ペーパーマリオオリガミキング

 遠く、忘れたと思っていた。
『よう、元気してたかよ』
 夢に出た、鮮烈な黄色。
 飛び起きた。それ以上夢を見ていたくなかったから。
 あの人は■■、ああ、今になっても忘れられてはいないのだ。



 出勤。感覚が狂っている。フロアは盛り上がったがイマイチ、何かが違う。
「師匠ー!」
「弟子くん、今日もお疲れ」
「なんか調子悪いっすか?」
「あーちょっと、夢見が悪くてね」
「それは心配すね、どんな夢だったんですか?」
 どんな夢?
 どんな?
 ■■。ビビッドイエロー。黄色の残光。とうに沈んだはずの――
「……師匠!」
「あ、ああ、何かな」
「顔色悪いっすよ……本当に大丈夫すか?」
「たぶん大丈夫だよ……夢見たぐらいで死にはしないから」
「まあ……そう、ですかね」
 歯切れが悪い。弟子くんも悪い夢を見たりするのだろうか。
 悪い、夢。
 あれが悪いと言うのなら、まだよかったのだけれど。



 残光。日は高く。
『ようDJ、昨日はさっさと帰っちゃっておれッチ寂しかったぜ』
「なんで今頃出てきたんですか」
『ハ、お言葉だな。そういう時期だってだけじゃないの?』
「そういう時期?」
『オマエは忘れてたみたいだけど? 忘れられなかった? みたいな?』
「……」
 忘れたい。あんなことなんて。
 忘れたい。何一ついいことなんてなかった。
 そのはずなのに。
『折角出てきてやったんだ、感謝しろよ?』
 目の前の黄色を見て、ああ、■しい、と思ってしまった己が何より許せなくて。
 目を閉じた。



「……!」
 飛び起きる。
 明け方。
 外はまだ暗い。
「…………さん」
 呼べ、ない。言葉が出ない。
 過去。あんな目に遭って、許してはいけない邪悪、悪魔、そんなものが■しいなんて間違っているんだ。
 それなのに私は。
 夢なんて嫌いだ、見たくもないものを見せられる。
 誰のせい?
 私のせい?
 わからない。だから嫌なんだ。
 嫌だと言っているのに。



「師匠?」
「あ、ああ、何、かな」
「ぼーっとしてどうしたんすか、また夢見が悪かったんですか?」
「えーとまあ……そんな感じかな」
「心配ですね……」
「まあたぶん、ちょっと体調が悪いだけというか、そんな感じだと思うから」
「体調が悪いのほっといたらだめですよ」
「そりゃまあそうなんだけど」
「今日は帰ったらどうですか? オレ代わりにやっときますし」
「……」
 帰ってもよくならないような気がする。それどころか、ますます悪くなるような。
「師匠?」
「ああ……そうしようかな」
 馬鹿だ私は。なぜ言わないんだ。せっかく心配してくれているのに。
 それとも知られたくないのか?
 わからない。わからない、ふりを、して、
「ほら帰ってください、帰って帰って」
「あ、ありがとう弟子くん、それじゃあ……」



 夢を見る。
 砂漠の夢。
『結局オマエもおれッチのこと■■なんじゃねえの?』
「……え?」
 聞き取れない。欠落。何かが邪魔をしているかのような。
『だから、■■……なに、オマエこれだけ聞こえないの?』
「え……はい」
『なるほどねー!』
 けらけらと笑う、巨大なイエロー。
『オマエそれなら何度もおれッチを見るぜ。これから毎日。休む間もなく。あーあかわいそうに、ずっと囚われたまま』
「パンチさんのせいじゃないんですか」
『おれッチのせい? 違うね。オマエ、自分自身の胸に手を当てて考えてみろよ』
「あなたのせいじゃないですか」
『ハ。馬鹿じゃねーの? おれッチはもう死んだの』
「……」
 死んだ。
 そんなはずは。
 違う、死んだ、そのはず。そんなはずは、なんて、どうしてそんなことを思う?
 どうして、■しいんだ?
 私は。
『あーあイイ顔。空けたくなる』
「…………」
『オマエがそんなんじゃな。残念ですがー、毎日夢に出まーすってな』
「……やめてくださいよ」
 私は言う。
「私の夢に出るのは……とっくに死んだのに」
『おれッチのせいじゃないって言ってるんだけど』
「それでも一部はあなたのせいです」
『ま、それはそうだな。生きてたころのおれッチがあんなことしなきゃこんなことにもなってないわけだし』
「……認めるんですか」
 どうして。
『認めて悪いことがあるか?』
 どうして認めるんですか。
 私は……
 私は、
 それじゃあこの気持ちは、どうすれば。
 どうする?
 何を?
「わからない……」
『わかるか、全員が許されたがってるとは限らねーんだぜ』
「どういう、」
『おれッチはどーでもいいってことだよ。別にこのままオマエの夢に出続けようが、オマエが誰を許せなかろうが、それがオマエ自身であろうが、どうだっていいってこと』
「私、自身……」
『これはジャミングされねーんだな。意味がわかってねーってことか? 面白ェ』
「……」
『お、朝だぜ』
「朝ですって?」
『外がな。そろそろ起きた方がいいんじゃねーの?』
「……」



