Fate/Grand Order
年末に世界を救ったマスターは、新年を迎えても特に休むことなく種火集めに勤しんでいた。その様子はどことなく何かに追われているようにも見えたが、終局特異点からの唯一の未帰還者ロマニ・アーキマンの件を考えたくないせいだろうと職員・サーヴァントたちは解釈していた。サーヴァントたちはともあれ、職員たちの中にも仕事に没頭することで悲しみを紛らわしている者がいたからだ。
そんなある日のこと。
「ちょっとアンタ、この前の話はどうなったのよ」
種火集めからの帰り、マスターに声をかけたサーヴァントがいた。エリザベート・バートリー。カルデアにいるサーヴァントの中ではそこそこ古株に入るランサーだ。マイルームに入ろうとしていたマスターは、振り返ってエリザベートに向き合った。
「何の話だったっけ?」
「紋様の話よ」
エリザベートは尻尾を軽く一振りした。ああ、とマスター。
「そういえばエリちゃんに相談したこともあったね。あんな綺麗な紋様は初めて見たとか言って」
当時を思い出したのか、マスターは遠い目をして微笑んだ。
「一回だけじゃなかったでしょ」
「あ、うん、マシュにしか興味なさそうだったソロモンが監獄塔でこっちを気にしてくれてたとわかったとか喜んでた記憶」
「そうよ。バカみたいなこと言うから呆れちゃったわ。その後私と二人きりになる度にアイツの話ばかりするし。それで飽きもせず、最終決戦前は」
「あの紋様をもう一度見られるって舞い上がってました」
「わざわざマイルームに呼ぶから何かと思ったら、戦うのが怖いとかじゃなくて紋様見るのが楽しみ、なんて何も言えないわ」
「戦うのは怖いってのも言ったよ!」
「わかってるわよ、」
エリザベートは何事か続けようとしたが、面白くなさそうな顔をしてやめた。マスターはそれに気付いているのかいないのか、でもさ、と言った。
「あんなに楽しみにして行った紋様も今やゲーティアやロマンと一緒に消えちゃって」
眉を下げて笑うマスター。
「悲しいの?」
「どうだろう……生身にっていうか、何者かの身体に刻まれた紋様なんかは消え去るからこそ美しいんだよね。消え去ってから改めてその美しさを想えるっていうかさ。だから結局倒したことで紋様の美が完成したような気さえするよね。うん」
マスターは一人で頷きながら虚空をぼんやり見つめる。エリザベートははあ、とため息をつきながらマスターを睨んだ。
「あんなに夢中になってアイツの話をしてたアンタが最終決戦のあとから全くその話をしないから、どう思ってるのかしらと気になってたけど。ショックを感じてると思って気を遣った私がバカだったのかしら」
「いや」
宙を見ていたマスターの視線がエリザベートに戻る。
「そりゃショックだよ」
「そうよね」
「ショックだけどね……今までそんなに実感なかったんだよね。エリちゃんと話しててようやく思い出したというか」
考えるかのように片手を頬に当てるマスター。
「ふーん。それはよっぽどね」
「よっぽど非人間的ということ?」
「違うわよ。身体を丸めたアルマジロ状態ってコト」
「えっよくわからない……防御してるってこと? そんなつもりはないけどな」
「まあ、アンタがそんな状態なら無理に考えなくていいわ。話したくなったら呼んで頂戴」
エリザベートはくるりと後ろを向いた。
「ま、待ってエリちゃん」
「何よ?」
マスターは言いにくそうにエリザベートを下から見た。
「一人になるとそのことを考えちゃうかもしれない。から、ちょっと話を聞いてほしいかも……」
「あ、そ。じゃ、話しなさいよ」
「マイルームでいい? ソロモン……っていうかゲーティアの話なんて他の人に聞かれたらどうなるかわからないし。コーヒーでも飲みながら」
「私は紅茶がいいわ」
「了解。入れるから入って入って」
マスターがマイルーム入口の端末を軽く操作すると、軽い音を立ててドアが開いた。センサーが人の気配を感知し、明かりが点く。
「邪魔するわ」
「どうぞ。それじゃあエリちゃんはそこの椅子に座ってて」
マスターは引き出しからマグカップと紅茶の箱を取り出し、ティーバッグをカップに入れて備え付けのサーバーから湯を注いだ。
