ポケットモンスターブラック・ホワイト
『ゲーチス様が亡くなった』
と、一行だけ。
朝、新聞を取りに行くと、プラズマ団をやめて以来音信不通だった元仲間から葉書が届いていた。
住所はなく、名前のみ。葉書はどこのフレンドリィショップでも売っている特徴のない喪中葉書だった。
元仲間の近況などは全く書かれていない。ただゲーチス様が亡くなった事実だけを伝えるだけの内容だった。
蝉の飛び立つ音に、腕時計を見る。しばらく立ち尽くしていたらしい。
家に入って新聞と葉書をテーブルに置く。
さっきぼうっとしてしまったので新聞を読んでいる時間はない。
私は急いで帽子を被り、出勤のために家を出た。
「いらっしゃいませ、何にいたしましょうか」
「いつもの」
「ホットコーヒーですね。かしこまりました。……ホット1です!」
はあい、と厨房から返事。
「今日は暑いわね」
「暑いですねえ」
「こんなに暑くちゃ、困るわね」
「困ってしまいますよね。熱中症とかもありますし。ここでしっかり涼んでいかれてください」
「ええ、そうね。ところで熱中症といえば……」
から始まった常連さんの話を、相槌を打ったり他のお客さんからの注文を取ったりしながら聞いた。
しばらくして、
「さ、行くわ。今日はカラオケに行くのよ」
常連さんが立ち上がる。
「カラオケですか、いいですね。楽しんでこられますよう」
「ありがと。じゃあね」
そう言って常連さんが去ると、潮が引くように他のお客さんも去って行った。
私はカウンターの側に立つ。私が勤めている観光ホテルのカフェはホテルなだけあって冷房がよく効いており、特にカウンターの側が一番涼しい。
その後は厨房にいる同僚とイッシュ文学賞の話をして、お昼になって、午後になって、常連さんの相手をして、夕方になって、あっという間に勤務は終わった。
「今日もお疲れ様」
「お疲れ様でした、失礼します」
片付けをして、同僚と別れて、帰路につく。
「んんー」
私は大きく伸びをする。
今日もよく働いた。他のお客さんに絡む常連さんには困ったけれど、まあまあ何事もなく終わってくれて助かった。
西日が差している。大通りも、横断歩道も、電柱も、世界の全てが紅く染まっている。
紅。
どきり、と心臓が鳴った。
あの方の目はいつも底なし沼のようで、それに射られると全ての言葉を受け入れてもいいような気になった。
だが、
『ゲーチス様が亡くなった』
そうだ。あの方はもうこの世にはいない。
私がプラズマ団を抜けたのは、そのとき辞めた大半の団員同様、「英雄」の活躍でトップがいなくなったからだ。
騙されたという怒りや、思想への失望などはなかった。ただ、トップがいなくなった団でこれ以上やっていける自信がないと思ったので辞めただけだ。
その後団は二つに分裂したらしいが特に勧誘されることもなく、私がそのことを知ったのは黒いプラズマ団が起こした事件を新聞で見てからだった。
そのときはもう今の職場、観光ホテルのカフェに採用されていたから、団に戻りたいという意識などもなかった。
その後例の事件でゲーチス様をテレビで見たりなどもしたが、ご健在だったことに少々ほっとしつつも日常の中で忘れてしまった。
日常。
そうだ。
あの方が生きていても、こうして死んだことを知らされた今も、日常はただそこにある。
今日だって、そうだった。私以外のあそこにいた誰が、ゲーチス様の死を知っていただろう。
夕陽が私の影を長く伸ばしている。
紅い陽は、もうすぐ地平線に沈もうとしている。
不思議だった。
陽を見ていると、ゲーチス様はまだすぐ側にいて、私を見つめているような気がした。
実感がなかった。
あんな葉書一つで、長く信じた方が亡くなったと信じることは難しい。
それでも。
陽が沈む。
家のドアを開けると、
『ゲーチス様が亡くなった』
一枚の葉書が私を待っていた。
その夜、私はベランダから夜空を眺め、ぐるぐる回る思考から逃れようと星を数えた。
明日になれば、また日常の続きだ。
今この瞬間、一人でいるこの瞬間だけは、あの方のことを偲んでいても許されるような。
