備忘録

深夜の独り言

2019/05/03 03:17
ゆるゆるな考え事
 自分が好きな「関係性」が複雑で、言語化やカテゴリー化するのが難しいなあと思う時が時々あります。別にそれをしなくたっていいんです、無理に当てはめることはないんだけど、短縮されてそれを知っている人がピンと反応できるそういうのがカテゴリーだったり分類だったりするじゃないですか。そこからさらに細分化すればいいわけでさ。例えば犬ジャンルが好き、だったらボルゾイが好きだとか柴犬がいいんだ、とか細分化されるじゃないですか。そういう感じのカテゴライズ?分類?を自創作でも上手くできないのかなあと時々思うけど出来ないんだなあ困ったあって感じです、

 私は銀河鉄道の夜が好きで、ジョバンニとカン(ム)パネルラが好きなんです。これはかなり私こう、面倒な自覚があって、小説か、例の猫のアニメしか触ったことがない。他でいくら「銀河鉄道の夜リスペクト」とか「モチーフ」とか言われてもなかなか手が伸びないのはたぶん自分の中の印象を崩されたくないんだろうなあと思います。崩したくないというか自分がここに関してガチガチな自覚があって、受け止められない。それで相手を勝手にディスりそうなので自衛してるに近いんだなあとやっと最近思った。安易にそれを題材にするのが「嫌い」なんじゃなくて自分が「ガチガチ」で自分の中の世界を他に触れて崩したり崩されたりしたくないされたくないからちょっとでも解釈が違うと「嫌だ」とその作品をつっぱねるのが自分で嫌なんだろうな―――みたいな。サンクチュアリに入っていいのは選ばれしものだけじゃ立ち去れ的な(?)

 バディ、とかコンビ、というものに私は馴染みがなくて、それを明確に意識したのはTIGER&BUNNYなんですけど、あれはあれで私にとっては「世間でいうバディってこんな風よ」って感じで触れられた作品でした。価値観と考えと、育ちと、あれこれ違う、年齢も違う二人がバディを組んで、徐々に本当のバディになる、って感じ。ああーこんな感じかあーって感じで、話もこう、ぽんぽんっと進んで好きだなあと思ったんですが、私はコテツさんバーナビーさんより、コテツさんの友達(腐れ縁?)のアントニオさんとコテツさんの関係にときめいた人種でした。バーナビーさんより圧倒的にそりゃあもちろん、付き合いが長くて、あれもこれもしってて、フランクで、でも突っ込み過ぎない関係が好きだと思いましたし、見守る関係性もどことなく好きでした。
 「バディ」も「コンビ」も「相棒」もニュアンスが私の中でビミョーに違うし多分意味も違うんだろうなあと思ってるんですけどどうなんでしょうね…、でも私が好きな「ふたり」はどれでもなくて、「恋人」でもないんですよね。「ブロマンス」が近いのかなあと思うんですけど、それはなんていうか、こう、多分私が腐女子なので、自分の中で自分が描く「ふたり」を客観的に見た場合はこれに見えるんだろうかって感じの…でも新しい言葉をしるとわあいわあいって使いたがるしこれだーー!!ってなるんですよ。でも、徐々に「ほんとうにこれか???」ってなる繰り返しなのでまるで学習能力のない人になっている(`・ω・´)なんてこった……(´・ω・`)
 二次創作も嗜む人なので、自分の事を棚に上げるっていうよりはわかるよ的ものなんですが、原作でそうじゃないのにそう(掛け算)すんなっていう意見はよくわかるし、否定できねえ、ってする。だって私もたぶん好きな関係で掛け算された日には「するのは良いけど俺の眼に入らねえようにするんだーーー!!!!」とかいいながら自衛しそう。わかる、楽しいことは楽しいよねって感じだし自分もやってるからやめろー!とは言わないしなんだったら私が駆使して自衛すればいいんで…。その点良いよな、一次創作は私が公式だからさ。
 話がずれた(´・ω・`)

 そう、えっと、だからね、関係をどう明確な分類に出来るんだろう、って考えるんだけど、「ジョバンニとカムパネルラです」というと「はあ?」って言われそうだし、自分の感性で勝手に崇拝してるのでそりゃ、伝わらねえって感じなんですよね…。
 ウィキペディア先生にブロマンスってなんぞやってあらためて聞いたら「2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはないものの、ホモソーシャルな親密さの一種とされる」とは書いてある。「現在ブロマンスは、一般的なホモソーシャル行為と歴史的な恋愛的友情の2つに区別される」( ´_ゝ`)フーンそうなんだあ、とか思って読んでいる(ウィキを)。
 でも「アリストテレスによる友情に関する記述では、しきりにブロマンスの原型について取り上げられている。彼が紀元前300年ごろに書いた文で、「友人のために、友人のことを考えることを強く望む者同士は真の友人である。何故ならお互いの愛情が彼らを定義し、そしていかなる付随する特性によるものではないからだ」とある。(Wikipediaから引用しました)」っていうののあとに「19世紀後半にはフロイト主義と可視的な同性愛の出現により、異性愛者の男性は激しい愛情を表現することを忌避するようになったとされている」とあるので、大昔は、異性愛者の男性も普通に同性に愛情みたいなものを示したってことで、いまよく見る恋愛感情が滲みそうなもの、じゃなくて、こう、つまり、難しいけど、男性同士オープンな愛情表現をすることがあって、今は多分意味合い違うけどアリストテレス先生の言葉によるなら深い友情っつうのはあったわけで…(´・ω・`)←考えられなくなってきた
 自分の好きな関係を区分するの難しそうだけど、Wikipedia先生を見るに「ホモソーシャル」という関係や「ヘテロソーシャル」の関係が近い可能性もある。でも恋愛的、性的な意味を持たない同性または異性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語とあるから、恋愛的になってもやぶさかではないがそこは絶対でもないという私は悩ましい(´・ω・`)ナンテコッタイ
 ああでも、性的な意味や恋愛的な意味を持たない、親密な繋がりを指すなら、ブロマンスという表現はありなんだけど、私はさらっと聞きかじりして「恋愛的に発展しかねないような密度高い男性同士の関係をブロマンスっていうんか」とおもってたとこがあるので認識さえ改めたらいいんだろうか。いやでも難しくない???私の好きな関係、難しくない……???(´・ω・`)皆が「ブロマンス」というのをどう受け止めるかが難しい…私は今やっと理解したんじゃけど…いやできてないんだけど(´・ω・`)
 私はつくづく学が浅いんじゃけど……

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