ゆめにっき
うなされて目が覚めると、携帯に着信が来ていた。折り返そうと手に取ると、再度の着信。ポニ子ちゃんからだった。木曜の晩のことだ。
「話を聴いてほしいの」
そう頼まれるのは初めてじゃない。二回目だ。前回は、役に立てた気がしなかった。また会っても仕方がないのではと思ったが、折角必要としてくれているのに断るのも悪かった。
先生不在の今、私を必要としてくれる人はたいへん貴重だ。私は身体の震えを抑えるのに必死だった。楽しみであるのと同じくらい、怖かった。もしうまく振る舞えなければ、もういらないと思われてしまうかもしれない。仮に、純粋な「友達」として会いたいと言ってくれていたんだとしても、そんな仮定はないのと一緒だった。
それで私は「いいよ」と答えた。電話の向こうの彼女はとても喜んで、翌日の放課後、彼女のクラスで会うことになった。
翌日、一時間目から登校した私は、周囲の視線が嫌というほど気になった。何がなくとも周囲が自分を責めているような気がして、授業が全て終わるころにはすっかり逃亡者のような気分になっていた。こんな気持ちのままでは、彼女の話をろくに聞けやしない。
誰もいなくなった教室で、気を晴らそうと飛び跳ねてみた。が、運動不足がたたって鼓動が速くなっただけだった。仕方がないので、諦めてポニ子ちゃんの教室に向かうことにした。
教室に向かう途中で、ポニ子ちゃんのクラスメイトとすれ違った。向こうが私を気にするはずがないのに、何だか見られているような気がして、私は手のひらに爪を立てた。もしここに先生がいたら、苦笑して私の手を開かせるところだが生憎先生はいない。今頃何をしているんだろうと思いかけて、やめる。
考えを断ち切るように、教室のドアを引いた。
「ようこそ窓付きちゃん」
ポニ子ちゃんは自分の机の上に座って待っていた。
「ああどうも、ポニ子ちゃん。今日はどうだった?」
「今日も同じ。本当の私を見せられるのはあなたにだけよ」
とポニ子ちゃん。それを聞いて、喜びと恐怖がないまぜになったような、得体の知れない感情が背中を駆け上がった。ぞくぞくする。自然に浮かびそうになる笑みをこらえ、
「そう」
と短く応えた。
「窓付きちゃんはどうだったの?」
「いつも通り、だったよ」
近況確認に無難に返す。
「つらかったのね」
「まあ、そうかも」
決めつけにも無難に返す。つらかった、なんて認めてしまうと危険だ。話を聴く場で感情を揺らしすぎるのは賢くない。
「それはともかく、ポニ子ちゃん。座ってもいいかな?」
「あ、ごめんね、気がつかなくって」
「ううん、気にしないで」
私はポニ子ちゃんの座っている席の隣の椅子を引き、彼女の方を向いて座った。話を聴く体勢だ。
「前に、傷つけるのが怖いって言ったでしょ?」
ポニ子ちゃんが喋り出す。
「あれからまた考えてたの。傷つけることを気にしてたら、何も喋れなくなっちゃう。だから、気にする気持ちを我慢して喋ってる。傷つけてても知らないふりをしてる。そしたらなんだか、自分がすごくひどい人みたいな感じがしてきて」
以前に話を聴いたときよりも、状態が悪化していた。ポニ子ちゃんは基本的に明るい性格で、そんなことまで考えて立ち止まるようなタイプではなかったと思う。かといって、病院に行け、だなんて言っても気を悪くするだろうから、言えない。私はただ、「ひどいと思ってるんだね」と相槌を打った。
「担任の先生に相談しても、全然わかってくれないの。何を言っても、真面目に聞いてくれなくて。あなたみたいないい子が人を傷付けるはずがない、気にしすぎだ、なんて。そんなわけないよね。みんな私に騙されてるのよ。私は相手を無意識に傷つけちゃうような子なのに、みんなはどうしてわからないんだろうって思う。できるだけ誤解を解かなきゃとは思うんだけど、せっかく騙されてくれてるのに自分からそれを壊すのは怖くって」
ポニ子ちゃんは、縋るような目で私を見た。
「本当に、誰にも言えないわ。わかってくれるのはあなただけ」
「そっか……」
曖昧に笑って、お茶を濁す。人の気持ちなんて他人にわかるわけがない。そんなことは言わないでおく。ポニ子ちゃんを繋ぎとめるには、彼女のことを否定しない方がいい。しかし、信頼している友達がそんなことを考えているなんて知ったら、彼女はどう思うんだろう。彼女だってたいがい「騙されてくれてる」よ、と思う。
話を聴くうちに日が傾いて、ポニ子ちゃんの話も出尽くしたようで、教室に静寂が落ちた。
「今日はありがとう。少し、気持ちが軽くなったわ」
