SSS倉庫
懐かしいいつか昔の夢
2020/11/23 04:11CP無し
ジェネシスさんの独白。
なおアシュクさんは故人(戦死)
× × × × × × ×
古い友人の思い出だった。庭の隅、背の高い垣根で隠すようにされたベンチ。そこに、懐かしい顔と二人で座っていた。
ああ、夢を見ていると、わかった。
アシュク・ソンブル、今はもう彼はこの世界のどこにも存在していないから、夢だとわかる。悲しくもありしかし、嬉しくもあった。
自分は、庭先に植えている薔薇を見ながら、彼の口から零れだす優しい家族の話を聞いていた。それを聞くのはとても好きだった。自分が到底得られなかった、暖かな家族という偶像を、彼の話によって頭に描くことが出来たから。
彼には年の離れた妹がいた。まだ立って歩き出したばかりなんだと彼は笑う。可愛くて愛おしく、大切だと彼の言葉と優しい笑顔から全てが伝わった。
髪の色は自分と同じで、瞳の色は少し新しい母親に似ているけれどすごくかわいいのだ、と彼は言う。睫が長くて、風に靡く髪は絹のようで、赤い頬はまるで果実のようで、小さな手は傷が一つもなく、ふっくらとしていて、それから大きくて真っ赤なリボンがすごくお気に入りで、自分が髪を結っているが下手くそでいつも母にダメ出しをされる、とまるで幸せそうにアシュクは話した。
私はそれへ相槌もあいまいに聞くのが常だった。いつも彼が訪ねてきた時は、こうして庭の片隅で彼の話をただきいた記憶があるから、それを脳が反芻しているのだ、とそう思った。
ああ、とか、そうかと、ただそういう自分へアシュクは嬉しそうに笑って、それから、と話を続ける。頼んでもいないのに、そうして話をする彼との時間が貴重だった。
ベンチの添えてある裏庭は、自分の魔法で作ってある、正面玄関の庭先にある薔薇とは違う。正面の花は手入れなどしなくても、枯れもしなければつぼみが花開くことが無い作り物のそれだ。
彼と、家族の話をするこの場所の、本当に隅の一角、ここだけは、本物の薔薇を植えていた。
アシュクが、自分へ歩み寄ったのはここが原因だった。
自分の屋敷へ、たまに騎士たちが書状を届けに来ることがあった。多くの貴族や名家の者達は私という存在に怯え、畏怖していた。忌避されるべく振る舞っていたから当然のことだったしさして気にも留めなかった。召使たちもそうなのだろう、進んで我が屋敷へつかわれることを好むものはいなくて、屈強な騎士たちが、毎度、違う顔が書状を届けに来た。
その中に、アシュクがいたのだ。
当時は作り物の召使の一人もいなかったし、騎士たちは私が応答せずともドアの横にある箱に書状を他のものが置いていったそれに、倣って入れていった。
アシュク、という男は思えば変わり者だった。いつからそうしていたのか。書状を取りに玄関のドアを開けた時、彼は階段の隅の方に腰かけて、庭を眺めていた。
どんよりと空は暗く、今にも雨が降りそうな日だった。
何をしているのか、と私は彼へ尋ねた。なるべくきつくそう尋ねたのに、彼は笑って、「ミセリア・ジェネシス様ですか、書状を頼まれたのでお届けに来ました」と、そう言って、皺ひとつつけることがなかったのだろう、書状を手渡してきた。それから、申し訳なさそうに肩を竦め、「失礼と思ったのですが、待っている間少し庭を散策させて頂いてしまって、すいません」と続けた。紺のような、深い青のような髪色で、前髪だけ後ろになでつけ、両サイドに残った髪はもともと癖があるのかくにゃりとうねって耳のところに垂れていた。
「勝手に庭を歩き回るとはとんだ騎士だな」
そう、私は言ったと思う。
「はい、すいません、お怒りはごもっともです」
臆することなく、彼はまた笑った。
違和感がそこであった。随分自分はきつく言葉の音を並べているのに、彼は一切、怯えもしない。恐怖を隠している様子もなかった。ただ、肝が据わっているふりをしているのかと思ったが、体が震えている様子もなかった。
「裏庭の、ベンチのある所の薔薇がとても綺麗で」
「勝手に裏庭まではいって欲しくないんだがね、君は倫理観が欠落しているのか常識外れなのか、到底まともな人間ではなさそうだが?」
「あっははは!!!すいません、本当におっしゃる通りです、若輩者で、本当に参ったな、俺も花が好きで」
