夏の終わりはエメラルドにて【タイロディ+クレス】[Web再録]




 ――ここは、“どこ”だ。
 ――俺は……“誰”だ、



 紫色の明かりが立ちこめる空間。目の前には白髪の男が驚いた顔でこちらを見ている。
 その指には、聖火神の指輪。
 そうだ。
 私は■■■■、オルステラを異民族から救った英雄。
 目の前にいる男が誰かは知らんが、傍で監視しいずれは指輪を奪ってやろう。
 そう思って顔を上げて、
 部屋の隅で蒼白な顔をしている優男と、目が合った。





「……貴様は誰だ」
 街外れの丘、一人夜空を見上げていた優男。
 探して来たわけではない。
 旅団の拠点であろうこの街を視察していたら、ここに行き当たった。
 それだけだ。
「…………」
「貴様は誰だ、と問うている」
「そう、ですか。貴方は、もう……」
「……?」
 不可解な態度。
 それが何であるのかわからないから、腹が立つ。
「どうした、歯切れの悪い奴だ。この私に名乗ってみせろ」
「私は……ロディオン。薬師のロディオンです」
「ロディオン。ロディオンか」
 名を、反芻する。
 その響きはどこかで聞いたような、しかし思い出そうとすると靄(もや)がかかったように記憶が霞(かす)み、何も存在しなくなる。
 ロディオン。
 それは、俺の知らない名前だった。
「嫌な……名だ」
「ふふ。そうですね」
 微笑む薬師。
 その笑みもまた、気に入らん。
「……いずれ貴様も私に傅(かしず)くことになる。楽しみにしていろ」
「そうでしょうか?」
 傾げられた首が、すらりと白い。
「でもね……貴方が私を傅かせたいなら」
 薬師、が、ロディオンが、俺の両頬にするりと手を当てる。
 反射的に身を引いてしまい、舌打ちをする。
「……私を心から支配してみせることです。権力を極めし者……その名に相応しく、ね」
「……貴様」
 唸るように声を出す。
「おや。どうされました?」
 薬師の笑みは崩れない。
「……この■■■■様に許可なく手を触れるなど」
「ふふ……。貴方、もしかして、怖いのですか?」
「怖い? ……俺が?」
 こんな優男を?
「何を馬鹿な。愚かなのは見た目だけにしておけ」
「ふふ、ふふ……」
 可笑しそうに笑う、薬師。
「何が可笑しい」
「貴方こそ、私の何がそんなに気に入らないのです? ふふ……」
 その姿が、なぜか、体躯に合わず大きく見えて。
 ぎょっとしそうになる己を抑え付ける。
 ……俺は何を思った?
 こんな奴に嘗(な)められて、黙っているなど。
「口には気を付けろ、薬師。命が惜しければな」
「おやおや……そのような使い古された脅し文句を使うような方でしたか、貴方は?」
「貴様に俺の何がわかる」
 威圧するように、言う。
「わかりますよ。私は……貴方のことなら全て、ね」
「なるほど、貴様は俺を知っていると。俺は英雄だからな。各地に名も知れている……調べたのか、俺のことを」
「いいえ?」
 薬師はゆっくりと首を横に振る。
「調べなくてもわかります」
「さてはエンバーグロウの者か」
「エンバーグロウ。その名前の場所にいたことも、ありましたね」
 そこで俺は得心が行った。
 そうだ、此奴はきっと俺が治めるエンバーグロウにいた民なのだ。
 どうせ口さがない噂で俺のことを知っているつもりになっただけの愚民だろう。
「それなら尚更頷ける。だが、貴様が俺の何を知っているとて、それを以て俺に優位に立とうなんぞ滑稽極まりない」
「……」
 ロディオンは柔和な笑みを浮かべたままだ。
 いや……柔和、と言うには少し……
 わからなかった。
 この違和感を、言葉にすることができなかった。
 それにますます腹が立って、薬師の胸ぐらを掴む。
 持ち上げたその体躯は斧を扱うにしては軽すぎて、余計な何かを考えそうになる己を抑え付ける。
「いいか。この■■■■様を愚弄するなぞ神を愚弄するに等しい行為だと知れ。貴様と愚民共の命が惜しければ、もっと下手に出るのだ。俺は大陸の覇者……英雄なのだからな」
 持ち上げられながらもロディオンは笑みを崩さず、その緑色の目でただ俺を見ている。
 緑色。
 の。
「何をしている、■■■■」
 そこに入る、銀色の影。
 影は俺の手元から薬師をさらうと着地する。
「クレス。権力を極めし者さんは私とお話ししていたのです」
「……お話しする、という雰囲気ではないように見えたが」
「いいえ。和やかにお話ししておりましたよ。ねえ?」
 薬師が俺を見る。
 大事にしたくないのか?
 ともあれ俺も風聞を広められては今後の行動に支障が出そうだと思い、肯定する。
「そうだ。私とこの薬師は『和やかにお話し』していた」
「…………」
 銀髪の男が俺を睨み付ける。
 好かん目だ。
 俺が踏み潰してきた屑共と同じ目をしている。
「…………」
「クレス、大丈夫ですから」
「ロディオン、言いたいことがあるなら後で話してくれ。■■■■、貴様は宿に戻れ」
「貴様に指図されなくとも、戻ろうと思っていた」
「ウィンゲート」
「ああ」
 闇夜からもう一人、黒い影が飛び降りる。
「ご丁寧に見張り付きか。随分と警戒されたものだ」
「……ロディオン、行くぞ」
「ええ。では、■■■■さん……また」
 抱え上げられながら、笑顔で手を振るロディオン。
 俺は舌打ちをする。
「行くぞ、■■■■」
 ウィンゲートとかいうどうでもいい小僧にせっつかれ、私も歩き出す。
 ……嫌な夜だった。
 