「食堂じゃないからティーバッグだけど、はい」
そう言ってマスターはエリザベートにカップを渡し、開けっ放しだった引き出しからティーバッグを置くための小皿を出してテーブルの上に置く。そして引き出しを閉めると、お湯出し口に置いていた自分の分のカップを持ってベッドに腰掛けた。
しばらく二人は無言で紅茶が出るのを眺めていた。二分ほど経ってから、エリザベートがカップに口をつけた。一口飲む。
「まあまあね」
「ありがとう」
エリザベートはカップをテーブルの上に置き、マスターの方は自分のカップを両手で持って膝に下ろした。
「ドクターのお気に入りをちょろまかしてたティーバッグも残りわずか。この箱が終わったら補充しなきゃね。カルデア共通のティーバッグは違うやつだから味は変わっちゃうけど」
「外の世界が戻ったんだから、取り寄せればいいじゃない」
「外はまだ混乱しててね……この状況で補給物資の追加注文とかは頼みにくい。かろうじて現状維持の補給はしてくれてるって状態だし。状況が安定するまで箱は捨てないで取っとかないとね」
「ふーん。じゃ、そうすれば?」
「うん」
マスターは紅茶を一口啜り、熱いねと言ってから少し黙った。空調の運転音が部屋に響く。カルデアの空調設備のおかげで室内は適温が保たれているが、外は相変わらずの吹雪であった。
「……美しさに打ちのめされたのなんて初めてだったよ」
「ええ」
相槌を打ちながら、紋様の話ね、と思うエリザベート。
「英雄王の身体の紋様を綺麗だなと思ったことはあるけど、魔術王の紋様はまた別種の美しさだった。紋様の数と、人間の考えた意味が細部にまで込められているという点での美しさ。一目見て忘れられなくなった。聖杯を回収してソロモンの玉座に向かうのは、人理焼却で自分や周囲の人が死ぬのは嫌だからという気持ちはもちろんあったけど、あの紋様をもう一度見たいという気持ちもあったから」
カップからは湯気が立ち昇っている。
「でもさ、もう一度会うときはソロモンを倒すときだから、何て言うかな、ソロモン……私がソロモンだと認識してたのはゲーティアで、あの紋様もたぶんゲーティア本体に関係するものだったと思うんだけど、ゲーティアは私たちに倒されて、同時にあの紋様も失われてしまった」
マスターが言葉を切る。エリザベートは黙ったまま頷いてみせた。
「ショックだよ。もう二度とあれを見られないんだもの。写真でも撮っておけばよかったと思ったけど、写真じゃ現物の雰囲気は伝わらない」
「どっちにしても、あのとき写真を撮る暇なんてなかったわよ」
「うん」
エリザベートはテーブルの上のカップを一瞥し、じゃあ、と言った。
「じゃあ、アンタは紋様が失われたのがとんでもなく悲しい。それだけってワケ? 他にはないの」
「え?」
マスターはきょとんとした顔をしたが、すぐに思い当たった風で、ああ、と言った。
「ドクターが消えちゃったのは悲しいよ。でもそれはどうしようもないことだよね。ドクターは自分の意思で私たちの未来を救ってくれたんだし、それで私に落ち込んでほしかったかといえば違うと思うんだ。まあでも落ち込むなという方が無理だし、悲しいものは悲しいんだけどね」
竜の尻尾がゆっくりと振られた。
「そのことじゃないわよ。私もファンが一人減ったのは残念だったけど、それは置いといて。……アンタが悲しいのは紋様がなくなったことだけで、ゲーティア自身が消えたことについては何も思ってないのかってコト」
「……」
カップを握りしめたまま目元を笑みの形にするマスター。
「線香花火みたいだったよね」
「何が」
「ゲーティアの最後」
マスターがカップに目を落とす。
「最後に人間の精神性を理解して、実践して、あっという間に消えてしまったっていう感想」
少し冷めた紅茶を啜って、続ける。
「だけどさ、人間の精神性なんか理解しなくてもよかったのにね。人間を理解できない者の身体に人間活動から生まれた紋様が刻まれている、それが美しかったのに」
あー、とエリザベートは言った。
「アンタってほんと自分勝手ね。私も人の事言えないけど」