雨がぽつぽつと、彼の後ろで降っていたと思う。
「ジェネシス様もお花が好きなんですね!凄く手入れのされた薔薇で、素敵だなと、どうしてもお伝えしたくて…あ、でも、おっしゃることはごもっともですからその、次は気を付けます」
「次?」
色々と、そのとき言いたいことはあったはずだった。「も」と一緒にするなとか、怒っているのに笑うとはどういう腹だとか、勝手に歩き回って何の真似だとか、そんな事よりも、初めて言われた「次は」という言葉を繰り返してしまった。
また、次、今度、言われた記憶が限りなく薄い言葉だった。
それを初めて会ったばかりの青年が自分へ述べた。何を思っているのか推し量ることが出来ず、素直にそう訊き返した。
「はい、次また来たときはきちんと許可を取って、それでお庭を拝見させて下さい!」
思えば屋敷へものを届けに来た他人と話したのは、1人で暮らしだしてから初めてだったと思う。
また来る、と、彼が言って、次がある、を言って、あっけにとられているうちに雨が強く降る中を、彼は駆けて、通りに消えていった。今も、よく覚えている。
それから、プライベートに彼は自分にかかわってくるようになった。あまりにも、彼の底が知れなくて、何か企んでいるんじゃないかと疑った。
どうして自分に関わるのか聞いたことがあった。何か頼みがあるのかとも尋ねた。ゴマをすっているんじゃないかと、そう思った。
「いえ、ジェネシス様は優しい方なんだ、って思って、皆はあれこれ言ってるんですが、薔薇の手入れ、ご自分でなさってるんじゃないんですか?庭師の方もいらっしゃらないし…花を大切にする方に悪い人なんていないんじゃないかって思って!」
「君は騙されやすいと言われないかね」
咄嗟にそう言ってしまうくらいには、衝撃だった。
「え?いえいえそんなことはないです、俺は俺の感覚を信じています。ジェネシス様はお優しい方だ、今日までお話させていただいてやっぱりそう思いました」
どこをどう彼が都合よく解釈したのか、さっぱりわからなかった。思わず眉を潜めて、それから彼は笑った。
「造花の薔薇の棘、幼い子が触れても危なくないように少し丸みがありますよね」
ぴく、と自分の眉間が震えた。
「生花も、手入れが行き届いていたし、棘もきちんと手が入っていましたし、土が乾きすぎている、という事、無かったですし、ジェネシス様は本当は、植物を愛でるのがお好きなんでしょう?」
「だま、」
「俺も好きです!花!今度好きな花を教えてください!」
心臓が魔法を使っていないのに苦しくなったのを覚えている。穿った見方をした自分が恥ずかしい、だとかそういう事ではない。ただ、このときは本当にただ、ただ、彼のまっすぐな、私という個を捉えてつげてくれた言葉が胸を締め付けた。優しい人、誰からも言われたことが無かった。
「別に、好きなわけじゃない、たまたま、生えてきてあそこにあるだけだ」
「嘘ですよね」
「…なに?」
「だって、好きじゃなくて、興味もなくて、それでただそこに生えてきてしまったなら、大概の貴族の方は抜いてしまいます。庭はその方の趣味で見栄えを重視したり整えていらっしゃるものです。しかも自分で手なんてかけませんよ。貴方は造花の間に咲いている小さな野花ひとつさえ、切り捨てていらっしゃらない、とてもお好きなんですよね、手が回らないだけにしても、貴方は優しい方のはずだ、と俺が勝手に思っているんです」
受け止めきれないほどの言葉を、その時沢山渡され、どうしていいかわからず、酷い顔をしていた気がする。それでも彼は笑っていて、だから、今度好きなお花を教えてくださいね、と続けた。
「ミセリアの庭の花を見ているのは楽しいなあ」
いつから、彼は自分を名で呼ぶようになった。嫌ではなかったし、心地よかった。
「どこにでもある花だ」
「どこにでもある花だっていいながらミセリアは大切にしているだろ?きらきらしていて好きだな」
「植物は、私に嘘を言わないから好きなだけだ」
「ははは、確かに」
ぎし、と、ベンチの背が彼の体重で悲鳴を上げたのを聞く。
「俺もミセリアに嫌われないよーに、正直にしてるよ!」
そうわらった笑顔だけが、彼だけが私に向ける偽りのない純粋な笑顔だけが、脳裏に張り付いて、剥がれないまま、彼だけが年を重ねないで、ずっとある。
