そんな時もあったな、なんて

 オレの師匠は神DJだ。どんなところが神かってそりゃあ、どんなノリでも完ぺキにこなしちまうとこ。すごいだろ?
 オレも師匠みたいな神DJになろうと日夜付き従い観察・観察の日々。
 師匠はマジかっこいい。機器の調整をする姿、ディスクコレクションを整理する姿、サングラスを直す姿、日常の動作一つ一つがその神テクを支えてるんだと思うと日々尊敬の気持ちが増すばかりだ。
 けれど最近そんな師匠の様子がおかしい。DJやってるときはそりゃもう最高のノリなんだが、出張先から出張先への移動時間とか、店にいるときとか、食事のときとか、何だかぼーっと空中を見てることが増えた。
 どうしたんですかって聞いても曖昧に笑うだけで答えてくれない。オレに心配かけないためにそうしてんですかって聞いても、「大丈夫ですから」と言うばかり。
 キノピチュ遺跡のディスコ跡が撤去される前の日も師匠の様子はおかしかった。いつもDJやってるときは最高にイカしたノリで場を盛り上げるのに、曲をかけようとして止まってしまったり、ミックスの間が開いたり、その日の師匠は本当に冴えなかった。
「師匠、ほんとにどうしたんですか」
「なんでもないよ、弟子くん。大丈夫ですから」
「それ大丈夫って様子じゃないですよ。悩み事があるならオレが聞きますから、遠慮しないで言ってください」
「大丈夫、大丈夫ですから。明日になったら……いや、明後日か。明後日になったら、きっと元気になりますから」
「師匠、その期限って何です? やっぱり何かあるんじゃないですか。なんで隠すんですか?」
「……君には……」
「オレに言ってもわからないって?」
「言えません」
「師匠、」
「本当にすみません、でもこんな調子じゃ駄目ですよね。オーナーさんに行って明日は休みにしてもらいましょう。君も今日は帰っていいですから」
「師匠!」
「本当に……すまないと、思っているんです、だから……放っておいてください。一日だけ、一日だけでいいですから」
 絶対に何かある。そう思ったオレは、その晩店からこっそり出て行く師匠の後をつけた。
 キノピサンドリアを出て、危険な道を歩いて、歩いて、キノピチュ遺跡の一番上の部屋にこっそり入っていく師匠の後を。
「……、……」
 豪奢な部屋、赤く輝く大きなソファに突っ伏して、師匠は、
「――さん、」
 泣いていた。
 一瞬。大きな感情が吹き荒れ、何もわからなくなった。師匠は何をしているんだ、なんで泣いてるんだ。そこは、そこに誰がいたんだ?
 かつてそこに「誰か」がいた、そのことだけはわかる。おそらくいなくなった、師匠にとってとても大きな大きな「誰か」。
 名前を呼んで泣く師匠に、確かにオレが入る幕はないかもしれないなって、そう思ってしまって、それが何だかとても悔しくて。
 次の日宣言通り師匠は仕事を休んで、オレはというとカフェで一日中コーヒーを飲んで、翌日オレの前に現れた師匠は全くいつも通りの師匠で、
『誰の名前を呼んでたんですか』
 なんて訊けるわけもなく日が落ちる。ギラギラ輝く太陽が沈む。
 師匠は夜だ。決して明けない夜。
 そんな師匠から失われてしまった「何か」は一体何だったのだろうか。
 わからないまま、今日もまた夜が来る。
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