Fate/Grand Order

「ディル? 考え込んでるみたいだけど、何かあった?」
「はっ……マスター! 何でもありません! ただ、何かこう……」
 その時うまく言い表せる言葉を俺は持っていなかった。
 何しろ自分の気持ちを見つめることなど初めてと言っていいほどで、シェイクスピアに「考えてみるのがいいですぞ!」と言われて初めて考えてみているといった体たらく。
「何だろう。もしかして私に足りないところがあるとか? ごめんね、初心者……もう特異点も6つめになろうとしてるところだし、もう初心者じゃないね。至らないマスターで」
「至らないなど、とんでもありません! マスターの采配のおかげで5つもの特異点を修復して来られたのですから」
 慌てて否定の意を表現する。この感情がマスターへの感情であることは確かだったが、不満や不信といった類のものでないのは明白だったからだ。
 俺の言葉を聞いて、マスターはほっとした表情をした。
「ありがとう。でも、ここまで来られたのはひとえにみんなのおかげだよ。特にディルムッド、あなたの活躍がなければとてもじゃないけどたどり着けなかった」
「ありがとうございますマスター! そう言っていただけると騎士冥利に尽きます!」
「そんな活躍してくれてるディルムッドに悩みがあるならいつでも聞くから、言ってね?」
「感謝いたします、マスター。また相談できるような状態になりましたら、お話しさせていただきます」
 マスターへの感情をマスターに相談するわけにもいかないので、俺はそう言った。
「今じゃないのか。まあ、すぐ相談しろと言ってできるものでもないのかもね。じゃあ、待ってるね」
 その場はそれで収まった。問題はそこからだった。

「ディルムッド殿、それは――ではないのかな?」
「はっ?」
 含み笑いをするセイバーランスロット殿の発した言葉の意味が一瞬理解できなかった。
「ランスロット殿、それは一体どういった……?」
「我々と縁の深い感情です。貴方の場合、向けられることは数あれど、向けることは少なかったのかもしれないが」
「俺が恋、ですか」
「ええ。貴方がいつもマスターに向けているそれは間違いなく恋焦がれる目です」
「しかし、俺はマスターの従者です。そのマスターに恋するなど、あってはならない」
「おや、仕えることと恋することは両立し得ますよ。中世の宮廷恋愛ものなどは主人公の騎士が仕える対象である王妃に恋する話がメインです。王妃はその恋心をわかった上で応えない……が思わせぶりな態度は取るので騎士は恋し続けるという流れですね。私の場合、その恋が叶ってしまったのが問題でしたが。幸い我らがマスターに特定の伴侶はまだいない。貴方のそれも罪とはならないでしょう」
「仮にそうだとしても、一方的に向けられる恋心ほど厄介なものはないでしょう。それに、此度の現界では恋より忠義を選ぶと俺は決めているのです……」
「なるほど、貴方の主義に反するということか。しかし、マスターの方はどうかわかりませんよ……」
「それはどういった?」
 言いかけてやめた風のランスロット殿の言葉の続きが気になった俺は、その言葉の意味を問うた。
「いえ。こういった話をするのは久しぶりなので話し過ぎました。また相談したくなったら言ってください。今度はトリスタン卿も連れてきますので。彼も詳しいですよ。それでは、また」
 ランスロット殿は流れるように話を終わらせると、笑顔で部屋を去っていった。
「……」
 仕えることと恋することは両立する、か。俺にはそうでなかった経験しかないため、想像できない。
 いずれにせよ、俺を純粋に信頼してくれているマスターの気持ちを裏切らないためにも、この感情は伏せておかなければ、と思った。

◆◆◆

「アーチャーがいる周回は疲れるな! ディルムッド、お前もそう思うだろ?」
 アメリカ・アレクサンドリアからの帰り、マスターと別れた後にモードレッドがそう言った。
「いいや。俺は有利相性なのでな」
 宝具を撃ち終わった後のモードレッドが弓兵クラスの敵に攻撃されているのはこの周回でよく見る場面だ。
「ずりぃな! ゲイザーに止め刺すのもお前だしよ! 雑魚散らしなんてマスターも地味な仕事を与えてくれるぜ! アーラシュ、お前はどうなんだよ」
 横を歩いていたアーラシュ殿は、ん? と首をかしげた。
「マスターの役に立ててるなら俺はいいぜ」
 未だに剣を担いだままのモードレッドとは対照的に、アーラシュ殿の手にはもう弓はない。
「大英雄様はこれだから困るよなー。清廉すぎんだよ。だいたいなんでランスロットの野郎の必要素材をオレたちが集めなきゃなんねーんだよ」
 頬を膨らませるモードレッドにアーラシュ殿は笑ってみせた。
「お前の再臨素材も金時たちが集めてくれた物だぞ? ま、お互いさまってことだ」
 アーラシュ殿はそう言いながらモードレッドの肩をポンと叩く。
「わーってるよ。言ってみただけだ」
 モードレッドは面白くなさそうに剣と鎧を空気に溶かした。
 そんなやりとりをしながら食堂に差し掛かったとき、こちらに声をかけてくる者がいた。
「戻ってきたのかディルムッド。マスターがお前を探していたぞ」
 竜殺しの英雄、ジークフリートだ。食堂の簡素な椅子に座っていた彼は、俺の方を向きながらそう言った。
 マスターが俺を? 今日の周回の話だろうか。
 理由を推測し始める思考を置いて、俺はジークフリートにありがとうと言った。
「マイルームだな、すぐ向かう。アーラシュ殿、モードレッド、失礼する」
「ちょっと待った、ディルムッド」
 アーラシュ殿が俺を呼び止める。
 俺は元来た道を戻ろうとしていた足を止め、振り返った。モードレッドは構わず歩き続けている。
「何だろうか?」
「……頑張れよ」
 小声で言うアーラシュ殿。そして、こう続けた。
「自分だけがそうだと思わないことだ。……俺が今言えるのはそれだけだ。ま、幸運を祈るってこった」
「? 感謝する。では」
 何のことかはわからないが、応援されているというのはわかったのでとりあえず礼を言うと、俺は急ぎ足でマスターの部屋に向かった。