もう、声さえ思い出せないのに、あの確かな笑顔だけは、忘れられない。
なおアシュクさんは故人(戦死)
× × × × × × ×
古い友人の思い出だった。庭の隅、背の高い垣根で隠すようにされたベンチ。そこに、懐かしい顔と二人で座っていた。
ああ、夢を見ていると、わかった。
アシュク・ソンブル、今はもう彼はこの世界のどこにも存在していないから、夢だとわかる。悲しくもありしかし、嬉しくもあった。
自分は、庭先に植えている薔薇を見ながら、彼の口から零れだす優しい家族の話を聞いていた。それを聞くのはとても好きだった。自分が到底得られなかった、暖かな家族という偶像を、彼の話によって頭に描くことが出来たから。
彼には年の離れた妹がいた。まだ立って歩き出したばかりなんだと彼は笑う。可愛くて愛おしく、大切だと彼の言葉と優しい笑顔から全てが伝わった。
髪の色は自分と同じで、瞳の色は少し新しい母親に似ているけれどすごくかわいいのだ、と彼は言う。睫が長くて、風に靡く髪は絹のようで、赤い頬はまるで果実のようで、小さな手は傷が一つもなく、ふっくらとしていて、それから大きくて真っ赤なリボンがすごくお気に入りで、自分が髪を結っているが下手くそでいつも母にダメ出しをされる、とまるで幸せそうにアシュクは話した。
私はそれへ相槌もあいまいに聞くのが常だった。いつも彼が訪ねてきた時は、こうして庭の片隅で彼の話をただきいた記憶があるから、それを脳が反芻しているのだ、とそう思った。
ああ、とか、そうかと、ただそういう自分へアシュクは嬉しそうに笑って、それから、と話を続ける。頼んでもいないのに、そうして話をする彼との時間が貴重だった。
ベンチの添えてある裏庭は、自分の魔法で作ってある、正面玄関の庭先にある薔薇とは違う。正面の花は手入れなどしなくても、枯れもしなければつぼみが花開くことが無い作り物のそれだ。
彼と、家族の話をするこの場所の、本当に隅の一角、ここだけは、本物の薔薇を植えていた。
アシュクが、自分へ歩み寄ったのはここが原因だった。
自分の屋敷へ、たまに騎士たちが書状を届けに来ることがあった。多くの貴族や名家の者達は私という存在に怯え、畏怖していた。忌避されるべく振る舞っていたから当然のことだったしさして気にも留めなかった。召使たちもそうなのだろう、進んで我が屋敷へつかわれることを好むものはいなくて、屈強な騎士たちが、毎度、違う顔が書状を届けに来た。
その中に、アシュクがいたのだ。
当時は作り物の召使の一人もいなかったし、騎士たちは私が応答せずともドアの横にある箱に書状を他のものが置いていったそれに、倣って入れていった。
アシュク、という男は思えば変わり者だった。いつからそうしていたのか。書状を取りに玄関のドアを開けた時、彼は階段の隅の方に腰かけて、庭を眺めていた。
どんよりと空は暗く、今にも雨が降りそうな日だった。
何をしているのか、と私は彼へ尋ねた。なるべくきつくそう尋ねたのに、彼は笑って、「ミセリア・ジェネシス様ですか、書状を頼まれたのでお届けに来ました」と、そう言って、皺ひとつつけることがなかったのだろう、書状を手渡してきた。それから、申し訳なさそうに肩を竦め、「失礼と思ったのですが、待っている間少し庭を散策させて頂いてしまって、すいません」と続けた。紺のような、深い青のような髪色で、前髪だけ後ろになでつけ、両サイドに残った髪はもともと癖があるのかくにゃりとうねって耳のところに垂れていた。
「勝手に庭を歩き回るとはとんだ騎士だな」
そう、私は言ったと思う。
「はい、すいません、お怒りはごもっともです」
臆することなく、彼はまた笑った。
違和感がそこであった。随分自分はきつく言葉の音を並べているのに、彼は一切、怯えもしない。恐怖を隠している様子もなかった。ただ、肝が据わっているふりをしているのかと思ったが、体が震えている様子もなかった。
「裏庭の、ベンチのある所の薔薇がとても綺麗で」
「勝手に裏庭まではいって欲しくないんだがね、君は倫理観が欠落しているのか常識外れなのか、到底まともな人間ではなさそうだが?」
「あっははは!!!すいません、本当におっしゃる通りです、若輩者で、本当に参ったな、俺も花が好きで」
雨がぽつぽつと、彼の後ろで降っていたと思う。