「そう? 思いやりはあると自負してきたけどなあ」
「ロマンと同じく、ゲーティアも自分の最後……人の人生に満足して逝ったワケでしょ。それに難癖つけてどうするのよ」
「いや単に惜しかっただけだよ。悪役は悪役として逝ってほしかったなと。完全にこちらを運命の相手と定められてもね、冷めちゃうし。紋様への気持ちは変わらないけどさ」
「紋様への気持ちが変わらないんなら、何が冷めるのよ。この紅茶は冷めてるケド」
エリザベートはそう言うと、カップを持ち上げて紅茶を二、三口飲んだ。
「何が、って……何だろう」
マスターの目が澱む。
「私は紋様が好きだったんであって、それ以外の気持ちをソロモ……ゲーティアに持っていたなんてことあるのかな? 憎しみ? 憎しみは簡単に冷めるとは考え難いし……怒りとか。でも腹が立ったことはないな、あいつのやってることは嫌ではあったけど」
「にっぶいわね!」
ダン、とカップをテーブルに置くエリザベート。
「そのうち気付くわよねと思って言わないでおいたのに、いつまで経っても気付かないから言い出す機会失っちゃったじゃない! 出会ってから目下そいつの話ばかり、他の子に目が向いてたら気になって、自分に向いてたら嬉しくなる。それにアイツの話をしてるときのアンタの顔! 好きですって書いてあったわよ!」
「書いて……」
「ああもう大声出させないで、頭痛がひどくなるじゃない!」
「好き……とか」
エリザベートの苦情を聞いていないかのようにマスターは呟く。
「言われてみればそうかもしれない」
でも、と続ける。
「もう彼は消えてしまったから」
エリザベートは頭を押さえていた手を離し、マスターを見た。マスターは言の葉を継ぐ。
「消えてしまった者のことを想い続けるなんて、苦行だよね。だから、最後に冷めてよかったんだよ」
「ホントに?」
エリザベートはマスターから視線を外さない。
「そんなに簡単に冷めるモノ?」
全てを見透かすような視線にマスターはたじろいだ。
「思い出してみなさいよ、ゲーティア……ソロモンの姿の方かしら、小ジカが好きになったのは」
マスターはじっと考え、そして答えた。
「胸の辺りが熱いんだ、今も、まだ」
(了)
そんなある日のこと。
「ちょっとアンタ、この前の話はどうなったのよ」
種火集めからの帰り、マスターに声をかけたサーヴァントがいた。エリザベート・バートリー。カルデアにいるサーヴァントの中ではそこそこ古株に入るランサーだ。マイルームに入ろうとしていたマスターは、振り返ってエリザベートに向き合った。
「何の話だったっけ?」
「紋様の話よ」
エリザベートは尻尾を軽く一振りした。ああ、とマスター。
「そういえばエリちゃんに相談したこともあったね。あんな綺麗な紋様は初めて見たとか言って」
当時を思い出したのか、マスターは遠い目をして微笑んだ。
「一回だけじゃなかったでしょ」
「あ、うん、マシュにしか興味なさそうだったソロモンが監獄塔でこっちを気にしてくれてたとわかったとか喜んでた記憶」
「そうよ。バカみたいなこと言うから呆れちゃったわ。その後私と二人きりになる度にアイツの話ばかりするし。それで飽きもせず、最終決戦前は」
「あの紋様をもう一度見られるって舞い上がってました」
「わざわざマイルームに呼ぶから何かと思ったら、戦うのが怖いとかじゃなくて紋様見るのが楽しみ、なんて何も言えないわ」
「戦うのは怖いってのも言ったよ!」
「わかってるわよ、」
エリザベートは何事か続けようとしたが、面白くなさそうな顔をしてやめた。マスターはそれに気付いているのかいないのか、でもさ、と言った。
「あんなに楽しみにして行った紋様も今やゲーティアやロマンと一緒に消えちゃって」
眉を下げて笑うマスター。
「悲しいの?」
「どうだろう……生身にっていうか、何者かの身体に刻まれた紋様なんかは消え去るからこそ美しいんだよね。消え去ってから改めてその美しさを想えるっていうかさ。だから結局倒したことで紋様の美が完成したような気さえするよね。うん」