 ロディオン。
 ■■旅団の、薬師。
 わけのわからぬ笑みを浮かべ、わけのわからぬ問いを投げかける。
 何を知るわけでもない癖に無礼であるし、何より、嘗(な)められているようで腸が煮えくり返る。
 不快だった。

「権力を極めし者さん」
「……貴様か。何だ」
「ご機嫌いかがです?」
「良いと思っているのか?」
「おや、それはまた、なぜですか?」
「貴様の態度が気に食わん。俺が旅団に所属していなければ即刻貴様を廃棄しているところだ」
「なるほど、私の態度が気に入りませんか。それは失礼」
「貴様、本当に悪いと思っているのか?」
「思っておりますとも。目の前の人を不快にしてしまうのは本意ではありませんので」
 薬師は笑う。不可解な表情で。
「つまり、俺に■されたいと?」
「……ふふ」
 それでも笑う。
 心底不快だ。
「貴様、わかっているのか? 俺の指先一つで、貴様も貴様の仲間とやらも全て■してやれるのだぞ」
「おお、怖い怖い」
「馬鹿にしているのか?」
「人聞きの悪い。これでも怖がっているのですよ」
「それなら貴様はなぜ笑っているのだ」
「私が笑っている……そう見えますか?」
「…………」
 俺は薬師を眺める。が、笑っている、以外の何物でもない。
「貴様、やはり俺を馬鹿にしているのか?」
 手を伸ばす。薬師は動かない。
 その瞳。
「…………」
 光のない、深淵の森の湖の色。
 手を下ろす。
「どうかされましたか」
「いや」
 そこに何の感情が浮かんでいるか、などということはわからなかった。
 これまで踏み潰してきた虫けらどもの瞳と似ているようで、違うようで。
 これまで屈しなかった屑どもの瞳と似ているようで、違うようで。
 どこかで見たような、見なかったような。
 わからなかった。
 記憶のどこかに確かにそれはあるはずなのだが、注視すると霧散する。
 それなら記憶にないのだろう。
 そう思うのに、わからない。
 違和感。
 権力を極めし覇者にそんなものは必要ない。そんなものは捨ててしまえ。
「薬師」
「何でしょう」
「貴様は不快な奴だ」
「ありがとうございます」
「誉めてなどいないのがわからんのか?」
「ですが私は嬉しいのですよ」
「貴様はどうかしている」
「ふふ……それは貴方もではないのですか?」
「貴様……」
 ぎ、と威圧する。
 それでも薬師は笑ったまま。
「権力を極めし者の不興を買った輩が無事でいられると思うのか?」
「安い脅し文句ですね。つくづく、貴方はそのようなことをおっしゃる方ではなかったと思ったのですが」
「聞きかじりの情報で俺を知った気になるな……薬師」
「聞きかじり……本当にそう思われますか?」
「何が言いたい」
「私が、もし……」
 言いかけて、薬師は口を閉じる。
「貴様が、何だ」
「いえ。おそらく……言ってもわからないでしょうから」
「随分と嘗(な)められたものだな」
「嘗(な)めてなど。私は貴方を尊敬しておりますよ」
「ほう、初耳だが」
「尊敬しておりますし」
「おりますし、何だ」
「お慕いしているのです」
「ハ。戯言を」
「心からの言葉ですよ。ですが、もし貴方がそれを信じられないというのなら……」
「…………」
「証明をしてさしあげましょう」
「ほう。どのように証明してくれるというのだ?」
「行動で」
「やってみろ」
「それは、今後にご期待ください」
 目を細める薬師。
「それが俺の気に入らなかったら?」
「そのときは、信じていただかなくても結構ですよ」
「フン」
 俺は薬師を頭からつま先まで眺めた。
「……気に入らなかったら、貴様は廃棄だ」
「おやおや」
 薬師はにこ、と笑った。
「私は構わないのですけれども」
「…………」
「そのときは、私を■してからにしてくださいね」
「………?」
 風が強く吹き、一部の言葉が途切れてしまう。
 だが、どうせ大したことは言っていないに違いない。
 そう判断して、やってみせろ、と答えてやった。







 ■■旅団は各地の愚民どもからの討伐依頼を受けて回っているらしい。
 その討伐に、俺も参加させられることになった。
 愚民どもを助けるという目的は気に入らなかったが、断ったりして選ばれし者からの心証が悪くなるのも不都合だったので、素直に従ってやる。
 ――フラットランドの討伐依頼。
 あの薬師は、と見ると、後方支援をしているようだった。
 補給をするつもりか、戦闘の合間に駆け寄ってくる薬師。
「貴方は怪我をしませんねえ」
「当然だ」
「私としては安心します」
「安心?」
 何か裏があるのか?
「親しい方の苦しむ姿は見たくない……それも『当然』ですよね」
「俺と貴様が親しいだと?」
「おや、違いましたか」
「俺は親しい相手など作らん。誰一人な」
「ふふふ。そうでしょうか」
「決まっているだろう。痴れ事を」
「ふふ……」
 笑う薬師。相変わらず腹の立つ態度しか取らない此奴を踏みにじりたくなるが、他の団員がいる手前、そういうわけにもいかぬ。
 俺はぐるぐるとした欲を抑えて次の接敵に備えた。



 討伐依頼はその後も危なげなく終わり、用意された自室に戻る。
 そこには例の薬師が待っていた。
「お疲れ様です」
「疲れてなどいない」
「貴方を労ってさしあげようと思いまして」
 しゅるり、と薬師がケープ留めを外す。露わになる白い肌。
「フ、面白い。それが貴様の『証明』か?」
「…………」
 薬師はにこりと笑う。
 全く気に入らぬこいつを抱き潰すのも悪くない。自ら身体を差し出してくるというならば好都合。
 思いのままに蹂躙してやろう。
 そう思った。





