そんな時もあったな、なんて

「ふぃ~、うまくいったね、弟子くんよくやったよ。初めてのオンフロアとは思えないほどいいプレイだった」
「ありがとうございます、師匠!」
「こういうとき師匠として何がしてやれるか……うーん。……そうだ! 弟子くん、飲みに行こう!」
「お、いいっすねー。師匠いけるクチですか?」
「そこそこ、かな。でもお酒は好きだよ」
「どこ行きます?」
「そういえば決めてなかったね」
「オレおすすめの店あるんすよね」
「そうなの? じゃあ、そこにしようか」
「師匠と飲むの何気に始めてだから、楽しみです」
「ふふふ」



「弟子くんの初フロアを祝って、かんぱーい」
「乾杯!」
 酒をあおる。相変わらずこの店のビールはうまい。一度師匠と来てみたいと思っていたから、来られてよかった。
「おいしいね、弟子くん」
「おいしいですか、よかった!」
「このモミジの天ぷらもいいね」
「モミジ山のモミジを使ってるらしいっすよ」
「へえ、そうなんだね。モミジの天ぷらなんて食べたことがなかったからどんなものかと思ったけど、おいしいね」
「おいしいでしょう」
「うん、おいしい。連れてきてくれてありがとう」
「ここの料理はまだまだこんなもんじゃないっすよ。よりどりみどりです。古今東西の酒と合わせてまさに食のパラダイス」
「楽しみだなあ。……パラダイスといえば、天空スパーランドにも呼ばれてみたいね」
「そうっすね。師匠の腕の見せ所!」
「そのときは弟子くんに任せちゃおうかな」
「いやさすがにそれは自信ないっす」
「いやいや。君は飲み込みが早いし、きっとできるよ」
 そこで師匠のグラスのビールが減っていることに気付き、ピッチャーから注ぐ。
「どうぞどうぞ」
「ありがとう、弟子くん」
 師匠はそれをぐいっと飲み干した。
「えっそんなペース速くて大丈夫すか?」
「せっかく来たんだしいっぱい飲みたいでしょう」
「じゃあ、どうぞどうぞ」
「ありがとう」



「……」
「師匠、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
「顔真っ赤ですよ」
「いいんだ、いやよくない」
「何がよくないんですか」
「よくないって君、あの人に決まってるでしょう」
「あの人って、ホテルの支配人ですか?」
「違う、あの人だよ」
「どの人ですか?」
「一人しかいないですよぉ。勝手にやってきて私たちキノピオを勝手に誘拐して遺跡に閉じ込めて、勝手に……」
 キノピサンドリアからキノピオたちを攫ったのはたしか、文房具の怪物だったと聞いている。
 そいつのことを言ってるんだろうか。
「ひどいよね。ひどいにもほどがある。勝手に攫って勝手に働かせて、勝手に褒めて勝手に……」
「褒めて?」
「あの人は何でも勝手なんだよ、自分勝手。ひどいと思わない?」
「ああ、そうっすよね、誘拐して働かせるとか、勝手ですよね」
 オレは師匠に相槌を打つ。が、
「ちがーう!」
「違うんすか」
「違くないけど、あってるけど、違うんだ」
「……どこが違うんすか」
「自分勝手なんだよあの人は。何もかも自分勝手なんだ。勝手に攫って、勝手に脅して、勝手に褒めて、勝手に私だけ穴を空けずに置いて、気まぐれなくせに、いつでも空けられたのに、結局最後まで空けないまま、お前となら、なんて言って」
「……」
「私が一番許せなかったのはね」
 どん、とグラスをテーブルに置く師匠。
「勝手に……私を置いて」
「……?」
「行ってしまったこと、ですよ……」
 うつむく師匠。
「師匠?」
 師匠はそのまま黙ってしまう。
「えーと……オレにはよくわかりませんけど、」
「……」
「師匠が今怒ってるの……ひょっとして、悲しいから、なんじゃないすか?」
「悲しくて怒ったりしないよ、私はただあの人が自分勝手だったのに怒ってるんだ……」
 駄々をこねるかのように、師匠。
 オレは続ける。
「置いて行かれたのが悲しいから、そいつが……『死ぬ』なんて思ってなくて、驚いて、悲しかった……そういうことなんじゃないですか」
「……君に何がわかる」
「何もわかりやしませんよ。所詮オレにとっては他人事なので」
「そう、だよね……いや、そう、なのか……私は」
 師匠はそこで言葉を切る。
「悲しかったのか……」
 再び黙り込む師匠。
 沈黙が落ちる。
 テーブルの上の皿は空っぽで、新しい料理を頼んだ方がいいかと思いながらも師匠はしこたま酔ってるしそろそろお開きにした方がいいかとも思う。
「師匠?」
「……」
 すやすやと寝息。
「寝てる……」



 それから師匠を家まで送り届けてオレも家に帰って、次の日。
「師匠~大丈夫っすか?」
「駄目です……頭痛い……」
「昨日のこと覚えてます?」
「弟子くんと二人で飲みに行って……モミジの天ぷらがおいしかったのは覚えてるんだけど……後半の記憶がない。もしかして連れて帰ってくれたの?」
「まあ、そうですね」
「うわ、ごめんね……ありがとう」
「何話したかとか覚えてます?」
「覚えてない……何か問題になるようなこと言ってた?」
「いや問題になるようなことは言ってなかったすけど……」
 言ってなかった、けど。
 あのことを、言おうか言うまいか迷う。
「言ってなかったか。まあ、私にもそれだけの自制心はあった、のか」
 師匠のサングラスの奥の瞳に影がさす。それを見て、
「……師匠」
「なんです?」
「あの人は……」
「あの人って誰です」
「一人しかいませんよ、師匠をキノピサンドリアから攫った奴」
「そんな人、いましたっけ?」
「師匠……」
「冗談ですよ。パンチさんのことですね」
「パンチっていうんですかそいつ」
「ええ。で、その人がどうかしましたか?」
「そいつは……」
 そこでオレは言葉を止める。わかった風なことは言えない、オレは部外者だし。じゃあ何が言えるか?
「師匠。……悲しんじゃいけないなんてことはないと思うんです。師匠にとってそいつが大事だったのか大事じゃなかったのかはオレが関与していいことじゃないけど、でも……悲しんだって、いいと思うんです」
「それは世間が許さないよ」
「世間が許さなくても……オレは許しますよ」
 はは、と師匠が笑った。
「私は悲しまないよ。でも……」
 師匠は俯く。
 その肩が、震える。
 慰めたかった、声をかけたかった、でもそれが許されるのはきっと「そいつ」だけだと思ったから。
 静かに泣く師匠を、オレはただ見ていた。
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