増えていることに気付いた。
 それは言い方を変えれば、サンジ君がいつも私の傍にいて、そういう人たちから私を守ってくれていたということで。
 だとしたら、彼に疑問を確かめることもせず、勝手に不安になって避けていた自分は、なんて馬鹿だったんだろう。そしてこの場にサンジ君がいてくれたらと願ってしまう私は、なんて自分勝手なんだろう。そう自分を責めずにはいられなくなって。
 最終的にその男の人になんて断ったのかは忘れたけれど、とにかくその場から逃げるように会社を出た覚えがある。
 そしたら一つ目の角を曲がった時、数十メートル先で雨が降っているのに傘も差さず立ち止まっているサンジ君の後ろ姿があって。ついさっきまでサンジ君がいてくれたらと願っていた気持ちが一気に溢れ出して、気が付けば早足で追いつき、背後から傘を差し出していた。
 振り向いたサンジ君はさすがに驚いていて。私も何を言ったらいいかわからなくなって、素っ気ない言葉をかけた気がする。
 でもサンジ君が、以前と変わらずとても優しくて。駅まで一つ傘の下で歩いている間、それが嬉しくて。少し前まで当たり前に感じていたサンジ君といるこの空気が、私にとってかけがえのないモノだったんだということを、この時身に染みて実感したのだった。

 
 夜十時を過ぎて、目の前のテーブルに置いていたスマホがメッセージの着信を知らせた。
 サンジ君だ。
 スマホを待つ手がいつになく緊張していて、画面に触れる指の動きもぎこちない自分がわかる。
 彼から届いた初めてのメッセージは『今大丈夫?』だった。いかにもサンジ君らしい。
 私が『うん』と返すと、すぐに通話の着信音が鳴り、一つ深呼吸をしてから通話ボタンに触れる。
「もしもし」
「あ、ナミさん。遅くなってゴメン。今、帰ってきた」
「そうなんだ。おかえりなさい」
「……‼︎」
「え、何?」
 私、変なこと言った?
「あ……いや、おれ一人暮らし長ェから、なんか『おかえり』って言われるのすげェ久しぶりで、嬉しいなって」
 あ、そういうことか。思わず口をついて出てしまったけど、ちょっと馴れ馴れしすぎたかもしれないと恥ずかしくなる。
「そう? 今日は朝早くに姉と電話でけっこう話したから、まだ実家モードが抜けてないのかも。私はまだ一人暮らし短いし、そのへん慣れてない気がする」
 焦って言葉を並べた私に、サンジ君の返事は一言だったけどとても優しく感じた。
「そっか」
「うん」
「じゃあおれ、これから毎日帰ってきたらナミさんに連絡して、『おかえり』って言おっか?」
「えっ⁉︎」
「あ……いや、ゴメン‼︎ 嬉しくて、おれ調子に乗り過ぎたな」
 サンジ君が慌てて謝った。でも私は驚いただけで決して嫌なワケじゃなかった。
「ううん、違うの。それ、時々ならいいかなって」
「えっ⁉︎」
 今度はサンジ君が驚きの声をあげる。
 きっとサンジ君は、どんなに忙しくても毎日ちゃんと連絡をくれるのはわかってる。でも……。
「ただ、毎日決まり事だからって連絡くれるのは違うっていうか……なんか、機械的な気がしちゃって。それは嫌だなぁって」
「……わかった。じゃあさ、何か話したくなったら、ナミさんからいつでも気軽に連絡してよ。おれもそうするからさ」
「うん。話したくなったらね」
「おれ、いつでも待ってるから」
「別に待たなくていいわよ」
 私の気持ちをすぐに理解してくれたことが嬉しいのに、どうしても素直になれない。スマホから聴こえるサンジ君の声がいつも以上に優しく感じて、どんどん甘えてしまいそうで。もっとしっかりしなきゃいけないと思うのに。
「そういえばサンジ君、今帰ってきたばかりなんでしょ? まだ夕ご飯、食べてないんじゃない?」
「あ、それは大丈夫。少しでも早くナミさんと話したかったから、地元の駅前にある定食屋さんに寄って、サッと済ませてきたんだ」
