春
「ハァイ、おかえりなさい」
「レヴェンデル殿」
その日の雑用も終えて、使わせていただいている部屋の鍵を開けると中に彼女がいた。悠々とベッドに足を組んで座っている。どうぞ使ってくださいと言われた部屋は、鍵がかけられる。宿屋らしく各部屋に錠前が付いていて、鍵を渡されたものしか入れないような配慮がなされている。当然、部屋を出た時は施錠した筈なのだが。
「得意なんです」
レヴェンデル殿は何かをつまむように手の形をつくり、そのまま手首をくるんとひねって見せる。ああ、鍵開けか、と納得しつつ、鍵穴に異常はなかったのできちんとした開け方を心得ていて道具もそろえているんだろうなと感心してしまう。
そのうえで内側からきちんと施錠しなおしたようだ。
「男性の部屋に女性が入り込むというのはあまりその、」
「あら、良いんですよ、間違いがあっても」
「お、俺は、良くない」
「ふふふ」
ローブを脱いで、備え付けのクローゼットにしまう。
「慣れてきました?」
「え?ええ…少しずつ・・・、そうだ、あの、すまない、んだが…字を教えていただきたくて」
「良いですよ」
「良いのか?」
「良いですよ?」
机の引き出しを彼女が開け、そこから紙とペン、インクを取り出す。いつの間に入れたんだ、今朝まで俺はそこになにもいれていなかった筈なんだが。
「セルベルちゃんのメニュー表、最近の貴方随分熱心に眺めていたけど、読めないのかなと思って」
「すまない、その、助かる」
「あとで請求しますのでお構いなく」
「………お支払いできるよう努力する…」
「…ふふふ、別に私」
その含みのある笑い方に咄嗟に顔を上げて彼女を見る。
「に、肉体関係は遠慮する」
「あら、お堅いんですね」
何もしないから隣に座って、という彼女の言葉を多少勘繰りながらもベッドに腰かける。大体にして肉体関係でもって等価になるとは思えないんだが。
「これがこの国で使われている言葉の文字列、これを組み合わせて発音発言、単語の構成があります」
「助かる、覚えるよ」
「大至急覚えて下さいね」
少しだけ真面目な声にふと彼女をみる。赤い瞳が、此方を見ている。
「リーゼロッテ・ロージエにはもう会ったわね」
「あ、ああ」
「じきに、レスライン隊が戻ってきます、その前に覚えて」
「レスライン隊、というと」
「セルベルちゃんが所属していた部隊です。部隊長はエデルガルド・レスライン。スカーフェイスの狼とかいうあだ名がついてる厳しい人よ」
エルちゃん、とロージエ殿が言っていたのを思い出す。厳しい方だ、とセルベル殿も言っていた。
「少しの綻びも出さないで」
「そ、それほどか?」
「まだこの国の多くは、惑星という概念もなければ空の向こうに人が存在しているなんて知識もないんです。ごく一部だけが知っている事、国家機密以上の話ですよ?」
そっと耳元で、微かな声で告げられる。真剣な声音につい耳を傾ける。
「ベテルギウスも多少は知ってはいるけど彼女は所詮盗賊上がりの隠密部隊です、深くまでは知らないの・・・・・・。レスラインは勘がいい女なんですよ」
国家へ忠誠心が高くて立派なんですがね、と続けてレヴェンデル殿が言う。
「貴方と私の秘密の話ですから、この大きな話は」
「………お、れも…?」
「貴方が何処の方か調査したんですよ、領主殿の希望もあってね?」
聞いて?と彼女の細い指先が胸板を少し遊びまわった後、心臓のあたりを、とん、と軽く押す。
「どうも貴方は惑星外、の、もっと外から召還されてしまったようですね、隣国の魔術師が出現位置をしくじったようで」
「は、はあ……」
「魔術師が少ないことは話をしましたね?どうも隣国では召還術で魔術を使える者を招いているようなんですよねぇ…そんなことされるとこっちが困るんですけど……、」
「召還術、なんて、俺の国では……」
「あら、使えない?そうでしょうね、恐らく貴方の惑星ではそれは禁術だったと思います、叔父の持っていた本で読んだことがあるの」
「叔父上がいらっしゃるのか…」
得体が知れない方だとは思うのだが、彼女も生きているのだから、家族や親族くらいは当然いる筈、と思うがどうも想像がつかない。
「ふふふ、いつかご紹介しますよ。それで、これまでは失敗していたんですが貴方はどうも成功したらしいんですよ、不思議なんですが」
「……そう、か」
「心当たりは?」
「………そう、だな、…兄上、と勘違いされて刺された記憶がある、死んだ、と思ったらここにいたので、それかもしれないが、わからない」