『信じていただけましたか? 私は貴方をお慕いしているのです』
『■■■■、貴方は私の……』
『きっと私だけでしょう』
『貴方を心から■せるのは』
『……いつか、時は来ます』
『貴方も本当はわかっているはず』
『………が……』





 朝目覚めても、隣にいるはずの薬師はいなかった。
 誰かに見られても面倒であるし、勝手に帰ったなら都合がいい。
 しかし、昨晩彼奴は何かを言っていたような……気もする。
 それを思い出そうとすると、記憶に靄(もや)がかかったようにぼやけて消える。
 どうせ寝所での睦言にすぎぬ。気にすることはない。
 そう思って、俺は支度を済ませた。



「おはようございます、■■■■さん」
「…………」
 朝食の席には何一つ乱れのない薬師が立っていた。
「これ、■■■■。挨拶は社会生活の基本じゃぞ」
 ペレディールとやらが俺に注意する。
「……ああ」
 面倒だったので適当に返事を返してやる。
 この手の輩は適当に返しておけば満足する。ペレディールも例外ではなかろう。
「……遅かったな、■■■■」
 クレスとやらが訝し気な視線を向ける。。
 この犬めはおそらく私を警戒しているのだろう。指輪を奪うという目的に気付いているのかどうか、そんなことはどうでもいいが、面白い。
 聖火神の指輪を手に入れたとき、この犬も私の下に下る。
 そう思うと、口角が上がる。
「ま~■■■■さんにも何かと都合があるんだろうさ、クレス」
 ギルデロイとやらが軽薄な口調でクレスの肩を叩く。
 だが、その目は笑っていない。
 軽いふりをして、此奴も私のことを警戒しているのだろう。
 まあ、良い。何もかも、指輪を手に入れば解決することだ。
「ロディオン、そこのソース取ってくれ」
 黒い犬……ウィンゲートとやらが薬師に声をかける。
「いいですよ。はい」
 薬師の仕草は何一つ乱れなく、昨晩あれほど手ひどく抱いたというのにまるでそれを感じさせない。
 あれは本当に現実であったのか、と疑問を抱いてしまうほど。
 ……あれは。
 本当に?
「ど~したよ■■■■。顔色悪いぜ?」
「貴様に気遣われるいわれはない、商人風情が」
「おーおー。そりゃ失敬」
 軽く笑って両手を広げるギルデロイ。
「…………」
 そんな商人の向こうから、銀の犬めが私をじっと睨んでいる。
 それを見ると愉快な気分になって、粗末な食事も少しはましになる気がした。



 朝食後。
「余裕だな、薬師。抱かれ足りなかったか?」
「ふふ……どうでしょう?」
「今からでも抱かれたいというのなら、やってやらんでもない」
「ご冗談を。貴方、今日もこれから討伐に赴かれるのでしょう」
「それは貴様もだったと思うが」
「ふふ。仲良く敵を殲滅いたしましょうよ」
「貴様は後方支援だろうが」
「そうですよ。後方から貴方を応援しております。お怪我の際はご用命を」
「俺は怪我などせん。よしんば怪我をしたとしても、治療は貴様以外の奴を使う」
「おや、なぜです」
「貴様は好かん」
「おやおや……昨晩あれだけ激しくしておきながら、お言葉ですね」
「権力者とはそういうものだ、表の顔と裏の顔がある。あれしきのことで俺に気に入られたと判断するなど大いなる思い上がりだ」
「それで、昨晩の貴方は表の顔だったのですか、裏の顔だったのですか?」
「くだらん。昨日は貴様に身の程を思い知らせてやっただけだ」
「そうなのですね、ふふ……」
「何が可笑しい」
「いえ。身の程を思い知らせられるのがあのような方法でしたら、いくらでもどうぞ」
「……汚らわしい」
「ええ。貴方は清廉ですからね」
「俺の不興を買おうとしているなら、その口を今すぐ閉じろ」
「口を塞ぐなら別の方法があるでしょうに」
「フ……面白い」
「ふ、……」
 俺は要望通り薬師の口を塞いでやる。
 薬師は俺にしなだれかかり、自ら招くように薄く口を開けた。
 此奴は一体何を考えているのだ。昨晩あれだけ蹂躙したというのに、まだ足りないというのか?
 貪欲なのか、それとも裏があるのか。
 口内をひとしきり蹂躙した後、頭を掴んで遠ざける。
「おや、おしまいですか」
「貴様と遊んでやったせいで時間に遅れるのは都合が悪い」
「あら、あら……」
「挑発には乗らんぞ」
「ふふ、残念です」
「汚らわしい……」
「ふふ、ふふ……」
 可笑しそうに笑う薬師を放置して、集合場所に向かった。
 後を追う気配は、なかった。



 ペレディールによるとその日の討伐依頼は「上級」で、通常のものよりも敵が僅(わず)かに手強いとのことだった。
 どんな敵が来ようが、この■■■■様の敵ではない。
 俺は英雄。故に退かぬ、臆せぬ、負けぬ。
 英雄が負けることは許されない。虫けらどもの期待に応えてやろうではないか。