「へー。こんな遅い時間まで営業してる定食屋さんがそこにあるの?」
「あぁ。昔からやってるお店らしくてさ、安いのにすげェ美味いんだ。多分おれ、少なくとも週に二回は行ってるかな」
 サンジ君がお気に入りのお店なら間違いなく美味しい気がする。
「いいなぁ。私なんて、いまだにこっちのお店全然知らなくって」
「そうなんだ。ならおれ、そういうの見る目にはけっこう自信あるから、今度一緒に回る?」
「えっ⁉︎」
「あ……ほら、最初から女の子一人で知らないお店に入るのってけっこう勇気いるんじゃねェかなって思ってさ。だから、その……とくに深い意味はなくて。いや、それが出来たらおれはすげェ嬉しいけど……」
 彼の口調に、告白された時を思い出す。あの時と同じで嘘をついていないだろうことが伝わってきて、私はその誘いを素直に受け入れられた。
「確かにその方が行きやすいかもね。今度お願いしてもいい?」
「……マジで⁉︎ いいの⁉︎」
「うん。それと、さっきサンジ君が言ってた定食屋さんにも行ってみたいな」
「えっ⁉︎」
「サンジ君が美味しいって言うと、ホントに美味しいんだろうなって思って。私も食べてみたくなっちゃった」
「あ、でもその店は全然オシャレな感じじゃねェんだけど……」
「そう? 私、そういうの全然気にしないわよ」
「そっか……じゃあそれもそのうち」
「うん。よろしくね」
 ちょっとワガママなお願いかなって思ったけど、思い切って言ってみて良かった。
 すると少しの間をおいて、思い出したようにサンジ君が言う。
「あっ、もう一ついいかな?」
「何?」
「来月、ウチの近くの河川敷でデカめの花火大会があるんだけど……ナミさん来ねェ?」
「花火大会?」
 こっちの花火大会はニュースとかでは見たことあるけど、人がいっぱいなイメージしか浮かんでこない。
「うん。おれんチ、打ち上げ場所からけっこう近いから、毎年会社の人間にトイレやら荷物置きで利用されちゃうんだけどさ。でもホントに花火はすげェ綺麗だから、ナミさんもどうかなって」
「そうなんだ。会社の人って……?」
「あぁ、まだ確定はしてねェんだけど。毎年必ず来るのは、ナミさんの席の周りの連中だな」
「そう。それなら……行ってみようかな?」
「やった‼︎ じゃあ色々決まったら教えるよ」
「うん。楽しみにしてる」
 
 それから彼といろんな話をした。でもサンジ君が話を聞くのが上手だから、私ばかり話していた気がする。
 ふと時計を見ると、十一時を過ぎていた。
「あ、悪ィ。つい長話しちまって」
 顔は見えていないのに私が時間を気にしたことを察したのか、サンジ君が途中で話を切って謝る。
「そんな、私も喋りすぎちゃったし」
「いや。おれ、まだちゃんとナミさんに言ってなかったなって」
「あ、確かに」
 このひとときが楽しくて、すっかり忘れてた。
「ナミさん、お誕生日おめでとう」
「ありがと」
 私は心からお礼の言葉を伝える。
「プレゼント、何も用意出来なくてゴメン」
「そんな気にしないでよ。また来年もあるんだし」
「えっ⁉︎」
「……?」
 私、また何か変なことを言った?
「あ、いや……じゃあナミさん、来年のおれからのプレゼント期待しといて」
「うん。わかった」
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
「また明日」
「うん、また明日ね」
 静かに画面の切ボタンに触れて、大きく息を吐く。
 こんなにドキドキした誕生日は初めてだった。物としてのプレゼントはなくても、サンジ君と二人だけでたくさん話せて、いくつか約束もして。それだけで私にとっては思い出に残る誕生日で。
 いつもまっすぐ私を見てくれる彼に、ちゃんと返事をしようと心に決めた。
4/4ページ
スキ