「あら?お兄様とそっくりなんです?」
「まさか、俺は、兄上にとって…ただの都合のいい身代わりだ……」
「まあ、そうなんです?良かったですね無事に良い身代わりで死ねて」
「ははは、随分はっきり言うんだな、レヴェンデル殿は」
優しい言葉をかけてもらえればなんて思って言ったわけではないが、あっさりとした彼女の言葉につい笑ってしまう。自虐、の笑いではない、なんというかもっと別の、あっさりとした感情だ。
「ふふふ、無様にバレて死ぬよりはいいんじゃないですか?無事に替え玉として役割は果たせたということは評価しますけど?私なら」
「そう、かな、そうだな……少しは、役に立ったかもしれないよ」
兄はどう思ったか、なんてまた考えてしまうが、あの人は俺が死んでも悲しむような人ではない。両親が亡くなったときでさえ、兄は喪に服してはいたが、悲しむ素振りがなかった。上に立つものとしては当然なのかもしれない。
レヴェンデル殿のこのあっさりさがいっそ清々しく、まあ、いいか、と思考を押しやれるような心地ではあった。彼女のようにはっきりものをいうタイプは、正直周囲にはいなかったし。
「貴方の惑星の文化とこちらの文化、すり合わせて貴方に覚えてもらう必要があるんですよ」
「・・・・・・その、レスラインという方の対策で、か」
「それだけじゃないんですが、直近でいうならそこですね」
「…認識の齟齬がでないように、もあるのか」
「話が早くて結構」
するりと立ち上がる彼女の姿は美しい。彼女の二の腕にうっすら浮かぶ筋肉の筋からして、彼女も相当鍛え上げている方なのだろう。ただ腰回りの露出が高いのが目のやり場に困る。
「これから毎晩とは言えないんですが、折を見て私とお話ししましょうね、ノニンさん」
「……ノニン・シュトロムフトが、俺の名だ」
「……よろしい、ノニン・シュトロムフトさん、どうぞよろしく」
「ああ、こちらこそ、よろしく頼む」
「鍵はちゃんと閉めて下さいね、おやすみなさい」
投げキスをされて戸惑いながらも、出ていくときは普通に堂々とドアから出ていくのだなとぼんやり思いながら、鍵開けが出来る方がいらっしゃるのに施錠する意味はあるんだろうかなどと考えつつ、言われた通り、施錠してから床に就いた。
「レヴェンデル殿」
その日の雑用も終えて、使わせていただいている部屋の鍵を開けると中に彼女がいた。悠々とベッドに足を組んで座っている。どうぞ使ってくださいと言われた部屋は、鍵がかけられる。宿屋らしく各部屋に錠前が付いていて、鍵を渡されたものしか入れないような配慮がなされている。当然、部屋を出た時は施錠した筈なのだが。
「得意なんです」
レヴェンデル殿は何かをつまむように手の形をつくり、そのまま手首をくるんとひねって見せる。ああ、鍵開けか、と納得しつつ、鍵穴に異常はなかったのできちんとした開け方を心得ていて道具もそろえているんだろうなと感心してしまう。
そのうえで内側からきちんと施錠しなおしたようだ。
「男性の部屋に女性が入り込むというのはあまりその、」
「あら、良いんですよ、間違いがあっても」
「お、俺は、良くない」
「ふふふ」
ローブを脱いで、備え付けのクローゼットにしまう。
「慣れてきました?」
「え?ええ…少しずつ・・・、そうだ、あの、すまない、んだが…字を教えていただきたくて」
「良いですよ」
「良いのか?」
「良いですよ?」
机の引き出しを彼女が開け、そこから紙とペン、インクを取り出す。いつの間に入れたんだ、今朝まで俺はそこになにもいれていなかった筈なんだが。
「セルベルちゃんのメニュー表、最近の貴方随分熱心に眺めていたけど、読めないのかなと思って」
「すまない、その、助かる」
「あとで請求しますのでお構いなく」
「………お支払いできるよう努力する…」
「…ふふふ、別に私」
その含みのある笑い方に咄嗟に顔を上げて彼女を見る。
「に、肉体関係は遠慮する」
「あら、お堅いんですね」
何もしないから隣に座って、という彼女の言葉を多少勘繰りながらもベッドに腰かける。大体にして肉体関係でもって等価になるとは思えないんだが。
「これがこの国で使われている言葉の文字列、これを組み合わせて発音発言、単語の構成があります」
「助かる、覚えるよ」
「大至急覚えて下さいね」
少しだけ真面目な声にふと彼女をみる。赤い瞳が、此方を見ている。
「リーゼロッテ・ロージエにはもう会ったわね」
「あ、ああ」
「じきに、レスライン隊が戻ってきます、その前に覚えて」
