天秤
「アヴェンジャー!」
小娘はこれまでの戸惑いが嘘だったかのように目を輝かせ、監獄塔の羽虫に駆け寄った。
「迎えにきてくれたんだね。でも、どうやってここに?」
「カルデアの全電力を術式の突破に使った。長くは保たない。こっちだ!」
羽虫が小娘の手を取り、抱き上げる。
小娘はこちらを一瞥もしない。
「俺の主を返してもらうぞ、魔術王」
私は何も応えなかった。
空間に空いた穴が閉じてゆく。
小娘は痕跡一つ残さず、この空間からいなくなった。
◆◆◆
バイタルチェックを受け、マイルームに戻る。長期間魔術王に捕らわれていたにも関わらず、私に身体的異常は全くなかった。
「魔術王はおまえをよほど丁寧に扱っていたらしい。それとも、傷つける度に修復していたか。覚えていないのか?」
「記憶を無くしてたときのことは全く思い出せないんだ……。ただ、アヴェンジャーの声を聞いた気がする」
「そうか……」
そう答えるアヴェンジャーはどこか満足したようだった。
「ごめんね、わざわざ助けに来てもらっちゃって。本当は私が導かなきゃいけない立場なのにね」
「俺はおまえのサーヴァント。おまえが危険な状況にあるならば、助けに行くのが俺の役目だ」
「うん、ありがとう。アヴェンジャーには頭が上がらないや」
そう言うと、アヴェンジャーは小さく笑った。
「心まで捕らわれたかと心配したが、杞憂だったようだな」
「え?」
「なんでもない。もう寝ろ」
ベッドに入ると、ふと違和感を覚えた。いつもいる誰かがいないような。
そんなはずはない。カルデアに来る前から私は一人で寝ていたからだ。
アヴェンジャーを呼び戻そうかと思ったけれど、さすがに一緒に寝てとは頼めない。
明日になればそんな違和感なんて忘れてしまうだろう。そう思って、私は布団を頭まで引き上げた。
◆
小娘がいなくなった城で、小娘にやる予定だった本を手持ち無沙汰にめくる。
囚われの姫を隣国の王子が助ける冒険物だった。
「くだらない」
私は吐き捨てると、本を閉じた。
「ソロモン様……」
使い魔が気遣わしそうに声をかけてくる。
「片づけておけ」
「はっ」
私は短く命令し、使い魔を下がらせた。
何もかも、あるべきところへ戻っただけだ。私は自分に言い聞かせた。
何にせよ、残るのは私一人だ。
感傷になど浸るはずもなかった。胸の内にある寂寥感に似たものを、私は見ないふりをした。
◆
◆
◆
「アヴェンジャー!」
巌窟王の放った一撃がゲーティアの霊格を貫く。
双方ともにぎりぎりの状態でどちらが先に倒れてもおかしくない戦いを制したのは、私たちの方だった。
最終決戦に連れてきていたサーヴァントたちは魔神王戦で倒れ、魔人王戦で倒れ、最後に立っていたのはアヴェンジャーただ一人だった。
その彼も、最後の一撃で力を使い切ったのか足元から消え始めている。
あとは消滅を待つのみとなったゲーティアがアヴェンジャーから視線を外し、私の方を見る。
黒曜石の瞳。以前のクリーム色だったそれを見慣れた私にとっては慣れぬ色であったが、その瞳の輝きは以前と同じものだ。とまで考えて、ふと違和感を感じた。
見慣れていた? 私はなぜ、魔術王の瞳を見慣れていたなどと思ったのだろう。彼と会ったのはロンドンから数えてたった二回目だというのに。
「立香」
アヴェンジャーが私を呼んだ。
我に返って振り返ると、彼は胸元まで消えかかっていた。
「……大丈夫? じゃないよね。先に帰っていいから、心配しないで」
心配しないように伝えたのにアヴェンジャーは表情を全く変えず、低く囁いた。
「アレにもはや力はない。だが、奴は腐っても人類悪。間違っても心を許すな」
「……え? 油断はしないよ。大丈夫」
「必ず帰って来ると約束しろ」
「もちろん! 全速力で帰るから、待っててね!」
私の言葉を聞いて安心したように笑うと、アヴェンジャーは消滅した。
あとでね、と言ってから、ゲーティアに視線を戻す。
ゲーティアは無表情で私を見ていた。
おかしい。こんなことが前にもあった気がする。
次の瞬間、何かが脳裏を駆け抜けた。
『そろそろ中に入れ、風邪をひくぞ』
『私には全てが見えているのだ。見つけられないということはありえない』
『礼はいいと言っている』
『もう1ヵ月共にいるのだ、私の行く場所ぐらいわからずにいてどうする』
『記憶などそのうち思い出すだろう、焦らずともいい』
「『小娘』」
私ははっとしてゲーティアを見た。
「ソロモン……」
「ようやく思い出したか、カルデアのマスターよ」
「そんな……どうして……私……」
ふらりとゲーティアの方へ足を踏み出す。
「驚愕に彩られた顔も美しい。そのような感情をこの姿になって初めて抱いたが、さて」
「ゲーティア……」
「そう悲しそうな顔をするな、立香」
