ゆめにっき

 死体の傍は常に雨、梅雨入りしたかのような暑さと湿気に包まれている。
 
「ねえ」
「………」

 死体はもう動かない目をちろりと上げる。
 
「何だい、お嬢ちゃん」
「一緒に逃げてほしい」
「………そりゃまた、なんで」

 理由を問うてくる、死体。
 
「もう全部嫌になっちゃった」
「それで、俺がここから動けるとお思いで?」
「………」
「俺はもう死んでる。ここからどこにも行けないし、どこにも戻れない」
「………」
「お嬢ちゃん」

 それでも私を呼んでくる。精神の交錯を止めようとしない、この死体は案外誠実なのかもしれなくて、だから私はこの死体を、

「………」
「限界なんだね」
「そう、限界」
「それなら俺が█してあげる」
「……!」
「……とか言えたらよかったんだろうねえ」
「何、嘘なの」
「動けないのに█せるわけないだろう?」

 動かない目でこちらを見る、死体。
 は、と私はため息を吐く。

「ねえ……」
「ん~?」
「…………」

 私は誰も選べない。そういう風にできている。
 それでも。
 選べない貴方とどこまでだって行けるって、そう思えてしまうほどには私は貴方と接していたと、そう思うのは自惚れだろうか。
 
「自惚れなんかじゃないさ」
「え……」
「だって、俺もそう思ってるからさ。できるかどうかはともかくとして、ね」
「……そう」
 
 死体は少し黙ってから、言葉を続ける。
 ざざざ、とノイズが走り、
 


 輪転する。
 

 
「逃げてやることはできないけれど、一緒にいることはできる。何の役にも立たないけどね」

 俺は動かない手をひらひらと動かす。
 
「そして」

 君の望む言葉をかけ続けることができる・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もう動かない表情筋をぎぎ、と動かそうとして、動かない。
 感情を読み取らせないのは俺が死体である利点だね。
 
 ずっとここにいるといい。
 ずっとここにいて、俺の傍で、泣いて、絶望して、笑って、幸せになって。
 そうすればほら、もう幸せだから。
 
 ずっとずっと、幸せだから。
 
 摂理から外れたことを思う自分に限界なんてものを感じてみたりして、限界ねえ。
 あの「先生」には渡さない、もう二度と渡さない、だからさ。
 
「俺の傍で幸せになって?」
「……らしくもないことを言うのね」
「無責任な大人はどこまで行っても無責任なのさ。だからこれは俺の気まぐれ」
「ふふ……そう」

 嬉しそうに笑う、彼女のことが、やっぱり俺は。
 きっと、
 好き。
 
 だった。
16/17ページ
スキ