SS
ミヤジは近頃何をするのにも上の空だった。
つい先日ルカスが
「うーん……結婚かあ……」
と呟いていたのを聞いてからずっと。
結婚という言葉が、ルカスの──己の恋人の口から飛び出した理由を推測する。
忌み嫌われている悪魔執事といっても、世の中には物好きな者もいる。
そんな一部の物好きから、ルカスが縁談話を持ちかけられることが時たまあった。
そういえば少し前に、親しくしている有力貴族との会食へ行っていたから、おそらくその時にでもそんな話になったのだろう。
それならきっとこれまでと変わらない。
相手方に断りを入れて、それで終わる話だ。
けれど、呟きを漏らした時の諦観を含んだあまりに儚い微笑みがどうにも頭から離れない。
直接本人と話をすればいいものを、と自分でも思うがどうにも臆病になってしまって、ここ数日ルカスのことを避けていた。
ミヤジには、ルカスを自分に繋ぎ止めておけるだけの何かがあるとはとても思えなかった。
だから、聞いてしまうことが怖かった。
もしうっかり話を聞いて、ルカスが大きすぎる好奇心から、結婚してみようかななんてことを言い出した日には、もう二度と立ち直れないだろうと思い詰めていた。
そんなことばかり考えてここ数日寝ることすらままならない。
いつもより半歩ほど小さな足取りで屋敷を歩いていると、避け続けていたその人に声をかけられる。
「やあ、ミヤジ。……どうしたの?顔色があまり良くないようだけれど」
「……ああ。少し寝不足なだけだ」
そう、と笑ったその人は、人のことなど気にしている場合ではないほど、濃い隈がくっきりと浮かんでいた。
今聞いてしまえば、どういう答えであっても抱えている蟠りは解ける。
それによって新しく別の痛みがあったとしても。
ああもう、思い切って聞いてしまおうか。
この間の呟きの理由を。
焦燥感のようなものに心を急かされて口を開きかける。
しかしほんのちょっぴりだけ、ルカスの言葉の方が先に空気を揺らした。
「……少し前に私がとある有力貴族と会食をしたこと、覚えてるかい」
「……ああ」
「その時久しぶりに縁談を持ちかけられて、さっき断りを入れてきたところなんだ」
断りを入れてきた。
その言葉を聞いて、全身から力がふーっと抜けたのを感じた。
無意識に強ばり続けていた顔の筋肉も、一気に緊張が解けて軽くなる。
「それで、久しぶりに縁談なんてものを持ちかけられたものだから、ここ何日か結婚について、初めてじゃないかな。まともに結婚の事を考えたの」
「……そうか。それで? 何が言いたい」
ルカスは話そうと口を開いたのに、やはりこの話はその時に──なんて勿体ぶって言い淀む。
そこまで言いかけたのなら、言われない方が気持ちが悪いと言ってから後悔した。
傷付くかもしれないというのに、なぜあえて追撃をしてしまったのだろう、と。
おそらくルカスもその後悔に僅かながら気が付いていて、双眸が一瞬揺れた。
「……誤解のないように言っておくけれど、これは私の中だけで、勝手に決めている事だから、それを踏まえて聞いてほしい」
「ああ、わかった」
「……もし、もしもね、全てが終わってこの世界に平和が訪れて、私達が悪魔執事としてでなく、一人の人として生きていくことができたなら──私は、結婚したいなと思ったんだ」
「そう、か」
我ながら間の抜けた返事をした。
けれどそれしか言葉が見つからなかった。
自分とルカスの関係は今だけのものなのだと突きつけられて、蹲りたくなった。
鳩尾の辺りがぐるぐると気持ち悪い。
血の巡らない頭を何とか働かせようと精一杯酸素を吸い込む。
ややあってルカスは燕尾服のポケットに手を突っ込んだ。
その仕草ひとつすら、苦しい。
「これはただの私の覚悟のようなものなんだけれど……はい、これ」
これ、とポケットから抜いた手で渡されたのは手のひらに乗るサイズの小箱。
深いネイビーのベロア素材。
大きさから、中に入っている物の想像は難しくない。
開けて、と言われるままに箱を開けると真珠があしらわれたリングが姿を現した。
「これは──」
「……南の大地では婚約をする時に、真珠のアクセサリーを贈る習慣がある地域があるんだろう?」
「あ、ああ……。確かにある。ある、けれど」