ゲーティアの手が私に伸ばされる。
「お前と過ごしたあの日常、存外悪くはなかったぞ」
「――ゲーティア――!」
「――――いや、まったく」「……不思議なほど、面白いな。人の、人生というヤツは――」
その手が頬に触れるか触れないかのところで、ゲーティアの身体はかき消えた。
「よし、映像が戻った! 何があった、とかはもう後回し! 急ぎたまえ立香! カルデアも時間神殿から離れ始めた! レイシフト地点まで、早く! こちらもギリギリまで待機する!」
呆然としていた意識を引き戻して、なんとかそれに応える。
そうだ、必ず帰ると約束をした。
「……行かなきゃ」
◆
「戻ったか」
マシュと別れてマイルームに入ると、アヴェンジャーが待っていた。
「残っててくれたんだ」
「当然だ。俺はおまえのサーヴァントだろう」
「うん……」
「ひとまずおめでとうと言いたいところだが、その様子。俺の忠告は意味を成さなかったようだな」
アヴェンジャーがこちらを睨む。
「……知ってるの?」
「何があったか、までは知らん。が……予想はつく。マスター、記憶に絆されるなよ。振る舞いがどうあろうと、アレは敵であったのだから」
「でも……もっと早く思い出せていれば止められたのかもしれない」
私は目を伏せた。
「そんな余地がどこにあった」
アヴェンジャーの輪郭が漏れ出す炎でゆらめいた。耳元でごう、という音がする。毒の炎が燃えている。
「奴に情などなかった。あるように見えたとしても、それは見せかけだ。人の心がわからぬ魔神に人の心があるはずもない」
「……」
「本来はあるはずのなかった記憶だということを忘れるな。失われた日々に想いを馳せても、おまえの傷を深くするだけだ」
ふ、と炎の勢いが弱まった。
「今日はもう休め。人理修復という大仕事の後だ、疲れもたまっているだろう。何も考えずに眠るがいい」
言い残して、アヴェンジャーは霊体化した。
「そんなこと言われても、考えちゃうよ……」
応える者はいない。アヴェンジャーは既に部屋から退出したようだ。
「……」
私はのろのろと着替え、ベッドに入った。以前感じた、誰かがいないような違和感は気のせいではなかったらしい。
最後に頬に触れた指の感触を思い出す。
『立香』
愛おしそうにこちらを見ていたその目を忘れたくて、私は布団を頭まで引き上げた。
End1.「人理修復」
小娘はこれまでの戸惑いが嘘だったかのように目を輝かせ、監獄塔の羽虫に駆け寄った。
「迎えにきてくれたんだね。でも、どうやってここに?」
「カルデアの全電力を術式の突破に使った。長くは保たない。こっちだ!」
羽虫が小娘の手を取り、抱き上げる。
小娘はこちらを一瞥もしない。
「俺の主を返してもらうぞ、魔術王」
私は何も応えなかった。
空間に空いた穴が閉じてゆく。
小娘は痕跡一つ残さず、この空間からいなくなった。
◆◆◆
バイタルチェックを受け、マイルームに戻る。長期間魔術王に捕らわれていたにも関わらず、私に身体的異常は全くなかった。
「魔術王はおまえをよほど丁寧に扱っていたらしい。それとも、傷つける度に修復していたか。覚えていないのか?」
「記憶を無くしてたときのことは全く思い出せないんだ……。ただ、アヴェンジャーの声を聞いた気がする」
「そうか……」
そう答えるアヴェンジャーはどこか満足したようだった。
「ごめんね、わざわざ助けに来てもらっちゃって。本当は私が導かなきゃいけない立場なのにね」
「俺はおまえのサーヴァント。おまえが危険な状況にあるならば、助けに行くのが俺の役目だ」
「うん、ありがとう。アヴェンジャーには頭が上がらないや」
そう言うと、アヴェンジャーは小さく笑った。
「心まで捕らわれたかと心配したが、杞憂だったようだな」
「え?」
「なんでもない。もう寝ろ」
ベッドに入ると、ふと違和感を覚えた。いつもいる誰かがいないような。
そんなはずはない。カルデアに来る前から私は一人で寝ていたからだ。
アヴェンジャーを呼び戻そうかと思ったけれど、さすがに一緒に寝てとは頼めない。
明日になればそんな違和感なんて忘れてしまうだろう。そう思って、私は布団を頭まで引き上げた。
◆
小娘がいなくなった城で、小娘にやる予定だった本を手持ち無沙汰にめくる。
囚われの姫を隣国の王子が助ける冒険物だった。
「くだらない」
私は吐き捨てると、本を閉じた。
「ソロモン様……」
使い魔が気遣わしそうに声をかけてくる。
「片づけておけ」
「はっ」
私は短く命令し、使い魔を下がらせた。
何もかも、あるべきところへ戻っただけだ。私は自分に言い聞かせた。
何にせよ、残るのは私一人だ。
感傷になど浸るはずもなかった。胸の内にある寂寥感に似たものを、私は見ないふりをした。
