夏の終わりはエメラルドにて【タイロディ+クレス】[Web再録]
◆
◆
◆
退屈な日常を過ごすうちに、夏が来ていた。
拠点の街を囲む木々も無数の葉をつけている。
「……■■■■様」
「……貴様か」
あの薬師が、例の笑みを浮かべて立っていた。
「どうですか、調子は」
「すこぶる良い」
「……それは良かった」
「俺が指輪を手にする日も近いな。貴様もそう思うだろう」
「そうですね」
「指輪を手にした暁には、貴様を徴用してやろう」
「……ありがとうございます。しかし、私は……」
「何だ」
「そうですね……もう……」
一瞬薬師の表情が無くなり、そして、口角が上がる。
「時間ですから」
瞳の色はエメラルド。深い森の奥の、湖の色。
嫌な予感がした。
最近の此奴は穏やかであり、逆らうことも不可解な態度を取ることもなくなっていた。……完全に征服した、と思っていた。
だが。
今。目の前の男が己の知らぬ何者かに変貌しようとしているかのような、そんな予感。
馬鹿馬鹿しい。俺は此奴を征服している。
しかし。
「貴方が白くなっても、犯した罪が消えるわけではありません」
俺の罪だと?
「何が言いたい」
「罪には罰を、と言ったのは、貴方です」
「……貴様は俺を■すつもりか?」
「いえ。いいえ。私が貴方を■すなど、とんでもない」
「それなら、どうするつもりだ」
「そうですね……本当は『思い出して』いただきたいところなのですが」
「俺は俺だ。思い出すも何も、忘れたことなどない」
「ええ……存じております。貴方は『本当の』貴方ではない……」
「本当の、だと?」
「そう……貴方は白くなってしまったのです」
「簡潔に説明しろ、薬師」
「では、そのように。貴方は……■■■■様、貴方はご自分のことを何だと思ってらっしゃるのです?」
「俺は■■■■……権力を極めし者だ」
「そうですよね……でも」
「…………」
「あの人は、もう死んでいる」
「あの人……?」
「貴方は■■■■であって、あの人ではない……だから、貴方に罪はない……そう考えることもできますが」
「俺に罪がない、それは当然のことだ」
「ですが……私には罪がある」
「ほう、貴様は罪人だったのか?」
「ええ。私は己の妻と子を殺しました」
「それなら俺が裁いてやろう」
あの時、浜辺で約束したように。
しかし。
ロディオンは、笑う。
「貴方にそれが、できますか?」
「俺は何人もの罪人に罰を与えてきた。それは貴様にも、」
「できませんよ、貴方には。強く傲慢に見えて、その実臆病な貴方には。罰することも、裁くこともできません」
「……虚偽だ」
「真実です。……私の罪は濯がれることはない。貴方の罪も……誰かが責任を取らなければいけない」
「俺に罪などない。罪人はお前だけだろう……薬師」
「本当にそう思います? あの時、浜辺に立ちながら……貴方は考えていたはずです」
「考えてなどいない」
「いいえ。わかりますよ、私と貴方は同罪なのですから」
「何を根拠に……」
「貴方には消せない罪がある。白い貴方にそれを問うのは酷かもしれませんが……」
「俺は罪など……」
「いいえ。貴方には罪がある」
「何を考えている……ロディオン」
「私はただ、赦すだけです。貴方を。私自身を。そしてこの世の罪の全てを」
「要領を得んな。貴様、ついに狂ったか」
「さて、私がおかしいのか、貴方がおかしいのか」
「俺は正気だ……少なくとも俺の記憶のある限りは」
「その記憶が『真実』だと……誰が言いましたか?」
ケープが風ではためいて、薬師の姿が大きく見える。
「貴方は知っているはずですよ……貴方の中に、霞(かす)んだ記憶があることを」
「…………」
霞んだ記憶。
そんなものは覇者に必要ない。
そのはずで。
「ねえ、■■■■様……」
「…………」
「まだ、思い出せませんか?」
◆
「…………」
目が覚める。
耳障りな鼓動が響いている。
「……夢、か」
いつもなら隣に寝ているはずの薬師が、いない。
それならば今日は共寝をしなかったのだろう。
初夏の夜は存外涼しく、夜風が花の香を運ぶ。
『まだ、思い出せませんか?』
「…………」
記憶の片隅に、靄(もや)がかかった場所がある。
思い出そうとすると消える、それならばそれは最初から「無かった」のだろう、と。
何を?
