Fate/Grand Order

『これは僕に与えられた得がたき贖罪の機会だ……』
 その言葉を聞いたとき、全身の血の気が引いたことを覚えている。



「サーヴァント、アサシン。シャルル=アンリ・サンソン。召喚に応じ、参上しました」
 第一印象は、綺麗な男性(ひと)だな、だった。物憂げな表情にアイスブルーの瞳。かっちりした印象のロングコートは重たそうで、どこか……縛られているような雰囲気があった。気を抜くとずっと見つめ続けてしまいそうで、私は無理矢理笑顔を作って、ようこそ、と言った。
「ようこそ、サンソン」
 このカルデアにアサシンが来るのは二人目。オルレアンのワイバーンを安全に倒すためアサシンの戦力を欲していた私たちにとって、彼の召喚は願ってもない幸運だった。
「ここは人理継続保証期間カルデア、私はマスターの立香。知識はもうあると思うけど、私たちは人理修復の旅をしている……次の行き先はオルレアン」
「……フランス、ですか」
 サンソンは少し暗い顔になった。
「知ってるんだね。あなたはフランスの人なのかな? シャルル=アンリってフランスネームだもんね」
「先輩」
 後輩が私を少し後ろに引っ張る。
「何? マシュ」
「彼はシャルル=アンリ・サンソン。パリの処刑人……ムッシュ・ド・パリを務めたサンソン家4代目当主で、フランス革命の時にルイ16世を処刑した人です」
「ありがとう。つまり、処刑する人だからアサシンってことなんだね」
「ええ……僕は処刑人です」
 サンソンの表情が心なしかますます暗くなる。私が彼のことをちっとも知らなかったせいだろうか。
「ごめんね、私、世界史弱くて。でも、処刑人の人が仲間になってくれるなんて心強いよ。その、こんなこと言うと子供かって感じだけど、処刑人、って響きがかっこいいし……それはともかく、オルレアンにはライダークラスが多いから、アサシンのあなたが来てくれて本当に助かる。それでその……きっとすぐに出てもらうことになると思うけど、いいかな?」
「……僕でよければ」
 サンソンは暗い顔のまま了承した。
「こき使うことになっちゃってごめん、これからよろしくね」
 私はサンソンに右手を差し出す。
「……」
 サンソンはその場で固まった。戸惑っているようにも見える。
「ごめん、握手しようって言ってなかったね。これはよろしくお願いしますの握手」
 そう伝えると私は彼の手を取り、上下に振った。
「よろしくね」
「……はい」
 そう答えたサンソンは驚いているようだった。何が原因の驚きかはわからなかったけれど、表情を見る限り負の驚きではなさそうだったのでそのまま流すことにした。



