モービダス×ペレディール



『私にも、力が……』

『邪神の力があれば……!』

 
 絞り出す、悲鳴のようにそう言って。
 “哀しみ”などという愚かなものをそこに遺し、
 無責任な男は消え失せた。
 死んだはずのものが再び現れ、繰り返す。
 “嘘吐き貴族”は再び消えた。
 「私」の前から、
 ――永遠に。

 


 
「じいさん? おい、じいさん」
 書斎。
 訪れた、旅団の盾が私を呼ぶ。
「……年寄り扱いするなと言っておる。私のことは“ペレディール”と呼べ」
「んなこと言ったってなぁ。じいさんはじいさんだし、遺跡バカだし」
「………遺跡バカ、か」
 私は、落とす。
 旅団の盾はそのままで。
「なあ、じいさん。……あんた、やっぱり」
「…………」
「あいつの、」
「…………ギルデロイ」
「…………」
 黙す、盾。
 私は続ける、
「“何もなかった”」
 旅団の盾の、目を見ずに言う。
「何も。何も。“何も”、“なかった”。私にも、他の誰にも。何もなかった、誰もおらん。私に付き纏う愚か者も、あのような顔で、私を――私と、██た愚か者も。何も、誰も……いなかったのだよ」
「…………」
 最強の盾は無言のままで。
 黙って、その黒よりも少し薄い瞳で、
 私を見、
「………そっか。じいさんがそう言うなら、“そう”なんだろ」
 軽く放って、踵を返す。
「じゃあな、じいさん。…………あんま思いつめんなよ。あいつら心配するからよ」
 私が何を返す間もなく、盾の男は出て行った。

「……………」

 なかったはずだ。
 ――何も。

 
 


 

『踊りませんか、名も知らぬあなた』

 悪い夢を見て目が覚めた。
 夜半。
 “名もなき街”の夜、月は無く。
「…………」
 窓に映るは漆黒の闇。
 深淵、若かった頃は、そんなものに惹かれ、喚ばれたときもあった。
 こうして歳を重ねてからは、“そのようなこと”など思う暇もなかったのだがな。
 よぎる、
 “無かったはず”の記憶。
 「憎らしい相手」に向ける色ではなかったあの眼差し。
 嘘ばかり。
 「知らないあなた」「美しいあなた」
 嘘、嘘、嘘ばかりだ。
 嘘吐き貴族の█████。
 もう名前すら思い出せんよ。
 そうじゃろ。
 そうだ、
 そのはずで――
 
 ――黒呪炎に呑まれた“█████”を見たとき。
 私の、落ち着いていたはずの胸が、跳ねた。
 なぜそんな反応をしたかなぞ、わかるはずないじゃろ。
 そのはずだった、
 だのに、“あれ”は。
 何もなく、色も何も浮かべずに、ただ、“敵”を。
 名前すら知らぬ、“敵”を見る目で、私を見た。
 “聖火神の指輪”持つ、“選ばれし者”。ただの歯車、“神の駒の犬”を見る色の無い目で、私を見た。
 “ペレディール”という個など全て見えない、見ることもできない、ただ「役割」を見るだけの、
 あの、
 無色のダークブラウン。
 “見られた”、
 私は――
 
「…………」
 
 眠りの途中で目覚めて夜更かしなど健康に悪いわ。
 さっさと眠って、明日も調査だ。
 あの異邦人三人を救う手がかりになりそうな遺跡、それがないかを見るための調査。
 大好きな調査をすることが、世のため人のためになるのなら、こんなに嬉しいことはない。
 誰にも、誰一人からも理解されず、「頭のおかしい弱小貴族の異端の子」だと指をさされ、遠巻きにされた“あの日々”よりも。
 うるさく愚かで嘘吐きのバカがつきまとう“█ぎた日々”の方が、私はよっぽど楽しくて。
 ――そうじゃろ。
 ――そうに、決まっておる。
 あの時、あの遺跡で、
 邪神に呑まれ、嘘吐きは死んだ。
 嘘は消え。
 魔法が解けて、
 何もかもが無くなって。
 私は『“選ばれし者”ペレディール』となり、世界は閉じた。
 そうして“我々”は終わり、あの“関係”も終わった、“何もなくなった”というのに。
 なぜだ?
 どうして、今になって。
 どうして今ごろ“あれ”が出てきて、“私”のことを、“あのような目”で見る。
 ――私は。
 “ペレディール”は、
 そんなことには耐えられんよ。
 だからこうして――
「何も無かった。無かったのだ。………█████。嘘吐きの……愚かな貴族、█の、………。」
 “何も”。
 毛布を被る。
 潜り込む、視界は暗くなって。
 ダークブラウンに燃えたあの瞳が、“誰か”が吐いた“あの嘘”が。
 うすく、脳裏に浮かぶのを。
 見ないふりして、私は眠る。
 意識を落として、

 ――きっと。
 それでも、消えてはくれん。
 ――嘘吐きの情。
 ――嘘吐きの█が、
 私に残した“爪痕”は。
 死ぬまで私を蝕んで、
 鉄を見るたび、ガシエに関わり、各地の遺跡を調査する、私が好きな、それらの行為の中でさえ。
 一人の夜に襲い掛かる、
 残酷な“嘘”となるのだろう。

 
 ――そう、思った。

 

 
『“私”が“傷”となるのなら』
『憎らしいあなた、█しいあなたに永遠に残る、この“傷”に』
『“私”が。█████が、なれるなら――』
『こんなに█しいことはない』
『そう思うでしょう』
『█████』

 
 
 
 昏い昏い、“悪夢”をずっと見続ける。
 “旅団長”ペレディールの、
 長い長い、夜のこと。


 


 
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