微笑う繁縷

 ミヤジは森を歩いていた。小道をはずれて、ほとんど雪に埋もれた茂みの中に、足を突っ込みながら。白い執事服の裾が、雪と草の葉に触れて薄く汚れた。濡れた衣服は酷く肌を冷やしたが、ミヤジはあまり気にならなかった。服の汚れよりも、冷たさよりも、ミヤジは気になることがほかにあったからだ。
 視線だけを小道の反対脇へと向ける。揺れる空籠がミヤジの視界に映る。人一人分程の距離を開けて、反対脇にいるルカスは、雪を避けて歩いていた。

「……もう少し、こっちへ来たらいいのに」

 ルカスが呆れたように笑う。ミヤジは返事をしなかった。できなかったと言った方が正しいかもしれない。ここへ来る前、ルカスの平然と歩を進めるルカスが少しだけ恨めしかった。
 今こうして二人で森へ来ているのは、ルカスが言い出したことだ。治療室でルカスを直視できないミヤジが、鈍い唸り声を上げながら蹲っていると、「あ、そうだ」と室内のただならぬ空気をルカスが破った。今度はなんだとミヤジが重い頭を持ち上げると、繋がれた指先が名残惜しく一度握られた後離れて行った。
「私、今日は薬草摘みに行かなくちゃ。届けてくれてありがとう、ミヤジ。それじゃあね」
 と味気なく言われ、ミヤジは、思わずついて行くと申し出てしまったのだ。飾らずに言えば、まだ一緒にいたかった。けれど、それをルカスに直接伝える勇気は、生憎持ち合わせていない。一人で行くとルカスは何度も断ったが、断られれば断られるほど、ミヤジは余計に意固地になった。そうして身勝手についてきたというわけだ。
 ルカスは屋敷を出る時に一度だけ、「本当に一緒に行くの?」と言ったが、それ以上は何も言わなかった。ミヤジは、やはり部屋へ戻ると言いかけて、半ば強引に屋敷を出てきた。森へ入っても、会話は特に弾むことがなかったが。

「ミヤジ、屋敷にいた方が良かったんじゃない?私一人でも問題ないし」
「……ああ」
「……」

 ずっとこんな調子だ。元々口数が多いはずのルカスも、厭に静かに歩くものだから、どうにもミヤジは調子が狂う。せめていつものように、くどい程にからかってくれた方が助かる。……誰よりもこの空気を作り出しているのが、他でもない自分であることを、ミヤジは自覚していたが。
 ルカスは口数こそ少なかったが、ミヤジの様子を気にしながら歩いているようだった。時折視線を感じたミヤジが、ルカスの方へと目を向けると、ミヤジとは反対側へ顔を背けた。そしてその度に花が咲いていただの、鶫が歩いているだのとミヤジに報告した。

「……ねぇ、ミヤジ……」
「なんだ」
「……もう少し、そっちへ行ってもいい?」

 ミヤジの返事を待たずにルカスが距離を縮める。ミヤジは意識せず茂みの奥へ一歩踏み込んだ。雪で隠れて見えなかったが、足元が小さく斜面になっていたようで、靴底が滑ってルカスに寄る形になる。
 二歩、よたついた。咄嗟に腕を開く。その拍子にルカスの手の甲と、ミヤジの手の甲が、束の間触れて、離れた。

「……すまん」
「……いいよ。大丈夫だった?」
「ああ」

 いたたまれなくなって、ミヤジは俯いた。すぐ傍らで咲いていた、雪にまみれた緑繁縷の小さな花が、ミヤジの裾に触れてひそひそ笑う。
 ──ずっと、醜態を晒してばかりだ。
 ミヤジは自分を情けなく思いながら、同時に気恥ずかしく晴れやかだった。ミヤジは緑繁縷に笑い返す。心を乱され続けていることが愉しいだなんて、やはり自分はおかしくなってしまったようだと。
 不意に指の股に手袋の布地を引っ掛けながら、ルカスの指が潜り込んでくる。指を二、三度密着させたり離したりしてから、隙間を埋めるようにしっかりと握った。

「……次は、ちゃんと、……してね」

 雪を踏みしめる音で、消されてしまう。そんなひとひら。反射的にルカスを見ると、相変わらずミヤジからは顔を背けていた。しかし、光芒に照らし出された耳が、襟から覗く首筋が、目で見て分かるほど濃く染まっている。ミヤジは言葉を返す代わりに、ルカスの手を強く、強く握り返した。
6/6ページ
スキ