モービダス×ペレディール

 これはペレディールが指輪に選ばれる前の話。



 その日、ペレディールは仮面舞踏会に潜り込んでいた。
 身分を隠すという大義名分を元に、普段は会話もできないような高身分の支援者が得られたら運がいいという考えだった。
 しかしそれは少し甘かったということがすぐ明らかになる。

(仮面舞踏会……招待状をもらったはいいが、最近流行のこういう手のものに参加するのは初めてだ。……誰が誰かまったくわからん……)
「おや」
 声をかけられて振り向いた先には黒いタキシード、銀色の仮面、濃茶色の髪の男。
「なんじゃ……?」
「美しい美丈夫さんだ」
「な、何を言っとる……私はじいさんだぞ! というかお前その声、モー……」
「しっ」
 仮面の男はペレディールの唇に人差し指を当てる。
「仮面舞踏会では全ての者が誰でもなく、また誰でもある……ここでの私は私ではなく、ここでのあなたはあなたではないのです。わかりますか、名も知らぬあなた」
「いや……理屈はわかるがお前、モー……」
「いけませんね、名も知らぬあなた。決まりは守るものですよ。誰と誰の関係が険悪であろうと、誰が誰を嫌っていようと、仮面舞踏会では全て平等……踊りませんか、名も知らぬあなた」
「お、踊……!?」
「さあ」
 仮面の男がペレディールに手を差し出す。
「私は男なのだが……」
「性別など関係がありますか?」
「…………何が何だかわからんが、今回だけだからな」
 ペレディールは仮面の男の手を取った。

「名も知らぬあなた。今回はどうしてこの場所へ?」
「……お前に言う義理はない」
「支援者集めですか?」
「……そのつもりだったのだがな。こうも皆仮面では誰が誰やら」
「フフ。それが仮面舞踏会というものですよ。身分を隠して楽しむ無礼講……こういうときぐらい羽目を外して楽しみませんと」
「私は学者だ、そういうことは……」
「この場ではあなたはあなたではなく私は私ではない、ゆえに私は貴族ではなくあなたは学者ではない……」
「難解なことを言うな、モー……」
「名も知らぬ青年です」
「名も知らぬ青年……こういったものは私はどうも慣れん……」
「出会いの場ですからね。あなたのような純粋な方はあまり顔を出さない方が良いかもしれません。取って食われてしまいますよ」
「こんな歳の男を誰が取って食うか。いるとしたら相当の物好きだな」
「フフ……果たしてそうですかね?」
「名も知らぬ青年、まさかお前……」
「冗談ですよ。しかしあなたが美しいのは本当だ……冬の海の瞳……白銀の髪」
「物は言いようじゃな。まさか普段からそんなことを思っているんじゃなかろうな」
「普段? 私に普段などありませんよ。ここにいるのはただの名も知らぬ青年です」
「……調子が狂う。さっさと解放してもらいたいものじゃな」
「……まだ曲は終わりませんからねえ」
 くるくると回されるペレディール。
「やめろモ……じゃない、名も知らぬ青年! 目が回るじゃろ!」
「フフフ……怒鳴るあなたもまた可愛らしい」
「悪趣味じゃぞ……」
 ペレディールはげっそりとした顔をする。
(だいたいこやつは何が目的で私と踊っているんだ、全く意味がわからんぞ……)
 「名も知らぬ青年」の顔をちらりと見やるが表情は仮面で隠されており、かろうじて見える口元はゆるく微笑みの形になっていて全く表情が読めない。
(つくづく意味がわからん……)
 「名も知らぬ青年」についてペレディールにわかることは、今日のこやつは妙に機嫌が良い、ということだけだった。



「良い晩でした。また仮面なしでお会いするときがあるのなら……そのときは、私は私で、あなたはあなた……二度とない機会をありがとうございました、名も知らぬあなた」
 右手に軽くキスをして、
「んな!?」
「それでは」
 片手を挙げて去って行く「名も知らぬ青年」。
「…………」
 その姿が見えなくなったあと、ペレディールはずるずると壁にもたれかかる。
「な、なんなんじゃ本当に……」
 こんな会には二度と来るものか、と強く思ったペレディールであった。

 月はまだ高く。
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