「レスライン隊、というと」
「セルベルちゃんが所属していた部隊です。部隊長はエデルガルド・レスライン。スカーフェイスの狼とかいうあだ名がついてる厳しい人よ」
エルちゃん、とロージエ殿が言っていたのを思い出す。厳しい方だ、とセルベル殿も言っていた。
「少しの綻びも出さないで」
「そ、それほどか?」
「まだこの国の多くは、惑星という概念もなければ空の向こうに人が存在しているなんて知識もないんです。ごく一部だけが知っている事、国家機密以上の話ですよ?」
そっと耳元で、微かな声で告げられる。真剣な声音につい耳を傾ける。
「ベテルギウスも多少は知ってはいるけど彼女は所詮盗賊上がりの隠密部隊です、深くまでは知らないの・・・・・・。レスラインは勘がいい女なんですよ」
国家へ忠誠心が高くて立派なんですがね、と続けてレヴェンデル殿が言う。
「貴方と私の秘密の話ですから、この大きな話は」
「………お、れも…?」
「貴方が何処の方か調査したんですよ、領主殿の希望もあってね?」
聞いて?と彼女の細い指先が胸板を少し遊びまわった後、心臓のあたりを、とん、と軽く押す。
「どうも貴方は惑星外、の、もっと外から召還されてしまったようですね、隣国の魔術師が出現位置をしくじったようで」
「は、はあ……」
「魔術師が少ないことは話をしましたね?どうも隣国では召還術で魔術を使える者を招いているようなんですよねぇ…そんなことされるとこっちが困るんですけど……、」
「召還術、なんて、俺の国では……」
「あら、使えない?そうでしょうね、恐らく貴方の惑星ではそれは禁術だったと思います、叔父の持っていた本で読んだことがあるの」
「叔父上がいらっしゃるのか…」
得体が知れない方だとは思うのだが、彼女も生きているのだから、家族や親族くらいは当然いる筈、と思うがどうも想像がつかない。
「ふふふ、いつかご紹介しますよ。それで、これまでは失敗していたんですが貴方はどうも成功したらしいんですよ、不思議なんですが」
「……そう、か」
「心当たりは?」
「………そう、だな、…兄上、と勘違いされて刺された記憶がある、死んだ、と思ったらここにいたので、それかもしれないが、わからない」
「あら?お兄様とそっくりなんです?」
「まさか、俺は、兄上にとって…ただの都合のいい身代わりだ……」
「まあ、そうなんです?良かったですね無事に良い身代わりで死ねて」
「ははは、随分はっきり言うんだな、レヴェンデル殿は」
優しい言葉をかけてもらえればなんて思って言ったわけではないが、あっさりとした彼女の言葉につい笑ってしまう。自虐、の笑いではない、なんというかもっと別の、あっさりとした感情だ。
「ふふふ、無様にバレて死ぬよりはいいんじゃないですか?無事に替え玉として役割は果たせたということは評価しますけど?私なら」
「そう、かな、そうだな……少しは、役に立ったかもしれないよ」
兄はどう思ったか、なんてまた考えてしまうが、あの人は俺が死んでも悲しむような人ではない。両親が亡くなったときでさえ、兄は喪に服してはいたが、悲しむ素振りがなかった。上に立つものとしては当然なのかもしれない。
レヴェンデル殿のこのあっさりさがいっそ清々しく、まあ、いいか、と思考を押しやれるような心地ではあった。彼女のようにはっきりものをいうタイプは、正直周囲にはいなかったし。
「貴方の惑星の文化とこちらの文化、すり合わせて貴方に覚えてもらう必要があるんですよ」
「・・・・・・その、レスラインという方の対策で、か」
「それだけじゃないんですが、直近でいうならそこですね」
「…認識の齟齬がでないように、もあるのか」
「話が早くて結構」
するりと立ち上がる彼女の姿は美しい。彼女の二の腕にうっすら浮かぶ筋肉の筋からして、彼女も相当鍛え上げている方なのだろう。ただ腰回りの露出が高いのが目のやり場に困る。
「これから毎晩とは言えないんですが、折を見て私とお話ししましょうね、ノニンさん」
「……ノニン・シュトロムフトが、俺の名だ」
「……よろしい、ノニン・シュトロムフトさん、どうぞよろしく」
「ああ、こちらこそ、よろしく頼む」
「鍵はちゃんと閉めて下さいね、おやすみなさい」
投げキスをされて戸惑いながらも、出ていくときは普通に堂々とドアから出ていくのだなとぼんやり思いながら、鍵開けが出来る方がいらっしゃるのに施錠する意味はあるんだろうかなどと考えつつ、言われた通り、施錠してから床に就いた。