「ウィンゲート、左だ」
「ああ」
 銀と黒の犬どもが前線で連携し、虫けらどもが溶けてゆく。
「……つまらん」
「おや、お暇ですか」
 またあの薬師が話しかけてくる。
「何が上級討伐だ。全く手ごたえがないぞ」
「先槍のクレスとウィンゲートは強いですからねえ……貴方がいなかった頃は私とギルデロイが中槍を担当しておりましたが、最初の方はいつも敵が流れてこないのですよ」
「昨日は俺が先槍だっただろう」
「あれは団長が貴方の力を見ていたのですよ」
「老いぼれの癖に、小賢しい……」
「だ~れが老いぼれだ!」
 後方から声が飛んでくる。
「聞こえとるぞ、■■■■!」
「フン……老いぼれは老いぼれだ」
「私はまだまだ若い! 訂正するんじゃな!」
「■■■■さん、うちの団長は年寄り扱いされるととてもお怒りになるので……」
「訂正はせんぞ」
「キー! そんな調子だと援護せんぞ!」
「するだろう。貴様は聖火神の指輪に選ばれし者なのだから」
「むむむぅ……」
 悔しそうなペレディール。
「団長はお人よしですからねえ……」
 薬師が呟く。
「■■■■、そちらに一体行く」
 銀の犬の声。
「…………」
 俺は剣斬を放ち、虫けらを屠った。
「お見事です」
「世辞はいらん、薬師」
「本心ですのに」
「いらん」
「ふふふ……」
 笑う、薬師。
 よく笑う奴だ。幸福なのか、それとも己の余裕の演出なのか。
 いや、此奴にそのような頭はないだろう……おそらく、単に笑いの閾値が低いのだ。
 この薬師を笑う余裕もなくさせて、絶望に落とし、ぐちゃぐちゃに潰してしまいたい。
 そんな欲が湧く。
「おや、■■■■さん、危ないですよ」
 薬師が俺の前に出る。
 細くしなやかな身体から振るわれる斧が虫けらを正面から捕らえ、虫けらが散る。
「…………」
「どうしました、ぼうっとして」
「どうもしない。俺は平静だ」
「ふふ……そうですか」
 薬師が笑う。
 その笑みだ。
 それを潰して、大切なものを全て壊して。
 跪き、許しを請う姿を見たい。
 欲を散らすように、剣を振る。
 また、虫けらが散る。
「ふふ……良いですね、その顔」
「…………」
「今晩もよろしくお願いしますね」
「黙っていろ、薬師」
「ふふ……」
 それから上級討伐は何事もなく終わった。

「……今日の貴方も素敵でしたね」
「痴れ事を。俺はいつでも完璧だ」
「そうですね。貴方はいつでも完璧で、強い」
「わかっているではないか」
「お誉めいただき、光栄です」
「……その口を開く余裕もなくさせてやろう」
「期待しておりますよ」
「…………」







『………があると思いませんか?』
『過ぎ去った■が』
『……やはり、覚えていないのですね』
『全て■そうというのです』
『ねえ、■■■■……』
『貴方は何をしましたか?』







 己の不可解を散らすように、薬師を抱く。そんな夜を幾度か過ごした後の、朝。
 例の薬師が、団長と何やら話をしていた。
「おい」
「あら、■■■■さん。おはようございます」
「……。何を話していた」
「薬の材料を取りに行っていただけるとのことで、お伝えしていたのですよ」
「何の薬だ」
「グレース熱……はご存じですよね」
 知っている。俺の治めるエンバーグロウでも毎年死ぬ者がいた。
「貴様、薬の作り方を知っているのか」
「ええ」
 薬師が頷く。
「ロディオンはグレース熱の新薬の考案者なのだよ」
 とペレディール。
「ほう……」
 成程。
「ロディオンの目的はこの薬をオルステラ中に広め、グレース熱を根絶することなのだ。そうじゃったな、ロディオン?」
「違いありません」
「それで、旅団の他の薬師たちも薬の調合ができるようにということで、実習と今後の蓄えのための素材集めをすることになったのだよ」
「グレース熱の根絶……立派な理想だ。その素材集め、私も向かわせてもらおう」
「おお、それは助かるな。では、メンバーに■■■■も加えておくぞ。集合時間に遅れんようにな」
 ペレディールが紙に羽ペンを走らせる。
 あの薬師はというと、団長越しに俺ににこ、と微笑みかけた。
 俺はそれを無視すると、支度をするべく部屋に向かった。



「貴方が参加してくださったおかげで、採取班と狩猟班を分けることができました」
「……」
「ありがとうございます」
「……ハ。せいぜい感謝するのだな」
「ええ、心から」
 沈黙が落ちる。
「……貴方は私の理想に共感してくださるのですね、■■■■様」
「無論。グレース熱の根絶は為政者の悲願だ」
「おや、そうなのですね」
「病などのせいで使える駒が減るのは疎ましい。戦いは物量だ。そうだろう、薬師」
「……そうですね」
「しかし、ただの色狂いだと思っていた貴様にそのような崇高な理念があったとはな」
「お誉めいただき、ありがとうございます」
 薬師が頭を下げる。
「……おい。貴様、この旅が終わったら私の下に付く気はないか?」
「……貴方の、下に?」
「そうだ。私の下に付けばどんな材料もすぐ揃えてやろう。金も飽きるほど与えてやる。……良い提案だと思うがな」
「…………」
 薬師が目を細める。
 その瞳はいつもと少し違うような、遠くのものを見るような。
「……貴方の方からそんなことを言っていただけるとは思っていませんでした」
「ほう、では」
「ですがお返事は少しお待ちください。まだ……足りないものがあるのです」
「足りないものとは何だ」
「…………」
 薬師は黙って微笑む。
「……俺に言えないようなことか?」
「いえ。……しかし」
「しかし、何だ」
「今はまだ、言ってもわからないでしょうから」
「……相変わらず、嘗めた口を利く」
「いえ、いえ。そんなつもりは。……ただ、今の貴方は白すぎるんです」
「白い?」
「そうですね……漂白されたような」
「それは俺が正義であるということか?」
「ええ、そうかもしれません」
「ハ……ようやく理解したか」
「…………」
 薬師はまた、微笑む。
「俺のすることに間違いはない。全て俺の意のままになるのだ……従って、俺こそが正義、唯一の覇者なのだ」
「ええ、ええ、■■■■様。その通りです。全ては貴方の意のままに……」
 しかし、そうやって全てを肯定されると違和感がある。
 此奴はこのような男だっただろうか?
 何か裏があってこのような態度を取っているのでは?
「裏なんてありませんよ」
「…………」
「私は常に真実しか申しません。■■■■様……私には、貴方しかいないのです」
「何?」
「ふふ。……また、お話ししましょう。……ほら、敵が来ますよ」
「…………」