けれど、どうして自分にそんな物を。
ミヤジは混乱する頭を必死で回転させる。
もしかするとこれを渡したい相手は自分ではなくて、こういうのはどうかと客観的な意見を聞かれているのかもしれないと思い至った。
小箱を閉じてルカスに返そうとすると
「……それは私の覚悟、というか、夢というか……とにかくそういう物なんだ。君の返事を待たずに渡してしまったけれど……」
「それは……一体、どういう……」
「……改めて、君と生きていきたいと思った。これから先も、ずっと。だから、全てが終わったら──」
耳まで赤く染め上げながら、言葉を選ぶルカスを抱き寄せて唇を合わせる。
啄むように何度も。
ふっくらとした唇の柔らかさを味わう。
愛おしくて、堪らなかった。
先程まで痛んだ胸は、今は甘い慈しみが滲み出している。
「ルカス」
「は……っ、なに?」
「……俺と結婚してほしい。……頼む」
言ったと同時にぐしゃ、と視界が滲んだ。
どういう気持ちで目の前が潤んでいるのか、自分でも理解が及ばなかった。
ルカスが笑って瞼を撫でる。
それにまた、ぼろっと二、三粒涙が溢れ出た。
「……すまない。自分でも、なぜ泣いているのか分からない」
「泣くのは私の方かと思っていたよ」
唇が頬に添えられて涙を掬い上げる。
泣いている顔をこれ以上見られるのが恥ずかしくて、甘ったるい匂いのする首筋に顔を埋めた。
ルカスがわざとらしく、子供をあやす時みたいによしよしと口に出しながら背中をさする。
全てが終わる日が来るのか、その時に自分たちが生きているのか、今は何も分からない。
分からないけれど、その日に向けて日々戦っている。
ならばほんの少し夢を見ることくらい、悪くはないだろう。
そしてもし本当に全てが終わったなら、その時は二人でどこまででも行こう。
同じベッドで眠って起きて、だらしのない姿に小言を言って、小言の度ルカスは思春期の少年のように唇を尖らせるのだろう。
尖った唇にキスをして、愛を囁いて、寝癖で絡んだ髪の毛に指を通させてほしい。
そんななんてことのないただの幸せを、何度でも、いつまででも君と──。
つい先日ルカスが
「うーん……結婚かあ……」
と呟いていたのを聞いてからずっと。
結婚という言葉が、ルカスの──己の恋人の口から飛び出した理由を推測する。
忌み嫌われている悪魔執事といっても、世の中には物好きな者もいる。
そんな一部の物好きから、ルカスが縁談話を持ちかけられることが時たまあった。
そういえば少し前に、親しくしている有力貴族との会食へ行っていたから、おそらくその時にでもそんな話になったのだろう。
それならきっとこれまでと変わらない。
相手方に断りを入れて、それで終わる話だ。
けれど、呟きを漏らした時の諦観を含んだあまりに儚い微笑みがどうにも頭から離れない。
直接本人と話をすればいいものを、と自分でも思うがどうにも臆病になってしまって、ここ数日ルカスのことを避けていた。
ミヤジには、ルカスを自分に繋ぎ止めておけるだけの何かがあるとはとても思えなかった。
だから、聞いてしまうことが怖かった。
もしうっかり話を聞いて、ルカスが大きすぎる好奇心から、結婚してみようかななんてことを言い出した日には、もう二度と立ち直れないだろうと思い詰めていた。
そんなことばかり考えてここ数日寝ることすらままならない。
いつもより半歩ほど小さな足取りで屋敷を歩いていると、避け続けていたその人に声をかけられる。
「やあ、ミヤジ。……どうしたの?顔色があまり良くないようだけれど」
「……ああ。少し寝不足なだけだ」
そう、と笑ったその人は、人のことなど気にしている場合ではないほど、濃い隈がくっきりと浮かんでいた。
今聞いてしまえば、どういう答えであっても抱えている蟠りは解ける。
それによって新しく別の痛みがあったとしても。
ああもう、思い切って聞いてしまおうか。
この間の呟きの理由を。
焦燥感のようなものに心を急かされて口を開きかける。
しかしほんのちょっぴりだけ、ルカスの言葉の方が先に空気を揺らした。
「……少し前に私がとある有力貴族と会食をしたこと、覚えてるかい」
「……ああ」
「その時久しぶりに縁談を持ちかけられて、さっき断りを入れてきたところなんだ」
