ハサン先生と性能厨ぐだ子
羅生門にて勃発した茨木童子との戦い。呪腕のハサンを加えたパーティはマスターの指示で耐久メインの戦法を行い、戦いを制した。
それからというもの、マスターは呪腕のハサンを常にパーティのしんがりに入れるようになった。事故が起こったときの保険だよ、と言いながら。
呪腕のハサンはカルデアに召喚されてから茨木童子戦まで長い間放置されていたのだが、そんな相手をマスターがいきなり登用し、あまつさえ常に最後を任せるようになるとは誰も思っていなかった。
しかし、このマスターに性能重視の気があるのを知っている一部のサーヴァントたちと職員の間では、いつそういった行動に出てもおかしくはなかったというのが後出しの共通見解であった。
今は重用されている呪腕のハサンであるが、彼と同じような性能で彼よりも高ステータスなサーヴァントが来ればすぐパーティから外される。
重用される感覚を知ってしまった分、再び無関心な態度をとられるのはつらいのではないか。カルデア内ではそのような噂も流れていた。
「使われなくなったときのための心の準備ですと?」
呪腕のハサンは赤い外套の弓兵にかけられた言葉をほとんどそのまま繰り返した。
「多少おせっかいかもしれないが、前にそういったことがあってね。普通の感覚なら落ち込んでも仕方ない。そのサーヴァントも表には出さないようにしていたが少しショックを受けていたようだったので、心の準備くらいはと思ってね」
赤い外套の弓兵、カルデアでは古参のサーヴァントであるエミヤは口元を皮肉げに吊り上げながらそう返した。
「ご忠告痛み入る」
ハサンは軽く頭を下げ、続けた。
「しかし、己が使われなくなったからといって私が落ち込むようなことはない。暗殺者を使うも使わまいも雇い主の自由でありましょう」
あまり感情を乗せぬ声でハサンは述べた。
「君には不要な忠告だったな。すまなかった」
赤い外套のアーチャー、エミヤはこう謝罪をすると、失礼するよと言って片手を上げて去っていった。
ハサンも場を離れようとしたとき、近づいてくる気配があった。
「せーんせっ」
「これはマスター」
「ちょっと用事があって、先生の部屋に行こうと思ってたんだよね。会えてよかった」
マスターが何の用事で話しかけてきたのか、聞かずともハサンにはわかった。
相手が両手に大量の種火を抱えていたからだ。
「ハサン先生の強化、まだ途中だったんだよね。この前の事件のあと、種火に余裕ができたからさ。というわけで、レッツ工房」
「強化していただけるのはありがたいですな。よろしければその種火、工房までお持ちいたしますぞ」
「あーいいっていいって。作業するのは私なんだし。それより、工房に着いたらドアを開けてくれると嬉しいな」
「かしこまりました」
マスターの後ろにつこうとしたハサンであったが、隣、と指示され横に並んで歩きだす。
「そういえばさっきエミヤとお話ししてたのが遠くから見えたけど、珍しいね。どんなお話したの?」
「別段、大したことではありませぬ。ただの世間話ですよ」
「ふーん……」
エミヤと己の話が終わった時点でのマスターとの距離を考えると、常人の耳では会話内容を聞き取れなかったはずだとハサンは考える。
「エミヤと先生って接点あるの?」
「座の記録によると、いつかの聖杯戦争で敵対したことがあるようです」
「それでかー。趣味とか合わなさそうだなって思ってたけど、知り合いなら話もするよね」
知り合いといえど、記録でしか知らぬ仲なのでハサンとしてはあまり実感がない。話をしたのも今回が初めてであった。
しかし、エミヤとした話の内容をマスターにすることになるのはあまりよくないと判断し、ハサンはええ、とだけ答えた。
工房に着くまではすれ違う職員やサーヴァンに挨拶するぐらいで、特に会話という会話もなかった。
「ようこそ、ダ・ヴィンチちゃんの強化ラボへ。強化に来るのは久しぶりだね」
「育成サボってるとか言わないでね?」
「いや言うよ。君、戦力が足りてないんじゃないか? アメリカでも苦戦してただろう。ここでドーンと強化、いっちゃう?」
「今日はハサン先生だけだよ。多人数を強化できるほど種火はないからさ」
「集めればいいじゃないか。林檎、たくさん余ってるんだろ?」
「余ってるけど、今後種火集めより重要な事態がいつ起こるかわからないし、やめとく」
「うーむ、残念。では、彼を思う存分強化していってくれたまえ」
「そうするね」
頷いたマスターは強化用魔法陣の前に向かった。
魔法陣の中心に呪腕のハサンを立たせ、周りに持ってきた種火を置く。
強化。ハサンの霊基に力がみなぎる。強化。パラメータが見る間に向上してゆく。
強化。アサシンというクラスの特性上、一度攻撃を受ければ蒸発してしまうようだった体力値はもう見る影もない。
強化、強化。ハサン自身の予想していた限界はとうに超えていた。
どこまでいくのかと考え始めた矢先、マスターの種火を置く手が止まった。
見ると、種火の山がなくなっている。なるほどここまでか、とハサンは思った。
「この私めをここまで強化してくださり、感謝いたします、マスター」
「まだまだ。種火はもっとあるんだよ」
ラボに置いてあった種火まで持ち出してきて、魔法陣の上に置くマスター。
「使うかどうか迷ってとっといたやつ、この際使っちゃおうと思って。どんどん食べて」
「おいおいマスター、彼のレベルはもう限界だよ。それ以上やるなら再臨させてあげたまえ」
「いけない、見てなかった。ダ・ヴィンチちゃん素材持ってきて~」
「そんなことだろうと思って天才の私は最初から用意しておいたのさ。どうぞ」
「ありがとう! ダ・ヴィンチちゃんサイコー」
マスターはそう言いながら素材を置いていく。
「さ、霊基再臨っと」
マスターの言葉とともに魔法陣が光を放つ。
ハサンの霊基にこれまでとは比較にならないほどの力が沸き上がった。
「おお……!」
経験したことのない霊基の高まりに、ハサンは感動を隠し切れず、マスターに感謝の言葉を述べた。
「――――」
ハサンの言葉を聞いたマスターは、一瞬、虚を突かれたような顔をした。
「言いすぎだよ、先生。私はしがない一般人なんだからさ」
「魔術師殿がご自分のことをどう思っていようと、あなたが私にとって最高のマスターであることは変わりませぬ」
「……先生」
そのときのマスターの顔をマシュが見ていたら、先輩がこんな顔をするなんて知りませんでした、と言っただろう。
しかし、マシュはたまたま行動を別にしていた。
そして、マスターと接するようになってまだ日が浅いハサンには、己がマスターに与えた衝撃がいかほどのものかがわからなかった。
マスターはしばらく黙っていたが、やがて何事もなかったかのように種火を魔法陣の上に置き始めた。
「まだ種火はあるよ。レベルがマックスになるまでどんどん食べてね」
「承知いたしました、マスター」
それから魔法陣は起動され続け、ハサンのレベルも上限に達した。
「これでまた茨木童子みたいな敵が出てきても大丈夫だね。頼りにしてるよ、ハサン先生」
「任されよ」
マスターは、じゃあ帰ろっか、と言ってハサンに手を伸ばした。
「? 何ですかな?」
不思議そうに問うハサン。
「あっ……何でもないよ! 用事思い出したから先に帰ってるね、またよろしく! ダ・ヴィンチちゃんもまたね!」
そう言うが早いか、マスターはそそくさと工房から去っていった。
「何だったのだろうか……」
後には首をかしげるハサンと何だろうね、と呟くダ・ヴィンチが残された。
◆◆◆
「クー・フーリンさん、隣いいですか?」
呪腕のハサンのレベルが上限に達してから数日後のお昼時。食堂でカレーうどんを食べているランサーのクー・フーリンにマシュが聞いた。
「いいぜ。座りな」
ありがとうございます、と言ってマシュはクー・フーリンの隣の席に腰掛けた。
お箸を割り、いただきます、と言って食べ始める。
