そんな時もあったな、なんて

「DJ」
「は、はい」
「今日は特別、おれッチの部屋に入っていいぜ」
「は、……え?」
「おう、おれッチの部屋に来たくねーってか?」
「そ、そういうわけでは……」
「じゃあ来いよ」
「え……は……はい……」
 私は恐る恐る天岩戸の向こうに入る。
 パンチさんは相変わらずあの赤くてきらきらしたソファに座っていた。
 その姿がなぜか眩しく見えて、私は目を細める。
 恐ろしい化け物の姿が眩しく見えるなんて、私はどうかしてしまったのだろうか。
「眠れねーんだ、話してくれよ」
 太陽のなくなったこの世界には昼も夜もない。
 パンチさんに命令されて色々な曲をあれこれかけさせられる中で、向こうからの反応が極端に少なくなって口出しがなくなったときに彼は寝ているのだと判断していた。そしてそのときに私も休息を取っていた。
 それはひどく不規則なものだったが、長く付き合わされるうちに、パンチさんがいつ眠るのか、そろそろ寝そうだとか起きそうだとか、そういうことがわかるようになってきた。
 そしてこの時間、そろそろ寝そうだなと思っていたときに、これだ。
「話す……何を話せば、いいですか」
「何でもいいぜー。好きに話せ。……こう言ってやってるおれッチ、優しくない? チョー優しいな? 感謝しろよ?」
「は、……あ、ありがとうございます」
「そうだ、だんだん覚えてきたな? 物わかりがいい奴は嫌いじゃないぜ、DJ」
「あ……りがとうございます」
「ハハ。さ、話せよ」
 話すと言っても何を話せばいいのか咄嗟には思いつかなかったが、ぐずぐずしていると穴を空けられかねない。私は必死で頭を回転させて、パンチさんの黄色を見て、
「草原」
「は?」
「モミジ山の大草原は……黄金なんです」
「黄金?」
「きらきらして、パンチさんの体みたいだなって……」
「草原がか?」
「ススキがたくさん生えていて、風が吹くとさらさら揺れるんです。日に照らされて、黄金はもっと輝いて、どこまでも続く金色に目が眩みそうになって」
「……」
「『隠されて』しまいそうだと……思うんです」
「隠されるゥ?」
「ほら、あの、神隠し、とかそういう……あるじゃないですか、昔話とか……」
「あァ」
 パンチさんは頷く。
「ペラペラが攫われてオリガミにされるみてーなことか」
「そっ……」
 突然肝の冷える例えをされて困ったが、私はなんとか、そうですね、と流す。
「あれもオマエらからすると神隠しみてーなもんだろ? オリー王もいい趣味してるよなー!」
「ハハ……」
 人の身体に躊躇なく穴を空けるパンチさんもいい趣味してると思いますよとは言えなかった。
「他になんかいい場所はねーのか?」
「えっと……うずまき川とか……」
「川?」
「川下りをやっているキノピオがいて、歌を歌ってくれるんです。私はその歌が結構好きで」
「歌か……よし、攫ってくるか」
「えっ」
「冗談だよ。おれッチは黄色テープの側を離れられねーし、攫いたくても攫いに行けねー」
「そうなんですか」
「ああ。シケた遺跡にしてはまあまあな場所に出来たとは思うが、おれッチもここに好きで引きこもってるわけじゃねえ」
「はい」
「オリー様の仕事が終わるまでは持ち場は離れられねーんだ、不本意ながらな」
「オリー様の仕事……?」
「……オマエには関係ねえよ、話を続けろ」
「……? はい……」
 妙な間を疑問には思ったが、それを指摘しても穴を空けられそうだったので私は次の話を考える。
「……大海原、とか」
「海か」
「とっても大きい海があるんです。キノピオタウンの桟橋から船に乗ると行けるんですけど」
「ああ、知ってる」
「知ってるんですか!?」
「おれッチはそこから来たからな」
「え、あそこから……?」
「どこかもよくわかんねー狭い島。おれッチの最初の記憶はそれだ」
「パンチさんの……最初の記憶……」
「気付いたら意識があって、気付いたらオリー様が目の前にいた。おれッチたちに命を与えたのはあいつだからな」
「……そんなこと、私に話してしまってもいいんですか」
「ちょっと穴空けただけで駄目になるチンケな紙ッペラ一匹ごときに話したって何がどうなるわけじゃなし、あいつも気にしないだろ。それに特に秘密にするような話でもないじゃん」
「でも、自分の生まれのことですよ。それって大事なことなんじゃ……」
「だから話したんだぜ?」
「へ?」
「言っただろ、オマエは『トクベツ』だって」
「あ、えっと」
「DJ、おれッチはオマエを『選んで』やったんだぜ? 感謝は?」
「あの、ありがとうございます……」
 こちらが選択する余地もなく強引に選ばれたことに対して感謝するような理由もないけれど、穴を空けられずに見逃してもらっているのは事実だし、それに対してはお礼を言った方が、……?
