ペーパーマリオオリガミキング

 数日したらオールナイトだ。用意するミュージックディスクをオレも確認しておかないと。
 師匠は床に座り込んで、ディスクの整理をしていた。
「師匠」
 声をかける。
「ヒッ」
「……師匠?」
 師匠の上にオレの影が落ちている。
「どうしたんですか?」
「い、いや……ちょっとびっくりしただけ。なんでもないよ、弟子くん」
「……そうすか」

 最近、こういうことが増えた。
 オレのなんでもないような仕草に師匠がビビることが。
 そう、本当になんでもないような。棚のミュージックディスクを取るとか、さっきみたいに師匠の上に屈みこむとか、そういった、なんてことのない動作。
 そういうときの師匠は、サングラス越しの紫色の目は……俺を見ているように見えて、別の「何か」を見ているようだった。
 ……それが何かなんて知らない。師匠の過去なんて聞いてもはぐらかされるだけだし。
 だけど、それに気付いてしまったとき……どこか、面白くない、と思う自分がいるのも事実だった。

 オレ以外の誰かを見てるんですか。
 オレを見てるのに?
 どうして?

 聞きたくても、聞くわけにはいかない。
 オレと師匠は師弟関係にあるってだけで、プライベートでも仲がいいとかそういうわけじゃない。
 師匠はオレを自分の私的空間に踏み込ませようとしなかった。
 こんなに長く一緒にいるのに、オレは師匠の家すら知らない。



「それ、普通じゃね?」
 カフェで友人がグラスを揺らして俺に言う。
「……なんでだよ」
「だって仕事だろ? 上司の家とか知りたがるか、普通」
「オレと師匠は師弟だぜ。師弟って言ったら密な関係だろ」
「古風なんだよな~お前は。現代の師弟関係はもっとドライだろ。知らんけど」
「知らないのかよ」
「だってオレも責任取りたくないし」
「責任……」
 俺はコーヒーの水面をじっと見る。
 責任。
 ね。
「おーい、どうした」
「いや。なんか……過去に何かあるならそれを忘れてもらえるぐらい今を楽しくすればいいんじゃないかって」
「おう、重いね~。そんなこと考えるようなヤツだったっけ、お前?」
「元からこんなヤツだよオレは」
「そうかぁ? ……まあ、思い詰めすぎんなよ。何かあったら相談してくれればいいし」
「はは。頼りになるねー。ま、考えとくよ。……マスター、お会計」
 じゃあな、と友人。
 じゃあな、とオレ。
 ここからどうするかなんて自分自身にもわからなかった。



「師匠」
「何、弟子くん」
「週末、OEDOランドでも行きません?」
「え、どうしたの」
「たまには息抜きしたらどうかなって」
「……せっかくだけど、私は遠慮しておくよ」
「なんでですか」
「人が多いところ、好きじゃないんだ」
「毎晩DJしてるのに?」
「そういう話じゃなくて……なんだろうね」
「師匠」
 オレは師匠の上に屈みこむ。
「ん……ん!?」
 びく、と身体を震わせる師匠。
「…………」
「な、何かな……弟子くん……」
 この目は、オレを見てる、のか?
 それとも……
 サングラスの奥の目はうろうろと落ち着きがない。
 オレを見ているようで、どこか他の「誰か」を見ているようで。
 ぐ、と顔を近づける。
「な、な、何……ですか、」
「師匠……」
「ヒッ」
「ねえ、何があったんですか」
 気が付くと聞いていた。
「何が、って、何を……」
「師匠、オレが近付くとやけにビビりますよね……オレ、師匠に何かしました?」
「ち、ち、違うんだ……弟子くんが何かしたとかではなく、」
「じゃあ何ですか」
 至近距離。
「や、やめてください……穴を、空けないで……」
 そこで「察して」しまう。
 「あれ」の話だ。
 キノピサンドリアを襲って住人を攫ったという、大きな怪物の話。
「空けてあげましょうか」
「な、何を」
「さっき自分で言ったでしょ。穴ですよ」
 オレは何を言っているんだ?
「師匠」
「やめてください、空けないで……次こそノせてみせますから、穴だけは……」
「…………」
 オレはす、と身を引く。
「あ……」
 師匠の、サングラスの奥の、涙で滲んだ目を見て。
 オレは。
 ああ。
 どの口が「今を楽しく」なんて言ったのだろうかと。
 後悔しながら。まるで「そう」ではないかのように。
 ■んでいた。



「師匠」
「ヒッ……」
 それから師匠はオレが名前を呼ぶだけでビビるようになった。
 声をかければ震える。近付けば涙目になる。
 オレはそれが■しくて、ことあるごとに名前を呼んだ。
「今度のでかい仕事が終わったらパーティでもしませんか」
「ど、どこで……」
「師匠の家で」
「私の家で? それは……」
「逆らうんですか?」
「ヒッ」
「穴」
「すみません、どうぞ……私の家に来てください」
 ああ。
 ■しい。



 オールナイト。
 師匠は日頃のキョドりなんて嘘みたいに明るくて、ノリノリで、さすがオレの師匠、世界にたった一人だけの、神DJ。
 だと。



「弟子くん」
「なんですか」
「お願いがあるんだ」
 師匠の家。
 オレと師匠は約束通り、師匠の家でパーティーをしていた。
「こんなこと弟子くんにしか頼めないんだ、弟子くんだけが頼りなんだ」
「何ですか? 師匠の頼みならなんでも聞きますよ。どんなことでも」
「……してほしい」
「え」
「ころして」
「………」
 ぞわ、と身体が震えるのを感じる。
 オレにしか頼めない。
 オレにしか。
 オレだけが、頼り。
「ねえ、お願い……弟子くん。私には、君しかいないんだ」
 その瞳は。
 オレだけを移していて。
「……わかりました、師匠」
 オレはふらふらと、師匠の上に馬乗りになって、首を、
「ありがとう」
 締めて。
 締めて。
 締めて。
「……さん」
 最後の吐息で呼ばれたその名は果たしてオレだったのだろうか。



 気付いたときには師匠は白紙になっていた。
「……師匠」
 ぺらり、と床に落ちる、師匠、だったもの。
「………オレ、ですよね」
 返事はない。
「師匠が最後に呼んだのは……オレ……ですよね……?」
 答えなんてわかりきっていた、けれどもそれが返ることはなく。
 夕陽が照っていた。

 ――お話はこれで終わり。
10/18ページ
    スキ