「どうじゃロディオン! 言われていた材料全て……たっぷり調達してきたぞい!」
「ふふ。ありがとうございます、ペレディール」
「■■■■もすごいのう、たっぷり狩っておる! これでしばらく材料には困らんな!」
「………」
「ええ。……必要な材料と調剤法のメモ……なくさないでくださいね。私がいなくても薬の調合ができるように」
「もちろんだ! たくさん複写して保存しておくぞ!」
「……ふふ。ありがとうございます」



 聖火神の指輪を手に入れ旅団を掌握し、為政者に戻った私があの薬師を下に付けることができれば、薬を交渉のカードに使える。
 グレース熱を異民族どもに撒き、薬をチラつかせて交渉の席につかせ、弱った奴等を一網打尽にする……そのようなことも可能になる。
 夢のような話ではないか。
 製法さえ手に入れてしまえばあの薬師は廃棄してしまっても構わぬわけだし。
 しかし……抱き心地だけは悪くはないので完全に支配してしまって傍仕えにしてやってもよいか。
 そんなことを考えながら、薬師を責め立てる。
「ん……今日は考え事が多いようですが」
「貴様の気にすることではない」
「ふふ……」
「余裕だな」
「そんな、まさか」
「俺なしでは生きられぬ身体にしてやろう。感謝するがいい」
「期待して、ます、よ……」







『そんなことをしなくても、私は既に……」
『どうでしょう』
全て忘れて生き直す・・・・・・・・・気持ちは?』







「おい、薬師」
「どうされましたか?」
「酒に付き合え」
「生憎、お酒は苦手なのです。別のものならば……」
「この■■■■様の申し出を断るというのか?」
「いえ。ただ……飲むならば酒場ではなく、貴方の部屋で」
「ほう」
 なるほど、酒に酔った状態で抱かれたい、ということか。
 好かぬ薬師だと思っていたが、存外悪くない面もある。
「では、私の部屋で待っていろ」
「わかりました」

 倉庫からワインを取り――以前商人から買い付けたものだ――、部屋に戻る。
「今戻った」
「おかえりなさいませ」
「ヴァローレ・XXX年産の赤ワインだ……喜べ、こんなものを飲める機会は貴様にはそうそうないのだから」
「……ありがとうございます」
 薬師の前にグラスを置く。
 薬師は黙ってワインの栓を抜き、俺のグラスに注いだ。
「貴様の分は私が注いでやろう」
「それは……良いのですか?」
「恩寵だ。グラスを出せ」
 大人しく従う薬師。
 俺はそのグラスにワインをなみなみと注いだ。
「飲め」
「…………」
 薬師はにこりと笑うと、ワインに口をつける。
「どうだ?」
「私にお酒の味はわかりませんが……いわゆる高級、と呼ばれる風味であるのはわかります」
「ハハ。そうだろう。もっと飲め」
「…………」
 薬師は黙ってグラスを傾ける。
 その様子をじっと眺めた後、俺もグラスに口をつけた。

 しばらくして。
「貴様、何か話題はないのか。権力者を楽しませるのも愚民どもの務めだぞ」
「生憎、■■■■様にご満足していただけるようなお話は持ち合わせておらず」
 いつもと全く変わらぬ表情で微笑む薬師。まだいける、ということか。
「では、もっと飲んでみせろ」
 俺は薬師のグラスにさらにワインを注ぐ。
「……ありがとうございます」
 礼を言う薬師。
「……ですが、私は■■■■様のお話を聞きたくて」
「私の話が聞きたい、と?」
「そうですね……例えば、エンバーグロウをお治めになっていたときのお話、とか」
「…………」
 何か企んででもいるのかと薬師の瞳を見つめるが、そこにはいつもの深淵があるだけ。
「私もかつてエンバーグロウにいた身。英雄の武勇伝に憧れるのは当然のことでしょう」
 仕える者の威をもっとよく知りたいと、そういうことか?
「そうか。ならば、語ってやろう」