あの男は。
俺に罪などない。緋翼のトップともあろう俺に。いずれは聖火騎士団長となろう俺に。神である俺に。罪などあるわけがない。
消した者も。潰した者も。皆、俺に感謝しているはずだ。
俺という「権力を極めし者」に命を消してもらえたことは奴らにとっては光栄なことで、その栄誉は何者にも代えがたい。
『貴方の罪は』
罪などない。罪など。
あるはずがない。
『本当に?』
桜が纏わり付く夢。
馬鹿な。
『■されたい?』
海の亡者の声。
俺は何を■れている?
……わからなかった。
この■■■■ともあろう者にわからないことがあるなど許せるはずもない。
……それなら、原因を■してしまえばいいのだ。
ずっとそうしてきた。
わからないものは潰してきた。
それが、権力を持った者の道だからだ。
権力を持つ者が、何かを「わからないままでいる」という事実。そんなことが露見しては、愚民共に嘗められる。
そんなことは許されない。
だから……
そうだ。俺はあの薬師を、■さなければいけない。
そう、決意した。
◆
「…………」
「ふふ。いらっしゃると思っていました」
「…………」
薬師をベッドに勢いよく押し倒す。
「ふ。私を……どうしますか?」
「…………」
「ふふ、ふふ……かつて気に入らない者全てにそうしてきたように……私を、■しますか?」
「…………」
手を、伸ばす。
その首を、
……――!
◇
……記憶。いつかの冬のエンバーグロウ。
流れ者の薬師、グレース熱の「新薬」の製法を持つ男。聞けば病で妻子を失ったという。
新薬を交渉カードにすれば、きっと俺の権力は増す。
「新薬開発のため、妻子を犠牲にした」という罪状で、男は緋翼に徴用された。
『それを罰だと言うならば、受け入れるしかありませんね』
と男は言った。
薬師は志を持ち、扱いにくい男だった。新薬の製造ラインを確立した後は適当に廃棄でもしてしまおう。そう思っていた。
しかし。
……白い肌にしなやかな体躯、エメラルドの瞳にゆるやかに弧を描く唇。男は見目がよかった。
これは廃棄にしなくとも使い出がある。
俺は気まぐれに男を抱いた。
何の意図があったのかは知らぬが、男は抵抗しなかった。逆三日月型に目を細め、口角を上げて俺を見て、
『貴方は寂しい人ですね』
と、言った。
『黙れ、薬師』
『黙ってほしいならば黙りますよ。けれど』
『……』
『私が黙れば貴方は一人になってしまいますから』
ね、と言って、俺の頬に手を添える。
瞬間、ぞくりと震えが走る。
『タイタス様』
『……』
『私は貴方を赦します』
男には不可解な魅力があった。
抱いた者を病みつきにさせるような、何かが。
褥は一週間に一度になり、隔日になり、そして毎日になった。
『お前は俺を赦すと言ったが、俺に罪などない』
『ええ。タイタス様、貴方に罪はありません』
『俺は寂しい人間などではない』
『ええ。タイタス様、貴方は寂しい人間などではありません』
『だったら薬師、俺は一体何なのだ』
『貴方はタイタス……迷える獣』
『薬師、貴様の言うことはわからん』
『大丈夫。貴方は本当はわかっています』
『権力者にわからぬことがあってはならぬのだ』
『貴方は全てを知ってらっしゃいますよ。大丈夫。皆、貴方を尊敬しているのです』
『本当か、薬師』
『ええ、もちろん』
『………』
夜伽が、「名前を呼ぶ」ようになってゆく。
その存在を認めてしまう。
『ロディオン、ロディオン……俺を、赦すか』
『ええ、ええ、赦しますとも……私は全てを赦します』
「酷く抱く」が次第に「縋るように抱く」に変わり。
俺は薬師を支配していた。
それだけは紛れもない現実のはず。
「ロディオン」は、いつでもエメラルドの瞳に俺を映していた。
『ロディオン……俺は罪など犯していない』
『そうですとも。貴方は罪など犯していません』
最後の夜も、それは同じで。
『ロディオン……夜が長すぎるのだ』
『ええ、長いですね。けれども私が守ってあげます。貴方をずっと、永久に』
『ロディオン、ずっと傍にいろ』
『もちろんです』
『俺が死んでも傍にいろ』
『当然ですよ』
『それならロディオン、俺はお前を……』
ロディオンは笑う。ゆるやかに。
エメラルドが俺を映す。
そして――
◇
◇
◇