「おいしいですね」
「悔しいが料理の腕はいいからな、あの弓兵は」
「今日はエミヤさんが料理担当でしたね。いつもおいしいお料理を作ってくださるみなさんには感謝しなければいけませんね」
しばらく二人は無言でうどんをすすっていた。
椀が空になり、食後の茶に手を伸ばす段階になってから、クー・フーリンが口を開いた。
「ところで嬢ちゃん、俺に何か聞きたいことがあるんじゃねえのか」
「ど、どうしてわかるんですか」
「お前さんはわかりやすいからな。で、何だ?」
マシュはおそるおそる話し出した。
「……ここ数日、マスターの様子が変だと思いませんか?」
「変ってえと、どんな風にだ」
「呪腕のハサンさんへの態度がどこかぎこちない気がするんです」
「ああ……ハサンの野郎に向けてる表情がいつもと違えのは確かだな」
「お二人の間に何かあったのでしょうか……」
「まあなあ……何かなけりゃああんな様子にはならんだろうし、あったんだろうよ」
クー・フーリンはお茶を一口すすった。
「……ハサンさんはマスターに自ら何か言うようなタイプではないですし、マスター側の問題としか思えませんが……まさか、マスターはハサンさんのことをパーティから外そうとしているのでしょうか」
心配そうに言うマシュに、クー・フーリンはいいや、と返す。
「マスターは外すことを思いついたら間を置いたりしねえですぐ外すと思うぜ。前回もそんな感じだったろ」
クー・フーリンの言葉にマシュは眉を寄せた。
「あれは本当に突然でしたね……先輩はたまにこちらがえっと思うようなことをします」
「相手の気持ちがわかってねえような振る舞いをするよな……そんな奴なだけに、今回のことは俺の勘違いだと思いてえが」
「そうですね。お気に入りのサーヴァントの方にあんな態度をとるくらいの何かがあったなんて」
クー・フーリンは湯呑みをテーブルに置いた。
「そうじゃなくてな、何つーか……まあ、間違っちゃいないが」
「普段はそう見えないのですが、先輩は本当に……すみません、話が逸れました」
マシュは小さく頭を下げた。
「いいぜ、気にすんな」
ひらひらと手を振るクー・フーリン。マシュはもう一度頭を下げてから、再び考えるそぶりを見せる。
「しかし、パーティから外すことを考えていないとすると、それ以外の何かでしょうか。すぐには思いつきませんが……」
クー・フーリンは置いた湯呑みを両手で持った。
「何にせよ、アレが続くとな。感情を揺らすなとは言わんが、それで戦闘指示が鈍るようなこたあやめていただきたい。新たな特異点もどきも発見されたみてえだしな」
「新たな特異点もどき、ですか」
マシュがばっとクー・フーリンを見る。
「さっき管制室をのぞいたときに言ってたぜ。まだ時代しかわかってねえらしいがな。場所がはっきりし次第、ブリーフィングが始まるんじゃねえか」
ふむふむと頷くマシュ。
「では、その前に少し先輩の様子を見に行ってみます」
そう言うと、マシュはお茶を一気に飲み干して湯呑みを置いた。
「クー・フーリンさんも一緒に行きませんか?」
「俺はやめとくぜ。言ってどうにかなるもんじゃなさそうだしな」
「そうですか……では、失礼します」
食器の置かれたトレーを持ってマシュは席を立った。
「先輩、ちょっといいですか?」
「いいよ、どうぞ」
ドアがスライドし、マシュはマスターのマイルームに足を踏み入れた。マスターはベッドに腰掛けて端末を見ていたが、すぐに顔を上げて端末を横の棚に置いた。
「そこ座っていいよ」
「失礼します」
マシュはベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「それで、何の用かな?」
「単刀直入に聞きます。先輩、呪腕のハサンさんと何かありましたか?」
「ど、どこでそれを……」
マスターは目に見えて狼狽した。マシュはあったんですね、と呟いた。
「誰かから聞いたわけではありません。先輩のハサンさんへの態度が明らかにおかしいので、そう思っただけです」
「そうか、おかしかったか。やっぱりわかっちゃうものなんだね」
「何があったのか正直に言ってください、先輩」
マスターはううん、とうめいた。
「特に何かがあったってわけじゃなく、こっちが勝手に気まずくなってるだけというか何というか……」
「先輩が原因ということですか?」
「そうだね。ハサン先生は全く悪くない」
マシュはため息をついた。
「予想はしてました。それで、どうして気まずく感じられるんですか?」
「手をつなごうとしたんだよ」
「は?」
いや、だから、とマスターは続ける。
「手をつなごうとしたんだよ、ハサン先生と」
「それはまたなぜですか?」
「自分でもわかんないんだなこれが。気付いたら手を伸ばしてて」
「手をつなぐことは相手を安心させたり親愛の情を示すものだと教わりましたが、先輩はハサンさんに親愛の情を示そうとされたんですか?」
「そうかもしれない……」
「それでどうして気まずく思うんですか? 親愛の情を示そうとするのはよいことのように思われますが」
「だって手をつなぐのって非常事態でもない限り恥ずかしいことじゃないか……」
マスターは珍しくしゅんとして下を向いた。
「そんなことを思われていたんですか」
「うん」
下を向いたまま答えるマスター。
「では、中央管制室が爆発したあのとき、重症を負ったわたしが手を握ってくれるようお願いして先輩がそのとおりにしてくれたのは」
マスターは顔を上げ、急だね、と言った。
「あれは非常事態に入るよね。重症を負った人のことを放っておくのは気がひけるし」
「あのときはありがとうございました。先輩の手のぬくもり、今でも覚えてます」
感覚を思い出しているかのように手のひらを開いたり閉じたりしながら、マシュは嬉しそうに言う。
「そっか、何かの助けになってたんなら嬉しいよ」
マスターは複雑そうな顔でそう言った。マシュは自らの手を見ていたため、その表情に気付かなかった。二人の間に沈黙が落ちる。
突然、無機質な着信音が静寂を破った。
マシュの視線がマスターの腕についている小型端末に移る。
マスターは端末に手を伸ばし、操作した。
空中に画面が開く。
通信の主はロマニ・アーキマン。
「こんにちは、ドクター」
マスターは挨拶した。
『やあ、――ちゃん』
ロマニも挨拶を返す。
『少し話があるから、管制室まで来てくれないか。マシュにも声をかけてきてくれると助かる』
マシュの背筋がぴっと伸びた。了解、ドクター、とマスター。
「マシュは今ちょうどここにいるので、今から二人で向かいたいと思います」
『それは都合がいい。待ってるよ』
そう言ってロマニからの通信は切れた。
「じゃ、行こっか」
「はい、先輩」
マスターとマシュは同時に立ち上がり、部屋を出た。
◆
ロマニの話というのは新たな特異点もどきのことで、その特異点もどきの場所は羅生門のときと同じ日本、時代も前回とほぼ同じであった。
レイシフトしてみてからは座標も京からごく近い島であり、さらに探索の結果、島の名はおとぎ話に出てくる「鬼ヶ島」であることがわかった。
今回は行き先が日本ということで、マスターはパーティ常連メンバーのマシュ、クー・フーリン、呪腕のハサンらと共に牛若丸も連れてきていた。
現地に着いてからははぐれサーヴァントの風魔小太郎や、なぜか島に召喚されていたライダーの坂田金時が加わった。
「ハサン殿はあまり喋りませんね? マシュ殿同様、桃太郎の仲間枠争奪戦には興味がないということでしょうか?」
牛若丸発案の「マスターを桃太郎とした場合の役割決め」についてひと段落したあと、牛若丸がハサンに尋ねた。
「私にはマスターに仕える暗殺者という役目が既にあります故、興味がないのかと訊かれると答えは是になりますな」
即答するハサン。それを聞いていたマスターが口元を緩めかけた後引き結ぶのをクー・フーリンは見たが、特に声をかけることはなかった。