 エンバーグロウで多くの盗みを働いていた盗賊団を一族郎党処刑してやった話。俺はそれを薬師にしてやった。
「なるほど……自らの道を阻む者に慈悲はかけない、それが貴方の強みなのでしょうね」
「わかっているではないか」
「薬師の私……一人も余さず救いたい私とは逆ですが」
「……フン」
「大義の犠牲になった方々は何を思っていたのでしょうね?」
「馬鹿なことを。死んだ奴等が何を思うはずもない」
「それは、どうでしょう」
「…………」
「死者は死した後も私たちの記憶の中に残り、そうして私たちを責めている……そう思うことが、あるのです」
 薬師が瞳を伏せる。
「何を、馬鹿馬鹿しい」
「では、貴方はどう思われるのです?」
「人は死せば消えるのみ。そこに感情などはなく、何も残らず、虫けらを潰しても忘れるだけだ」
「ふふ……」
 薬師がこちらを見て、微笑む。
「本当にそう思います?」
「……当然だ」
 不可解だ。此奴は何が聞きたくてそんな質問をしている?
「なるほど、罪などない、と。そう思っておられる。ふ、ふふ……」
 可笑しそうに笑い出す、薬師。
「何が可笑しい」
「いえ。ただ……貴方のことが……」
「俺が、何だ」
「心底愛おしい、と思っただけです」
 怖気が走る。
「くだらん。愛など全てまやかしだ」
 薬師から目を逸らさぬように、威圧する。
「どんな愛も、力の前には無力」
 薬師は微笑んだままこちらを見ている。
「恋人を差し出せば地位を与えよう、と言えば、どんな男も喜んで差し出した」
「…………」
「権力を持った以上、資源は全て俺の元に集めねばならぬ。何もかもが俺に跪かねばならぬのだ。俺も本当はこんなことなどしたくないのだが、仕方なく、な」
 余裕を見せつけるように笑ってみせる。相手の笑みをかき消すかのように。
「あらあら」
 薬師の笑みは、しかし、消えない。
「いけない方ですね。そうやってたくさんの子羊たちを虜にしてこられた」
「そうだ」
「それは私も含めて、ですか?」
「……フン。どうだろうな」
「貴方に目をかけていただいていることは、嬉しいですよ」
 薬師はまた、笑う。しかし、この場合の笑みは理解できる。権力のある者に認められる喜びは、虫けらどもには代えがたいものだろう。
「そう思うか?」
「思いますよ」
「俺が、貴様を、寵愛していると?」
「違いますか?」
「……。貴様など、捨てようと思えばいつでも捨てられる」
「ふふ、そうですか」
「しかし、態度次第では今後も寵愛してやらんでもない。……貴様も力ある者からこれほど目をかけてもらえたのは初めてだろうからな」
 初めて、というところで薬師の表情が少し陰る。
 ……もしや、俺の前に男がいたのか?
「貴様……男は初めてか?」
「ご想像にお任せしますが」
「フ。いたとしても、どうせくだらん屑だろう。俺の方が良いに決まっている」
「もちろんですとも。私は■■■■様が一番ですから」
「光栄に思うがいい。唯一この俺の寵愛を受けていることにな」
 前の男がいたのなら、それを忘れさせるぐらい蹂躙してやらねばな。
 そう思って、薬師の腰に手をかけた。





『……様、■■■■様』
『私には……後にも先にも貴方一人』
『私を■してくれるのは』
『貴方しか……』
『だから、』
『……まだ、思い出せませんか?』





 それから俺と薬師はたまに飲むようになった。
 相変わらず酒は嫌いだとは言うが、強要すれば最後には飲む。
 不可解な笑顔も酒に溺れて崩れてしまえばいいと思った。
 そんなある日。
 とっくに散った桜を、薬師が見上げていた。
「どうした、薬師」
「……いえ。花は儚いものですね」
「……くだらんことを。花は権力に彩りを添えて散れば終わりだ」
「たくさんの命が、こうして咲いては散っていきました」
「ハ。感傷か?」
「そうかもしれません。……私は多くを取りこぼしました」
「薬師として、か」
「ええ」
「俺の下にいれば、そんなこともなくなる」
「そうでしょうか」
「無論だ。道具も揃えてやる。金も腐るほど与えてやる。権力を持った俺の前で患者が死ぬことなど、あり得んだろう」
「……そうかもしれませんね」
 薬師は笑う。
 その笑みは、いつもより少し。
 陰っているような、気がした。

 ……その晩、桜の夢を見た。
 俺が蹂躙してきたゴミどもが、花弁となって絡みつく夢。
 だから桜は嫌いなのだ。
 散った後、醜く地面に堆積し、屍を残す。
 花弁など、全て焼いてしまえばいい。
 愚民どもを裁けるのは俺一人。そして、俺の■を■■るのもまた、俺だけなのだから。

『……本当に?』








 ゴミのような夢も、あの薬師を傍に置いていれば見ることもなく。
 薬師も俺の隣にいるのが馴染んできていた。
 英雄には相応しい男を。あの薬師がそれに当てはまるかはともかく、顔は悪くない上に抱き心地も良い。……傍仕えにするのはやはり良い案のように思えた。
 リプルタイドの討伐依頼。
 貝を食べる虫けらどもを散らした後、薬師が
「少し海に寄っていきませんか」
 と言った。
「海だと?」
「ええ。海を見ると、心が穏やかになるような気がするのです」
 ね、と言いながらこちらを見る薬師。
 緑の瞳が陽を反射してきらめく。
「……良いだろう」
「ありがとうございます」
 石灰岩の岩場を抜けると、砂浜が広がっている。
「南国ですね」
「…………」
「エンバーグロウとは大違いです」
 薬師は波打ち際に寄っていく。
「■■■■様もどうですか?」
「俺はやらん」
「面白いですよ」
「どうでもいい」
「残念です」
 そう言って、薬師は目を閉じる。
「靴裏で波を感じると、引き込まれる気がしませんか?」
「何にだ」
「もちろん、海にですよ」
「……くだらん」
「波たちが纏わりついて、海に引き込もうとする……案外、波は亡者たちの声なのかもしれませんね」
「波は波だ。それ以外の何物でもない」
「貴方は夢がありませんね」
「貴様のそれは夢ではなく、悪夢だ」
「おやおや」
 薬師が笑う。
「でも、時々ありません? 亡者たちが自分を引き込もうとしていると感じることが」
 夢。先日の、桜の夢――それを思い出す。だが、
「そのようなことを感じる理由がない」
「ふふ……」
 薬師は笑う。
「残念です。貴方ならわかってくださると思っていましたのに」
「死者のことをいちいち考えていても無駄なだけだ」
 夢は夢だ。何の役にも立たぬ、空虚なものに過ぎない。故に、考えるだけ無駄なこと。この世の罪を裁けるのは英雄である俺一人なのだから。
「貴方はもともと聖火騎士だと聞きました」
「それがどうした」
「貴方は神を信じているのでしょうか」
「神はいるだろう。指輪が存在しているのがその証拠だ」
「いえ……神の在(ざい)否(ひ)ではなく。己の為す全ての物事を神が見てくださっていると思う……そんな気持ちが貴方にはあるのでしょうか、と思いまして」
「どういう意味だ」
「祝福や裁きなど……そういった領域は神のものです。ですが、実際に神がそれらを平等に行ったという話は一向に聞きません」
「神は気まぐれに干渉してくるだけだ。全ての人間に対して平等などというのは迷信にすぎん」
「そうでしょうか」
「人を神に裁かせるのは間違いだ。人は人が裁かねばならん」
「人が人を裁くのは……傲慢だと思いませんか」
「貴様は俺を愚弄しているのか?」
「いえ、そのようなつもりはありませんよ。ただ、誰にも裁かれない罪人は……己で己を裁くしかないのだろうか、と思いまして」
「神は裁かない。故に、それが最も良い策だろう。だが罪人がいるなら俺が裁くことができる」
「そうですね……貴方にはそれだけの権力がある」
「フ、正しい理解だ」
「光栄です」
「もし貴様が罪を犯すというのなら……私直々に裁いてやろう」
「それは嬉しいですね。ですが」
「……何だ」
「いえ……」

