ウシジマくん呟き
冬
2026/09/25 09:57社長って寒い日寝起き悪そうで可愛いだろうなって呟き。攻めのくせに。
目が覚めたとき、部屋はまだ青かった。
カーテンの隙間から入り込む朝の光が、床に細長く落ちている。夜の色をわずかに残した、冬特有の薄い明るさだった。
暖房は止まっていた。
予約を入れ忘れたのかもしれない。布団から出ている頬に冷気が触れて、柄崎は鼻先まで潜ろうとして――胸のあたりにある重みに気づいた。
何かが乗っている。
いや、何かではない。
目だけを下へ向けると、掛け布団が不自然に盛り上がっていた。
寝る前、丑嶋は隣にいた。
それは覚えている。
けれど、こんなに近くにはいなかったはずだ。
柄崎は枕元の携帯へ伸ばしかけた手を戻した。
身体を動かせば、胸元のそれまで起こしてしまいそうだった。
しばらく天井を眺める。
静かな呼吸が、シャツ越しに伝わってくる。
恐る恐る掛け布団の端を持ち上げた。
冷えた空気が入り込まない程度に、ほんのわずか。
暗がりに、黒い頭があった。
「……」
思った以上に近い。
丑嶋は柄崎の胸へ顔を伏せていた。
額を押しつけ、身体を丸めるように寄せている。片腕まで腹の上へ回っていて、昨夜そこにいた男と同じ人間には見えなかった。
寒かったのだろう。
部屋が冷え込んで、眠っているうちに暖かい場所を探した。
それがたまたま自分だった。
理由なんて、それくらいのものだ。
柄崎は布団をそっと戻した。
胸の内側が妙にむず痒い。
起きているときなら、まずない。
自分から距離を詰めれば嫌そうな顔をされることはあるし、しつこければ「うぜぇよ」と手で押し退けられる。
そのくせ、今はこれだ。
人の胸を枕みたいに使って、すっかり眠っている。
柄崎は口元を押さえた。
笑ったら起こす。
起こしたくなかった。
もう一度だけ中を覗く。
さっきと何も変わっていない。
閉じた瞼。潰れた髪。頬の一部が服に押されて、普段より幼く見える。
――かわいい。
その言葉が浮かんだ瞬間、柄崎は眉間を押さえた。
社長に対して何考えてんだ。
けれど、一度そう見えてしまうと駄目だった。
仕事中の丑嶋を知っている。
黙っているだけで周囲を緊張させる顔も、苛立ったときの低い声も、相手を射抜くような目も。
その全部を知っているせいで、今の無防備さがおかしい。
柄崎は起こさないよう、指先だけで髪に触れた。
短い毛が掌に引っかかる。
反応はない。
もう一度撫でる。
今度は頭がわずかに動いた。
まずかったと思ったときには、胸元から小さく息が漏れた。
目覚めたわけではないらしい。
丑嶋は居心地のいい位置を探すように顔の向きを変え、さっきより深く身体を寄せてきた。
柄崎の手が止まる。
「……マジかよ」
聞こえないように呟いた。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
そんな自分が少し気持ち悪い。
それでも、腹の上に置かれた腕を退ける気にはなれなかった。
時計を見る。
まだ早い。
急ぐ用事もない。
暖房をつけるには、ベッドを出なければならない。
寒いだろうな、と思う。
自分ではなく、胸元で眠っている男が。
だから動かないことにした。
それからどれくらい経ったのか。
外の光が少しずつ白くなり、部屋の輪郭が見えるようになった頃、胸の重みが動いた。
布団の中でもぞ、と音がする。
柄崎は目を閉じた。
寝たふりをする必要なんてないのに、反射的にそうしてしまった。
衣擦れ。
腹にあった腕が引かれ、しばらく静かになる。
それから、顎のあたりに髪が触れた。
柄崎は薄く目を開けた。
布団の縁から、丑嶋がのっそり顔を出していた。
「…………」
思わず息を止める。
ひどい寝起きだった。
髪は片側だけ妙に寝ているし、目もまともに開いていない。
いつもの鋭さがどこにもない。
ぼんやりと焦点の合わない視線を漂わせたあと、丑嶋は柄崎を見上げた。
何も言わない。
「……おはようございます」
返事はなかった。
聞こえているのかすら怪しい。
数秒後、ようやく唇が動いた。
「……寒い」
掠れた低い声だった。
柄崎は危うく笑いそうになった。
「暖房、つけます?」
「ん」
それきり。
丑嶋はまた目を閉じた。
「社長」
「……」
「暖房」
眉間がわずかに寄る。
「つければ」
「いや、だから俺が行くんすよ」
「……うん」
「社長が乗ってるから動けないんすけど」
そこで初めて、自分の状態に気づいたらしい。
