ポケットモンスターブラック・ホワイト

 セッカの湿原に小雨が降っていた。
 伝説のドラゴンポケモンを従え、Nと戦う。それが、プラズマ団の言う「選ばれた」の意味だった。
 リュウラセンの塔でNが連れていたドラゴンポケモン、ゼクロム。ああいうポケモンがもう一体ご登場するというわけだ。
 今、あたしのカバンの中にはそのもう一体のポケモンが眠るというライトストーンが入っていた。
 あたしの旅の目的は、ポケモン図鑑完成もそうだけど、ポケモンと一緒に旅をすることそのものだ。ポケモン解放はそれを妨げるものなので、実現してもらっちゃ困る。
 Nが王になり、ポケモン解放を行うということはもちろん止めたいのだけれど、強制されて止めるというのはちょっと違う気がするのだ。
 水溜まりをばしゃんと踏むと、後ろからついてきていたワルビルもそれをばしゃんと踏んで、水が盛大に跳ねた。
「うわっ」
「!」
 ワルビルが申し訳なさそうな顔をする。
「いいのいいの。今のは気を付けてなかったあたしが悪い」
 びしょ濡れになった荷物を見ながら、あたしは反省した。
 こういう場所は、考え事をしながら歩くのには向いてない。もっと気を付けて歩こう。
 反省しつつ、足を踏み出す。今度はびしゃっとならずにすんだ。学習の成果だ。
「しっかし、こう雨が多くっちゃ嫌になるわね。梅雨にはまだ早いってのに」
 ぼやくあたし。ワルビルはそれに頷くと、空を見上げた。
 あたしもつられて空を見上げる。灰色の雲がどよんと空を覆っている。
 ため息をついたのは、一人と一匹同時にだった。
 じめんタイプだから、水は苦手なのだろう。
 考えなしにボールから出しててごめん、とあたし。
 ワルビルは、いいんだよとでも言うようにうんうんと頷いた。
「優しいね、あんたは。どっかの緑色の長身とは大違い」
 別にあいつが優しくないと言ってるわけじゃない。でも、あいつが優しいとしたらそれは見かけだけで、裏では何を考えてるかわからないと思う。
 打算にまみれてるあいつが本当の意味でまっすぐあたしを見たことは一度もないのだ。それに少し、腹が立っていた。
ばしゃんという音がする。
「あー」
 またやってしまった。学習しねえトレーナーだなとワルビルも呆れていることだろう。
 そう思って振り返ると、吹き出しそうな顔をしたワルビルがいた。
「こやつめ」
 そう言うと、ワルビルは堪えきれなかったのか、吹き出した。
 もう少しで湿原出口だ。
「トウコ!」
 聞き覚えのある声がして振り返る。
「ベル! 元気してた?」
「トウコこそ元気してた? 最近ね、あたし色々考えるの……」
 ベルはアララギ博士のような研究をやってみたいという。
 そのためにはポケモンのことをもっとよく知らなくちゃということで、ポケモン勝負をすることになった。
「いけえ、ムーランド」
「お願い、ワルビル」
 勝負はあっけなく、自信過剰のワルビルは、一匹でベルのポケモンをみんな倒してしまった。
 そして、たくさんのポケモンを一匹で倒したおかげか、進化の時がきた。
 ワルビアルになった彼は「どんなもんだい」という顔でこっちを見てきたので、かっこいいよ、と声をかけて彼の頭にぽんと手を置いてあげた。
 ベルは、感動したからと言って回復の薬をくれた。
 回復資源はなんといってもありがたい。
「あたしヒウンシティで大事なポケモンをプラズマ団に奪われたことがあるでしょ。だからすごくわかるの!」
 無理矢理ポケモンを解放したら悲しむ人ばかりだからプラズマ団を止めて、と言うベル。
「ベルまであいつらの話か……わかるけどさ」
「……トウコ、もしかして疲れてる?」
「うーん、ちょっとね。でも、大したことないから大丈夫だよ」
 物事が強引に進みすぎてて嫌だ、なんて、心の底からプラズマ団を止めたがってるベルに言う話ではなかった。
 だからあたしは言わないことにした。

「トウコなら大丈夫だよ」
「ありがと。またね」
「うん、またね」
 言うと、ベルは去って行った。
 歩き出しながら、あたしはため息を再度つく。

 シリンダーブリッジに足を踏み入れると、足元を地下鉄が通り過ぎた。
 入り口にいた人も言っていたけれど、鉄道マニアにはたまらない場所だと思う。
 少し足を進めると、見覚えのある緑の長身の姿が見えてきた。
「げ」
 どう見ても進行方向に立っていて、避ける術はない。
 あたしはワルビアルをボールに戻した。
 そうして走り出そうと身をかがめた瞬間、紫の影があたしを取り囲んだ。
「止まれ」
「……あんたたちとはお久しぶりね。元気してた?」
「こっちだ」
 ダークトリニティはあたしの軽口には一切答えず、見えている目的地にわざわざ案内してくれる。
「ゲーチス様、連れてきました」
「見事ライトストーンを手に入れたようですね。まずはお疲れさまでした、と申し上げておきましょうか」
 見上げたあいつの背はいつも通り高くて、腹の立つ喋り口にも何の変わりもない。
 ゲーチスによるとNは純粋で、それと、プラズマ団だけがポケモンを使えればいいらしかった。
 長かったけど要約するとそういうことだ。
「綺麗ごとばっかり言ってたけど、結局あんたたちの都合なわけね」
「なんとでも。愛しのポケモンを奪われたくなければ、せいぜい頑張りなさい」
「嫌だって言ったらどうするの?」
「おや。そのときはポケモン解放が実現するだけですよ」
「でも、Nはあたしと戦いたいって言って聞かないんでしょ? 単にはいそうですかって解放するわけにもいかないんじゃない?」
「口の減らないお嬢さんだ。そんなに戦いたくありませんか、我らが王と。ひょっとして自信がないのですか?」
「そんなわけないじゃない」
「ならばなぜ。断る理由などないはずだ」
「ちょっと物事が強引に行きすぎてて嫌なのよ。それだけ」
「我が儘なお嬢さんですね」
「あたしは平穏に旅がしたいだけなの」
「くだらない」
 ゲーチスは吐き捨てた。あたしは少しムッとしてゲーチスを睨み付ける。
「くだらないとは何よ」
「世界の命運をかけた選択なのですよ。それを、そんなくだらない理由で」
「ちょっと気が弱くなっちゃうことなんか誰にだってあるでしょ」
「そのような問題ではありません。英雄になれるかもしれないチャンスなのですよ。またとない機会だ。誰にでも訪れる機会ではないのです。それをアナタはくだらない理由で捨てようというのですか。それは傲慢だ。それは……」
 ゲーチスはそこで、はっとしたように黙った。
「……ワタクシはこれで失礼します」
「え? う、うん……」
 返事を返す間もなく、ゲーチスはトリニティを連れて橋から去った。
 モノクルの奥の目が何らかの感情で揺れていたように見えたのは、あたしの見間違いだろうか。
 気にしないフリをしたかった。だが、気にならないと言えば嘘になる。
 あいつを動じさせるものが何なのか、なぜだかひどく気になった。

 見上げた空はまだ、どんよりと曇っていた。
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