マスターは一人で頷きながら虚空をぼんやり見つめる。エリザベートははあ、とため息をつきながらマスターを睨んだ。
「あんなに夢中になってアイツの話をしてたアンタが最終決戦のあとから全くその話をしないから、どう思ってるのかしらと気になってたけど。ショックを感じてると思って気を遣った私がバカだったのかしら」
「いや」
宙を見ていたマスターの視線がエリザベートに戻る。
「そりゃショックだよ」
「そうよね」
「ショックだけどね……今までそんなに実感なかったんだよね。エリちゃんと話しててようやく思い出したというか」
考えるかのように片手を頬に当てるマスター。
「ふーん。それはよっぽどね」
「よっぽど非人間的ということ?」
「違うわよ。身体を丸めたアルマジロ状態ってコト」
「えっよくわからない……防御してるってこと? そんなつもりはないけどな」
「まあ、アンタがそんな状態なら無理に考えなくていいわ。話したくなったら呼んで頂戴」
エリザベートはくるりと後ろを向いた。
「ま、待ってエリちゃん」
「何よ?」
マスターは言いにくそうにエリザベートを下から見た。
「一人になるとそのことを考えちゃうかもしれない。から、ちょっと話を聞いてほしいかも……」
「あ、そ。じゃ、話しなさいよ」
「マイルームでいい? ソロモン……っていうかゲーティアの話なんて他の人に聞かれたらどうなるかわからないし。コーヒーでも飲みながら」
「私は紅茶がいいわ」
「了解。入れるから入って入って」
マスターがマイルーム入口の端末を軽く操作すると、軽い音を立ててドアが開いた。センサーが人の気配を感知し、明かりが点く。
「邪魔するわ」
「どうぞ。それじゃあエリちゃんはそこの椅子に座ってて」
マスターは引き出しからマグカップと紅茶の箱を取り出し、ティーバッグをカップに入れて備え付けのサーバーから湯を注いだ。
「食堂じゃないからティーバッグだけど、はい」
そう言ってマスターはエリザベートにカップを渡し、開けっ放しだった引き出しからティーバッグを置くための小皿を出してテーブルの上に置く。そして引き出しを閉めると、お湯出し口に置いていた自分の分のカップを持ってベッドに腰掛けた。
しばらく二人は無言で紅茶が出るのを眺めていた。二分ほど経ってから、エリザベートがカップに口をつけた。一口飲む。
「まあまあね」
「ありがとう」
エリザベートはカップをテーブルの上に置き、マスターの方は自分のカップを両手で持って膝に下ろした。
「ドクターのお気に入りをちょろまかしてたティーバッグも残りわずか。この箱が終わったら補充しなきゃね。カルデア共通のティーバッグは違うやつだから味は変わっちゃうけど」
「外の世界が戻ったんだから、取り寄せればいいじゃない」
「外はまだ混乱しててね……この状況で補給物資の追加注文とかは頼みにくい。かろうじて現状維持の補給はしてくれてるって状態だし。状況が安定するまで箱は捨てないで取っとかないとね」
「ふーん。じゃ、そうすれば?」
「うん」
マスターは紅茶を一口啜り、熱いねと言ってから少し黙った。空調の運転音が部屋に響く。カルデアの空調設備のおかげで室内は適温が保たれているが、外は相変わらずの吹雪であった。
「……美しさに打ちのめされたのなんて初めてだったよ」
「ええ」
相槌を打ちながら、紋様の話ね、と思うエリザベート。
「英雄王の身体の紋様を綺麗だなと思ったことはあるけど、魔術王の紋様はまた別種の美しさだった。紋様の数と、人間の考えた意味が細部にまで込められているという点での美しさ。一目見て忘れられなくなった。聖杯を回収してソロモンの玉座に向かうのは、人理焼却で自分や周囲の人が死ぬのは嫌だからという気持ちはもちろんあったけど、あの紋様をもう一度見たいという気持ちもあったから」
カップからは湯気が立ち昇っている。
「でもさ、もう一度会うときはソロモンを倒すときだから、何て言うかな、ソロモン……私がソロモンだと認識してたのはゲーティアで、あの紋様もたぶんゲーティア本体に関係するものだったと思うんだけど、ゲーティアは私たちに倒されて、同時にあの紋様も失われてしまった」