『まだ、思い出せませんか』

 風が吹く。
「そろそろ帰りましょうか。皆が待っています」
「……ああ」



 特に大きな事件が起きることもなく、日々は進む。
 選ばれし者の監視も滞りなく進んでおり、俺も選ばれし者には信頼されてきたように思うが、相変わらず団員の中には警戒する者も多かった。
 その日はフロストランドの討伐依頼の帰りであり、薬師がフレイムグレースに寄りたいと言うので団員どもと分かれて立ち寄った。
 春の遅い国。
 フラットランドが春になってもフロストランドの雪はまだ降りしきる。
「ここの大聖堂は相変わらず荘厳ですね」
 崖の上、薬師は振り返り、微笑んでみせる。
「こんなもの、大したことはない」
「あら」
「俺であればもっとすごいものを作り上げてみせる」
「……」
「そうだな、■■■■大聖堂という名はどうだ」
「……良いと思いますよ」
 そう答えた薬師の表情はいつもの笑みではなく。
「どうした」
「いえ……きっと、素晴らしい大聖堂になるに違いありません」
「……? ……そうだろう」
「ええ、間違いなく」
 口角を上げる薬師。
 と、視界がぶれるような感覚があった。
「……む……」
「■■■■様?」
 薬師が声をかけてくる。
「……何でもない」
 ないはずの何かの記憶がよぎったような、しかしそれはおそらく錯覚だろう、と片付ける。
 よくある話だ。疲れたときなどにそういった錯覚が増えると聞く。
「…………」
 薬師は微笑んだまま。
「ねえ、■■■■様」
「何だ」
「人間が不幸なのは、祈りが足りないからだと思います?」
「……馬鹿らしい」
「……」
「祈りなど無力。人の幸不幸を決めるのは、その者が持つ権力の大きさに過ぎない」
「では、■■■■様は今……幸福だと?」
 己が幸福かどうか?
 そのようなこと、今まで考えたことがなかった。
「……俺は……」
「…………」
「……権力を持つ者が不幸など、ありえぬ」
 足下には踏み固められた、雪。
「俺は幸福だ。そうだろう、薬師」
「…………」
 薬師は黙って俺を見ている。
「絶大な力さえあれば、何も憂いはなくなる。全て捻り潰して……何もかも俺の思い通りになる」
「……ええ」
「皆、俺に着いてくるのだ。世界から憂いは消え、俺は世界中の愚民どもに感謝される……世界を救った英雄として」
「果たしてそれは……どうでしょうか」
 薬師が大聖堂の方に目を向ける。
 銀髪の男が大聖堂から出、去って行く。
 その目が、一度だけこちらを見たような気がした。
「これまで俺の言うことに間違いがあったか? ……権力さえあれば、粗末な扱いを受けなくても済む。それどころか、逆にこちらが踏み潰してやれる。権力さえあれば何も恐れなくていいのだ。素晴らしいではないか」
「……■■■■様」
「何だ」
「重すぎる罪を背負った者は……死ぬしかないのでしょうか」
「罪には罰を。当然のことだ」
「……それなら……」
「しかし、それが権力者なら話は別だ。……権力のある者は責任を負わねばならぬ。簡単に死ぬことは許されない」
「…………」
「権力者が死ねば愚民どもも一度は溜飲が下がるだろうがな。しかし、それでは駄目なのだ」
 薬師は目を伏せる。
 俺は続ける。
「生きて己の罪の責任を取るのが権力者というものだろう」
「……それは、貴方も……■■■■様の場合も、ですか」
「何を馬鹿な。俺は罪など犯していない」
「…………」
「万が一、俺が罪を犯していたとしても……それは許される」
「なぜですか?」
「大義のための罪だからだ」
「大義のためなら……人を殺しても許される、と?」
「……何が言いたい」
「やはり貴方は白すぎます」
「…………」
「もうすぐ……夏が来ます」
「夏が来たら、どうだと言うのだ?」
「私が旅団に拾われてから、半年が経つ……」
「たかが半年だろう。何の区切りでもない」
「冬の罪は……夏に溶けるのですよ」
「……貴様はロマンチストすぎるのではないか? 薬師ではなく詩人を目指した方が良かったのやもしれんな」
「……いえ。■■■■様……」
「何だ」
「私を恨んでください」
「俺が貴様を気に入らなくなるなら恨む前に廃棄している。何も問題は無い」
「それは……今は気に入っているということですか」
「知らん。好きに解釈しろ」
「……■■■■様」
「…………」
「私は……幸せでしたよ」