 果たして外は、朝だった。
 帰ってきたのが昨日の昼だから、どれだけ寝ていたんだ、私は?
 考えたくもない……頭が痛い。
 店主であるがゆえにある程度、出勤時間に幅はある。
 鍵は弟子くんも持っているし。
 とはいえ遅れると心配させてしまう。
 早く用意して行かないと。
 私はしまってあった携帯食料を食べ、荷物を持って、家を出た。
「はよっす」
「おはよう」
「どうでした、休めました?」
「う、まあ、それなりに」
「ひょっとしてまた夢見たんすか?」
「……」
「見たんですね」
「……見たよ」
「そんなに見るとか、どんな夢なんです?」
「……」
「秘密ですか」
「あーいやそういうわけでは……」
「師匠」
 短く呼ばれる。
「なに」
 弟子くんを見る。
 ガスマスクで表情は窺えない。
 いつものことだ。
 いつものこと。
 だが。
「何か隠してますよね」
「隠して、ないよ」
「今じゃない、ずっとだ。これまでずっと……」
「そんなことは」
「もしかして、自分でも気付いてないんすか?」
「……気付いてないようなことは、ないはず、だけど」
「……そう、ですか」
 ふい、と顔を余所に向ける弟子くん。
「そう言うんなら……まあ、そうなんでしょう」
 師匠の中ではね。
 と。
 その言葉が。
 この子は何を知っているんだろう。
 でも。
 知らないはずなんだ。
 何を?
「わからない……」



 夢を見る。
 砂漠の夢。
 相変わらずそれは鮮烈な、黄色。
『どうだ調子は』
「どうと言われましても……」
『変化ナシ、収穫無しか?』
「日常生活の中でそんなに変化するなんてありえませんよ」
『へえ?』
「あんな事件でもなければ、変化なんて」
『ハ』
 黄色は笑う。
『準備ができてねーってことなのかね』
 何がだ。
 ふつ、と感情が湧く。
 そう、私はこの人が憎い。
 憎い、憎くてたまらない。日常を奪ったこの人が。私を変えてしまったこの人が。
 憎くて憎くてたまらない。
 そのはずなんだ、それが正しいはずなんだ。
 そう思うことが。
 だから……
「消えてもらえませんか」
『無理だな』
 即答。
「どうしてですか」
『どうしてってなー。手を当てて考えてみろって言ったろ』
 わからない。わかるはずがない。わかってはいけない。
 私がこの人のことを■■だなんて。
 何が?



「師匠……」
「あ……ごめん、またぼうっとしてたね……」
「ねえ師匠」
 弟子くんが私を見る。
「何かな」
「オレが師匠のこと好きって言ったらどうします?」
「ええ!?」
「例えばですよ例えば。どうします?」
「ど、どうするって……いや……ありがとうだけど……」
「どうするんです」
「どうするって」
「付き合うとか断るとか、あるじゃないですか」
「好きって思っても付き合うとか断るとかにまでならない可能性はあるじゃないか……」
「へえ。どうしてそう思うんです?」
「どうして、って?」
「例えば。実際にそういうことがあったから、とか」
「……、」
「好きだった、けど、ってことが」
 頭が、霧が、引いていく。
 何が、
 実際にあったって?
 何が、誰を、私が、あの人を?
「嘘、だ……」
「オレのこれは嘘ですけど。師匠のそれは嘘じゃないでしょう」
「どうして」
「どうしてって、カンですよ。ムーチョのカン」
「……」
「後はやっときますから、家帰って寝てください」
「………」
「さあ、帰って帰って」



 許されない、と思っていた。
 自分も。あの人も。
 そこに■はなかった、あったとしたらそれは私の勘違いで、錯覚で、病で、病気で。
 おかしい、間違っている、と、そう思うのが正しくて。
 私はあの人のことを憎む、それも正しい。
 憎くて憎くてたまらない。そう思っていれば、■しなくてすむ。後悔しなくてすむ。何も思わなくてすむ。
 それが逃げだったとして、
 私はあの人のことが■■だったのだろうか?



『よう』
「まだ、いたんですか……」
『失礼なこと言うねー。いてほしかったくせに』
「……なんで……」
 私は俯く。
 黄色は消えない。
「私はあなたのことが……――、だったのでしょうか」
『知らねーな。オマエがそう思うならそうなんだろう』
「なんで」
 そうだと言ってくれないんですか。
 出てきたのはあなたからのくせに。
 惑わしたのはあなたのくせに。
「パンチ、さん」
『お、やっと名前呼んだな』
「……」
『知ってるか? 怪異ってものは正体を捉えると力をなくす。それが……』
 消えない、と思っていた黄色が。
 砂漠の太陽が。
 さらり、と形を失ってゆく。
「待って……待ってください」
『あーあかわいいねー呼び止めちゃって。待てないけど』
「パンチさん……私は」
 あなたのことが。
「好き……」
 だった、
『……答え、宙に浮かせたいとこだったけどな。そうだよ。……やっとわかったの? 遅すぎだろ。やっぱりオマエ、』
 馬鹿だなあ。
 と、残して消えた、
 いつもは冷徹な悪魔の声は。
 たぶん私の妄想だったんだろうけど、でも、どこか。
 情のようなものを含んでいた。
 今となってはもう、わからないけれど。



「はあ……」
「今日もぼーっとしてますねー。夢見はどうだったんすか?」
「……まあ、」
「良かったんすか?」
「……え」
「そんな風に見えます」
「うう……」
「良かったですね?」
 始まったことに気付かず、気付いたときには終わっていた、私のそれは叶うことなく。
「オレは師匠のこと諦めてませんからね」
「嘘じゃなかったの!?」
「ふふふ、冗談です」
「どっちなんだい……」
「どっちでも変わらないっすよ。日常なんだから」
「……そう、かな」
「そうです」
「それなら、そうかもしれないね」
 何も変わらず、平坦な日常は続くのだろう。
 過ぎ去った日々に。
 私は見た。
 ビビッドイエローの、太陽の夢。
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