マスターが言葉を切る。エリザベートは黙ったまま頷いてみせた。
「ショックだよ。もう二度とあれを見られないんだもの。写真でも撮っておけばよかったと思ったけど、写真じゃ現物の雰囲気は伝わらない」
「どっちにしても、あのとき写真を撮る暇なんてなかったわよ」
「うん」
エリザベートはテーブルの上のカップを一瞥し、じゃあ、と言った。
「じゃあ、アンタは紋様が失われたのがとんでもなく悲しい。それだけってワケ? 他にはないの」
「え?」
マスターはきょとんとした顔をしたが、すぐに思い当たった風で、ああ、と言った。
「ドクターが消えちゃったのは悲しいよ。でもそれはどうしようもないことだよね。ドクターは自分の意思で私たちの未来を救ってくれたんだし、それで私に落ち込んでほしかったかといえば違うと思うんだ。まあでも落ち込むなという方が無理だし、悲しいものは悲しいんだけどね」
竜の尻尾がゆっくりと振られた。
「そのことじゃないわよ。私もファンが一人減ったのは残念だったけど、それは置いといて。……アンタが悲しいのは紋様がなくなったことだけで、ゲーティア自身が消えたことについては何も思ってないのかってコト」
「……」
カップを握りしめたまま目元を笑みの形にするマスター。
「線香花火みたいだったよね」
「何が」
「ゲーティアの最後」
マスターがカップに目を落とす。
「最後に人間の精神性を理解して、実践して、あっという間に消えてしまったっていう感想」
少し冷めた紅茶を啜って、続ける。
「だけどさ、人間の精神性なんか理解しなくてもよかったのにね。人間を理解できない者の身体に人間活動から生まれた紋様が刻まれている、それが美しかったのに」
あー、とエリザベートは言った。
「アンタってほんと自分勝手ね。私も人の事言えないけど」
「そう? 思いやりはあると自負してきたけどなあ」
「ロマンと同じく、ゲーティアも自分の最後……人の人生に満足して逝ったワケでしょ。それに難癖つけてどうするのよ」
「いや単に惜しかっただけだよ。悪役は悪役として逝ってほしかったなと。完全にこちらを運命の相手と定められてもね、冷めちゃうし。紋様への気持ちは変わらないけどさ」
「紋様への気持ちが変わらないんなら、何が冷めるのよ。この紅茶は冷めてるケド」
エリザベートはそう言うと、カップを持ち上げて紅茶を二、三口飲んだ。
「何が、って……何だろう」
マスターの目が澱む。
「私は紋様が好きだったんであって、それ以外の気持ちをソロモ……ゲーティアに持っていたなんてことあるのかな? 憎しみ? 憎しみは簡単に冷めるとは考え難いし……怒りとか。でも腹が立ったことはないな、あいつのやってることは嫌ではあったけど」
「にっぶいわね!」
ダン、とカップをテーブルに置くエリザベート。
「そのうち気付くわよねと思って言わないでおいたのに、いつまで経っても気付かないから言い出す機会失っちゃったじゃない! 出会ってから目下そいつの話ばかり、他の子に目が向いてたら気になって、自分に向いてたら嬉しくなる。それにアイツの話をしてるときのアンタの顔! 好きですって書いてあったわよ!」
「書いて……」
「ああもう大声出させないで、頭痛がひどくなるじゃない!」
「好き……とか」
エリザベートの苦情を聞いていないかのようにマスターは呟く。
「言われてみればそうかもしれない」
でも、と続ける。
「もう彼は消えてしまったから」
エリザベートは頭を押さえていた手を離し、マスターを見た。マスターは言の葉を継ぐ。
「消えてしまった者のことを想い続けるなんて、苦行だよね。だから、最後に冷めてよかったんだよ」
「ホントに?」
エリザベートはマスターから視線を外さない。
「そんなに簡単に冷めるモノ?」
全てを見透かすような視線にマスターはたじろいだ。
「思い出してみなさいよ、ゲーティア……ソロモンの姿の方かしら、小ジカが好きになったのは」
マスターはじっと考え、そして答えた。
「胸の辺りが熱いんだ、今も、まだ」
(了)
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