「貴方は欲のないよい人ですね!」
牛若丸は目を輝かせながらハサンに向かって言った。
「犬はいいよな。俺も犬は好きだぜ」
クー・フーリンが話に参加する。
「むっ、クー・フーリン殿も犬狙いでしたか? であればこの牛若、容赦はしません!」
牛若丸は刀の柄に手を当てた。
「お前さんと勝負するのも面白そうだが、マスターの手前、また次の機会だな。犬役は譲ってやるよ」
「私は勝負するのもやぶさかではないのですが……譲ってくださるというならありがたく頂戴いたします!」
牛若丸が刀の柄から手を離すが早いか、
「フォーウ!」
勝手に決めるなとでも言うようにフォウが突進をかけた。
「角度調整が甘い!」
ひらりと避ける牛若丸。
「みんなが仲良くて嬉しいなあ。この調子でどんどん進んでいこうね!」
「お、こんなとこでいい子ちゃんアピールか? マスター」
「違うよ兄貴、これは本心だよ。トラブルを防ぐにはコミュニケーションが円滑な方がいいでしょ」
「そうかよ」
「聞いてきた割には返事が素っ気ないね。兄貴、なんか嫌なことでもあった?」
「ねえよ。強いて言うならお前さんが最近フラフラしてるのが気になるだけだ」
「え……」
「何の話ですか主殿?」
「ゴールデンな話じゃなさそうだな」
牛若丸と金時が同時に口をはさむ。
小太郎も黙ってはいるが、マスターとクー・フーリンの方を見ている。
「な、何でもないよ。とりあえず今はこの話やめにしない、兄貴?」
「やめにするのはいいけどよ、最近のお前さんの調子でこの鬼ヶ島をうまく攻略できるのか? マスターの判断が鈍って全滅なんて俺はいやだぜ」
「そんなことはないよ」
「本当にそう言い切れるのか?」
「それは……」
「それは?」
マスターは黙り込んだ。
重い沈黙が落ちかけた瞬間、一連の話に参加していなかったハサンが口を開いた。
「クー・フーリン殿の心配はごもっとも」
「ハサン。お前、わかってるのか」
「ここのところマスターの調子が普段と違っているということは承知している。おそらく私が原因なのだろうが……」
「ちょ、ちょっと待って」
マスターがハサンの話を遮った。
「おいおい、人が話してるときに突然遮るのは失礼だって教わらなかったのか? 嬢ちゃん」
「ご、ごめん……」
「まあまあクー・フーリン殿、問題を解決する糸口になるやもしれません」
ハサンが槍兵を執り成した。
「おう。じゃあ言ってみろ、マスター」
クー・フーリンはマスターに向かって顎をしゃくった。
「原因って、ハサン先生は原因がもうわかってるの?」
「はい、おそらくですが。マスターは……」
「待って待ってその話ここでは――」
マスターが慌ててハサンを止める。
「……他の者の指揮に関わるというご判断ですな、承知いたしました。クー・フーリン殿には聞かれてもよろしいか?」
それもちょっと、とマスター。
「ではマスターと私のみで場所を変えることといたしましょう。失礼」
言うが早いか、ハサンはマスターの背と膝裏に腕を回して横抱きにし、跳躍した。
「ちょっこれお姫様抱っ」
「魔術師殿、舌を噛みますぞ。口を閉じていてくだされ」
マスターは顔を赤くしてしばし黙った。
「ここなら敵も来ず、会話も波の音にかき消されましょう」
島のすぐ近くの海に浮かんでいる岩場の一つにハサンとマスターは降り立った。
「靴がすごい濡れそうだけどね」
「お嫌でしたら抱き上げさせていただきますが」
「大丈夫! 靴が濡れても問題ない!」
「そうですか。魔術師殿がいいのであれば問題ありませんな」
「もしかして帰りもあの運び方するの……?」
「問題ありましたか」
「いや……いいよそれで。ところで話の続きだけど……」
「はい。魔術師殿は私を最終再臨させたことを後悔しているのではないか、と言いたかったのです」
「後悔? まさか!」
「回避主体の戦いをする私にHPとatkは不要だったと後から思って後悔したということではなかったのですか?」
「とんでもない! 回避が切れたとき攻撃をしのぐのにHPは多い方がいいからね」
「ではなぜ」
マスターはハサンに、最終再臨の後、自分がおそらく親愛の情を示すため無意識に手をつなごうとしたことと、自分と手をつなぐなどという恥ずかしい行動をさせかけたので気まずさに似た思いを抱くようになったことを説明した。
「マシュには説明したんだけどね、途中までだけど」
「そうでしたか……。気まずく思われていたため、私と接するときだけ落ち着かぬ様子だったのですな。しかし魔術師殿と手をつなぐこと、私にとっては恥ずかしい行動ではございません故、気を遣っていただかなくとも結構でしたぞ?」
「変わってるね、ハサン先生は。しかしそうかあ、私が一人で気まずくなってただけだったのか」
マスターはそうかあ、と言いながら何度もうなずいた。
「それなら何も気にすることはないね。兄貴にももう大丈夫って言わなきゃ」
「……では皆のところに戻られますか?」
ハサンが提案する。
「そうだね。お願い」
「では」
ハサンは再びマスターを横抱きにし、跳躍した。
「今思ったんだけど、この運び方されるのってやっぱり恥ずかしいよね。嫌ではないけど」
来たルートを半分ほど戻ったとき、マスターが呟いた。
「あと恥ずかしいのとは別になんか動悸がするんだよね。妙だな」
首をひねるマスター。
「確かに、鼓動が通常より速くなっておられますな」
己の認識している事実をそのまま述べて、ハサンは続ける。
「失礼ですが、下が海であることを怖いと思われているのかもしれませんぞ」
うーんと言いながら考えるポーズを取るマスター。
「確かに怖いかもしれない。でも大丈夫、ハサン先生は落とさないって信頼してるから」
「主を落とさぬのは従者として当然かと」
「それもそうか。みんなのいるとこまであとちょっと、よろしく頼むよ」
「承知」
残りの距離を跳び切って接岸し、ハサンはマスターを地面に下ろした。
ありがと先生、とマスターは言い、残してきたサーヴァントたちにもただいまと声をかけた。
サーヴァントたちは馬蹄形の陣形を組んで待っており、マスターの挨拶にはクー・フーリンが真っ先に応えた。
「思ったより早かったな。で、どうだったんだ」
「問題は解決したよ。戦闘もいつもの調子でこなせると思う。みなさんご心配おかけしました」
マスターがそう言った瞬間、サーヴァントたちが口々に声を上げた。
「よかったですね、主殿!」
「よくわからねぇがよかったな大将」
「よかった……です」
「解決したんですね。安心しました、マスター」
マスターを囲んで安堵の声を口にするサーヴァントたちの中で、クー・フーリンだけが輪の外で一人納得いかない顔をしていた。
「あの問題ってそもそも解決するもんなのか? どうなんだハサン。お前は理解してたようだったが」
同じく輪の外にいたハサンは問われてすぐに、問題なし、と答えた。
「互いの誤解は解け、マスターの心にもはやわだかまりはない。従って、戦闘に支障をきたすこともなかろう」
「誤解?」
「左様。双方の誤解こそ今回の問題の原因であった」
本当にそうなのか? とクー・フーリン。
「まあ、別の理由でも、マスターがそう思い込んで納得してるっつーなら多少はマシになるか」
「はっきりせぬなクー・フーリン殿。貴殿らしくない」
「マスター本人が気づいてねえことをお前に言っても仕方ねえからな。中間管理職はつらいぜ」
クー・フーリンがため息をついたところで、出発しようか、とマスターが二人に声をかけた。
一行は頂上を目指して門番の鬼を倒し、武蔵坊弁慶を仲間に加え、羅生門のときに敵だった二人の鬼と出会ったり金時の上司と出会ったりしながら進み、最後の大門を通過した。
頂上で待っていたのは聖杯と、金時の上司である源頼光……の中に封じられていた頼光の異形の側面、丑御前であった。
同じ半神の金時のためにまつろわぬ者が暮らせる「鬼の国」を作る、という目的を丑御前は語った。