 第一特異点。オルレアンで襲いかかってきたワイバーンに、私たちは応戦していた。
 ワイバーンは恐ろしい敵だ。鋭い爪に獰猛な牙、俊敏な機動力を兼ね備えている。数人しかいないサーヴァントたちでそれらに対応するのはなかなか難しい。
「小次郎、回避!」
 襲い来る衝撃波を紙一重で回避する小次郎。消耗が激しい。
「勝てるのかな……」
 戦闘を見ながら、思わず呟いた。
「先輩、ご指示を!」
 盾でワイバーンの衝撃波を防ぎながら、マシュが叫ぶ。いけない、ぼうっとしてしまっていた。
「……小次郎のHPが危ない。マシュはそのまま防御、サンソンは小次郎に医術お願い」
「はい」
 緑色の光とともに小次郎の傷が少し治る。
「かたじけない」
 礼を言う小次郎。
 いえ、と短く答えるサンソン。
 ワイバーン二体がマシュの盾を押している。今はマシュが防御してくれているが、すぐに突破されてしまうだろう。猶予はあと少ししかない。
 サンソンの回復のおかげで小次郎が宝具を撃てそうだが、燕返しは一体しか相手にできない。
「残りの一体をどうするかだね……」
「マスター」
 サンソンが私を呼んだ。
「うん?」
「左のワイバーンは僕がやります」
「できる?」
「この距離なら、届きます。宝具開帳の許可を」
 剣では射程が足りないが、宝具ならいけるということか。どんな宝具かはまだ知らないけれど、ここは任せるしか道はない。
「……わかった。お願い、サンソン」
「はい。刑を執行する」
 いつも持っている大剣を目の前に構えるサンソン。
「死は明日への希望なり」
 それが宝具名か。
 左にいたワイバーンの少し後ろに突如巨大なギロチンが現れ、中から影でできた手がいくつも出てきて拘束する。
 影の手はワイバーンを掴んだままするするとギロチンの方へ戻ってゆく。拘束されていない方のワイバーンも盾から離れてそれを追う。
 一瞬後、ギロチンの刃が落ちた。
 宝具が消える。ワイバーンだったものが転がった。
 こちらを向こうとした最後の一体を、
「秘剣『燕返し』!」
 いつの間にか接近していた小次郎の刀戟が捉える。
 どしゃり、と地に落ちた最後の一匹はすぐに動かなくなった。
「刀身に歪みなし」
 刀を静かに納める小次郎。
「主よ、罪深き我が業をお許しあれ……」
 胸に手を当てて俯くサンソン。
 それを見た瞬間、私は言葉を失った。何か声をかけなければと思うのに、どう声をかければいいのか、どんな言葉が適切なのか、膨れ上がった何らかの感情が思考の邪魔をする。
「何とかなりましたね、先輩」
 黙り込んだ私の元に、マシュが元気よく駆けてきた。
「うん……」
「先輩? どうかしましたか?」
「ああ、えーとね、戦闘中にちょっと集中途切れさせちゃったなというのがあって……」
 そうですね、とマシュ。
 ごめん、と私。
「いえ、きっとお疲れなのでしょう。私も先輩の体力のことを考えておらず、すみませんでした。今日はここまでにして、休みましょう」
「え、そんなに疲れてないよ。まだいける……」
「マスター」
 音もなく側に来ていたサンソンが私を呼ぶ。
「何かな」
 余計な感情を表に出さぬよう、私は応えた。
「召喚されてからここ数日あなたのことを見ておりましたが、マスターは疲れを自覚しにくいタイプのようだ。彼女の言う通り、休まれた方がよろしいかと。ご無理しすぎると明日に響きます」
 疲れを自覚しにくいタイプ。そんなことは気にしたこともなかったけれど。
「お医者さんもやってたサンソンが言うのならそうかもね……ありがとう。そうするね」
「いえ」
 サンソンは短く応えた。
 あなたのことを見ておりましたが。
 サーヴァントであるのだから、マスターのことを見はするだろう。そう自分に言い聞かせはするものの、なぜかその言葉がぐるぐると頭の中を回り続けていた。



「あなたの刃は曇りなく正しい」
 そんなことを言われるほど、彼に信用してもらえたのだろうか。いまひとつ実感がなかった。
 信頼の言葉をかけられた瞬間こそ心がどうしようもなく浮き立ったが、ありがとう、と言いながら私は疑問を覚えていた。
 毎日一緒に戦っていただけ。一日一日を生き抜くのに精一杯で、周囲に気を配る余裕もなかった。それなのに、そこまでの言葉をかけられる理由がわからなかった。
 嬉しいは嬉しい。なぜそんなに嬉しいのかはわからないが、とにかく嬉しい。だが、それと同じくらいに後ろめたかった。
 曇りなく正しい、なんて言ってもらえるほど正しいことを私はしてきたのだろうか。
 今だって、自分の判断がわからない。
 新しいサーヴァントもぽつりぽつりと召喚され始めている。その中には明らかに強力なサーヴァントもいた。本当は戦闘に出すメンバーを入れ替えるのが効率的なのだろうと思ったが、私はなんとなくそれをせず、同じメンバーで戦い続けていた。
 その時までは。

「マスター!」

 邪竜ファヴニールを前に、パーティは全滅した。
「みんな……どうしよう、私のせいだ……」
「先輩、いいですから! 令呪を!」
 盾にすがりなおも立とうとするマシュが私に叫ぶ。
 そうだ、令呪。
「令呪をもって命ずる」
 パーティメンバーが万全の状態で復帰する。全員の宝具を開帳し、先ほどまでの苦戦が嘘だったかのように戦いはあっけなく終わった。

 明らかに編成を組むことを怠った私が全滅の原因であったが、責める者は誰もいなかった。マシュも。小次郎も。そして、サンソンも。
 なんとなくで戦っていてはいけなかった。人理修復という大変な任務の中で、一番大切なのはおそらく情報、強さ、適正なのだ。



 それから私は強化素材を集め、サーヴァントを鍛え、マテリアルとにらめっこして各サーヴァントの能力を頭に叩き込んで、サーヴァントの強さと適正を第一に考えてパーティを組んだ。
 バビロニアまではヘラクレスの圧倒的な力に頼り、ティアマトにはギルガメッシュがとどめを刺した。ゲーティアとの決着はクー・フーリン[オルタ]がつけてくれた。
 人理修復後は支援サーヴァントを使うようになり、マリー・アントワネットとアンデルセンをサポーターにしたパーティを組むようになった。そのパーティで新宿はスカサハ、アガルタでは巌窟王、英霊剣豪相手には山の翁をメインにして走り抜けた。
 その間、サンソンをパーティに入れることは一度もなかった。