深夜。嫌な予感がして駆けつけてみれば、目の前にはぐったりしたロディオンと、蒼白な顔の■■■■がいた。
「■■■■、貴様、ロディオンに何をした……!」
「な、……」
■■■■の返答は言葉になっておらず、全く要領を得ない。
「…………ロディオン! ロディオン、大丈夫か」
ロディオンは答えない。
ただ、浅く息をしている。
「今、他の薬師を呼ぶから……」
「いいんです」
「何が……!」
「いいんです、クレス」
「いいわけあるか、お前は……!」
「私は大丈夫です、だから……」
「ロディオン……!」
「……今晩、出立します。見送りはいりません」
「そんな様子で出立できるはずがない、休んでからに、」
「いいえ」
ロディオンはきっぱりと俺の申し出を断った。
「■■■■様と一緒に出ますよ……彼は私の守護騎士になってくださるそうですから。ねえ、■■■■様?」
「…………」
■■■■は憔悴した様子で黙っている。
「そうなのか、■■■■」
「ああ……そうだ」
頷く■■■■。
「ふふ……」
ロディオンが笑う。
「ねえクレス」
「何だ」
「あなたたちとの時間は楽しかった」
「…………」
「私はもう、いなくなってしまいますが……私のことは忘れてください」
「ロディオン、」
「いけませんよ。詮索しない……それが私たちの決まりだったはず」
「だが…………」
「罪なき子は眠る時間です」
「ロディオン」
「私のことを思うなら……黙って私を見送ってください」
「…………」
ロディオンのことを思うなら。
ロディオンに気を遣うなら。
俺たちの関係性は……
「……わかった……ロディオン」
「はい」
「必ず、戻れ」
「ふふ……」
笑う。
花のように。
それが、俺の見たこいつの最後の表情になった。
◆
◆
◆
[chapter:終章 ]
それから。
俺――■■■■と呼ばれていた男と、薬師――ロディオン、は、かつて治めた地まで旅をして、「俺」の死後もその地が栄えているのを見た。
紅い雪。
割れた小瓶。
忌まわしき思い出だ。
だがそれももう、遠い。
俺は一度死に、此奴も一度死んだ。
そして、二人とも「生き返った」らしい。
どのみち死者はこの世に留まっていてはいけない。罪には罰を、罪人には死を。
「おしまいですね」
リバーランドの川辺でロディオンが呟く。
「…………ああ」
「私を恨みますか?」
問うたその顔には、いつもの笑み。
「いや。俺は貴様を……存外気に入っていたのかもしれん」
「ふふ……」
ロディオンはおかしそうに笑う。
「ねえ、■■■■様」
「名前で呼べ。俺はもう、俺だ」
「ふふ……タイタス」
「何だ、ロディオン」
「私たちは……出会えてよかったのでしょうか、ねえ?」
俺は少し考えて、答える。
「良かった、と思いたいところだな。しかし……ともすれば、俺たちが出会ったことそのものが罪だったのかもしれんが」
「罪、ですか。ふふ……けれども」
その先に続く言葉を、俺は知っている。
「けれどもお前が赦してくれるのだろう?」
「もちろんですとも。赦します。私は全てを赦します」
「ロディオン……」
人が人の罪を赦すことなどできないのだとしても、神か救世主にしかそれが赦されないのだとしても、此奴は全て背負って逝くつもりなのだろう。
ずっと一緒、と此奴は言った。
義理立てするわけではないが、此奴とずっといられるのなら、こんな最後も悪くはない。そう思う俺はもう「白い」俺でもなく、「古い」俺でもなく、エメラルドの瞳に存在を染められた「タイタス」だった。
「ええ。わかっていますとも」
追憶は儚い。
自らにそのような言葉が似合うとはついぞ思ったこともなかったが。
そうして――
◆
◆
◆
「レス……クレス!」
「何だ、騒々しい」
「まーたシケたツラで酒飲んでんなぁ」
「…………」
「ま、シケたツラにもなるか。あんなことがあっちゃな」
「…………」
「ほらよ、クレス」
ギルデロイがカウンターに何かを置く。
傷だらけの緑の宝石がついた、宝飾品だ。
見覚えがあった。ありすぎるほどに。
「これは」
「あの薬師が胸につけてたやつだろ」
「どうしてお前が持っている」
「リプルタイドの浜辺で見つかったらしくてな。コネで回ってきた」
浜辺。
それは、つまり。
「お前さんが持ってた方がいいかと思ってな」
「…………」
黙って宝飾品を握り込み、俯く。