金時は、その目的は金時のためではなく所詮は丑御前自身のためだけのものであると切り捨て、「母親の馬鹿騒ぎを止めるため」、一行とともに丑御前と対峙した。
「もう結構長く戦ってるけど一向に隙が見えないね。っていうか全体宝具が来る。マシュは決意の盾使って、あと金時に無敵張って! 兄貴は回避!」
「シールドエフェクト、発揮します!」
「よし! じゃあマシュは頑張って耐えて!」
「はいマスター!」
マスターの非情な命令にもマシュは健気に返事を返した。
シールダーであるマシュ自身はバーサーカーである丑御前の攻撃に弱点をつかれないため、無敵や回避を使用せず、少し前にかけた「ロード・カルデアス」「今は脆き雪花の壁」の二つの防御アップと、雀の涙ほどの量のダメージカットで宝具を凌ぐというマスターの算段だ。
「牛王招力・怒髪天衝!」
丑御前は召喚した自らと同じ姿の牛鬼らと共に四方八方から攻撃を放った。
金時に向かった斬撃は見えない壁が防ぎ、クー・フーリンに向かった矢はひとりでに明後日の方向に逸れた。
マシュは己に向かった打撃を盾で受けていたが、着実にダメージは入っている。
「矮小十把、塵芥になるがいい!」
丑御前の刀から雷撃がほとばしりパーティを襲う。
「くっ……」
盾を乗り越えてきた雷撃がマシュの髪を少し焦がした。細い腕に力が入る。
「マシュごめん……耐えて……」
マスターが滅多に出さないような声色でマシュを応援する。
それを聞いたマシュは心の隅で、先輩に後ろめたいなんて感情があったとは、と思った。
雷撃の奔流は数秒間続いた後、静かに止んだ。
「よく耐えたね、マシュ! ぎりぎりだけど」
マスターが礼装を起動させ、マシュの体力が回復する。
「ありがとうございます、マスター!」
「ちょこまかと小賢しい……」
丑御前がマスターを睨む。
「先輩っ!」
マシュが叫んだ。予備動作なしで放たれた雷撃が目にも止まらぬ速さでマスターに飛ぶ。
マスターの見開かれた瞳に映った雷光が鋭く輝いた。
雷撃がマスターの身体を捕らえようとした瞬間、マスターの姿がかき消えた。
「仕留め損ねましたか……」
丑御前の視線の先、数メートル離れた上空にマスターと黒衣の暗殺者の姿があった。
「ハサン先生……」
ハサンに抱えられたマスターは呆然とその名を呼んだ。
「主のために気配遮断を解いたのですか。人間……? 少し違うものも混じっているようなので、虫ですか。虫にも主に仕える心があるとは、ますますひねり潰したくなる」
丑御前は言葉を紡ぎながら刀を構え、斬撃を放った。
斬撃は烈風となり、落下する主従を狙う。
「闇に潜むは我らが得手なり」
ハサンのスキル発動台詞と共に、二人の目前まで迫っていた斬撃は霧散した。
「加護持ちですか、厄介な」
言いながら矢をつがえようとした丑御前のその弓が、朱い槍によって弾き飛ばされた。
「戦闘中に余所見とは感心しねえなあ、丑御前さんよ!」
「猪口才な……!」
「喰らいな! 刺し穿つ死棘の槍!」
クー・フーリンの槍が丑御前の心臓を貫いた。
「ぐっ……」
丑御前の身体は一瞬で粒子となって消えた。
「やりましたか!?」
とマシュ。
「いや、手ごたえがねえ。アレはおそらく偽物だ」
残心しながら、クー・フーリン。
「よくわかりましたね、そこだけは褒めてあげましょう」
背後からの声に咄嗟にクー・フーリンは飛びのいた。空を切った打撃が地面を抉る。
振り下ろした武器を構えなおす丑御前。二人は睨み合う。戦線は再び拮抗した。
◆◆◆
戦いはなおも続き、インドラの化身とも言われた鬼の強さに一行はじりじりと押されていった。
「ッ……強いッ……!」
小太郎が思わず呟く。
「源氏の棟梁です。強くなくては務まりませぬ……!」
牛若丸が刀で矢を叩き落としながら返す。
弁慶も丑御前を悪鬼羅刹の如し、と評した。
「お覚悟、どうぞ」
「まずい、宝具が来る。みんなのスキルのリキャストはまだ、このままだと全滅する……」
「さあ、とどめです。誅伐――」
丑御前が宝具を放とうとしたその時、どこに隠れていたのか酒呑童子が飛び出し、丑御前の腕を捕らえた。
「酒呑!」
金時が必死で叫ぶ。丑御前は目障りなと吐き捨て酒呑童子を切り捨てた。
「また、な。小僧。今度はやかましい母親のおらんとこで――」
酒呑童子は消滅する。
鬼であり敵である酒呑童子が作った隙。
鬼という生き物は致命傷を負っても容易に倒れず、どこまでも生きようとする生物だ。その鬼が鬼らしく作った隙を見過ごすなど、金時にとっては言語道断である。
「夜狼死苦・黄金疾走!」
丑御前の身体に黄金の光が炸裂した。
「きん、とき。どう……して……?」
仰向けに倒れる丑御前。その身体から鬼気が消えていく。
――かくして、鬼退治はここに成った。
◆
「今回も強かったね、先生は」
カルデアに帰還後、呪腕のハサンをマイルームに呼んだマスターは、開口一番にそう言った。
「風避けの加護をマックスまで強化してたから何度も攻撃を避けて時間を稼いでくれたね。マシュのバフが切れたときに丑御前の斬撃を凌いでくれたのは助かったよ。あの斬撃は丑御前の通常攻撃の中で最も威力が高かったから、HPの少ないサーヴァントだと一撃でやられてしまうんだ。それをこう、すさっとね。避けてくれたからね。しびれちゃったよ」
マスターはハサンの活躍を熱弁する。
ハサンとしても、己の仕事ぶりを褒められることに悪い気はしなかった。
「加護が切れてる間もHPで攻撃を受けてくれたからね。再臨アンド強化しといてほんっとーによかった」
それを聞いたハサンは、ここ数日間の誤解のことを思い出した。
鬼ヶ島で繰り広げた死闘の印象が強かったため、お互いの誤解を解いたことがはるか昔のことのように思えたが、己の状態にマスターが不満を覚えているかもしれないという疑念が残した爪痕は自身が思った以上に深かったようだ。
「確かに、再臨させぬ方がよかった、とは思ってらっしゃらぬようですな」
マスターは一瞬何のことかわからぬかのように瞬きしたが、すぐに思い当たったようで、
「ここ数日は誤解させるような態度とっちゃって申し訳なかったね……」
と言った。
「いいのです。魔術師殿が現状私の能力に満足してくださっているということは今のお話からも十分感じ取れましたし」
マスターは少し考える様子を見せた。
「その言い方は納得してない言い方だね……不安に思ってるでしょ。今後いつ私が先生の能力に満足しなくなるかわからない、って感じかな」
ハサンはぎくりとした。
己の胸の内を少女に悟られるような言い方をしてしまった失態への後悔もあったが、この少女は人の心がわからない人物だという判断が裏切られた驚きもあった。
「大丈夫だよ。私は先生の能力を信じてる。風避けの加護なんてその最たるものだよ。サーヴァントの持っているスキルはその人自身が生前会得したものであったり、伝承が形になったものだったりする。いい意味でも悪い意味でも簡単に失えるものじゃない。だから、霊基が書き換わるかでもして先生が風避けを失わない限り、私は先生の能力を信じ続けるよ」
日ごろからサーヴァントの性能しか見ないと難色を示されているマスターであるだけに、この言葉は信用できるとハサンは思った。
「そう言っていただけるのは光栄ですな」
「あとね……」
マスターが何か言いかけて言葉を切り、少し戸惑った様子を見せる。
「あと、何ですかな?」
ハサンが促すと、マスターは恥ずかしそうに続けた。
「丑御前の攻撃から私を助けてくれたの、まさか助けてくれるなんて思ってなかったからちょっと嬉しかった」
「サーヴァントがマスターを助けるのは当たり前でありましょうに……」
「あんまりみんなにそういうのは求めてないからなあ。でもそう言ってくれるのは純粋にありがたいし嬉しい」
「……」