そんな気がした。
流れ星が一つ、流れた。
と、一行だけ。
朝、新聞を取りに行くと、プラズマ団をやめて以来音信不通だった元仲間から葉書が届いていた。
住所はなく、名前のみ。葉書はどこのフレンドリィショップでも売っている特徴のない喪中葉書だった。
元仲間の近況などは全く書かれていない。ただゲーチス様が亡くなった事実だけを伝えるだけの内容だった。
蝉の飛び立つ音に、腕時計を見る。しばらく立ち尽くしていたらしい。
家に入って新聞と葉書をテーブルに置く。
さっきぼうっとしてしまったので新聞を読んでいる時間はない。
私は急いで帽子を被り、出勤のために家を出た。
「いらっしゃいませ、何にいたしましょうか」
「いつもの」
「ホットコーヒーですね。かしこまりました。……ホット1です!」
はあい、と厨房から返事。
「今日は暑いわね」
「暑いですねえ」
「こんなに暑くちゃ、困るわね」
「困ってしまいますよね。熱中症とかもありますし。ここでしっかり涼んでいかれてください」
「ええ、そうね。ところで熱中症といえば……」
から始まった常連さんの話を、相槌を打ったり他のお客さんからの注文を取ったりしながら聞いた。
しばらくして、
「さ、行くわ。今日はカラオケに行くのよ」
常連さんが立ち上がる。
「カラオケですか、いいですね。楽しんでこられますよう」
「ありがと。じゃあね」
そう言って常連さんが去ると、潮が引くように他のお客さんも去って行った。
私はカウンターの側に立つ。私が勤めている観光ホテルのカフェはホテルなだけあって冷房がよく効いており、特にカウンターの側が一番涼しい。
その後は厨房にいる同僚とイッシュ文学賞の話をして、お昼になって、午後になって、常連さんの相手をして、夕方になって、あっという間に勤務は終わった。
「今日もお疲れ様」
「お疲れ様でした、失礼します」
片付けをして、同僚と別れて、帰路につく。
「んんー」
私は大きく伸びをする。
今日もよく働いた。他のお客さんに絡む常連さんには困ったけれど、まあまあ何事もなく終わってくれて助かった。
西日が差している。大通りも、横断歩道も、電柱も、世界の全てが紅く染まっている。
紅。
どきり、と心臓が鳴った。
あの方の目はいつも底なし沼のようで、それに射られると全ての言葉を受け入れてもいいような気になった。
だが、
『ゲーチス様が亡くなった』
そうだ。あの方はもうこの世にはいない。
私がプラズマ団を抜けたのは、そのとき辞めた大半の団員同様、「英雄」の活躍でトップがいなくなったからだ。
騙されたという怒りや、思想への失望などはなかった。ただ、トップがいなくなった団でこれ以上やっていける自信がないと思ったので辞めただけだ。
その後団は二つに分裂したらしいが特に勧誘されることもなく、私がそのことを知ったのは黒いプラズマ団が起こした事件を新聞で見てからだった。
そのときはもう今の職場、観光ホテルのカフェに採用されていたから、団に戻りたいという意識などもなかった。
その後例の事件でゲーチス様をテレビで見たりなどもしたが、ご健在だったことに少々ほっとしつつも日常の中で忘れてしまった。
日常。
そうだ。
あの方が生きていても、こうして死んだことを知らされた今も、日常はただそこにある。
今日だって、そうだった。私以外のあそこにいた誰が、ゲーチス様の死を知っていただろう。
夕陽が私の影を長く伸ばしている。
紅い陽は、もうすぐ地平線に沈もうとしている。
不思議だった。
陽を見ていると、ゲーチス様はまだすぐ側にいて、私を見つめているような気がした。
実感がなかった。
あんな葉書一つで、長く信じた方が亡くなったと信じることは難しい。
それでも。
陽が沈む。
家のドアを開けると、
『ゲーチス様が亡くなった』
一枚の葉書が私を待っていた。
その夜、私はベランダから夜空を眺め、ぐるぐる回る思考から逃れようと星を数えた。
明日になれば、また日常の続きだ。
今この瞬間、一人でいるこの瞬間だけは、あの方のことを偲んでいても許されるような。
そんな気がした。
流れ星が一つ、流れた。