「泣いてもいいんだぜ」
「泣かない」
「強がっちゃって」
「落ち込んでるのはお前もだろう」
「おっと、反撃かぁ~?」
ギルデロイが両手を広げる。
「ロディオンは……俺たちの仲間だった」
「あたぼうよ。あの薬師は俺たちの立派な仲間だったさ」
「俺は……■■■■を憎むべきなのだろうか」
「どうかね」
「復讐は……もう、する気がない。■■■■はもう、死んだし」
ギルデロイは片腕をカウンターにかけてこちらを見ている。
「あいつ……ロディオンがそうしたかったなら……それを応援するのが……友人で。それがあいつ自身の死だったとしても……」
「…………」
「それがあいつの……本当の望みだったのなら。俺は……」
「…………クレス」
「ギル…………」
「泣きたいときは泣け。俺も悲しいから泣く」
「お前は泣いていないだろう」
「心で泣いてんだよ」
「はあ……」
馬鹿らしい。
軽薄なこいつ。
けれどもそれは、「俺に気を遣って」のことで。
「馬鹿だな、お前は」
「なっ……何だ急に!」
「だが……嫌いじゃない」
「はあ⁉ 告白かぁ~?」
「シリアスな雰囲気をぶち壊しにするのはやめろ」
「ははは! ……そんじゃま、俺も飲むとしますか」
「注いでやろう」
「おう! なみなみ頼むぜ!」
「……乾杯」
「乾杯」
そうして、夏が終わった。
◆
『夏の終わりはエメラルドにて』
◆
[chapter:██████████]
◆
「……様、タイタス様」
呼び声がして、目を開ける。
「気が付かれましたか」
緑色の瞳。ブラウンの髪。
「ロディオンか……? ……俺は、」
「随分ひどい目に遭われていたようですが」
記憶を、辿ろうとする。
黒い炎。
狂気に染まった男。
「……」
俺は一つ、息を吐く。
「まあ、彼にも彼の事情があったのでしょうし」
「そんな言葉を聞きたいのではないが」
「ああ、ここがどこかという話ですか」
「む……」
「ここは虚無ですよ。消えた魂が来るところ」
「虚無だと?」
「辺獄で消えた魂は虚無に行くと……あの方が言っていたでしょう」
「……知らんな」
「そうですね、確かにどうでもいいことかもしれません」
「ああ」
「ここには誰もおりませんから」
「ずっと一人で待っていたのか?」
「一人で溶けるのは寂しいですからね」
「お前に寂しいなどという感情があったとは」
「寂しがりですよ、私は」
「ほう?」
「貴方がいないと……」
「いつになく、しおらしいが」
「何も企んでなどいませんよ。純粋な気持ちです」
「フン……お前も死ぬと可愛らしくなるのだな」
「ふふ……」
ロディオンが笑う。
「完全に溶けるまで、一緒にいてください」
「……」
すらりと白い手が伸びてきて、俺の手を取る。
「ね?」
「……この俺と最後まで一緒にいられることを光栄に思うがいい」
「ふふ。それでこそ貴方です」
「………ロディオン」
「ええ、タイタス」
「………、する」
笑う、ロディオン。
その顔は、これまで一度も見たことのない、心の底からの笑顔。
――そうして、旅は終わった。
[番外編:『虚無にて』]
[了]
世界は閉じ。
回る、
そして――
[夢を出る]
[神々の“終わった夢”の“外”に出た]
◆
◆
退屈な日常を過ごすうちに、夏が来ていた。
拠点の街を囲む木々も無数の葉をつけている。
「……■■■■様」
「……貴様か」
あの薬師が、例の笑みを浮かべて立っていた。
「どうですか、調子は」
「すこぶる良い」
「……それは良かった」
「俺が指輪を手にする日も近いな。貴様もそう思うだろう」
「そうですね」
「指輪を手にした暁には、貴様を徴用してやろう」
「……ありがとうございます。しかし、私は……」
「何だ」
「そうですね……もう……」
一瞬薬師の表情が無くなり、そして、口角が上がる。
「時間ですから」
瞳の色はエメラルド。深い森の奥の、湖の色。
嫌な予感がした。
最近の此奴は穏やかであり、逆らうことも不可解な態度を取ることもなくなっていた。……完全に征服した、と思っていた。
だが。
今。目の前の男が己の知らぬ何者かに変貌しようとしているかのような、そんな予感。
馬鹿馬鹿しい。俺は此奴を征服している。
しかし。
「貴方が白くなっても、犯した罪が消えるわけではありません」
俺の罪だと?