「失礼します」
 マスターはベッドに腰掛けて俺を待っていた。
「ようこそディル。ま、座って」
「いえ、そんな失礼は……」
「立ってたらこっちが話しにくいでしょー。座ってください」
 ちょいちょいと手首から先を動かすマスター。
「……では失礼して」
 マスターの方を見ながら、ベッドの側にある回転椅子に座る。
「で、本題なんだけど」
 マスターがこちらを見る。目が合った。
「この前の件、考えはまとまった?」
「と言いますと」
 この前の件、と言われて思い当たったのは一つだけだったが、俺は咄嗟に白を切った。
「考え込んでた件だよ。相談できる状態になったら話してくれるって言ってたでしょ。その後進展はどう?」
 単刀直入に切り込んでくるマスター。
「いえ、その……」
「アタランテがさ、最近のディルムッドはどこか必死に見えるって言ってたんだ。何かを忘れようとしているみたいに見える、って。それを聞いて私ちょっと後悔しちゃったよ。あの時無理にでも聞き出しておけばよかったって……サーヴァントの不調に気付かないなんてマスター失格だ。原因はたぶんあの時考えてたことだよね? マスターとして助けになりたいから聞かせてほしい。あなたは何に悩んでいるのか」
 俺は心の中で頭を抱えた。ここまで言われてしまったら、話すしかなくなる。主に嘘をつくわけにもいかない上、そのような嘘が急に思いつくものでもない。
 潮時か、と思った。
「マスター……俺はあなたをお慕いしています」
 それを聞いたマスターは少し悲しそうな顔をした。
 やはり、一方的な好意は迷惑だということか。予想通りではあったが、俺の心は重くなる。
「……ありがとう。私もディルムッドのことが好きだよ。つまり、私のことを信頼してくれてるから話してくれるってことかな?」
 これはおそらくわかっておられない。
 俺は重い心を引きずったまま、いえ、と言ってから答える。
「そういう意味ではありません。マスターを愛や恋という意でお慕いしているということが、俺の悩みです」
 は、と言ってマスターは固まった。その顔が見る間に赤く染まる。
 どうやら意識はされていたらしい。
「ななななななにを言っているんですかディルムッドさん正気ですか」
「至って正気です、マスター」
「私は夢を見ているのかな? たぶんそうだ。おやすみディルムッド」
 そう言って布団をめくろうとするマスターの腕を思わず掴んだ。
 ここまで来てうやむやにされるのだけは困る。何より、明日からどういう顔をして会えばいいのか。
「ちょ」
 焦るマスター。頬は赤く、茜色の瞳が涙で潤んでいる。
 それを見た瞬間心の奥で何かが頭をもたげかけたが無視して声をかける。
「茶化すのはやめていただきたい。俺は真面目にあなたのことをお慕いしているのです」
 芽生えかけた何かを抑えていたので言い方が少しきつくなってしまったかもしれないと後悔するが、言ってしまったものは取り消せない。
「ごめん、その……」
 ああ拒絶されるのだな、とわかった。こんなことになってしまった以上、元の関係にもどってもぎくしゃくしてしまうだろう。円満な(少なくとも俺はそう思っていた)関係を壊したのは俺が原因で、マスターは何も悪くないからこそ申し訳ない。
 俺はそっと目を伏せた。


「私、も……」
 すき、とか細い声。コンマ1秒思考がフリーズしたが、言葉の意味を認識した瞬間、俺はがばっと顔を上げた。近い近い、とマスター。
「それは自惚れてもよいということですか、マスター」
 信じられない、という気持ちと嬉しくてたまらない、という気持ちがせめぎ合う。
「いいよ! もう! 人が折角隠してた想いを言わせるなんてディルムッドは!」
 制御できない喜びを持て余したまま、言わせたのはマスターの方ですよ、と呟く。
 至近距離にいるマスターはますます頬を赤くした。
「耳元で囁くの禁止! っていうか離れてくださいキャパオーバーです清い交際を!」
「わかりました」
 離れようとすると、裾を引かれる。
「マスター、これは……?」
「あっ違うんですこれは! 決してディルの声をもっと近くで聞いていたいとかそういうのでは!」
 俺は苦笑してみせると、マスターの耳元で囁いた。
「好きですよ、マスター」
 マスターはぷしゅうという音を立ててうなだれた。
「ま、マスター! 大丈夫ですか!」
「だめかも」
「マスター!」

 その後すぐ、部屋を訪れたマシュ殿に発見されあらぬ誤解を受けそうになるのはまた別の話だ。


(おわり)
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