「ジェネシス様もお花が好きなんですね!凄く手入れのされた薔薇で、素敵だなと、どうしてもお伝えしたくて…あ、でも、おっしゃることはごもっともですからその、次は気を付けます」
「次?」
色々と、そのとき言いたいことはあったはずだった。「も」と一緒にするなとか、怒っているのに笑うとはどういう腹だとか、勝手に歩き回って何の真似だとか、そんな事よりも、初めて言われた「次は」という言葉を繰り返してしまった。
また、次、今度、言われた記憶が限りなく薄い言葉だった。
それを初めて会ったばかりの青年が自分へ述べた。何を思っているのか推し量ることが出来ず、素直にそう訊き返した。
「はい、次また来たときはきちんと許可を取って、それでお庭を拝見させて下さい!」
思えば屋敷へものを届けに来た他人と話したのは、1人で暮らしだしてから初めてだったと思う。
また来る、と、彼が言って、次がある、を言って、あっけにとられているうちに雨が強く降る中を、彼は駆けて、通りに消えていった。今も、よく覚えている。
それから、プライベートに彼は自分にかかわってくるようになった。あまりにも、彼の底が知れなくて、何か企んでいるんじゃないかと疑った。
どうして自分に関わるのか聞いたことがあった。何か頼みがあるのかとも尋ねた。ゴマをすっているんじゃないかと、そう思った。
「いえ、ジェネシス様は優しい方なんだ、って思って、皆はあれこれ言ってるんですが、薔薇の手入れ、ご自分でなさってるんじゃないんですか?庭師の方もいらっしゃらないし…花を大切にする方に悪い人なんていないんじゃないかって思って!」
「君は騙されやすいと言われないかね」
咄嗟にそう言ってしまうくらいには、衝撃だった。
「え?いえいえそんなことはないです、俺は俺の感覚を信じています。ジェネシス様はお優しい方だ、今日までお話させていただいてやっぱりそう思いました」
どこをどう彼が都合よく解釈したのか、さっぱりわからなかった。思わず眉を潜めて、それから彼は笑った。
「造花の薔薇の棘、幼い子が触れても危なくないように少し丸みがありますよね」
ぴく、と自分の眉間が震えた。
「生花も、手入れが行き届いていたし、棘もきちんと手が入っていましたし、土が乾きすぎている、という事、無かったですし、ジェネシス様は本当は、植物を愛でるのがお好きなんでしょう?」
「だま、」
「俺も好きです!花!今度好きな花を教えてください!」
心臓が魔法を使っていないのに苦しくなったのを覚えている。穿った見方をした自分が恥ずかしい、だとかそういう事ではない。ただ、このときは本当にただ、ただ、彼のまっすぐな、私という個を捉えてつげてくれた言葉が胸を締め付けた。優しい人、誰からも言われたことが無かった。
「別に、好きなわけじゃない、たまたま、生えてきてあそこにあるだけだ」
「嘘ですよね」
「…なに?」
「だって、好きじゃなくて、興味もなくて、それでただそこに生えてきてしまったなら、大概の貴族の方は抜いてしまいます。庭はその方の趣味で見栄えを重視したり整えていらっしゃるものです。しかも自分で手なんてかけませんよ。貴方は造花の間に咲いている小さな野花ひとつさえ、切り捨てていらっしゃらない、とてもお好きなんですよね、手が回らないだけにしても、貴方は優しい方のはずだ、と俺が勝手に思っているんです」
受け止めきれないほどの言葉を、その時沢山渡され、どうしていいかわからず、酷い顔をしていた気がする。それでも彼は笑っていて、だから、今度好きなお花を教えてくださいね、と続けた。
「ミセリアの庭の花を見ているのは楽しいなあ」
いつから、彼は自分を名で呼ぶようになった。嫌ではなかったし、心地よかった。
「どこにでもある花だ」
「どこにでもある花だっていいながらミセリアは大切にしているだろ?きらきらしていて好きだな」
「植物は、私に嘘を言わないから好きなだけだ」
「ははは、確かに」
ぎし、と、ベンチの背が彼の体重で悲鳴を上げたのを聞く。
「俺もミセリアに嫌われないよーに、正直にしてるよ!」
そうわらった笑顔だけが、彼だけが私に向ける偽りのない純粋な笑顔だけが、脳裏に張り付いて、剥がれないまま、彼だけが年を重ねないで、ずっとある。
もう、声さえ思い出せないのに、あの確かな笑顔だけは、忘れられない。