「何が言いたい」
「罪には罰を、と言ったのは、貴方です」
「……貴様は俺を■すつもりか?」
「いえ。いいえ。私が貴方を■すなど、とんでもない」
「それなら、どうするつもりだ」
「そうですね……本当は『思い出して』いただきたいところなのですが」
「俺は俺だ。思い出すも何も、忘れたことなどない」
「ええ……存じております。貴方は『本当の』貴方ではない……」
「本当の、だと?」
「そう……貴方は白くなってしまったのです」
「簡潔に説明しろ、薬師」
「では、そのように。貴方は……■■■■様、貴方はご自分のことを何だと思ってらっしゃるのです?」
「俺は■■■■……権力を極めし者だ」
「そうですよね……でも」
「…………」
「あの人は、もう死んでいる」
「あの人……?」
「貴方は■■■■であって、あの人ではない……だから、貴方に罪はない……そう考えることもできますが」
「俺に罪がない、それは当然のことだ」
「ですが……私には罪がある」
「ほう、貴様は罪人だったのか?」
「ええ。私は己の妻と子を殺しました」
「それなら俺が裁いてやろう」
あの時、浜辺で約束したように。
しかし。
ロディオンは、笑う。
「貴方にそれが、できますか?」
「俺は何人もの罪人に罰を与えてきた。それは貴様にも、」
「できませんよ、貴方には。強く傲慢に見えて、その実臆病な貴方には。罰することも、裁くこともできません」
「……虚偽だ」
「真実です。……私の罪は濯がれることはない。貴方の罪も……誰かが責任を取らなければいけない」
「俺に罪などない。罪人はお前だけだろう……薬師」
「本当にそう思います? あの時、浜辺に立ちながら……貴方は考えていたはずです」
「考えてなどいない」
「いいえ。わかりますよ、私と貴方は同罪なのですから」
「何を根拠に……」
「貴方には消せない罪がある。白い貴方にそれを問うのは酷かもしれませんが……」
「俺は罪など……」
「いいえ。貴方には罪がある」
「何を考えている……ロディオン」
「私はただ、赦すだけです。貴方を。私自身を。そしてこの世の罪の全てを」
「要領を得んな。貴様、ついに狂ったか」
「さて、私がおかしいのか、貴方がおかしいのか」
「俺は正気だ……少なくとも俺の記憶のある限りは」
「その記憶が『真実』だと……誰が言いましたか?」
ケープが風ではためいて、薬師の姿が大きく見える。
「貴方は知っているはずですよ……貴方の中に、霞(かす)んだ記憶があることを」
「…………」
霞んだ記憶。
そんなものは覇者に必要ない。
そのはずで。
「ねえ、■■■■様……」
「…………」
「まだ、思い出せませんか?」
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「…………」
目が覚める。
耳障りな鼓動が響いている。
「……夢、か」
いつもなら隣に寝ているはずの薬師が、いない。
それならば今日は共寝をしなかったのだろう。
初夏の夜は存外涼しく、夜風が花の香を運ぶ。
『まだ、思い出せませんか?』
「…………」
記憶の片隅に、靄(もや)がかかった場所がある。
思い出そうとすると消える、それならばそれは最初から「無かった」のだろう、と。
何を?
