ポケットモンスターブラック・ホワイト

「お前は本当に使えない道具だ。あんな小娘に負けるなど。あの程度の攻撃、躱せて当然だろう」
 視界は暗い。だが怖くはない。私のことを愛しているからこその行為だと知っているからだ。
「ワタクシに使い続けて欲しいなら、自力でそこから出てくることだ。それすらできないならそこで朽ち果てなさい」
 主が去って行く気配がする。
 私は首を傾げた。
 このままこうしているのも悪くない。主の愛を全身で感じていられるからだ。だが、主は私がここから出ないと使い続けてくださらない……捨てられるということか?
 それは、嫌だ。
 私は大きく吠えた。
 棺桶のきしむ音。
 精一杯、力を込める。
「――――!」
 耐え切れなかったのか、棺桶はすぐに私を解放した。
 主が振り返る。その目は鋭く、嫌悪感に満ちていた。
「お前も使えない道具ですね、デスカーン」 地面に転がっている棺桶を見て、主が吐き捨てる。
 棺桶はぴくりとも動かない。
 せっかく主が愛を囁いてくださっているというのに反応しないとは勿体ないポケモンだ。 私は親切にも棺桶をつついてやった。
 ガン、ガン、という音。棺桶がへこむ。
 棺桶はぶるりと震えて中空に溶けた。
「ゴミめ」
 主が背を向ける。
 何もない空間から、悲しそうな気配。
 私は首を傾げた。
 こんなに愛されているのに、どうして悲しそうにするのだろう。
 主の他のポケモンたちもそうだ。皆、一様に目が虚ろで、ボールの中で叫んだり、伏せって動かなかったりする者もいる。
 主の前でそんなことをする者がいれば、主は私にその者を踏んだり噛んだりさせる。愛してもいない者にそんなことをするのは私も嫌だったが、主のためならば仕方ないと従っていた。
 私の嫌なことをさせるのも、主が私を愛しているからだ。そう思って、私も皆を「愛した」。

 主の愛は留まることを知らず、日に日に苛烈になるようだった。
 私は喜んでその愛を享受した。
 幸せな日常が続く。
 いつまでも続くと思っていた。

 二度目の敗北を喫したとき、主の目が一瞬皆と同じ色味を帯びた。
 だが、それは本当に一瞬だけで、次の日から主はまた私たちを「愛して」くれた。
 主の愛は私たちに分け隔てなく注がれたが、特に私への愛は念を入れて表明された。
 杖で数時間殴られ続けたり、池に頭を全てつけさせられたり、棺桶から出ぬように言い渡された上で数日放置されたりした。
 私はとても光栄に思った。
 しかし、主の部下の人間は主を静止したり、私を棺桶から出したりして邪魔をする。
 そしてある日、あろうことか人間たちは私たちを主から引き離した。
 モンスターボールに入れられ、どこか遠くに連れて行かれながら、私はめちゃくちゃに暴れた。

 気付くと、人間たちはいなくなっていた。
 ボールの中から外界を眺めると、緑の髪の人間が私をボールから出そうとしているところだった。
「――――!」
 私は吠える。
 なぜ私をこんなところへ連れてきた。主はどこに行ったのだ。
 人間は私をボールから出して、
「ごめんね、君の主は死んでしまったんだ」 と言った。
 死ぬ? 何を言っている。主が私を置いて死ぬわけがない。だって、主は私のことをとても愛していたのだ。愛する者を、簡単に手放すわけがない。
 緑の髪の人間は悲しそうな顔をして、
「病気だったんだ。どうしようもなかった」
 と言った。
 嘘だ。主は死なない。私を置いていなくなったりはしない。
「ショックなんだね。僕もなぜだろうな、心が痛む。痛む、なんておかしな表現だけれど」
 痛む。
 痛み。
 それは愛だ。
 つまり、主は私を愛しているから、私に痛みを与えるためにいなくなられたのか。
「――――!」
 痛み。
 私は空に向かって吠えた。
 それは歓喜。感激の慟哭。
 私はこれほどまでに愛されている。こんなに幸せなポケモンがこの世にいようか。人間、お前もそう思うだろう?
「……そうだね」
 そう答えた人間は、とても悲しそうな顔をしていた。
 わからない。どうして悲しそうにしているのか。
 俯いている人間に、私は何度も問いかけた。 僕にもわからない。そう呟いた人間の瞳は暗く眩しく潤んでいる。
 私を撫でる人間の手の感触が気持ち悪くて、振り払う。
 目に映った一面の草原は夕暮れで、揺れる草木は主の色、紅に染まってどこまでも続いていた。
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