ゆめにっき

「だからここに来たのかい」
「……」
 私は俯く。正確には、俯くことでこの死体を見ている。
 死体は倒れたまま、ふふ、と笑った。

 夢の中の死体。森の中の死体。
 交通事故で死んだ、夢の中の住人。
 現実で昔……そんなものを見ただろうか。
 現実の記憶はおぼろげで、夢の中にいるときはうまく思い出せない。
 それは目が覚めている間の夢の記憶も同じで、だから私は夢日記をつけている。

 ……森の中、道路の真ん中で、へらりと笑っている死体をただ見ている。
「お嬢ちゃん、それはナンセンスってものさ」
「……」
「俺は死体だけど、お嬢ちゃんは生きてる。それを、自ら死ぬなんてのはね」
 当然、そう言われると思っていた。だのにどうして打ち明けてしまったのだろうか。
 反対されるのが嫌なら、言わなければよかったのだ。
 でも。心のどこかで、送り出してくれるかもしれないと思っていた。
 夢の中で死に最も近い人物であろう彼なら、私のこの考えを肯定してくれるかもしれないと思ったのだ。

「……落胆したかい」
「……別に。最初からあなたに期待なんてしてない」
 彼はまた、笑う。
「死に近付くなんてことはない方がいいに決まってるからね」
「あなたは死んでるじゃない」
「それはまあ、不可抗力? みたいな?」
「何が不可抗力なの」
「こうならざるを得なかった理由ってものがある……んだと思うんだよね」
「どんな理由」
「さあ?」
 へらり、と笑う死体。
「わからないのに適当なことを言わないで」
「ふふ……」
「……」

 死にたい、と思うこと。
 誰にでもあることだとカウンセラーは言った。僕も死にたいですよ、などと。
 そう、言って、彼は。

 だからというわけではない。
 そんなのは癪だし。
 けれど、あのとき。
 つらかったのは私なのに、目の前にいたのは私なのに、あの人は。

「何を考えているのかな」
 死体は死んでいる目で私を見上げる。
「今もまだ死にたい?」
「……当然じゃない」
「もう止められない?」
「当たり前」
 準備も済ませてしまったし、今更。
「それは残念」
 死体は手を少し動かす。
 たぶん、両手を上げようとしたのだろうと思う。
 できていないが。
「決意が固いなら止めることはできないよ、所詮俺は夢の中の住人だからね」
「……」
「要するに、君自身から生まれたものだから、君がそうしようと強く思っていることを止める権限は俺にはないってこと」
「……」
「あれ、止めてほしかったんじゃなかったっけ」
「……違うよ」
「そっか」
 死体はまた、笑う。
「死にたいの?」
「死にたい」
「心残りはないの?」
「ない」
「じゃあ仕方ないねえ……お嬢ちゃん」
「何」
「良い旅を」
「………………」
 私は死体に背を向ける。

 ……本当は、強く引き留めてほしかったのかもしれない。
 ■が私にしたように、エゴでもって強引に。
 けれどそんなことは、真っ当な大人にできはしないのだ。
 あの死体が「真っ当な大人」かどうかはわかりはしないけれど。

 他人のせいにはできない。誰のせいにもできない。けれど、私は私が死ぬことを、■には知っていてほしいと思った。
 でもそんなこと叶いはしないので、やっぱり一人で死ぬだけ。

 頬をつねる。
 目が覚める。
 記憶が醒めてゆく。

 ベランダ。
 そう、私は■■■としている。
『じゃあ仕方ないねえ』
 誰にも引き留める権利はなくて、誰にも阻止する権利はないのだろう。
 本当はそうだった。
 けれど私は――

 やめよう。それこそ仕方ないことで。

 諦めきれなかったのかもしれない。決めきれなかったのかもしれない。予兆はそこここにあった。
 けれど私は断ち切った。
 もう何も、言えることはないし。

 だから、お話はこれでおしまい。
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