あの男は。
俺に罪などない。緋翼のトップともあろう俺に。いずれは聖火騎士団長となろう俺に。神である俺に。罪などあるわけがない。
消した者も。潰した者も。皆、俺に感謝しているはずだ。
俺という「権力を極めし者」に命を消してもらえたことは奴らにとっては光栄なことで、その栄誉は何者にも代えがたい。
『貴方の罪は』
罪などない。罪など。
あるはずがない。
『本当に?』
桜が纏わり付く夢。
馬鹿な。
『■されたい?』
海の亡者の声。
俺は何を■れている?
……わからなかった。
この■■■■ともあろう者にわからないことがあるなど許せるはずもない。
……それなら、原因を■してしまえばいいのだ。
ずっとそうしてきた。
わからないものは潰してきた。
それが、権力を持った者の道だからだ。
権力を持つ者が、何かを「わからないままでいる」という事実。そんなことが露見しては、愚民共に嘗められる。
そんなことは許されない。
だから……
そうだ。俺はあの薬師を、■さなければいけない。
そう、決意した。
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「…………」
「ふふ。いらっしゃると思っていました」
「…………」
薬師をベッドに勢いよく押し倒す。
「ふ。私を……どうしますか?」
「…………」
「ふふ、ふふ……かつて気に入らない者全てにそうしてきたように……私を、■しますか?」
「…………」
手を、伸ばす。
その首を、
……――!
◇
……記憶。いつかの冬のエンバーグロウ。
流れ者の薬師、グレース熱の「新薬」の製法を持つ男。聞けば病で妻子を失ったという。
新薬を交渉カードにすれば、きっと俺の権力は増す。
「新薬開発のため、妻子を犠牲にした」という罪状で、男は緋翼に徴用された。
『それを罰だと言うならば、受け入れるしかありませんね』
と男は言った。
薬師は志を持ち、扱いにくい男だった。新薬の製造ラインを確立した後は適当に廃棄でもしてしまおう。そう思っていた。
しかし。
……白い肌にしなやかな体躯、エメラルドの瞳にゆるやかに弧を描く唇。男は見目がよかった。
これは廃棄にしなくとも使い出がある。
俺は気まぐれに男を抱いた。
何の意図があったのかは知らぬが、男は抵抗しなかった。逆三日月型に目を細め、口角を上げて俺を見て、
『貴方は寂しい人ですね』
と、言った。
『黙れ、薬師』
『黙ってほしいならば黙りますよ。けれど』
『……』
『私が黙れば貴方は一人になってしまいますから』
ね、と言って、俺の頬に手を添える。
瞬間、ぞくりと震えが走る。
『タイタス様』
『……』
『私は貴方を赦します』
男には不可解な魅力があった。
抱いた者を病みつきにさせるような、何かが。
褥は一週間に一度になり、隔日になり、そして毎日になった。
『お前は俺を赦すと言ったが、俺に罪などない』
『ええ。タイタス様、貴方に罪はありません』
『俺は寂しい人間などではない』
『ええ。タイタス様、貴方は寂しい人間などではありません』
『だったら薬師、俺は一体何なのだ』
『貴方はタイタス……迷える獣』
『薬師、貴様の言うことはわからん』
『大丈夫。貴方は本当はわかっています』
『権力者にわからぬことがあってはならぬのだ』
『貴方は全てを知ってらっしゃいますよ。大丈夫。皆、貴方を尊敬しているのです』
『本当か、薬師』
『ええ、もちろん』
『………』
夜伽が、「名前を呼ぶ」ようになってゆく。
その存在を認めてしまう。
『ロディオン、ロディオン……俺を、赦すか』
『ええ、ええ、赦しますとも……私は全てを赦します』
「酷く抱く」が次第に「縋るように抱く」に変わり。
俺は薬師を支配していた。
それだけは紛れもない現実のはず。
「ロディオン」は、いつでもエメラルドの瞳に俺を映していた。
『ロディオン……俺は罪など犯していない』
『そうですとも。貴方は罪など犯していません』
最後の夜も、それは同じで。
『ロディオン……夜が長すぎるのだ』