もしかすると、己のマスターは少しずつ変わっているのかもしれぬ。それがいいことであるか悪いことであるか、少なくとも忠義を捧げる上で悪いことではあるまい、とハサンは思った。
それからというもの、マスターは呪腕のハサンを常にパーティのしんがりに入れるようになった。事故が起こったときの保険だよ、と言いながら。
呪腕のハサンはカルデアに召喚されてから茨木童子戦まで長い間放置されていたのだが、そんな相手をマスターがいきなり登用し、あまつさえ常に最後を任せるようになるとは誰も思っていなかった。
しかし、このマスターに性能重視の気があるのを知っている一部のサーヴァントたちと職員の間では、いつそういった行動に出てもおかしくはなかったというのが後出しの共通見解であった。
今は重用されている呪腕のハサンであるが、彼と同じような性能で彼よりも高ステータスなサーヴァントが来ればすぐパーティから外される。
重用される感覚を知ってしまった分、再び無関心な態度をとられるのはつらいのではないか。カルデア内ではそのような噂も流れていた。
「使われなくなったときのための心の準備ですと?」
呪腕のハサンは赤い外套の弓兵にかけられた言葉をほとんどそのまま繰り返した。
「多少おせっかいかもしれないが、前にそういったことがあってね。普通の感覚なら落ち込んでも仕方ない。そのサーヴァントも表には出さないようにしていたが少しショックを受けていたようだったので、心の準備くらいはと思ってね」
赤い外套の弓兵、カルデアでは古参のサーヴァントであるエミヤは口元を皮肉げに吊り上げながらそう返した。
「ご忠告痛み入る」
ハサンは軽く頭を下げ、続けた。
「しかし、己が使われなくなったからといって私が落ち込むようなことはない。暗殺者を使うも使わまいも雇い主の自由でありましょう」
あまり感情を乗せぬ声でハサンは述べた。
「君には不要な忠告だったな。すまなかった」
赤い外套のアーチャー、エミヤはこう謝罪をすると、失礼するよと言って片手を上げて去っていった。
ハサンも場を離れようとしたとき、近づいてくる気配があった。
「せーんせっ」
「これはマスター」
「ちょっと用事があって、先生の部屋に行こうと思ってたんだよね。会えてよかった」
マスターが何の用事で話しかけてきたのか、聞かずともハサンにはわかった。
相手が両手に大量の種火を抱えていたからだ。
「ハサン先生の強化、まだ途中だったんだよね。この前の事件のあと、種火に余裕ができたからさ。というわけで、レッツ工房」
「強化していただけるのはありがたいですな。よろしければその種火、工房までお持ちいたしますぞ」
「あーいいっていいって。作業するのは私なんだし。それより、工房に着いたらドアを開けてくれると嬉しいな」
「かしこまりました」
マスターの後ろにつこうとしたハサンであったが、隣、と指示され横に並んで歩きだす。
「そういえばさっきエミヤとお話ししてたのが遠くから見えたけど、珍しいね。どんなお話したの?」
「別段、大したことではありませぬ。ただの世間話ですよ」
「ふーん……」
エミヤと己の話が終わった時点でのマスターとの距離を考えると、常人の耳では会話内容を聞き取れなかったはずだとハサンは考える。
「エミヤと先生って接点あるの?」
「座の記録によると、いつかの聖杯戦争で敵対したことがあるようです」
「それでかー。趣味とか合わなさそうだなって思ってたけど、知り合いなら話もするよね」
知り合いといえど、記録でしか知らぬ仲なのでハサンとしてはあまり実感がない。話をしたのも今回が初めてであった。
しかし、エミヤとした話の内容をマスターにすることになるのはあまりよくないと判断し、ハサンはええ、とだけ答えた。
工房に着くまではすれ違う職員やサーヴァンに挨拶するぐらいで、特に会話という会話もなかった。
「ようこそ、ダ・ヴィンチちゃんの強化ラボへ。強化に来るのは久しぶりだね」
「育成サボってるとか言わないでね?」
「いや言うよ。君、戦力が足りてないんじゃないか? アメリカでも苦戦してただろう。ここでドーンと強化、いっちゃう?」
「今日はハサン先生だけだよ。多人数を強化できるほど種火はないからさ」
「集めればいいじゃないか。林檎、たくさん余ってるんだろ?」
「余ってるけど、今後種火集めより重要な事態がいつ起こるかわからないし、やめとく」
「うーむ、残念。では、彼を思う存分強化していってくれたまえ」
「そうするね」
頷いたマスターは強化用魔法陣の前に向かった。
魔法陣の中心に呪腕のハサンを立たせ、周りに持ってきた種火を置く。
強化。ハサンの霊基に力がみなぎる。強化。パラメータが見る間に向上してゆく。
強化。アサシンというクラスの特性上、一度攻撃を受ければ蒸発してしまうようだった体力値はもう見る影もない。
強化、強化。ハサン自身の予想していた限界はとうに超えていた。
どこまでいくのかと考え始めた矢先、マスターの種火を置く手が止まった。
見ると、種火の山がなくなっている。なるほどここまでか、とハサンは思った。
「この私めをここまで強化してくださり、感謝いたします、マスター」
「まだまだ。種火はもっとあるんだよ」
ラボに置いてあった種火まで持ち出してきて、魔法陣の上に置くマスター。
「使うかどうか迷ってとっといたやつ、この際使っちゃおうと思って。どんどん食べて」
「おいおいマスター、彼のレベルはもう限界だよ。それ以上やるなら再臨させてあげたまえ」
「いけない、見てなかった。ダ・ヴィンチちゃん素材持ってきて~」
「そんなことだろうと思って天才の私は最初から用意しておいたのさ。どうぞ」
「ありがとう! ダ・ヴィンチちゃんサイコー」
マスターはそう言いながら素材を置いていく。
「さ、霊基再臨っと」
マスターの言葉とともに魔法陣が光を放つ。
ハサンの霊基にこれまでとは比較にならないほどの力が沸き上がった。
「おお……!」
経験したことのない霊基の高まりに、ハサンは感動を隠し切れず、マスターに感謝の言葉を述べた。
「――――」
ハサンの言葉を聞いたマスターは、一瞬、虚を突かれたような顔をした。
「言いすぎだよ、先生。私はしがない一般人なんだからさ」
「魔術師殿がご自分のことをどう思っていようと、あなたが私にとって最高のマスターであることは変わりませぬ」
「……先生」
そのときのマスターの顔をマシュが見ていたら、先輩がこんな顔をするなんて知りませんでした、と言っただろう。
しかし、マシュはたまたま行動を別にしていた。
そして、マスターと接するようになってまだ日が浅いハサンには、己がマスターに与えた衝撃がいかほどのものかがわからなかった。
マスターはしばらく黙っていたが、やがて何事もなかったかのように種火を魔法陣の上に置き始めた。
「まだ種火はあるよ。レベルがマックスになるまでどんどん食べてね」
「承知いたしました、マスター」
それから魔法陣は起動され続け、ハサンのレベルも上限に達した。
「これでまた茨木童子みたいな敵が出てきても大丈夫だね。頼りにしてるよ、ハサン先生」
「任されよ」
マスターは、じゃあ帰ろっか、と言ってハサンに手を伸ばした。
「? 何ですかな?」
不思議そうに問うハサン。
「あっ……何でもないよ! 用事思い出したから先に帰ってるね、またよろしく! ダ・ヴィンチちゃんもまたね!」
そう言うが早いか、マスターはそそくさと工房から去っていった。
「何だったのだろうか……」
後には首をかしげるハサンと何だろうね、と呟くダ・ヴィンチが残された。
◆◆◆
「クー・フーリンさん、隣いいですか?」
呪腕のハサンのレベルが上限に達してから数日後のお昼時。食堂でカレーうどんを食べているランサーのクー・フーリンにマシュが聞いた。
「いいぜ。座りな」
ありがとうございます、と言ってマシュはクー・フーリンの隣の席に腰掛けた。
お箸を割り、いただきます、と言って食べ始める。
「おいしいですね」