 特異点を修復・事件を解決していく道のりは比較的順調で、追い込まれることこそあれど負けは一度もなかった。
 今回、セイレムでのオーダーにあたっても、これまでのように強さと適正のあるサーヴァントの力を借りて挑むのだと思っていた。

「旅劇団に加わる役者の候補、つまり――セイレムの潜入任務に就くサーヴァントの顔ぶれだが、ウィリアムの意見を参考に選定させてもらった」
 今回の特異点は17世紀以前の技術を受け付けず、また、潜入には「17世紀末のセイレムにいてもおかしくないよう」扮装をする必要があるらしい。そのために、潜入メンバーは旅劇団の形を取ることとなった。つまり、メンバーを選んだのは私ではない。
 ダ・ヴィンチちゃんがレイシフトの準備を済ませる間、私はメンバーとブリーフィングをすることになった。初顔合わせだ。誰が選ばれたのかはまだ知らないが、いつもと勝手が違うのは確かだ。
 会議室の前まで来て、私は思案した。
 今回はサーヴァントの強さに頼った攻略、というわけにはいかなさそうだ。悪意渦巻くセイレムで何が一番重要なのか、考えつつブリーフィングを行おう。
 IDカードをかざし、ドアが開く。
「……!」
 視界に入った人物に、私は一瞬固まった。
「やあ、マスター」
 銀色の髪、白い肌、少し物憂げなアイスブルーの瞳。
「……サンソン」
「少々早く来すぎただろうか」
「……そんなことは」
 しばらく、というか、もう数ヶ月単位で顔を合わせていない。
「君も、座らないか」
 言われて気付いた。私は部屋の入り口で立ち尽くしていたのだ。
 変に思われただろうか。妙に気まずくて、サンソンから離れたところに座りたかったが、そんなことをしては誤解されてしまうと思って隣に座る。
 沈黙が落ちる。
 よくない。
 何か話しかけなければ。
「えーと、最近元気?」
 出てきたのは馬鹿みたいな質問だった。
「ええ」
 サンソンは肯定する。
「楽しい?」
「それなりに。まあ、処刑人が楽しむなど、もってのほかでしょうが」
「そんなことないよ!」
 思わず立ち上がって叫んだ私に、サンソンは目をぱちくりさせた。
「誰にだって楽しむ権利はあるでしょ。楽しむことが許されないなんてありえない。道理なんて関係ないよ、他の誰が許さなくてもマスターである私が許すからいいんだよ。だから楽しむことを悪いことだと思わないで」
「……」
 サンソンはしばらく黙っていたが、ややあって
「ありがとうございます。でも、僕は処刑人ですから」
 と寂しげに笑った。
 私は後悔した。
 私自身、サンソンに言ったことをちっとも実践できてはいない。私にとって大切なのは世界を救うことで、楽しむことではないと、楽しんではいけないと思っている。
 自分を大切にしない者が他人を大切にすることはできない、という言葉が頭をよぎる。楽しいかと訊いたことで彼の地雷を踏んでしまったかもしれない、という焦りがあったとはいえ、なぜこんなに喋ってしまったのかと強く後悔した。
「でも、」
 それでも口を開いてしまう。勝手に言葉が紡がれる。
「私はサンソンに幸せでいてほしいんだ」
「それは、なぜですか」
「サンソンが幸せそうだと私も嬉しい、から……」
 サンソンははっとしたような顔をした。
 私は何を言ってるんだろう。自分でも自分の言っていることがわからなかった。これではまるで、
「マスター! に坊ちゃんか。もう来てたとは、お早いこって」
「二人とも、準備万端ね? うふふ」
「善き哉」
「これで全員だ。いえ、これで全員揃ったわ、マスター」
 ロビン、マタ・ハリ、哪吒、そしてメディアが入室し、部屋は一気に賑やかになった。
「ええと」
 ひとまず落ち着こう。私は深呼吸した。
「じゃあ、レイシフトの調整が終わるまでのブリーフィングを始めるね」