『ええ、長いですね。けれども私が守ってあげます。貴方をずっと、永久に』
『ロディオン、ずっと傍にいろ』
『もちろんです』
『俺が死んでも傍にいろ』
『当然ですよ』
『それならロディオン、俺はお前を……』
ロディオンは笑う。ゆるやかに。
エメラルドが俺を映す。
そして――
◇
◇
◇
深夜。嫌な予感がして駆けつけてみれば、目の前にはぐったりしたロディオンと、蒼白な顔の■■■■がいた。
「■■■■、貴様、ロディオンに何をした……!」
「な、……」
■■■■の返答は言葉になっておらず、全く要領を得ない。
「…………ロディオン! ロディオン、大丈夫か」
ロディオンは答えない。
ただ、浅く息をしている。
「今、他の薬師を呼ぶから……」
「いいんです」
「何が……!」
「いいんです、クレス」
「いいわけあるか、お前は……!」
「私は大丈夫です、だから……」
「ロディオン……!」
「……今晩、出立します。見送りはいりません」
「そんな様子で出立できるはずがない、休んでからに、」
「いいえ」
ロディオンはきっぱりと俺の申し出を断った。
「■■■■様と一緒に出ますよ……彼は私の守護騎士になってくださるそうですから。ねえ、■■■■様?」
「…………」
■■■■は憔悴した様子で黙っている。
「そうなのか、■■■■」
「ああ……そうだ」
頷く■■■■。
「ふふ……」
ロディオンが笑う。
「ねえクレス」
「何だ」
「あなたたちとの時間は楽しかった」
「…………」
「私はもう、いなくなってしまいますが……私のことは忘れてください」
「ロディオン、」
「いけませんよ。詮索しない……それが私たちの決まりだったはず」
「だが…………」
「罪なき子は眠る時間です」
「ロディオン」
「私のことを思うなら……黙って私を見送ってください」
「…………」
ロディオンのことを思うなら。
ロディオンに気を遣うなら。
俺たちの関係性は……
「……わかった……ロディオン」
「はい」
「必ず、戻れ」
「ふふ……」
笑う。
花のように。
それが、俺の見たこいつの最後の表情になった。
◆
◆
◆
[chapter:終章 ]
それから。
俺――■■■■と呼ばれていた男と、薬師――ロディオン、は、かつて治めた地まで旅をして、「俺」の死後もその地が栄えているのを見た。
紅い雪。
割れた小瓶。
忌まわしき思い出だ。
だがそれももう、遠い。
俺は一度死に、此奴も一度死んだ。
そして、二人とも「生き返った」らしい。
どのみち死者はこの世に留まっていてはいけない。罪には罰を、罪人には死を。
「おしまいですね」
リバーランドの川辺でロディオンが呟く。
「…………ああ」
「私を恨みますか?」
問うたその顔には、いつもの笑み。
「いや。俺は貴様を……存外気に入っていたのかもしれん」
「ふふ……」
ロディオンはおかしそうに笑う。
「ねえ、■■■■様」
「名前で呼べ。俺はもう、俺だ」
「ふふ……タイタス」
「何だ、ロディオン」
「私たちは……出会えてよかったのでしょうか、ねえ?」
俺は少し考えて、答える。
「良かった、と思いたいところだな。しかし……ともすれば、俺たちが出会ったことそのものが罪だったのかもしれんが」
「罪、ですか。ふふ……けれども」
その先に続く言葉を、俺は知っている。
「けれどもお前が赦してくれるのだろう?」
「もちろんですとも。赦します。私は全てを赦します」
「ロディオン……」
人が人の罪を赦すことなどできないのだとしても、神か救世主にしかそれが赦されないのだとしても、此奴は全て背負って逝くつもりなのだろう。
ずっと一緒、と此奴は言った。
義理立てするわけではないが、此奴とずっといられるのなら、こんな最後も悪くはない。そう思う俺はもう「白い」俺でもなく、「古い」俺でもなく、エメラルドの瞳に存在を染められた「タイタス」だった。
「ええ。わかっていますとも」
追憶は儚い。
自らにそのような言葉が似合うとはついぞ思ったこともなかったが。
そうして――
◆
◆
