Fate/Grand Order

「ドクター、マスターのお加減が悪いと聞いたのだが、見舞いに行っても大丈夫だろうか」
 ロマニと相対しているのは髑髏の面を被り、黒い外套に身を包んだ暗殺者、呪腕のハサンだ。一見奇妙な格好に見えるが、ここカルデアでは同じ格好をした暗殺者がもう八十人、全身フルプレートの狂戦士、上半身裸の剣士やロボなど奇妙な格好をした人物はいくらでもいるので、ハサンが特別目立つというわけではない。そういうわけで、ロマニもその格好に何ら疑問を挟むことなくハサンと会話をしている。
「お見舞い自体は問題ないよ。でも、彼女は君がお見舞いに行ってもわからないかもしれないね」
「何、そんなに具合がお悪いのか」
「うーん、それがね……意識がないんだ」
「意識がない……それはよくない。直ちに見舞いに行き、身の回りの世話をさせていただこう」
「あっ待っ……行っちゃったか」
 そういうことは同性がやった方がいいんじゃないかな、とロマニが言う前に、ハサンは去ってしまった。

「失礼いたします」
 ハサンは自らのマスターの部屋に入り、音もなく枕元まで行った。
「魔術師殿、ハサンめが参りましたぞ」
 上体を屈めて告げる。返事はなかった。
「おいたわしや、魔術師殿……」
 そう言って、マスターの額に手を当てる。
「ふむ、熱は無いようだが汗をかいておられる。確かタオルはこの辺りに」
 右手を伸ばし、部屋の隅の引き出しからタオルを取り出した。それをマスターの額や頬に当て、汗を吸い取らせる。
「失礼」
 一言断ると、タオルをマスターの服の下に潜り込ませる。丁寧に拭いた後、タオルをたたんで脇に置く。
「服も汗で湿っているので、替えてさしあげなければ。ええと着替えは、と」
 先ほどタオルを出した引き出しの上のクローゼットを開ける。クローゼットには色とりどりの礼装が並んでおり、それぞれ同じものが三着ずつほど入っていた。そこから、今マスターが着ている服と同じ服を取り出し、枕元に置く。ベッドの下から下着を取り出し、それも枕元に置いた。
「再び、失礼しますぞ」
 ハサンはマスターの服を脱がしにかかった。半分ほど脱がしたところで、部屋のドアが開く音がした。
「先輩、わたしです、マシュです……って先輩!? ハサンさん!? ななな何をやっているんですかー!」
 慌てた様子でハサンに駆け寄るマシュ。
「これはマシュ殿。魔術師殿が汗をかいておられたので、着替えをと思いましてな」
「ハサンさん! 礼装はまだいいとして、下着はダメです! 先輩にも乙女心というものがあるんですよ! 好きな人に一方的に服を脱がされるなんて、意識のあるときの先輩に耐えられるとは思えません」
「それは失礼した。魔術師殿がお嫌だろうというならば、着替えは取りやめることといたそう」
「はい。着替えはわたしがやっておきますね。申し訳ありませんが、ハサンさんはその間外に出ていてください」
「む」
 ハサンは首を傾げた。
「好きな人に服を脱がされるのが嫌ということならば、マシュ殿がされても同じではないですかな?」
 え、とマシュ。
「好きというのはそういう好きではなく、悲しいですが先輩がわたしに対してハサンさんに向けているような気持ちを抱いていないということは薄々感じています。ですがその……」
 マシュは言葉を切って言いよどむ。
「何ですかな?」
 促すハサン。マシュは言いにくそうにしていたが、ややあって口を開いた。
「こういうことはわたしから聞くのではなく、先輩から直接聞いた方がいいと思います。ので、今はそういうものとして収めてくださると助かります」
「よくわからぬが、承知した。終えたらお呼びください」
 すっと立ち去るハサン。マシュはほうっと息をついてマスターの着替えを手に取った。