と、ポニ子ちゃんは座っていた机から飛び降りた。
「いいえ。お互い様だよ」
「また話、聴いてね。電話してお願いするから」
「任せて。それじゃ」
またねと言い合って私とポニ子ちゃんは別れた。帰り道が逆なので、校舎を出るところまでしか一緒には帰れない。
わかってくれるのはあなただけ、か。夕日に照らされた道を歩きながら、自分がとても疲れていることに気付いた。
最近、何をするにもひどく疲れる。気の重い帰り道は二度とごめんだと思いながら、気の重い帰り道を繰り返す。生きているのが疲れることでも、生きるのをやめることはできない。周りに迷惑をかけるからだ。友達にも。
ポニ子ちゃんはきっと私を友達だと思ってくれている。だからこれからも、彼女の話を継続的に聴き続けようと思う。相手に必要とされている間は、関係をずっと保てるのだから。
商店街の曲がり角に差し掛かると、モノクロの影が伸びて、モノクロの彼女を思い出した。
モノ江ちゃんに対して、友達だなんて変な誤解をするんじゃなかった。友情関係はギブアンドギブ。与えることをやめたが最後だ。それなのに、与えてもいない相手を友達だなんて思わない方がいい。
周囲は夕焼けで真っ赤だった。私も真っ赤で道行く人々も真っ赤でみんな同じ色であるはずなのに、どこか馴染めない。同じ色にしてみても、私は世界から浮いている。錯覚かもしれないが、私がそう思うからそうなのだ。
「あなたは自分で自分を苦しめている。そういうことをする人たちは馬鹿ですよ」と昔先生は言った。そのときは賛同してみせたけど、後から考えるとやっぱりおかしい。馬鹿だってわかっていてもやめられないから、つらいのに。彼はどうしてわかってくれなかったんだろうと思う。
私は一人の帰り道で、恩人に向かって腹を立てている。恩人というのは先生のことだ。そして、私は恩知らずだ。しかし、本当は彼は恩人なんかじゃない。しかし、どうなんだろう。本当は彼は恩人かもしれない。考えがぐるぐる回り、本当は誰が何なのかわからなくなってきた。きっとお腹が空いているからだろう。
道行く人の目が、本当はこちらを見ていないはずなのに、私を見透かし腹の奥まで突き刺すようだった。
私は次の日から寝込み、月曜からまた、学校を休んだ。
ポニ子ちゃんからの電話はまだ来ていない。
「話を聴いてほしいの」
そう頼まれるのは初めてじゃない。二回目だ。前回は、役に立てた気がしなかった。また会っても仕方がないのではと思ったが、折角必要としてくれているのに断るのも悪かった。
先生不在の今、私を必要としてくれる人はたいへん貴重だ。私は身体の震えを抑えるのに必死だった。楽しみであるのと同じくらい、怖かった。もしうまく振る舞えなければ、もういらないと思われてしまうかもしれない。仮に、純粋な「友達」として会いたいと言ってくれていたんだとしても、そんな仮定はないのと一緒だった。
それで私は「いいよ」と答えた。電話の向こうの彼女はとても喜んで、翌日の放課後、彼女のクラスで会うことになった。
翌日、一時間目から登校した私は、周囲の視線が嫌というほど気になった。何がなくとも周囲が自分を責めているような気がして、授業が全て終わるころにはすっかり逃亡者のような気分になっていた。こんな気持ちのままでは、彼女の話をろくに聞けやしない。
誰もいなくなった教室で、気を晴らそうと飛び跳ねてみた。が、運動不足がたたって鼓動が速くなっただけだった。仕方がないので、諦めてポニ子ちゃんの教室に向かうことにした。
教室に向かう途中で、ポニ子ちゃんのクラスメイトとすれ違った。向こうが私を気にするはずがないのに、何だか見られているような気がして、私は手のひらに爪を立てた。もしここに先生がいたら、苦笑して私の手を開かせるところだが生憎先生はいない。今頃何をしているんだろうと思いかけて、やめる。
考えを断ち切るように、教室のドアを引いた。
「ようこそ窓付きちゃん」
ポニ子ちゃんは自分の机の上に座って待っていた。
「ああどうも、ポニ子ちゃん。今日はどうだった?」
「今日も同じ。本当の私を見せられるのはあなたにだけよ」
とポニ子ちゃん。それを聞いて、喜びと恐怖がないまぜになったような、得体の知れない感情が背中を駆け上がった。ぞくぞくする。自然に浮かびそうになる笑みをこらえ、
「そう」
と短く応えた。
「窓付きちゃんはどうだったの?」
「いつも通り、だったよ」
近況確認に無難に返す。
「つらかったのね」
「まあ、そうかも」