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「レス……クレス!」
「何だ、騒々しい」
「まーたシケたツラで酒飲んでんなぁ」
「…………」
「ま、シケたツラにもなるか。あんなことがあっちゃな」
「…………」
「ほらよ、クレス」
ギルデロイがカウンターに何かを置く。
傷だらけの緑の宝石がついた、宝飾品だ。
見覚えがあった。ありすぎるほどに。
「これは」
「あの薬師が胸につけてたやつだろ」
「どうしてお前が持っている」
「リプルタイドの浜辺で見つかったらしくてな。コネで回ってきた」
浜辺。
それは、つまり。
「お前さんが持ってた方がいいかと思ってな」
「…………」
黙って宝飾品を握り込み、俯く。
「泣いてもいいんだぜ」
「泣かない」
「強がっちゃって」
「落ち込んでるのはお前もだろう」
「おっと、反撃かぁ~?」
ギルデロイが両手を広げる。
「ロディオンは……俺たちの仲間だった」
「あたぼうよ。あの薬師は俺たちの立派な仲間だったさ」
「俺は……■■■■を憎むべきなのだろうか」
「どうかね」
「復讐は……もう、する気がない。■■■■はもう、死んだし」
ギルデロイは片腕をカウンターにかけてこちらを見ている。
「あいつ……ロディオンがそうしたかったなら……それを応援するのが……友人で。それがあいつ自身の死だったとしても……」
「…………」
「それがあいつの……本当の望みだったのなら。俺は……」
「…………クレス」
「ギル…………」
「泣きたいときは泣け。俺も悲しいから泣く」
「お前は泣いていないだろう」
「心で泣いてんだよ」
「はあ……」
馬鹿らしい。
軽薄なこいつ。
けれどもそれは、「俺に気を遣って」のことで。
「馬鹿だな、お前は」
「なっ……何だ急に!」
「だが……嫌いじゃない」
「はあ⁉ 告白かぁ~?」
「シリアスな雰囲気をぶち壊しにするのはやめろ」
「ははは! ……そんじゃま、俺も飲むとしますか」
「注いでやろう」
「おう! なみなみ頼むぜ!」
「……乾杯」
「乾杯」
そうして、夏が終わった。
◆
『夏の終わりはエメラルドにて』
◆
[chapter:██████████]
◆
「……様、タイタス様」
呼び声がして、目を開ける。
「気が付かれましたか」
緑色の瞳。ブラウンの髪。
「ロディオンか……? ……俺は、」
「随分ひどい目に遭われていたようですが」
記憶を、辿ろうとする。
黒い炎。
狂気に染まった男。
「……」
俺は一つ、息を吐く。
「まあ、彼にも彼の事情があったのでしょうし」
「そんな言葉を聞きたいのではないが」
「ああ、ここがどこかという話ですか」
「む……」
「ここは虚無ですよ。消えた魂が来るところ」
「虚無だと?」
「辺獄で消えた魂は虚無に行くと……あの方が言っていたでしょう」
「……知らんな」
「そうですね、確かにどうでもいいことかもしれません」
「ああ」
「ここには誰もおりませんから」
「ずっと一人で待っていたのか?」
「一人で溶けるのは寂しいですからね」
「お前に寂しいなどという感情があったとは」
「寂しがりですよ、私は」
「ほう?」
「貴方がいないと……」
「いつになく、しおらしいが」
「何も企んでなどいませんよ。純粋な気持ちです」
「フン……お前も死ぬと可愛らしくなるのだな」
「ふふ……」
ロディオンが笑う。
「完全に溶けるまで、一緒にいてください」
「……」
すらりと白い手が伸びてきて、俺の手を取る。
「ね?」
「……この俺と最後まで一緒にいられることを光栄に思うがいい」
「ふふ。それでこそ貴方です」
「………ロディオン」
「ええ、タイタス」
「………、する」
笑う、ロディオン。
その顔は、これまで一度も見たことのない、心の底からの笑顔。
――そうして、旅は終わった。
[番外編:『虚無にて』]
[了]
世界は閉じ。
回る、
そして――
[夢を出る]
[神々の“終わった夢”の“外”に出た]
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