ポケットモンスターブラック・ホワイト
「そうです! ポケモンを解放することです……」
「解放だって」「どういうこと?」
花曇りのカラクサシティ。うららかな春風が町の広場に花弁を落としてゆく。
広場には町の住民たちが集まっていた。その前で演説するのは奇妙なごついローブを纏った男。
赤い目に緑色の髪、がしりとした長身のその男は、大仰に両手を広げて住民たちに語りかける。
ざわめく人々の中に一人の少女がいた。ポニーテールで纏めた髪にショートパンツ。意志の強そうな目で男を見ている。
途中まで黙って演説を聞いていた少女であったが、男の話がポケモンを解放するという流れに変わると不満そうにため息をついた。
「前半はともかく、いきなり解放、って意見飛びすぎだとあたしは思う」
少女は足下のツタージャに同意を求めるような目を向ける。ツタージャはわかっているよ、という風に頷いた。
「ね、ちょっとワケわかんないよね……」
他に自分と同じような反応の人はいないかと少女は背伸びした。
落ち葉を踏んだ靴がじゃり、という音をたてる。
人々は皆広場の中央を見ていて、誰一人彼女の視線に気づかない。
「ベル……チェレン」
近くにいるはずの幼なじみ二人の名を呼ぶが、反応はない。
「そうしてこそ人間とポケモンははじめて対等になれるのです……」
「対等…」「わからんよ…」
佳境に入った演説の盛り上がりと共に、場の空気が変質してゆく。
春の陽気の中、背を這う寒気に少女はぞくりと震えた。
「……というところで、ワタクシ ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご静聴、感謝いたします」
小さくお辞儀をしてみせてから、男が聴衆を見渡す。その目と少女の目が、合った。
吸い込まれそうに紅い瞳だった。
その奥でいったい何を考えているのかと少女は目をこらす。
駄目だと思った時にはもう遅かった。
底なしの真紅が少女を捉える。目を逸らさなければ。そう思うのに身体が動かない。
目を逸らせない。呑まれてしまいそうになる自分に必死で抗い、紅を捉えなおそうと歯を食い縛る。
と、男が目を細めた。圧迫感が消える。少女は慌てて目を逸らした。
派手な服を軽くたなびかせて去る男。緑色の後ろ姿が視界の端に焼きついた。
聴衆は一人、二人と去り、町の広場には誰もいなくなった。
なんとなく立ち去る気になれず、少女は一人、物思いにふける。
途切れ途切れのイメージが脳裏をよぎるが、捕まえようとした瞬間それらは霧散し何一つ捉えられない。
彼女はイメージの捕獲を諦めた。目の奥に残った紅い色を振り払うように首を振り、立ち上がる。
「行こう、ツタージャ」
そう言って、少女は広場を後にした。
◆◆◆
「そうです! ポケモンを解放することです……」
男は気づいていた。冷めた様子で彼を見つめる、意志の強そうな少女の存在に。
「前半はともかく、いきなり解放、って意見飛びすぎだとあたしは思う」
少女は彼女の足下のツタージャにそう話しかける。
ヒトとポケモンとの交流。愚かな。
男はこみ上げる笑いを表に出さぬようにして演説を続ける。
「そうしてこそ人間とポケモンははじめて対等になれるのです……」
「わからんよ…」「対等…」
予測していた通りの反応。上々だ、と男は思う。解釈の主導権は聴衆にあるようで、その実男の手の内にあった。
場の空気が男に支配されていく。完全に場を掌握した瞬間、少女が小さく身を震わせたのを彼は見逃さなかった。
――勘のいい少女だ。ワタクシの話に呑まれていないとは。
「……というところで、ワタクシ ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご静聴、感謝いたします」
男は小さくお辞儀すると、聴衆を満足げに見渡した。その中に先ほどの少女を見つける。
目が、合った。探るような青い瞳。
――名もなき子供が私を読み解けるとでも? 愚かな。
驚いたように目を開いた少女の瞳に自身の紅い眼が映るのを、彼は確かに見た。少女の瞳が揺らぐ。迷い、恐怖。しかし、青い瞳は抗うような光を失わず、彼の紅眼を見返した。
彼はすっと目を細めた。少女ははっとした顔をして視線を逸らす。
「ゲーチス様?」
横を歩いていた団員が、なかなか動かぬ男を心配するように名前を呼ぶ。
「ああ、すみません。少々考え事をしていてね。行きましょう、団員A」
深みを増した紅の瞳をゆるく開いて、彼は少女に背を向けた。
演説が終わった広場。踏まれた落ち葉がべたりと地面に張り付いていた。