「悔しいが料理の腕はいいからな、あの弓兵は」
「今日はエミヤさんが料理担当でしたね。いつもおいしいお料理を作ってくださるみなさんには感謝しなければいけませんね」
しばらく二人は無言でうどんをすすっていた。
椀が空になり、食後の茶に手を伸ばす段階になってから、クー・フーリンが口を開いた。
「ところで嬢ちゃん、俺に何か聞きたいことがあるんじゃねえのか」
「ど、どうしてわかるんですか」
「お前さんはわかりやすいからな。で、何だ?」
マシュはおそるおそる話し出した。
「……ここ数日、マスターの様子が変だと思いませんか?」
「変ってえと、どんな風にだ」
「呪腕のハサンさんへの態度がどこかぎこちない気がするんです」
「ああ……ハサンの野郎に向けてる表情がいつもと違えのは確かだな」
「お二人の間に何かあったのでしょうか……」
「まあなあ……何かなけりゃああんな様子にはならんだろうし、あったんだろうよ」
クー・フーリンはお茶を一口すすった。
「……ハサンさんはマスターに自ら何か言うようなタイプではないですし、マスター側の問題としか思えませんが……まさか、マスターはハサンさんのことをパーティから外そうとしているのでしょうか」
心配そうに言うマシュに、クー・フーリンはいいや、と返す。
「マスターは外すことを思いついたら間を置いたりしねえですぐ外すと思うぜ。前回もそんな感じだったろ」
クー・フーリンの言葉にマシュは眉を寄せた。
「あれは本当に突然でしたね……先輩はたまにこちらがえっと思うようなことをします」
「相手の気持ちがわかってねえような振る舞いをするよな……そんな奴なだけに、今回のことは俺の勘違いだと思いてえが」
「そうですね。お気に入りのサーヴァントの方にあんな態度をとるくらいの何かがあったなんて」
クー・フーリンは湯呑みをテーブルに置いた。
「そうじゃなくてな、何つーか……まあ、間違っちゃいないが」
「普段はそう見えないのですが、先輩は本当に……すみません、話が逸れました」
マシュは小さく頭を下げた。
「いいぜ、気にすんな」
ひらひらと手を振るクー・フーリン。マシュはもう一度頭を下げてから、再び考えるそぶりを見せる。
「しかし、パーティから外すことを考えていないとすると、それ以外の何かでしょうか。すぐには思いつきませんが……」
クー・フーリンは置いた湯呑みを両手で持った。
「何にせよ、アレが続くとな。感情を揺らすなとは言わんが、それで戦闘指示が鈍るようなこたあやめていただきたい。新たな特異点もどきも発見されたみてえだしな」
「新たな特異点もどき、ですか」
マシュがばっとクー・フーリンを見る。
「さっき管制室をのぞいたときに言ってたぜ。まだ時代しかわかってねえらしいがな。場所がはっきりし次第、ブリーフィングが始まるんじゃねえか」
ふむふむと頷くマシュ。
「では、その前に少し先輩の様子を見に行ってみます」
そう言うと、マシュはお茶を一気に飲み干して湯呑みを置いた。
「クー・フーリンさんも一緒に行きませんか?」
「俺はやめとくぜ。言ってどうにかなるもんじゃなさそうだしな」
「そうですか……では、失礼します」
食器の置かれたトレーを持ってマシュは席を立った。
「先輩、ちょっといいですか?」
「いいよ、どうぞ」
ドアがスライドし、マシュはマスターのマイルームに足を踏み入れた。マスターはベッドに腰掛けて端末を見ていたが、すぐに顔を上げて端末を横の棚に置いた。
「そこ座っていいよ」
「失礼します」
マシュはベッドサイドの椅子に腰掛けた。
「それで、何の用かな?」
「単刀直入に聞きます。先輩、呪腕のハサンさんと何かありましたか?」
「ど、どこでそれを……」
マスターは目に見えて狼狽した。マシュはあったんですね、と呟いた。
「誰かから聞いたわけではありません。先輩のハサンさんへの態度が明らかにおかしいので、そう思っただけです」
「そうか、おかしかったか。やっぱりわかっちゃうものなんだね」
「何があったのか正直に言ってください、先輩」
マスターはううん、とうめいた。
「特に何かがあったってわけじゃなく、こっちが勝手に気まずくなってるだけというか何というか……」
「先輩が原因ということですか?」
「そうだね。ハサン先生は全く悪くない」
マシュはため息をついた。
「予想はしてました。それで、どうして気まずく感じられるんですか?」
「手をつなごうとしたんだよ」
「は?」
いや、だから、とマスターは続ける。
「手をつなごうとしたんだよ、ハサン先生と」
「それはまたなぜですか?」
「自分でもわかんないんだなこれが。気付いたら手を伸ばしてて」
「手をつなぐことは相手を安心させたり親愛の情を示すものだと教わりましたが、先輩はハサンさんに親愛の情を示そうとされたんですか?」
「そうかもしれない……」
「それでどうして気まずく思うんですか? 親愛の情を示そうとするのはよいことのように思われますが」
「だって手をつなぐのって非常事態でもない限り恥ずかしいことじゃないか……」
マスターは珍しくしゅんとして下を向いた。
「そんなことを思われていたんですか」
「うん」
下を向いたまま答えるマスター。
「では、中央管制室が爆発したあのとき、重症を負ったわたしが手を握ってくれるようお願いして先輩がそのとおりにしてくれたのは」
マスターは顔を上げ、急だね、と言った。
「あれは非常事態に入るよね。重症を負った人のことを放っておくのは気がひけるし」
「あのときはありがとうございました。先輩の手のぬくもり、今でも覚えてます」
感覚を思い出しているかのように手のひらを開いたり閉じたりしながら、マシュは嬉しそうに言う。
「そっか、何かの助けになってたんなら嬉しいよ」
マスターは複雑そうな顔でそう言った。マシュは自らの手を見ていたため、その表情に気付かなかった。二人の間に沈黙が落ちる。
突然、無機質な着信音が静寂を破った。
マシュの視線がマスターの腕についている小型端末に移る。
マスターは端末に手を伸ばし、操作した。
空中に画面が開く。
通信の主はロマニ・アーキマン。
「こんにちは、ドクター」
マスターは挨拶した。
『やあ、――ちゃん』
ロマニも挨拶を返す。
『少し話があるから、管制室まで来てくれないか。マシュにも声をかけてきてくれると助かる』
マシュの背筋がぴっと伸びた。了解、ドクター、とマスター。
「マシュは今ちょうどここにいるので、今から二人で向かいたいと思います」
『それは都合がいい。待ってるよ』
そう言ってロマニからの通信は切れた。
「じゃ、行こっか」
「はい、先輩」
マスターとマシュは同時に立ち上がり、部屋を出た。
◆
ロマニの話というのは新たな特異点もどきのことで、その特異点もどきの場所は羅生門のときと同じ日本、時代も前回とほぼ同じであった。
レイシフトしてみてからは座標も京からごく近い島であり、さらに探索の結果、島の名はおとぎ話に出てくる「鬼ヶ島」であることがわかった。
今回は行き先が日本ということで、マスターはパーティ常連メンバーのマシュ、クー・フーリン、呪腕のハサンらと共に牛若丸も連れてきていた。
現地に着いてからははぐれサーヴァントの風魔小太郎や、なぜか島に召喚されていたライダーの坂田金時が加わった。
「ハサン殿はあまり喋りませんね? マシュ殿同様、桃太郎の仲間枠争奪戦には興味がないということでしょうか?」
牛若丸発案の「マスターを桃太郎とした場合の役割決め」についてひと段落したあと、牛若丸がハサンに尋ねた。
「私にはマスターに仕える暗殺者という役目が既にあります故、興味がないのかと訊かれると答えは是になりますな」
即答するハサン。それを聞いていたマスターが口元を緩めかけた後引き結ぶのをクー・フーリンは見たが、特に声をかけることはなかった。
「貴方は欲のないよい人ですね!」
牛若丸は目を輝かせながらハサンに向かって言った。