「ハサンさん、終わりました」
「では入りますぞ。おお、魔術師殿もこれで風邪を引く心配がなくなりましたな。では、洗濯物を持っていきましょう」
「わ、わたしがやります。ハサンさんは先輩の側にいてあげてください」
「そうですか? ではお言葉に甘えて」
 マシュが着替えを抱えてぱたぱたと部屋を出て行くと、ハサンは再びマスターの枕元まで行った。マスターの顔を覗き込んだまま、そこにたたずむ。時計の針が進む音が部屋にこだまする。と、
「あれ? ハサン先生?」
 どことなくぼんやりとした目で、マスター。
「魔術師殿。お目覚めになられたか!」
 マスターはううん、と唸った。
「一旦は目覚めたということになるかな。来てくれて嬉しいよ、ハサン先生」
 そして、ハサンに向かって微笑む。
「一旦、ということは」
「またすぐ元の状態に戻ると思う。何度か同じことがあったんだ。でも必ず目覚めてみせるから、信じ……」
 ハサンをじっと見ていたその目から、突如光が消えた。
「魔術師殿、魔術師殿? ああ、また意識を失われてしまったのか……」
 肩を落とすハサン。そのとき、部屋の扉が開いた。両手に何も持っていないマシュだ。
「ハサンさん? どうかしましたか?」
「マスターが一旦意識を取り戻したのだが、また意識を手放されてしまったのです」
「本当ですか! 先輩、マシュです! わかりますか! 先輩……やっぱりダメですか。ハサンさん、先輩はどのくらいの間目覚めていたんですか?」
「時間にして30秒ほどですかな」
「先輩は本当にどうしてしまったんでしょうね……理由も何もわからないから、とても心配です……」
「マシュ殿。マスターは必ず目覚めてみせるから信じろとおっしゃっておりました。何の手がかりもわからない今はマスターを信じて待つのが得策かと」
「そう、ですね……先輩が信じろと言うのなら、それが……ありがとうございます、ハサンさん」
「私はマスターの言葉をそのまま伝えたまで。礼を言われるほどのことはしておりませぬ」
「それでも、ありがとうございます」
 お礼を言うマシュは、疲れの中にもどことなく安堵を含んだ顔をしていた。

◆◆◆

 それから三日の間、ハサンはマシュやカルデアの医療スタッフとともにマスターの身の回りの世話をした。また、不安になる人々にはマスターの言葉を伝えて諭し、お見舞いに来る人々の持ち込んだ見舞い品の管理をしたりして、マスターの言った「信じて」という言葉を頼りに主の目覚めを静かに待ち続けた。