春の風は人が一人もいなくなってもそこに花弁を落とし続けていた。
「解放だって」「どういうこと?」
花曇りのカラクサシティ。うららかな春風が町の広場に花弁を落としてゆく。
広場には町の住民たちが集まっていた。その前で演説するのは奇妙なごついローブを纏った男。
赤い目に緑色の髪、がしりとした長身のその男は、大仰に両手を広げて住民たちに語りかける。
ざわめく人々の中に一人の少女がいた。ポニーテールで纏めた髪にショートパンツ。意志の強そうな目で男を見ている。
途中まで黙って演説を聞いていた少女であったが、男の話がポケモンを解放するという流れに変わると不満そうにため息をついた。
「前半はともかく、いきなり解放、って意見飛びすぎだとあたしは思う」
少女は足下のツタージャに同意を求めるような目を向ける。ツタージャはわかっているよ、という風に頷いた。
「ね、ちょっとワケわかんないよね……」
他に自分と同じような反応の人はいないかと少女は背伸びした。
落ち葉を踏んだ靴がじゃり、という音をたてる。
人々は皆広場の中央を見ていて、誰一人彼女の視線に気づかない。
「ベル……チェレン」
近くにいるはずの幼なじみ二人の名を呼ぶが、反応はない。
「そうしてこそ人間とポケモンははじめて対等になれるのです……」
「対等…」「わからんよ…」
佳境に入った演説の盛り上がりと共に、場の空気が変質してゆく。
春の陽気の中、背を這う寒気に少女はぞくりと震えた。
「……というところで、ワタクシ ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご静聴、感謝いたします」
小さくお辞儀をしてみせてから、男が聴衆を見渡す。その目と少女の目が、合った。
吸い込まれそうに紅い瞳だった。
その奥でいったい何を考えているのかと少女は目をこらす。
駄目だと思った時にはもう遅かった。
底なしの真紅が少女を捉える。目を逸らさなければ。そう思うのに身体が動かない。
目を逸らせない。呑まれてしまいそうになる自分に必死で抗い、紅を捉えなおそうと歯を食い縛る。
と、男が目を細めた。圧迫感が消える。少女は慌てて目を逸らした。
派手な服を軽くたなびかせて去る男。緑色の後ろ姿が視界の端に焼きついた。
聴衆は一人、二人と去り、町の広場には誰もいなくなった。
なんとなく立ち去る気になれず、少女は一人、物思いにふける。
途切れ途切れのイメージが脳裏をよぎるが、捕まえようとした瞬間それらは霧散し何一つ捉えられない。
彼女はイメージの捕獲を諦めた。目の奥に残った紅い色を振り払うように首を振り、立ち上がる。
「行こう、ツタージャ」
そう言って、少女は広場を後にした。
◆◆◆
「そうです! ポケモンを解放することです……」
男は気づいていた。冷めた様子で彼を見つめる、意志の強そうな少女の存在に。
「前半はともかく、いきなり解放、って意見飛びすぎだとあたしは思う」
少女は彼女の足下のツタージャにそう話しかける。
ヒトとポケモンとの交流。愚かな。
男はこみ上げる笑いを表に出さぬようにして演説を続ける。
「そうしてこそ人間とポケモンははじめて対等になれるのです……」
「わからんよ…」「対等…」
予測していた通りの反応。上々だ、と男は思う。解釈の主導権は聴衆にあるようで、その実男の手の内にあった。
場の空気が男に支配されていく。完全に場を掌握した瞬間、少女が小さく身を震わせたのを彼は見逃さなかった。
――勘のいい少女だ。ワタクシの話に呑まれていないとは。
「……というところで、ワタクシ ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご静聴、感謝いたします」
男は小さくお辞儀すると、聴衆を満足げに見渡した。その中に先ほどの少女を見つける。
目が、合った。探るような青い瞳。
――名もなき子供が私を読み解けるとでも? 愚かな。
驚いたように目を開いた少女の瞳に自身の紅い眼が映るのを、彼は確かに見た。少女の瞳が揺らぐ。迷い、恐怖。しかし、青い瞳は抗うような光を失わず、彼の紅眼を見返した。
彼はすっと目を細めた。少女ははっとした顔をして視線を逸らす。
「ゲーチス様?」
横を歩いていた団員が、なかなか動かぬ男を心配するように名前を呼ぶ。
「ああ、すみません。少々考え事をしていてね。行きましょう、団員A」
深みを増した紅の瞳をゆるく開いて、彼は少女に背を向けた。
演説が終わった広場。踏まれた落ち葉がべたりと地面に張り付いていた。
春の風は人が一人もいなくなってもそこに花弁を落とし続けていた。