丑嶋は薄く目を開け、自分がどこにいるのか確かめるように柄崎の胸元を見た。
退くだろうと思った。
ところが、身体は動かない。
むしろ顔を伏せ直した。
「社長?」
「あとで」
柄崎は天井を見た。
もう駄目だった。
頬が緩む。
「……何」
「いや」
「何だよ」
「なんでもないっす」
丑嶋が鬱陶しそうに顔を上げる。
それすら普段より迫力がない。
眠気で瞼が重そうに落ちている。
柄崎は堪えきれず、髪へ手を置いた。
いつもなら許可を取るようなことでもない。ただ、今朝は妙に大事なものへ触れる気がして、手つきが自然と慎重になった。
頭の形を確かめるように一度撫でる。
丑嶋は避けなかった。
二度目。
やはり何も言わない。
三度目には、わずかにこちらへ寄ってきたような気さえした。
たぶん気のせいだ。
「社長」
「……何」
「かわいいっすね」
丑嶋の目が開いた。
今度はちゃんと開いた。
「は?」
柄崎は吹き出した。
「いや、すみません」
「お前気持ち悪いぞ」
「すみませんって」
身体を起こそうとする丑嶋を、柄崎は咄嗟に抱き留めた。
「離せよ」
「だって寒いんでしょ」
「もういい」
「俺が寒いっす」
「知らねぇ」
そう言いながら、本気で逃げようとはしない。
腕の中で少し身じろぎしただけで、やがて諦めたように力を抜いた。
額がまた胸に触れる。
柄崎は笑いを噛み殺した。
暖房のことは、もうどうでもよくなっていた。
窓の向こうでは冬の朝が始まっている。
車の走る音が遠くから聞こえ、どこかの家で扉の閉まる音もした。
日常はもう動き出している。
それでも、この布団の中だけが取り残されている。
腕の中にいる丑嶋の背中へ掌を置く。
確かな体温があった。
起きれば、いつもの社長に戻る。
着替えて、煙草を吸って、面倒そうな顔で柄崎を見る。
今みたいに自分から胸へ潜り込んでいたことなんて、たぶん認めもしない。
だったら、もう少しだけこのままでいい。
柄崎は何も言わず、布団を丑嶋の肩まで引き上げた。
しばらくして、胸元から規則正しい寝息が戻ってきた。
また寝たらしい。
柄崎は目を細める。
「……かわい」
今度は声にしない。
言えば起きる。
起きれば怒る。
だから胸の中だけにしまって、黒い頭をもう一度撫でた。
暖房をつけるのは、もう少し先でいい。
目が覚めたとき、部屋はまだ青かった。
カーテンの隙間から入り込む朝の光が、床に細長く落ちている。夜の色をわずかに残した、冬特有の薄い明るさだった。
暖房は止まっていた。
予約を入れ忘れたのかもしれない。布団から出ている頬に冷気が触れて、柄崎は鼻先まで潜ろうとして――胸のあたりにある重みに気づいた。
何かが乗っている。
いや、何かではない。
目だけを下へ向けると、掛け布団が不自然に盛り上がっていた。
寝る前、丑嶋は隣にいた。
それは覚えている。
けれど、こんなに近くにはいなかったはずだ。
柄崎は枕元の携帯へ伸ばしかけた手を戻した。
身体を動かせば、胸元のそれまで起こしてしまいそうだった。
しばらく天井を眺める。
静かな呼吸が、シャツ越しに伝わってくる。
恐る恐る掛け布団の端を持ち上げた。
冷えた空気が入り込まない程度に、ほんのわずか。
暗がりに、黒い頭があった。
「……」
思った以上に近い。
丑嶋は柄崎の胸へ顔を伏せていた。
額を押しつけ、身体を丸めるように寄せている。片腕まで腹の上へ回っていて、昨夜そこにいた男と同じ人間には見えなかった。
寒かったのだろう。
部屋が冷え込んで、眠っているうちに暖かい場所を探した。
それがたまたま自分だった。
理由なんて、それくらいのものだ。
柄崎は布団をそっと戻した。
胸の内側が妙にむず痒い。
起きているときなら、まずない。
自分から距離を詰めれば嫌そうな顔をされることはあるし、しつこければ「うぜぇよ」と手で押し退けられる。
そのくせ、今はこれだ。
人の胸を枕みたいに使って、すっかり眠っている。
柄崎は口元を押さえた。
笑ったら起こす。
起こしたくなかった。
もう一度だけ中を覗く。
さっきと何も変わっていない。
閉じた瞼。潰れた髪。頬の一部が服に押されて、普段より幼く見える。
――かわいい。
その言葉が浮かんだ瞬間、柄崎は眉間を押さえた。
社長に対して何考えてんだ。
けれど、一度そう見えてしまうと駄目だった。
仕事中の丑嶋を知っている。
黙っているだけで周囲を緊張させる顔も、苛立ったときの低い声も、相手を射抜くような目も。