 ブリーフィングは滞りなく進んだ。
 現時点でわかっていることと今回の作戦内容を伝え、質疑応答して一段落つきそうになったときにちょうどよく呼び出しがかかった。
「立香ちゃん、準備はできたかな?」
「ええ、みんなもできてます」
「では、管制室に」
「はい。じゃあ、行こう」
 通信を切って、椅子から立ち上がり、入り口のドアのところまで行って皆が部屋を出るのを待つ。消灯と戸締まりをしなければいけないからだ。
 出て行くサンソンと、目が合った。
 アイスブルーの瞳が戸惑ったように揺れた後、ゆるく細められる。
 私は一瞬口元をぐ、と引き締めた後、ぎこちなく口角を上げた。
 サンソンが、部屋を出る。最後の一人だ。
 私は電気をぱちりと消した。



 セイレム。虚構と迷信の町。
 私たちは狂気の中で真実を掴もうと足掻き続けた。しかし事態は転がり落ちるように悪化していき、そして、
「これは僕に与えられた得がたき贖罪の機会だ……」
 ぞわり、と背筋が凍る。処刑台の上に立つサンソンの首に、彼以外の人の手でかけられた縄。
 令呪を使おうとして、止められる。最後までやらせてやれ、彼には考えがあるのだと諭すロビンの声が遠い。
 床が落ちる。

 そしてサンソンは「死んだ」。



「……スター……マスター!」
 私ははっと我に返る。
「どうされましたか? 顔色がお悪いようだ」
「えっと。ううん、何でもない」
「やはり、セイレムでお疲れなのでは? 僕への説明は少し休んでからでも」
「いいよ、サンソン。説明した後に休むから」
「しかし……」
「大丈夫」
 まだ何か言いたそうなサンソンを振り切って、私は強引に説明を始めた。
 サンソンは作戦の上で旅芸人の役者の一人に選ばれ、一緒にレイシフトしたこと。セイレムでの7日間。狂気による認識阻害。判事。裁判。そして、「処刑」。
 サンソン自身の処刑の後のことも、説明した。魔女。魔神柱。銀の鍵。旅立ち。カルデアに戻ったら「死んだ」はずのサンソンがいたこと。
 自分でももっと取り乱してしまうかと思ったけれど、思ったより冷静に説明することができた。むしろ、淡々としすぎているくらいだ。
 悲しみも戸惑いも壁を隔てたかのようにぼんやりとしている。思考する私が説明する私をどこか遠くから見ているかのような感覚だった。
 さて、と言って私は説明の締めに入る。
「これは私の所感だけど、私と契約していたサンソンは、セイレムで『死んだ』……つまり、契約解除され、座に戻らずに消えた。あなたは再召喚されたサンソンなんだと思う」
「……。僕にカルデアで過ごした記憶があるのは?」
「別れる前、アビーが記憶を運ぶと言っていた。たぶん、そのおかげ」
「……」
「さあ、これで説明は終わり。私は疲れてるから、最初に言った通りもう休むね」
 席を立って、会議室のドアを開ける。
「マスター、」
「おやすみ」
 ドアが閉まる。早足で廊下を歩き、マイルームのドアをロックしてベッドに潜り込んだ。
 本当に疲れていたのか、意識はすぐに落ちていった。



 「最後のレイシフト」が終わった後は特にすることもないかと思ったが、また何かあるとも限らないので私は毎日なんとなくシミュレーターに向かい、素材を集めていた。
「塵を集めているのかしら、マスター。新しい方をお迎えする予定がおありになるの?」
「ううん、ない……」
「ハ、よく見ろ王妃。これは迷いに迷っている顔だ。おおかた自分の本心を把握できていないのだろう。心の迷宮とは悪趣味な。お前もそう思うだろう、英雄王」
 言いながら童話作家が光弾を放ち、何十セット目最後の敵が消滅した。
「王にとって迷宮は解くものではない。打ち壊すものよ。雑種。貴様は己の心すら顧みぬ雑魚だったか」
 答える英雄王は切り株の上から私たちを見下ろしている。
「ああ、わかったわ! サンソンのことでしょう」
 マリーが嬉しそうに言い、場の空気がぴし、と凍り付いた。
「マスターはサンソンのことがお好きだものね。どうされたの? 最近集めている素材、全てサンソンに必要なものではなくて?」
「別に好きとかじゃ、でも、素材は確かにそう、だね……そうか。けど」
「けど?」
「いくら素材を集めても、サンソンはもう……」
「あら? それならどうして素材を集めているの?」
「それは」
「迷っているのでしょう?」
 私ははっとした。
「マスター、あなたはセイレム以前のサンソンは死んでしまったと思っている。今のサンソンはサンソンではないと思っているのでしょう。でも、サンソンにはセイレム以前の記憶がきちんとあるんですものね。迷うのもわかるわ」
 自分でも言葉にできていなかった私の感情を、マリーはぴたりと言い当てた。それで、訊いてみようという気になった。
「マリー……あなたは?」
「私?」
 首を傾げるマリー。
「あなたは、今のサンソンのことをどう思ってる?」
「サンソンはサンソンよ」
 マリーは事も無げに答える。
「そりゃサンソンはサンソンだけど、前のサンソンじゃないし……」
「前のサンソンも今のサンソンも、サンソンという人なのよ。死者だけれど、生きているわ。記憶だってある。感情があって、想いがある。それなら、サンソンはサンソンなのよ」
「そうかな……」
「雑種、日が暮れるぞ」
「ああごめん、あと一周してから帰ろう。答えてくれてありがとマリー」
 ええ、とマリーは笑う。雑種、眼を逸らすなよ、という声が聞こえて英雄王の方を見ると、既に霊体化していた。
 アンデルセンがペンを片手に本を開く。
「まあ、そういうことだ」
「え?」
「明日からもまた俺をこき使うんだろう。心底嫌だが、今日のあと一周は付き合ってやる。作家というものは締め切りぎりぎりであろうと作品に集中し続けるものだからな」
「うん……ありがとう」
 意図するところはよくわからなかったが気持ちは受け取った、と思う。
 だから礼を言って、その日の素材集めは終わりになった。