「犬はいいよな。俺も犬は好きだぜ」
クー・フーリンが話に参加する。
「むっ、クー・フーリン殿も犬狙いでしたか? であればこの牛若、容赦はしません!」
牛若丸は刀の柄に手を当てた。
「お前さんと勝負するのも面白そうだが、マスターの手前、また次の機会だな。犬役は譲ってやるよ」
「私は勝負するのもやぶさかではないのですが……譲ってくださるというならありがたく頂戴いたします!」
牛若丸が刀の柄から手を離すが早いか、
「フォーウ!」
勝手に決めるなとでも言うようにフォウが突進をかけた。
「角度調整が甘い!」
ひらりと避ける牛若丸。
「みんなが仲良くて嬉しいなあ。この調子でどんどん進んでいこうね!」
「お、こんなとこでいい子ちゃんアピールか? マスター」
「違うよ兄貴、これは本心だよ。トラブルを防ぐにはコミュニケーションが円滑な方がいいでしょ」
「そうかよ」
「聞いてきた割には返事が素っ気ないね。兄貴、なんか嫌なことでもあった?」
「ねえよ。強いて言うならお前さんが最近フラフラしてるのが気になるだけだ」
「え……」
「何の話ですか主殿?」
「ゴールデンな話じゃなさそうだな」
牛若丸と金時が同時に口をはさむ。
小太郎も黙ってはいるが、マスターとクー・フーリンの方を見ている。
「な、何でもないよ。とりあえず今はこの話やめにしない、兄貴?」
「やめにするのはいいけどよ、最近のお前さんの調子でこの鬼ヶ島をうまく攻略できるのか? マスターの判断が鈍って全滅なんて俺はいやだぜ」
「そんなことはないよ」
「本当にそう言い切れるのか?」
「それは……」
「それは?」
マスターは黙り込んだ。
重い沈黙が落ちかけた瞬間、一連の話に参加していなかったハサンが口を開いた。
「クー・フーリン殿の心配はごもっとも」
「ハサン。お前、わかってるのか」
「ここのところマスターの調子が普段と違っているということは承知している。おそらく私が原因なのだろうが……」
「ちょ、ちょっと待って」
マスターがハサンの話を遮った。
「おいおい、人が話してるときに突然遮るのは失礼だって教わらなかったのか? 嬢ちゃん」
「ご、ごめん……」
「まあまあクー・フーリン殿、問題を解決する糸口になるやもしれません」
ハサンが槍兵を執り成した。
「おう。じゃあ言ってみろ、マスター」
クー・フーリンはマスターに向かって顎をしゃくった。
「原因って、ハサン先生は原因がもうわかってるの?」
「はい、おそらくですが。マスターは……」
「待って待ってその話ここでは――」
マスターが慌ててハサンを止める。
「……他の者の指揮に関わるというご判断ですな、承知いたしました。クー・フーリン殿には聞かれてもよろしいか?」
それもちょっと、とマスター。
「ではマスターと私のみで場所を変えることといたしましょう。失礼」
言うが早いか、ハサンはマスターの背と膝裏に腕を回して横抱きにし、跳躍した。
「ちょっこれお姫様抱っ」
「魔術師殿、舌を噛みますぞ。口を閉じていてくだされ」
マスターは顔を赤くしてしばし黙った。
「ここなら敵も来ず、会話も波の音にかき消されましょう」
島のすぐ近くの海に浮かんでいる岩場の一つにハサンとマスターは降り立った。
「靴がすごい濡れそうだけどね」
「お嫌でしたら抱き上げさせていただきますが」
「大丈夫! 靴が濡れても問題ない!」
「そうですか。魔術師殿がいいのであれば問題ありませんな」
「もしかして帰りもあの運び方するの……?」
「問題ありましたか」
「いや……いいよそれで。ところで話の続きだけど……」
「はい。魔術師殿は私を最終再臨させたことを後悔しているのではないか、と言いたかったのです」
「後悔? まさか!」
「回避主体の戦いをする私にHPとatkは不要だったと後から思って後悔したということではなかったのですか?」
「とんでもない! 回避が切れたとき攻撃をしのぐのにHPは多い方がいいからね」
「ではなぜ」
マスターはハサンに、最終再臨の後、自分がおそらく親愛の情を示すため無意識に手をつなごうとしたことと、自分と手をつなぐなどという恥ずかしい行動をさせかけたので気まずさに似た思いを抱くようになったことを説明した。
「マシュには説明したんだけどね、途中までだけど」
「そうでしたか……。気まずく思われていたため、私と接するときだけ落ち着かぬ様子だったのですな。しかし魔術師殿と手をつなぐこと、私にとっては恥ずかしい行動ではございません故、気を遣っていただかなくとも結構でしたぞ?」
「変わってるね、ハサン先生は。しかしそうかあ、私が一人で気まずくなってただけだったのか」
マスターはそうかあ、と言いながら何度もうなずいた。
「それなら何も気にすることはないね。兄貴にももう大丈夫って言わなきゃ」
「……では皆のところに戻られますか?」
ハサンが提案する。
「そうだね。お願い」
「では」
ハサンは再びマスターを横抱きにし、跳躍した。
「今思ったんだけど、この運び方されるのってやっぱり恥ずかしいよね。嫌ではないけど」
来たルートを半分ほど戻ったとき、マスターが呟いた。
「あと恥ずかしいのとは別になんか動悸がするんだよね。妙だな」
首をひねるマスター。
「確かに、鼓動が通常より速くなっておられますな」
己の認識している事実をそのまま述べて、ハサンは続ける。
「失礼ですが、下が海であることを怖いと思われているのかもしれませんぞ」
うーんと言いながら考えるポーズを取るマスター。
「確かに怖いかもしれない。でも大丈夫、ハサン先生は落とさないって信頼してるから」
「主を落とさぬのは従者として当然かと」
「それもそうか。みんなのいるとこまであとちょっと、よろしく頼むよ」
「承知」
残りの距離を跳び切って接岸し、ハサンはマスターを地面に下ろした。
ありがと先生、とマスターは言い、残してきたサーヴァントたちにもただいまと声をかけた。
サーヴァントたちは馬蹄形の陣形を組んで待っており、マスターの挨拶にはクー・フーリンが真っ先に応えた。
「思ったより早かったな。で、どうだったんだ」
「問題は解決したよ。戦闘もいつもの調子でこなせると思う。みなさんご心配おかけしました」
マスターがそう言った瞬間、サーヴァントたちが口々に声を上げた。
「よかったですね、主殿!」
「よくわからねぇがよかったな大将」
「よかった……です」
「解決したんですね。安心しました、マスター」
マスターを囲んで安堵の声を口にするサーヴァントたちの中で、クー・フーリンだけが輪の外で一人納得いかない顔をしていた。
「あの問題ってそもそも解決するもんなのか? どうなんだハサン。お前は理解してたようだったが」
同じく輪の外にいたハサンは問われてすぐに、問題なし、と答えた。
「互いの誤解は解け、マスターの心にもはやわだかまりはない。従って、戦闘に支障をきたすこともなかろう」
「誤解?」
「左様。双方の誤解こそ今回の問題の原因であった」
本当にそうなのか? とクー・フーリン。
「まあ、別の理由でも、マスターがそう思い込んで納得してるっつーなら多少はマシになるか」
「はっきりせぬなクー・フーリン殿。貴殿らしくない」
「マスター本人が気づいてねえことをお前に言っても仕方ねえからな。中間管理職はつらいぜ」
クー・フーリンがため息をついたところで、出発しようか、とマスターが二人に声をかけた。
一行は頂上を目指して門番の鬼を倒し、武蔵坊弁慶を仲間に加え、羅生門のときに敵だった二人の鬼と出会ったり金時の上司と出会ったりしながら進み、最後の大門を通過した。
頂上で待っていたのは聖杯と、金時の上司である源頼光……の中に封じられていた頼光の異形の側面、丑御前であった。
同じ半神の金時のためにまつろわぬ者が暮らせる「鬼の国」を作る、という目的を丑御前は語った。