決めつけにも無難に返す。つらかった、なんて認めてしまうと危険だ。話を聴く場で感情を揺らしすぎるのは賢くない。
「それはともかく、ポニ子ちゃん。座ってもいいかな?」
「あ、ごめんね、気がつかなくって」
「ううん、気にしないで」
私はポニ子ちゃんの座っている席の隣の椅子を引き、彼女の方を向いて座った。話を聴く体勢だ。
「前に、傷つけるのが怖いって言ったでしょ?」
ポニ子ちゃんが喋り出す。
「あれからまた考えてたの。傷つけることを気にしてたら、何も喋れなくなっちゃう。だから、気にする気持ちを我慢して喋ってる。傷つけてても知らないふりをしてる。そしたらなんだか、自分がすごくひどい人みたいな感じがしてきて」
以前に話を聴いたときよりも、状態が悪化していた。ポニ子ちゃんは基本的に明るい性格で、そんなことまで考えて立ち止まるようなタイプではなかったと思う。かといって、病院に行け、だなんて言っても気を悪くするだろうから、言えない。私はただ、「ひどいと思ってるんだね」と相槌を打った。
「担任の先生に相談しても、全然わかってくれないの。何を言っても、真面目に聞いてくれなくて。あなたみたいないい子が人を傷付けるはずがない、気にしすぎだ、なんて。そんなわけないよね。みんな私に騙されてるのよ。私は相手を無意識に傷つけちゃうような子なのに、みんなはどうしてわからないんだろうって思う。できるだけ誤解を解かなきゃとは思うんだけど、せっかく騙されてくれてるのに自分からそれを壊すのは怖くって」
ポニ子ちゃんは、縋るような目で私を見た。
「本当に、誰にも言えないわ。わかってくれるのはあなただけ」
「そっか……」
曖昧に笑って、お茶を濁す。人の気持ちなんて他人にわかるわけがない。そんなことは言わないでおく。ポニ子ちゃんを繋ぎとめるには、彼女のことを否定しない方がいい。しかし、信頼している友達がそんなことを考えているなんて知ったら、彼女はどう思うんだろう。彼女だってたいがい「騙されてくれてる」よ、と思う。
話を聴くうちに日が傾いて、ポニ子ちゃんの話も出尽くしたようで、教室に静寂が落ちた。
「今日はありがとう。少し、気持ちが軽くなったわ」
と、ポニ子ちゃんは座っていた机から飛び降りた。
「いいえ。お互い様だよ」
「また話、聴いてね。電話してお願いするから」
「任せて。それじゃ」
またねと言い合って私とポニ子ちゃんは別れた。帰り道が逆なので、校舎を出るところまでしか一緒には帰れない。
わかってくれるのはあなただけ、か。夕日に照らされた道を歩きながら、自分がとても疲れていることに気付いた。
最近、何をするにもひどく疲れる。気の重い帰り道は二度とごめんだと思いながら、気の重い帰り道を繰り返す。生きているのが疲れることでも、生きるのをやめることはできない。周りに迷惑をかけるからだ。友達にも。
ポニ子ちゃんはきっと私を友達だと思ってくれている。だからこれからも、彼女の話を継続的に聴き続けようと思う。相手に必要とされている間は、関係をずっと保てるのだから。
商店街の曲がり角に差し掛かると、モノクロの影が伸びて、モノクロの彼女を思い出した。
モノ江ちゃんに対して、友達だなんて変な誤解をするんじゃなかった。友情関係はギブアンドギブ。与えることをやめたが最後だ。それなのに、与えてもいない相手を友達だなんて思わない方がいい。
周囲は夕焼けで真っ赤だった。私も真っ赤で道行く人々も真っ赤でみんな同じ色であるはずなのに、どこか馴染めない。同じ色にしてみても、私は世界から浮いている。錯覚かもしれないが、私がそう思うからそうなのだ。
「あなたは自分で自分を苦しめている。そういうことをする人たちは馬鹿ですよ」と昔先生は言った。そのときは賛同してみせたけど、後から考えるとやっぱりおかしい。馬鹿だってわかっていてもやめられないから、つらいのに。彼はどうしてわかってくれなかったんだろうと思う。
私は一人の帰り道で、恩人に向かって腹を立てている。恩人というのは先生のことだ。そして、私は恩知らずだ。しかし、本当は彼は恩人なんかじゃない。しかし、どうなんだろう。本当は彼は恩人かもしれない。考えがぐるぐる回り、本当は誰が何なのかわからなくなってきた。きっとお腹が空いているからだろう。
道行く人の目が、本当はこちらを見ていないはずなのに、私を見透かし腹の奥まで突き刺すようだった。
私は次の日から寝込み、月曜からまた、学校を休んだ。
ポニ子ちゃんからの電話はまだ来ていない。