 そして、マスターが倒れてから、四日目の昼。
「魔術師殿!」
 ずっとガラス玉のようだったマスターの目に光が戻ったのを見て、ハサンは思わず声をかけた。マシュも慌ててベッドに寄ってくる。
「センパイ! ドクター、先輩が目を覚ましたようです!」
 側に控えていたロマニもそのようだね、と同意する。
「頭痛くない?」
「ハサン先生、マシュ、Dr.ロマン……ただいま」
 そう言いながら、マスターはゆっくりと身を起こした。
「おお……魔術師殿……このハサンめは信じておりましたぞ。魔術師殿は必ず目覚められると」
「おかえりなさい、先輩……わたし、とても心配しました。でも先輩の言葉を信じて待っていたら、先輩は目覚めてくれて……本当によかった」
「ごめんね、待たせたね」
「皆さんとても心配してらしたんですよ。お見舞いにもたくさん来ていただいて。ほら、こんなに物をいただきました」
 マシュはベッドサイドのテーブルの上に置かれたたくさんのお見舞い品を指す。
「わー本当だ」
 ぱちくりと目を瞬かすマスター。あとで1人1人に報告とお礼を言わなきゃね、と呟く。
「先輩が意識を取り戻されたのは大変いいことなんですが、いったいなぜ意識を失われてしまったのかわからなかったんですよね。先輩、心当たりありますか?」
「それがね。どうも魔術王の仕業らしいんだ。意識を失っている間色々あってさ……」
 そして、監獄塔での様々な出来事を説明するマスター。風変わりなエクストラクラスのサーヴァント、アヴェンジャーのこと、共に過ごした女性のこと、そして試練、最後に再会を望んだことについて。
「そっかー、そんなこともあるんだねえ」
「先輩、お疲れ様でした」
「魔術師殿が無事で本当に良かった」
 三者三様の感想を漏らすハサン、マシュ、ロマニ。
「うん。まずは心配かけたみんなにお礼を言って、それから召喚部屋に行こうと思う」
「待った。君は四日間全く何も胃に入れてないだろ? まずは何か胃に入れた方がいい。いきなり固形物を胃に入れたら胃がびっくりするから、お見舞いに持ってきてもらったそこのスポーツドリンクなんかがいいんじゃないかな」
 ロマニが見舞い品の中からペットボトルを手渡す。
「それじゃあわたしは一足先に皆に知らせてきますね」
「ボクも、スタッフ達に知らせてこよう」
「では私は」
「ハサンさんは先輩についててあげてください」
「そうだね。もしものことがあるといけないし。じゃ、ボクはこれで」
「先輩、また後で!」
 二人はばたばたと部屋を出て行き、部屋にはペットボトルを片手に持ったマスターとハサンだけが残された。
「さてスポーツドリンクを飲もう……開かない」
 フタを開けようとして開けることができず、痛そうに片手を振るマスター。
「お貸しください」
「え? あ、うん」
 ハサンはマスターからペットボトルを受け取ると、軽く力を入れた。ぱきゃという音とともにフタが開く。
「どうぞお飲み下さい」
「ありがとう先生! やっぱり先生は頼りになるなあ!」
 そう言ってハサンからペットボトルを受け取り、ちびちびと飲む。
「おいしい」
「善きかな。マスターが幸せならば私も幸せです」
「その言い方、何か照れるや……」
 照れる? とハサン。
「そういえば。マシュ殿が気になることを言っておられたのですが」
「何? 何でも聞いて」
「魔術師殿はマシュ殿のことがお好きでおられる。私のことも好きでおられるとマシュ殿は言いました。しかし、その好きはマシュ殿に向ける好きとは少し違っている、と。恐れながら、私にはそれが想像できません。いったいどのような好きなのでしょうか」
「え、ってえ? マジで? マシュがそんなこと? 好きって? 私が? ハサン先生を?」
 スポーツドリンクを喉に詰まらせかけて慌ててフタを閉めるマスター。
「違いましたか」
「いや好きだけど!」
 慌てて言いつのる。ハサンはでは、と返す。
「ではどういった……」
「そういうこと本人に聞くかな、普通? 何でも聞いてっていったのは私だけど……どういった? えー……でも直接言っちゃうと何か先生に失礼な気がする……」
「魔術師殿がどういった感情を私に抱かれていようと、私は失礼などとは思いませんぞ」
「でもだよ。でもハサン先生は私のこと主だと思ってくれてるんでしょう」
 頷くハサン。
「以前にも申し上げたとおり、あなたは最高のマスターです、魔術師殿」
「ありがとう。……先生は、1人では戦えない私のとなりに立ってずっと一緒に戦ってくれた。どんなにつらい時でも、側にいてなぐさめてくれた。そんな先生のことが私は大好きなんだ」
「は。有難き幸せ。しかし、それは他のサーヴァントも一緒ではないですか」
「うーん……同じだけど、ちょっと違うんだ。でも、それは私も自分でもちょっと理解できてないかもしれない。答えはちょっと待ってもらえるかな」
「マスターが待てとおっしゃるならば、いつまでもお待ちします」
「せっかく聞いてくれたのに、うまく答えられなくてごめんね。でも、いつかきっと答えるから。それまで、そばにいて戦ってくれる?」
「ええ。魔術師殿が望む限り、おそばに」
 ありがとう、とマスター。そのとき、ノックの音がした。
「どうぞ」
 応えるが早いか、ドアが開いて大量のサーヴァントが部屋になだれ込んできた。
「嬢ちゃん、意識戻ったってな!めでてえ!」
「めでたいでござるwwwめでたいでござるwww」
「お加減はいかがですか? 何かお食べになりましたか?」
「意識失ってる間アタシの歌声をずっと聴けなかったんだから、絶対今聴きたいでしょ?」
「先輩、わたしは止めたんです。いきなりみんなで行ったら大変なことになるって」
「いいよマシュ……私は嬉しいよ」
 完全に元の日常が戻るのは少し先かもしれないが、足の踏み場もないほど混雑した部屋の中でサーヴァントたちの声を聞きながら、ああ日常が戻ってきたなと思ったマスターであった。


(おわり)
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