 あのとき。
 誰もいない教会で、ロディオンは笑った。
「私が全て赦します」
 その言葉が俺にとって何だったのか、何を思っていたのか。
 わからない。わかるはずがない。
 そんな記憶は嘘である。
 覇者である俺には必要ない。
 俺だけは特別だった。
 特別、だと思っていた。
『本当はもう、わかっているのでしょう』
『濯がれない■を重ねてきたことを』
『けれども私は赦します』
『私だけは、赦します』
『貴方も私も、■■だから、』
『ずっと一緒に』











「ロディオン」
「何ですか、クレス」
「お前、大丈夫なのか」
「何がですか?」
 ロディオンは首を傾げた。
「………最近、お前は変わったように見える」
「………」
「酒場にも来ない」
「私は元々お酒が好きではありませんからね」
「あいつのせいなのか?」
「あいつ、とは」
「■■■■だ」
「さあ……どうでしょう」
「ロディオン、」
「あなたはどう思います?」
 ロディオンが、俺の顔を覗き込む。
「どう……って」
「私は……」
 言いよどむロディオン。
 やはり、前とは違っている。
「いえ。いいんです。おかしなことを聞きました。私はもう……」
「もう?」
「……りはできないのに」
「ロディオン?」
「大丈夫です、クレス。私は大丈夫。もうすぐ……終わらせますから」
「それは……」
「そのときになれば、わかります」
「…………」
「信じてください、クレス」
 表情を変えずに、ロディオンは言う。
「信じる信じないはともかく……それはお前がそうしたくてやっているのか?」
「そうですよ、クレス。全て私の意志です」
「……そうか、それなら……」
「ふふ。あなたはやっぱり優しいですね」
「…………」
「心優しいのはあなたのとてもいいところだと思います。……これからも、ご自分のそういったところを大事にされてくださいね」
 くるり、と踵を返して去っていくロディオン。
「あ……」
 俺は思わず片手を上げかけて、やめる。
「どうした~クレス」
 そこに通りがかるギルデロイ。
「いや……」
「シケたツラしてよぉ。ま、飲もうぜ」
「構わないが……」
「決まりだな!」

 酒場。ギルデロイが酒を二人分注文し、待っている。
 ……ロディオンの様子がおかしくなったのは、明らかに「追憶の覇者」と呼ばれるあの男が来てからだった。
 どこにいても視線は常にあの男を追っている。
 雰囲気も変わった。
 酒場にも来なくなった。
「なあ、クレス」
 と、ギルデロイ。
「何だ」
「ロディオンのこと、どう思う?」
「どう、とは何だ」
「お前さんも気付いてるんだろ? ……あいつ、■■■■が喚ばれたあの夜から明らかに様子が変だぜ」
「……そう、だな」
「因縁でもあるのかねえ?」
「ペレディールによると、あの■■■■は追憶の覇者だ。追憶から作り出された存在で、過去は存在しない。従って、因縁などあるはずが……」
 俺は自分に言い聞かせるように、言う。
「そこよ」
 と、ギルデロイ。
「その『追憶』ってのが謎なんだよな」
「どういう……ことだ」
「モヤモヤして、はっきりしねえだろ。何か……元になった存在があるんじゃねえかって」
「……そうだとしたら?」
「そうだとしたらよ。ロディオンの奴、■■■■の元になった誰かと昔会ったことがあって……それで、変になってるんじゃねえかって」
「…………」
「どうだ、俺のこの推理」
「……そうだな、あり得ない話ではない」
「だろぉ?」
 ギルデロイが自慢げに胸を張る。
「だが……ロディオンは前に、あいつとは喚ばれるまで会ったことがなかったと言っていた」
 それが本当かはわからないが。
「ふーむ……じゃ、謎だな」
 あっさり引き下がるギルデロイ。
「……でよ、クレス、お前さんはどうする?」
「どうする、とは」
「ロディオンの奴……あのままだとなーんか危うい気がするんだよな」
「根拠は何だ」
「商人のカン、だ」
「商人のカン……」
「あ、信用してないな? これでも結構当たるんだぜ」
「ああ……しかし……俺も実はそう思っていた」
「お?」
「このままだと危ういんじゃないか、と」
「じゃあよ……」
「そう、危ういんじゃないかとは思う。■■■■のことも気に食わない。だが……」
「だが?」
「干渉はしない」
「あらら?」
 ギルデロイが体勢を崩してみせる。
「……これはロディオン自身の問題だ。そこに俺が踏み込むことは……許されない。何より……俺もあいつと話したが、あいつ自身が他者から干渉されたくないように見えてな……。それなら、放っておいてやるのも、仲間の役目なんじゃないか、と」
「ぬるいな……クレス。お前さん、時々ひどくぬるいぜ」
「そうだろうか……」
「まあ、ロディオンと一番仲がいいお前さんがその判断を下すってんなら俺もそれに従おうとは思うが」
 じ、と水色の目が俺を見る。
「忠告はしたからな」
 釘を刺すように、ギルデロイ。
 俺は黙ってグラスに目を落とす。
 そこには自分の「シケたツラ」が映ってゆらゆら揺れていて。
 ロディオンがどういう選択をしようと、それはあいつ自身が決めたことだ。それを俺が干渉して変えさせよう、などということは……間違っている。
 そういう関係性、だ。
 ギルデロイはかーっ、と言って両手を上に上げる。
「妙な空気になっちまったな! ま……パーっと飲んで忘れようぜ、クレス!」
「ああ……」
 俺は頷く。
 ギルデロイが、自分の酒を注いだグラスを俺の方に差し出し。
「じゃ、かんぱーい!」
「乾杯……」
 思えばそれが、最後の分岐点だったのかもしれない。



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