幸せの青いことり


 ホライゾンに客が来ていた。学者なんだし、まあ、来たっておかしくはないだろうと思う自分と、いやあいつ殆ど家から出ないのによく来客があったなと思う自分がいる。男は今俺が座っているソファーの真向かいで本を読んでいるところだった。生憎何語で書いてあるかはわからないが。
 客が来ているとわかっていれば大人しく寝ていたが、そうと知らなかったので、うっかりホライゾンの仕事部屋手前の、応接室の本棚に並んでいる本を借りようと思ったらこのざまだ。引き返そうと思ったら引き止められて、あのおっさんに用があるなら一緒に待てばいいと言われ、あげく真向かいに座るように指示された。人見知りのふりをして引っ込むのは簡単だが、それをすると、ただでさえ出身地のせいでアレな俺の態度で、ホライゾンの印象に何か関わってしまうかもしれないと思うと男に言われるがまま座るしか選択肢はなかった。
 ホライゾンと耳の形が似ていて、襟足が妙に長い髪型(後で知ったがウルフカットとかいうらしい)をした男だ。金色の髪の毛がやたら目を惹いて、年は多分ホライゾンより見た目が上かなと言った感じを受ける。

「レヴェンデルの息子か?」
「……いいえ、俺は、息子とかじゃない、です」
「ああ、違うのか…」

 特にこれといった感情のこもらない、単純に納得したというだけの相槌を打ちながら男のページを捲るスピードは早い。速読してるのか流して斜めに読んでいるだけかは判断が付かない。

「私はギゴウという、よろしく」

 パタン、という軽い音は本を閉じたらしい音だった。

「…よろしくお願いします……」
「ふむ」

 大人しくしているのが吉として、挨拶くらいはしておく。

「名前は」
「え…?」
「君の名前は」

 ホライゾンも、同じように聞いてきた言葉を、まさか彼以外から聞くとは想像しなかった。名乗るという行為は、まったくもって身になじまない。もご、と口ごもる。

「名はないのか?あるのだろう?名は個体の識別に使うものだ、どこであってもな」
「え、っと……お、おれ…」
「まあ、言いたくないのであれば私も無理は言わない」
「……ご、ごめん、なさい」
「謝罪することはない、初対面の相手に強要じみた言葉を掛けられれば委縮するのは当然だからな。生憎このような話し方しか出来ないのだが、…怖い思いをさせてしまったな」
「え…」

 男の、ギゴウと名乗った男の言葉は耳になじまないし、どれもそんな意識がなかった。強要されたとも感じなかったし、怖い、とも、感じはしなかった。単純に、名乗ることを許されない環境にいたから、戸惑っていただけで、と、言おうとしたところで男が拳をやんわり突き出す。

「手を出しなさい」
「は、はい」

 言われるがまま、受け皿のように両手を突き出す。そろりと男にしては綺麗な手が開かれて、差し出した掌に何かが置かれる。

「私の家の幼子が好きでね、君も食べるといい」
「…あ、ありがとうございます」

 なにを渡されたのかと手の中を確認する。目の前の男が持つにしては不釣り合いなのではと感じるきらきら光る丸い包み。きっと内容物が球体であるだろうそれを包んで両端がきゅ、とひねられている。

「礼が素直に言える事は良いことだ、レヴェンデルはいい教育をしているな」

 その言葉に思わず頬が緩まる。自分、より、ホライゾンを褒められる方が、嬉しいと思った。俺みたいなやつのせいで、ホライゾンが、あんなに優しい人が何か言われるのは耐えられない。

「お待たせギゴウ君、資料の方だけど……あ、」
「……」
「ああ、待ったぞレヴェンデル、我々は挨拶は済ませたが」

 口の端が緩んだと同時に飛び込んできた聞きなれた声に顔を上げると、ホライゾンがきょとんとした顔をしている。不思議そうにこっちとあっちを見た後、ギゴウの言葉にそうなんだとあっさり納得して、俺の隣に座る。口先だけでこの男の話したことを素直に丸ごと受け止めるというか信じたあたり、この男はホライゾンの中で手放しで信用するに値する男らしい。

「ファゼット君、彼がこの前話してた友人のギゴウ君」
「…そうなんだ」
「ファゼットは良い子だな、レヴェンデル」
「そうでしょ!!いい子でしょ!もっと褒めてくれていいんだよ!」
「ああ、褒める褒める。そうだな、機会があったら私の家の幼子とも遊んでやってくれ、まあ会うころにはお互いいい年かもしれんが」
「えっ、ギゴウ君ち子供いるの…?」
「ああ、言っていなかったか」
「初耳だよ…???」
「ずいぶん前に親がない子…というより迷い子なのだが…元の場所に戻すにも魔術で指定する座標がわからんので、引き取ったんだが、そうか言っていなかったか?」

 初めて聞くよ、というホライゾンの声と、そうだったか?と言うやり取りを聞きながら、貰った包みをそっと服の胸ポケットにしまう。

「そうだ、レヴェンデルにもキャンディーをあげよう、あとで食べなさい」
「えっ、キャンディー!?やった!」
「幼いなァ、お前は」
「いやだって、初めて食べるよ吾輩……一袋買ってチャレンジするにはちょっと物量が多いんだよね…」
「ああ、そうか、ファゼットにも渡したからな、二人で食べなさい」
「オッケー!ありがとうギゴウ君!」

 俺にそうしたように、ホライゾンにも手渡しでその、多分さっき渡したやつ、キャンディーと言うんだと思う。それを渡したようだった。それをじっと見ていた俺に気が付いたのか、ギゴウ、と名乗った男が優しく笑う。ホライゾンとは違う笑顔の作り方だが、彼と同じで、酷く優しい笑顔だった。
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