 強化素材は集まった。だが、クリスマス騒動や、何となく気まずかったというのもあって霊基強化作業を後回しにし続けていたら、サーヴァントの退去当日になってしまった。
 霊基強化室は私とサンソンの二人しかいない。ダ・ヴィンチちゃんは他の作業があるとかで不在だ。
 私は黙々と作業をし、月が高くなる頃に強化は終わった。
「ありがとうございます、マスター」
「うん……」
 沈黙が落ちる。
「何で急に強化したか、とか訊かないの」
「ええ」
「気まぐれだよ。素材が余ってたから」
 サンソンはふ、と笑った。
「何かおかしい?」
「いえ」
 再び沈黙。
「マスター、あなたは優しい方だ」
「優しくないよ」
「いいえ。僕のために素材を集めてくれていたこと、知っています」
「なんで……」
「マリーに聞きました」
「……そっか」
「ご無理しすぎてはいけません。あなたは疲れを自覚しにくいタイプなのだから」
「……!」
 その言葉は。
 オルレアンの記憶。
 ぱち、とピースがはまるような感覚。頭の中にあった認識たちが組み上がり、一つの理解をくみ上げてゆく。サンソンはサンソンなのよ、という言葉の意味。
「サンソン、……うわっ」
 近い。いつの間に移動したのか、サンソンは私と同じ目線にいた。
「ああ。やっと僕の名を呼んでくれましたね、マスター……立香」
 さらりと金色の粒子が弾ける。
「僕なんかを好いてくださってありがとうございます」
「す、好いてなんか」
「いいえ。あの時の言葉、何よりあなたが僕に向ける視線が何よりも雄弁だった」
 私は黙った。
「以前の僕は、応える資格などないなどと思っていましたが、」
 サンソンが私の右手をすくい上げる。
「きっとまた呼んでください。いつでもあなたの刃となりましょう。僕もあなたを、」
 お慕いしています、という言葉と共にサンソンは消えた。
「サンソン、」
 ずるいよ、と呟く。
 ぱたり、ぱたりと落ちる水滴が床に染みを作る。
 最後の夜空は晴れていて、一人になった部屋を月明かりが白く照らしていた。




◆◆◆




「マシュ! 右、魔獣!」
「了解です、はあっ」
 マシュの盾が魔獣を押し潰す。鈍い音がして、魔獣は動かなくなった。
「先輩、奥にまだ1体……」
 最後の1体はこちらに向かってこず、反対側に走り出す。
「駄目だ、群れに情報を持ち帰られたらこちらの位置が……」
「刑を執行する」
 す、と声が耳に入ってくる。
「死は明日への希望なり!」
 ギロチンが落ちる。一瞬後、魔獣は地に倒れた。
「大丈夫ですか、マスター」
「……なんとか。まだいける?」
「勿論」
 じ、と私を見る彼。
「じゃあ、もう少し付き合ってもらおうかな」
「ええマスター、立香。どこへなりとも。あなたが歩み続ける限り、僕は刃となりましょう」
 そう言って、氷碧の瞳がゆるく細まった。



(了)
7/12ページ
    スキ