断りを入れてきた。
その言葉を聞いて、全身から力がふーっと抜けたのを感じた。
無意識に強ばり続けていた顔の筋肉も、一気に緊張が解けて軽くなる。
「それで、久しぶりに縁談なんてものを持ちかけられたものだから、ここ何日か結婚について、初めてじゃないかな。まともに結婚の事を考えたの」
「……そうか。それで? 何が言いたい」
ルカスは話そうと口を開いたのに、やはりこの話はその時に──なんて勿体ぶって言い淀む。
そこまで言いかけたのなら、言われない方が気持ちが悪いと言ってから後悔した。
傷付くかもしれないというのに、なぜあえて追撃をしてしまったのだろう、と。
おそらくルカスもその後悔に僅かながら気が付いていて、双眸が一瞬揺れた。
「……誤解のないように言っておくけれど、これは私の中だけで、勝手に決めている事だから、それを踏まえて聞いてほしい」
「ああ、わかった」
「……もし、もしもね、全てが終わってこの世界に平和が訪れて、私達が悪魔執事としてでなく、一人の人として生きていくことができたなら──私は、結婚したいなと思ったんだ」
「そう、か」
我ながら間の抜けた返事をした。
けれどそれしか言葉が見つからなかった。
自分とルカスの関係は今だけのものなのだと突きつけられて、蹲りたくなった。
鳩尾の辺りがぐるぐると気持ち悪い。
血の巡らない頭を何とか働かせようと精一杯酸素を吸い込む。
ややあってルカスは燕尾服のポケットに手を突っ込んだ。
その仕草ひとつすら、苦しい。
「これはただの私の覚悟のようなものなんだけれど……はい、これ」
これ、とポケットから抜いた手で渡されたのは手のひらに乗るサイズの小箱。
深いネイビーのベロア素材。
大きさから、中に入っている物の想像は難しくない。
開けて、と言われるままに箱を開けると真珠があしらわれたリングが姿を現した。
「これは──」
「……南の大地では婚約をする時に、真珠のアクセサリーを贈る習慣がある地域があるんだろう?」
「あ、ああ……。確かにある。ある、けれど」
けれど、どうして自分にそんな物を。
ミヤジは混乱する頭を必死で回転させる。
もしかするとこれを渡したい相手は自分ではなくて、こういうのはどうかと客観的な意見を聞かれているのかもしれないと思い至った。
小箱を閉じてルカスに返そうとすると
「……それは私の覚悟、というか、夢というか……とにかくそういう物なんだ。君の返事を待たずに渡してしまったけれど……」
「それは……一体、どういう……」
「……改めて、君と生きていきたいと思った。これから先も、ずっと。だから、全てが終わったら──」
耳まで赤く染め上げながら、言葉を選ぶルカスを抱き寄せて唇を合わせる。
啄むように何度も。
ふっくらとした唇の柔らかさを味わう。
愛おしくて、堪らなかった。
先程まで痛んだ胸は、今は甘い慈しみが滲み出している。
「ルカス」
「は……っ、なに?」
「……俺と結婚してほしい。……頼む」
言ったと同時にぐしゃ、と視界が滲んだ。
どういう気持ちで目の前が潤んでいるのか、自分でも理解が及ばなかった。
ルカスが笑って瞼を撫でる。
それにまた、ぼろっと二、三粒涙が溢れ出た。
「……すまない。自分でも、なぜ泣いているのか分からない」
「泣くのは私の方かと思っていたよ」
唇が頬に添えられて涙を掬い上げる。
泣いている顔をこれ以上見られるのが恥ずかしくて、甘ったるい匂いのする首筋に顔を埋めた。
ルカスがわざとらしく、子供をあやす時みたいによしよしと口に出しながら背中をさする。
全てが終わる日が来るのか、その時に自分たちが生きているのか、今は何も分からない。
分からないけれど、その日に向けて日々戦っている。
ならばほんの少し夢を見ることくらい、悪くはないだろう。
そしてもし本当に全てが終わったなら、その時は二人でどこまででも行こう。
同じベッドで眠って起きて、だらしのない姿に小言を言って、小言の度ルカスは思春期の少年のように唇を尖らせるのだろう。
尖った唇にキスをして、愛を囁いて、寝癖で絡んだ髪の毛に指を通させてほしい。
そんななんてことのないただの幸せを、何度でも、いつまででも君と──。