 何かがおかしいような気もするけれど、考えてもわからないし考えるような余裕もないし、まあ、いいのだろうか。
「ほんと優しいなーおれッチは。他の紙ッペラどもも感謝していいと思うんだがな。あ、感謝する口がねーから無理だったか! はは」
「……」
「な、DJ、他に話ねーの?」
「あ、えっと……」
 早く話さなければ。早く。さもないと他のキノピオたちのように、
「……」
 パンチさんは黙っている。おかしいな、いつもなら脅してくるところなのに、どうしてしまったのだろうか。
 ……草原、海、川、ときて。そうしたら次は、山、だろうか。
「さっきの大草原があるモミジ山は、モミジが赤くて綺麗なんです」
「ふーん」
「鮮烈な赤の情景はすごく、あの、心に焼き付くかのようで、一度見ると忘れられません」
「イカしてるのか」
「はい」
「……見てみてえな」
「……あの」
「ん?」
「これが終わったら……見に行きませんか」
 気付いたらそう言っていた。
 どうしてなのか、自分でもわからない。いつも恐ろしいこの人がふと漏らした色のない願いにほだされてしまったのかもしれない。紅いモミジ山にこの人の黄色の身体はとても映えるだろうな、なんて、そんなことまで考えて。
「見に行くって、オマエと? おれッチが?」
「す、すみません……失礼ですよね……」
「いや」
 パンチさんは珍しく機嫌のよさそうな声で続ける。
「気に入ったぜ。これが終わったら連れてってくれよ、モミジ山」
「……」
「モミジ山だけじゃねえ、世界だ。世界を旅して回ろうぜ。それでさ、思い付いたバイブスとリリックで、サイコーにイカした曲を作ってくれよ」
「……はい」
「じゃあおしまいだ、帰っていいぜ」
「えっと」
「それとも一緒に寝るかー? 今日は特別に許してやってもいいぜ」
「えっと、えっと」
「……冗談だよ。ちゃんと機器の手入れしとけよ」
 そう言って、パンチさんは私を部屋の外に放り出すと扉を閉めた。
「……旅」
 旅か。
 それもいいかもしれない。
 あの人は恐ろしい人で、誰彼構わず穴を空けて喜ぶような人でなしだけど、でも、
 こんな私を「トクベツ」だと言ってくれるような人は……あの人が始めてだったから。
 少しぐらいは。
 全てが終わったら。



 ……あの時のパンチさんはもう、自分が近いうちに死ぬということに気付いていたのかもしれない。
 本当のところはわからない。全てがあの人の、ただのいつもの気まぐれだったと、そう考えることもできる。
 でも。
「……パンチさん……」
 遺跡のフロアは今はもう片付けられてしまって、あの人を思い出させてくれるような物は何一つ残っていない。
「……」
 旅をしている。一人で。
 いい曲が書けるかどうかはわからない。でも、あのとき。恐ろしいだけだったあの人の、心、のようなものが、ほんの少しだけ、見えたような、通じ合えたような、そんな気がして、その心だけは忘れられない、忘れちゃいけないような気がして。
 私はもうしばらく、世界を回っていると思う。
 視界のどこかによぎる黄色を、探してしまうと思う。
 パンチさん。
 私の作る曲は、今でもあなたに届くでしょうか。
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