金時は、その目的は金時のためではなく所詮は丑御前自身のためだけのものであると切り捨て、「母親の馬鹿騒ぎを止めるため」、一行とともに丑御前と対峙した。
「もう結構長く戦ってるけど一向に隙が見えないね。っていうか全体宝具が来る。マシュは決意の盾使って、あと金時に無敵張って! 兄貴は回避!」
「シールドエフェクト、発揮します!」
「よし! じゃあマシュは頑張って耐えて!」
「はいマスター!」
マスターの非情な命令にもマシュは健気に返事を返した。
シールダーであるマシュ自身はバーサーカーである丑御前の攻撃に弱点をつかれないため、無敵や回避を使用せず、少し前にかけた「ロード・カルデアス」「今は脆き雪花の壁」の二つの防御アップと、雀の涙ほどの量のダメージカットで宝具を凌ぐというマスターの算段だ。
「牛王招力・怒髪天衝!」
丑御前は召喚した自らと同じ姿の牛鬼らと共に四方八方から攻撃を放った。
金時に向かった斬撃は見えない壁が防ぎ、クー・フーリンに向かった矢はひとりでに明後日の方向に逸れた。
マシュは己に向かった打撃を盾で受けていたが、着実にダメージは入っている。
「矮小十把、塵芥になるがいい!」
丑御前の刀から雷撃がほとばしりパーティを襲う。
「くっ……」
盾を乗り越えてきた雷撃がマシュの髪を少し焦がした。細い腕に力が入る。
「マシュごめん……耐えて……」
マスターが滅多に出さないような声色でマシュを応援する。
それを聞いたマシュは心の隅で、先輩に後ろめたいなんて感情があったとは、と思った。
雷撃の奔流は数秒間続いた後、静かに止んだ。
「よく耐えたね、マシュ! ぎりぎりだけど」
マスターが礼装を起動させ、マシュの体力が回復する。
「ありがとうございます、マスター!」
「ちょこまかと小賢しい……」
丑御前がマスターを睨む。
「先輩っ!」
マシュが叫んだ。予備動作なしで放たれた雷撃が目にも止まらぬ速さでマスターに飛ぶ。
マスターの見開かれた瞳に映った雷光が鋭く輝いた。
雷撃がマスターの身体を捕らえようとした瞬間、マスターの姿がかき消えた。
「仕留め損ねましたか……」
丑御前の視線の先、数メートル離れた上空にマスターと黒衣の暗殺者の姿があった。
「ハサン先生……」
ハサンに抱えられたマスターは呆然とその名を呼んだ。
「主のために気配遮断を解いたのですか。人間……? 少し違うものも混じっているようなので、虫ですか。虫にも主に仕える心があるとは、ますますひねり潰したくなる」
丑御前は言葉を紡ぎながら刀を構え、斬撃を放った。
斬撃は烈風となり、落下する主従を狙う。
「闇に潜むは我らが得手なり」
ハサンのスキル発動台詞と共に、二人の目前まで迫っていた斬撃は霧散した。
「加護持ちですか、厄介な」
言いながら矢をつがえようとした丑御前のその弓が、朱い槍によって弾き飛ばされた。
「戦闘中に余所見とは感心しねえなあ、丑御前さんよ!」
「猪口才な……!」
「喰らいな! 刺し穿つ死棘の槍!」
クー・フーリンの槍が丑御前の心臓を貫いた。
「ぐっ……」
丑御前の身体は一瞬で粒子となって消えた。
「やりましたか!?」
とマシュ。
「いや、手ごたえがねえ。アレはおそらく偽物だ」
残心しながら、クー・フーリン。
「よくわかりましたね、そこだけは褒めてあげましょう」
背後からの声に咄嗟にクー・フーリンは飛びのいた。空を切った打撃が地面を抉る。
振り下ろした武器を構えなおす丑御前。二人は睨み合う。戦線は再び拮抗した。
◆◆◆
戦いはなおも続き、インドラの化身とも言われた鬼の強さに一行はじりじりと押されていった。
「ッ……強いッ……!」
小太郎が思わず呟く。
「源氏の棟梁です。強くなくては務まりませぬ……!」
牛若丸が刀で矢を叩き落としながら返す。
弁慶も丑御前を悪鬼羅刹の如し、と評した。
「お覚悟、どうぞ」
「まずい、宝具が来る。みんなのスキルのリキャストはまだ、このままだと全滅する……」
「さあ、とどめです。誅伐――」
丑御前が宝具を放とうとしたその時、どこに隠れていたのか酒呑童子が飛び出し、丑御前の腕を捕らえた。
「酒呑!」
金時が必死で叫ぶ。丑御前は目障りなと吐き捨て酒呑童子を切り捨てた。
「また、な。小僧。今度はやかましい母親のおらんとこで――」
酒呑童子は消滅する。
鬼であり敵である酒呑童子が作った隙。
鬼という生き物は致命傷を負っても容易に倒れず、どこまでも生きようとする生物だ。その鬼が鬼らしく作った隙を見過ごすなど、金時にとっては言語道断である。
「夜狼死苦・黄金疾走!」
丑御前の身体に黄金の光が炸裂した。
「きん、とき。どう……して……?」
仰向けに倒れる丑御前。その身体から鬼気が消えていく。
――かくして、鬼退治はここに成った。
◆
「今回も強かったね、先生は」
カルデアに帰還後、呪腕のハサンをマイルームに呼んだマスターは、開口一番にそう言った。
「風避けの加護をマックスまで強化してたから何度も攻撃を避けて時間を稼いでくれたね。マシュのバフが切れたときに丑御前の斬撃を凌いでくれたのは助かったよ。あの斬撃は丑御前の通常攻撃の中で最も威力が高かったから、HPの少ないサーヴァントだと一撃でやられてしまうんだ。それをこう、すさっとね。避けてくれたからね。しびれちゃったよ」
マスターはハサンの活躍を熱弁する。
ハサンとしても、己の仕事ぶりを褒められることに悪い気はしなかった。
「加護が切れてる間もHPで攻撃を受けてくれたからね。再臨アンド強化しといてほんっとーによかった」
それを聞いたハサンは、ここ数日間の誤解のことを思い出した。
鬼ヶ島で繰り広げた死闘の印象が強かったため、お互いの誤解を解いたことがはるか昔のことのように思えたが、己の状態にマスターが不満を覚えているかもしれないという疑念が残した爪痕は自身が思った以上に深かったようだ。
「確かに、再臨させぬ方がよかった、とは思ってらっしゃらぬようですな」
マスターは一瞬何のことかわからぬかのように瞬きしたが、すぐに思い当たったようで、
「ここ数日は誤解させるような態度とっちゃって申し訳なかったね……」
と言った。
「いいのです。魔術師殿が現状私の能力に満足してくださっているということは今のお話からも十分感じ取れましたし」
マスターは少し考える様子を見せた。
「その言い方は納得してない言い方だね……不安に思ってるでしょ。今後いつ私が先生の能力に満足しなくなるかわからない、って感じかな」
ハサンはぎくりとした。
己の胸の内を少女に悟られるような言い方をしてしまった失態への後悔もあったが、この少女は人の心がわからない人物だという判断が裏切られた驚きもあった。
「大丈夫だよ。私は先生の能力を信じてる。風避けの加護なんてその最たるものだよ。サーヴァントの持っているスキルはその人自身が生前会得したものであったり、伝承が形になったものだったりする。いい意味でも悪い意味でも簡単に失えるものじゃない。だから、霊基が書き換わるかでもして先生が風避けを失わない限り、私は先生の能力を信じ続けるよ」
日ごろからサーヴァントの性能しか見ないと難色を示されているマスターであるだけに、この言葉は信用できるとハサンは思った。
「そう言っていただけるのは光栄ですな」
「あとね……」
マスターが何か言いかけて言葉を切り、少し戸惑った様子を見せる。
「あと、何ですかな?」
ハサンが促すと、マスターは恥ずかしそうに続けた。
「丑御前の攻撃から私を助けてくれたの、まさか助けてくれるなんて思ってなかったからちょっと嬉しかった」
「サーヴァントがマスターを助けるのは当たり前でありましょうに……」
「あんまりみんなにそういうのは求めてないからなあ。でもそう言ってくれるのは純粋にありがたいし嬉しい」
「……」
もしかすると、己のマスターは少しずつ変わっているのかもしれぬ。それがいいことであるか悪いことであるか、少なくとも忠義を捧げる上で悪いことではあるまい、とハサンは思った。