ゆめにっき

 


 夕陽射し込む教室で、モノ江は頬杖をつきつつ窓の外を眺めていた。吹き込む風が髪を揺らしている。頬杖をついていない方の手は、鉛筆を持ったまま机の上に置かれていた。沈んでゆく夕陽をぼんやりとした表情で眺め、モノ江はため息をついた。
「おまたせ、モノ江」
 教室のドアを開けて、おさげの女の子が入ってくる。服はモノ江と同じようなモノトーンだ。女の子はモノ江に近づき、モノ江が座っている隣の席に腰掛けた。そして、机の上に置いてあったかばんに手をかける。
「待った?」
「それほど待ってはいないわ」
 窓の方を向いたまま、モノ江が呟いた。
「モノ江、どうかした?」
「そうね。ちょっとね」
「何か、あったのかな」
 モノ子はあまり深刻そうな調子にならないよう慎重に問いかけながら、持ち上げかけたかばんを机の上に戻す。モノ江は夕陽を目に映したまま、答えた。
「勘違いされたかしら、と考えていたのよ」
「というと?」
「窓付きちゃんよ」
「あ、最近仲良くしてたよね。いいよね」
「仲良くしたつもりはないのだけれど。至って普通に接していたつもりだったわ。それを、仲良くなったと勘違いされたかもしれない、ということよ」
「うん?」
 モノ子は首をかしげた。
「モノ江は窓付きちゃんと仲良くしたくなかったの?」
 問われたモノ江は少しの間、沈黙した。
「あまり簡単に説明できることではないわ」
「そう言われちゃうとそれ以上訊けなくなっちゃうなあ」
 モノ子はモノ江の背にそっと手を伸ばし、身体をくっつけた。モノ江はモノ子に一度目をやったきり、夕陽を見つめつづけている。
「私は好きだけどな、他の人と仲良くなるの。モノ江はそうじゃないの?」
 校庭の木々を風がざわりと揺らす。陽が傾いていっているためか、吹き込んでくる風は冷えている。
「仲良くなるのもいいことばかりじゃないのよ」
「どうして?」
 モノ江の目に映る夕陽が不安定に揺らいだ。
「モノ子には、自分の世界はあるかしら」
「難しいことを聞くねえ」
 モノ子は猫のようにモノ江の背に頭をすりつけた。モノ江は外に目をやったまま、鉛筆を机の上に置き、モノ子の頭に手を乗せた。
「人が関係を深めるとき、その人たちはお互いに近づく。近づいていくうちにいつか、お互いの世界同士が触れ合うような距離に入る。そして、世界同士が干渉するようになる。今日は何をするとか、明日何をするとか、きみがそれを好きなのはおかしいとか、そういう交流をし出すのよ。それが私にとっての仲良くなるということ」
 言いながら、モノ江はモノ子の頭から肩に手を滑らせる。
「自分の世界に干渉されることは、私にとって愉快なことではないわ。干渉されると自分の世界がぐらついて、ばらばらに壊れてしまいそうになるの」
 モノ江はそこで始めてモノ子に向き直り、両手をモノ子の両肩に置いてモノ子を遠ざけた。
「だから私は、誰とでも一定の距離を保つ」
 わかったかしら、とモノ江。
「わかんない。私、いつもモノ江の隣にいるから、少なくとも私はモノ江と仲良しだと思ってた。それなら私もモノ江の世界を混乱させてるんじゃない?」
 モノ江は無表情にモノ子を見、そして言った。
「あなたはいいのよ」
「え?」
「あなたを相手にするときは平気だから」
 それ以上説明を続けることはせず、モノ江は黙った。モノ子はぱちりと瞬きをした。
「そりゃ光栄だよ。でも私思うんだけど、遠ざかるくらいなら、はじめから近づかなければいいんじゃ」
「普段は遠ざからなければいけなくなるほど近づくことはないわ。今回は彼女の接近速度が予想外だっただけ」
「ふうん……でも、窓付きちゃんはひょっとするとそれで傷ついちゃったんじゃないかな」
「私の知ったことではないわ。私は私の世界を守っただけだもの」
「ええと、それは冷たいね」
「正当防衛よ。彼女だってこれを機に人との近づき方を学べるんじゃないかしら」
 ううん、とモノ子は考え込む。窓付きの最近の状態を思い出し、彼女がショックを受けてそれから何かを学んでいる様子を想像しようとした。けれども塞ぎ込む姿しか想像できず、モノ子は手をひらひらと振った。
「だからと言って、私が何かするのもなあ」
「どういう意味かしら」
「何と言うか、ケアだよ。ちょっと責任問題が発生するような気がしてきた」
「何に? 勝手に勘違いしたのは向こうよ。日々の暮らしの中で、相手がどう思うかまで責任とってたら、きりがないわ」
 モノ江はほとんど表情を変えずに主張した。モノ子の心には次第に諦めの魔がさしてきた。
「そう、だね」
 のろのろと答え、行こうか、と言って机の上のかばんを取り上げる。モノ子はモノ江に背を向け、心のうちで、私もモノ江ちゃんのように物事を割り切れたらなあと思った。
「ならいいわ。帰りましょう」
 モノ江は落ち着いた足取りでモノ子の横に並んだ。二人は並んだまま帰路に着いた。モノクロの影が長く伸びて、校舎から離れてゆく。ざあ、と風が吹いた。つられるようにモノ子が校舎を振り返る。
 二人の去った教室の机には鉛筆が一本置き去りにされており、沈みかけた夕陽がその様子を暗く照らしていた。




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