ウシジマくん呟き

10おわり

2026/02/08 12:29
ベッドに横になって、柄崎も背中を向ける。
距離は、さっきと変わらない。
触れない。
近い。
部屋は、ほとんど暗い。
カーテンの隙間から、街灯の光が薄く入っている。

「……」

しばらく、何も起きない。
呼吸の音だけ。
数分して。
——社長の呼吸が、
変わる。
深く。
一定に。
寝息。

(……寝た?)

思ったより、早い。
(……はや……)
(……疲れてんのかな)

今日のことを、思い返す。
呼び出し。
段ボール。
静かな飲み。
帰り道。
家。

(……そりゃ、疲れるか)

社長の背中は、動かない。
完全に、眠っている。
柄崎は、目を閉じてみる。
——眠れない。

(……近すぎる)
(……社長の家だし)
(……社長の服だし)

余計なことばかり、浮かぶ。
彼女と寝た時は、こんなこと考えなかった。

(……なんでだよ)

呼吸を整えようとしても、頭が冴える。
社長の寝息が、一定のリズムで続く。
それを聞いているだけで、意識がそこに引っ張られる。

(……無防備すぎだろ)
(……起きたら、何も覚えてねぇのかな)

そう思った、その時。
布が、かすかに擦れる音。
——社長が、寝返りを打つ。
一瞬、体が強張る。

(……来るな)
(……来るなって)
思ったのに。

次の瞬間。
——距離が、詰まる。

最初は、距離が少し変わっただけだった。
背中越しに感じていた体温が、わずかに近づく。
呼吸の位置が、耳の後ろに寄る。
無意識に腕が動く。
腰のあたりを探るように、触れて——そのまま止まる。
力はない。
引き寄せるでも、抱き直すでもない。
ただ、落ち着く位置を見つけたみたいに。

布団の重さが変わる。
それから。

「……あったけぇわ……」

背中越しに、低い声が落ちた。

「……お前……」

名前じゃない。
続きもない。
寝言だ。
そう分かっているのに、体が一瞬、反応する。

(……何言ってんだよ)

社長の腕が、腰の位置に残ったまま、ほんの少しだけ沈む。
重さが、増えた気がする。
柄崎は、歯を食いしばる。

(……振り払え)

頭では、即座に答えが出る。
普通なら、気持ち悪い。
男同士だ。
距離が近すぎる。
冗談でも、笑って済ませられる状況じゃない。
それなのに。
腕を掴むはずの手が、動かない。
社長は、もう何も言わない。
呼吸は、また深く、一定。
完全に、眠っている。

(……無意識だ)
(……疲れてるだけだ)

そうやって、理由を並べる自分が、
一番、気に入らない。

(……だからって、そのままでいる理由には、ならねぇだろ)

女と一緒にいた時は、こんな迷いはなかった。
嫌なら、体が先に離れた。
今は、体が言うことをきかない。
社長の腕の温度が、じわじわと伝わってくる。
ただの体温だ。
意味はない。
それなのに、神経だけが張りつめたままになる。

(このままいたい…の、か?)

言葉にした瞬間、
腹の奥が重くなる。
女々しい感情じゃない。
甘えたいわけでもない。
ただ、この状況を処理できていない自分が
情けない。
社長の腕は、相変わらず、そこにある。
逃がさない力も、抱きしめる力もない。
中途半端。
それが、
一番、苦しい。

(……起こせばいい)

一瞬、本気でそう思う。
でも、それをしないのは——
気を遣っているからじゃない。
この距離を、自分が許している事実を
突きつけられるのが、嫌だからだ。
柄崎は、息を整える。
振り払わない。
でも、身を寄せもしない。
ただ、耐える。
社長の寝息が、変わらず続く。

「……あったけぇわ……」

その言葉だけが、
頭の中で残る。
褒めでも、欲でもない。

——ただの感覚。
それなのに。

それを向けられた相手が自分だったことが、
どうしようもなく、引っかかる。
柄崎は、目を閉じる。
眠れない。
でも、動かない。
普通じゃないと分かっているまま、夜が過ぎるのを待つ。
それが、今の自分にできる唯一の選択だった。

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