◆
◆
◆
「アヴェンジャー!」
巌窟王の放った一撃がゲーティアの霊格を貫く。
双方ともにぎりぎりの状態でどちらが先に倒れてもおかしくない戦いを制したのは、私たちの方だった。
最終決戦に連れてきていたサーヴァントたちは魔神王戦で倒れ、魔人王戦で倒れ、最後に立っていたのはアヴェンジャーただ一人だった。
その彼も、最後の一撃で力を使い切ったのか足元から消え始めている。
あとは消滅を待つのみとなったゲーティアがアヴェンジャーから視線を外し、私の方を見る。
黒曜石の瞳。以前のクリーム色だったそれを見慣れた私にとっては慣れぬ色であったが、その瞳の輝きは以前と同じものだ。とまで考えて、ふと違和感を感じた。
見慣れていた? 私はなぜ、魔術王の瞳を見慣れていたなどと思ったのだろう。彼と会ったのはロンドンから数えてたった二回目だというのに。
「立香」
アヴェンジャーが私を呼んだ。
我に返って振り返ると、彼は胸元まで消えかかっていた。
「……大丈夫? じゃないよね。先に帰っていいから、心配しないで」
心配しないように伝えたのにアヴェンジャーは表情を全く変えず、低く囁いた。
「アレにもはや力はない。だが、奴は腐っても人類悪。間違っても心を許すな」
「……え? 油断はしないよ。大丈夫」
「必ず帰って来ると約束しろ」
「もちろん! 全速力で帰るから、待っててね!」
私の言葉を聞いて安心したように笑うと、アヴェンジャーは消滅した。
あとでね、と言ってから、ゲーティアに視線を戻す。
ゲーティアは無表情で私を見ていた。
おかしい。こんなことが前にもあった気がする。
次の瞬間、何かが脳裏を駆け抜けた。
『そろそろ中に入れ、風邪をひくぞ』
『私には全てが見えているのだ。見つけられないということはありえない』
『礼はいいと言っている』
『もう1ヵ月共にいるのだ、私の行く場所ぐらいわからずにいてどうする』
『記憶などそのうち思い出すだろう、焦らずともいい』
「『小娘』」
私ははっとしてゲーティアを見た。
「ソロモン……」
「ようやく思い出したか、カルデアのマスターよ」
「そんな……どうして……私……」
ふらりとゲーティアの方へ足を踏み出す。
「驚愕に彩られた顔も美しい。そのような感情をこの姿になって初めて抱いたが、さて」
「ゲーティア……」
「そう悲しそうな顔をするな、立香」
ゲーティアの手が私に伸ばされる。
「お前と過ごしたあの日常、存外悪くはなかったぞ」
「――ゲーティア――!」
「――――いや、まったく」「……不思議なほど、面白いな。人の、人生というヤツは――」
その手が頬に触れるか触れないかのところで、ゲーティアの身体はかき消えた。
「よし、映像が戻った! 何があった、とかはもう後回し! 急ぎたまえ立香! カルデアも時間神殿から離れ始めた! レイシフト地点まで、早く! こちらもギリギリまで待機する!」
呆然としていた意識を引き戻して、なんとかそれに応える。
そうだ、必ず帰ると約束をした。
「……行かなきゃ」
◆
「戻ったか」
マシュと別れてマイルームに入ると、アヴェンジャーが待っていた。
「残っててくれたんだ」
「当然だ。俺はおまえのサーヴァントだろう」
「うん……」
「ひとまずおめでとうと言いたいところだが、その様子。俺の忠告は意味を成さなかったようだな」
アヴェンジャーがこちらを睨む。
「……知ってるの?」
「何があったか、までは知らん。が……予想はつく。マスター、記憶に絆されるなよ。振る舞いがどうあろうと、アレは敵であったのだから」
「でも……もっと早く思い出せていれば止められたのかもしれない」
私は目を伏せた。
「そんな余地がどこにあった」
アヴェンジャーの輪郭が漏れ出す炎でゆらめいた。耳元でごう、という音がする。毒の炎が燃えている。
「奴に情などなかった。あるように見えたとしても、それは見せかけだ。人の心がわからぬ魔神に人の心があるはずもない」
「……」
「本来はあるはずのなかった記憶だということを忘れるな。失われた日々に想いを馳せても、おまえの傷を深くするだけだ」
ふ、と炎の勢いが弱まった。
「今日はもう休め。人理修復という大仕事の後だ、疲れもたまっているだろう。何も考えずに眠るがいい」
言い残して、アヴェンジャーは霊体化した。
「そんなこと言われても、考えちゃうよ……」
応える者はいない。アヴェンジャーは既に部屋から退出したようだ。
「……」
私はのろのろと着替え、ベッドに入った。以前感じた、誰かがいないような違和感は気のせいではなかったらしい。
最後に頬に触れた指の感触を思い出す。
『立香』
愛おしそうにこちらを見ていたその目を忘れたくて、私は布団を頭まで引き上げた。
End1.「人理修復」