その全部を知っているせいで、今の無防備さがおかしい。
柄崎は起こさないよう、指先だけで髪に触れた。
短い毛が掌に引っかかる。
反応はない。
もう一度撫でる。
今度は頭がわずかに動いた。
まずかったと思ったときには、胸元から小さく息が漏れた。
目覚めたわけではないらしい。
丑嶋は居心地のいい位置を探すように顔の向きを変え、さっきより深く身体を寄せてきた。
柄崎の手が止まる。
「……マジかよ」
聞こえないように呟いた。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
そんな自分が少し気持ち悪い。
それでも、腹の上に置かれた腕を退ける気にはなれなかった。
時計を見る。
まだ早い。
急ぐ用事もない。
暖房をつけるには、ベッドを出なければならない。
寒いだろうな、と思う。
自分ではなく、胸元で眠っている男が。
だから動かないことにした。
それからどれくらい経ったのか。
外の光が少しずつ白くなり、部屋の輪郭が見えるようになった頃、胸の重みが動いた。
布団の中でもぞ、と音がする。
柄崎は目を閉じた。
寝たふりをする必要なんてないのに、反射的にそうしてしまった。
衣擦れ。
腹にあった腕が引かれ、しばらく静かになる。
それから、顎のあたりに髪が触れた。
柄崎は薄く目を開けた。
布団の縁から、丑嶋がのっそり顔を出していた。
「…………」
思わず息を止める。
ひどい寝起きだった。
髪は片側だけ妙に寝ているし、目もまともに開いていない。
いつもの鋭さがどこにもない。
ぼんやりと焦点の合わない視線を漂わせたあと、丑嶋は柄崎を見上げた。
何も言わない。
「……おはようございます」
返事はなかった。
聞こえているのかすら怪しい。
数秒後、ようやく唇が動いた。
「……寒い」
掠れた低い声だった。
柄崎は危うく笑いそうになった。
「暖房、つけます?」
「ん」
それきり。
丑嶋はまた目を閉じた。
「社長」
「……」
「暖房」
眉間がわずかに寄る。
「つければ」
「いや、だから俺が行くんすよ」
「……うん」
「社長が乗ってるから動けないんすけど」
そこで初めて、自分の状態に気づいたらしい。
丑嶋は薄く目を開け、自分がどこにいるのか確かめるように柄崎の胸元を見た。
退くだろうと思った。
ところが、身体は動かない。
むしろ顔を伏せ直した。
「社長?」
「あとで」
柄崎は天井を見た。
もう駄目だった。
頬が緩む。
「……何」
「いや」
「何だよ」
「なんでもないっす」
丑嶋が鬱陶しそうに顔を上げる。
それすら普段より迫力がない。
眠気で瞼が重そうに落ちている。
柄崎は堪えきれず、髪へ手を置いた。
いつもなら許可を取るようなことでもない。ただ、今朝は妙に大事なものへ触れる気がして、手つきが自然と慎重になった。
頭の形を確かめるように一度撫でる。
丑嶋は避けなかった。
二度目。
やはり何も言わない。
三度目には、わずかにこちらへ寄ってきたような気さえした。
たぶん気のせいだ。
「社長」
「……何」
「かわいいっすね」
丑嶋の目が開いた。
今度はちゃんと開いた。
「は?」
柄崎は吹き出した。
「いや、すみません」
「お前気持ち悪いぞ」
「すみませんって」
身体を起こそうとする丑嶋を、柄崎は咄嗟に抱き留めた。
「離せよ」
「だって寒いんでしょ」
「もういい」
「俺が寒いっす」
「知らねぇ」
そう言いながら、本気で逃げようとはしない。
腕の中で少し身じろぎしただけで、やがて諦めたように力を抜いた。
額がまた胸に触れる。
柄崎は笑いを噛み殺した。
暖房のことは、もうどうでもよくなっていた。
窓の向こうでは冬の朝が始まっている。
車の走る音が遠くから聞こえ、どこかの家で扉の閉まる音もした。
日常はもう動き出している。
それでも、この布団の中だけが取り残されている。
腕の中にいる丑嶋の背中へ掌を置く。
確かな体温があった。
起きれば、いつもの社長に戻る。
着替えて、煙草を吸って、面倒そうな顔で柄崎を見る。
今みたいに自分から胸へ潜り込んでいたことなんて、たぶん認めもしない。
だったら、もう少しだけこのままでいい。
柄崎は何も言わず、布団を丑嶋の肩まで引き上げた。
しばらくして、胸元から規則正しい寝息が戻ってきた。
また寝たらしい。
柄崎は目を細める。
「……かわい」
今度は声にしない。
言えば起きる。
起きれば怒る。
だから胸の中だけにしまって、黒い頭をもう一度撫でた。
暖房をつけるのは、もう少し先でいい。
