「わっ、すごーい!」

 別に豪華な食事が出たわけじゃあない。流石に食事中はまずい、と、人気もさほど無かったのでフードをとった俺の顔を見てリーゼロッテ殿がそう言ったのだ。まじまじと近くで見る彼女の顔を先ほどよりもかなり近い距離で見る羽目になっている。
 何か、香を焚いているのかもしれない。甘い香りが優しく香っている。食堂には、俺と、リーゼロッテ殿と、セルベル殿と、遠くの席にぽつんと座っている女性が一人だけだった。

「凄い傷!触ってもいい?痛くない?嫌ならいって?」
「そ、その、触っても楽しくない、ですよ」
「だって凄い傷、痛かったんじゃない?」
「確かに、隊長の顔にも凄い傷は入ってましたけど、ノニンさんのは幅も広いですよね」
「たまに痛むくらいで、そんな、たいしたことはない」

 厨房を見る形で設置されている席に腰かけながら、申し訳なく思いつつ少しだけロージエ殿から椅子を離す。
 傷は本当にたいしたことじゃない。単純に、戦の際に負傷した兄と、合わせ鏡のように、強制的につけられただけの話だ。武勇伝が付いているわけでも、何でもない。

「そぉだあ、イダちゃんもこっちに来ない?」

 うじうじと考えていると隣に座ったロージエ殿がそう声をかけたのは、離れた席に座っていた女性だった。セルベル殿よりも短く切った、暗い茶色の髪を、左だけ長く一房伸ばし、小さな石かなにかで結わえている。返事もないまま、彼女はじっとこちらを見ていたが、やがて手招きするロージエ殿に観念か何かしたのか、静かに近寄ってくる。
 右目に二つ、切り傷が付いているのと、比較的、今まで見て来た三人より控えめな胸囲に少し、失礼だが安堵してしまう。

「………」
「そうなの、この間帰ってきたばっかり」
「………」
「特に変わりないわあ、相変わらずにらめっこしてるだけだもの」

 会話は成立しているらしいのだが、全く声が聞き取れない。マスクで覆われた口元が動いているのは微かにわかっても、それ以上はわからない。声が小さいのだろうか。

「イダ・ユルシュルさんです」

 昼食を置きながら、セルベル殿がそう教えてくれる。

「常連さんです」
「そうなのか」
「イダさん、あちらはノニンさんです、自分の親類です」
「い、いや、彼に助けて頂いた者なんだ、親族ではない、」

 咄嗟にそう声を挟んでしまう。ロージエ殿に親族ではないといった手前もあるが、やはりそこまで甘えてしまうのも気が引ける。何度か考えたが、やはり、何かあった時彼に迷惑が掛かってはいけない。
 セルベル殿を見、俺を見、それから目の前に置かれた昼食を見て、今一度、ぼんやりと遠くを見つめた後、イダと紹介された彼女と目があう。

「……イダ……ユルシュル、………です」

 強い風が吹いたら聞き取れないかもしれないと思うほど、小さな鈴が鳴るような声だった。此方が聞き取れるように声を張って頂いた、という印象を強く受ける。

「別に親族とおっしゃってくださっても良いですよ」
「世話になっているのにそこまで甘えるわけにはいかないから……」
「………」
「え?はい、そうですね、とても仲良しですよ」

 俺には聞き取れなかったらしいがセルベル殿には聞こえたらしい。

「イダちゃん恥ずかしがり屋さんなの」

 少しこちらに身を寄せたロージエ殿がそう教えてくれる。

「そ、そうですか、無理なさらないでくださいね」
「………」

 食べ始めていた昼食の手を一度止め、その昼食を見て、虚空をじっと見、それから俺に後頭部を向ける形で何処かを見つめ、暫くして目があう。小さくちょこん、と頷いた彼女は、本当に恥ずかしがり屋なのだろう。恐らく、今のと先ほどの間は彼女なりの心の準備だったのかもしれない。

「ロージエ殿とユルシュル殿はお知り合いなん、ですね」
「うん、そーなの、ここで知り合ったの」
「イダさんは傭兵をやってらっしゃるんです」
「傭兵……それもまた、」

 セルベル殿の周りには随分逞しい女性が集まるのだな、と思いつつ、女性を最も重んじる習慣に慣れてしまった身としては少しだけこの状況は気分としては楽かもしれない。男が上の地位に立つ事が珍しかったぶん、此処での「男性の方が優位である」らしいという常識はいささか居心地が悪い。

「………」
「ノニンちゃんはセルベルちゃんみたいに優しいから大丈夫!ねっ」
「え?え、ええ、その、優しい、かはどうでしょう」
「優しいと思いますけど」
「君ほど優しくはないと思うんだ…」

 そうですか?と彼は不思議そうに言うが、そうだと強く言いたい。そもそもこんな得体のしれない男の世話をしているだけじゃなく、なにも情報を聞きだそうともしてこない。精々今日の体調はどうだというくらいだ。俺なら、何処の出身で、どうやって此処へきて、目的と、階級か所属も聞くと思うし、知っている事は全て吐かせる、と思う。
 もしかしたら彼を傷つける目的で近寄っている敵国の手の者だとは考えないんだろうか。スパイだとは?ベテルギウス殿の言葉が信頼に足る為何も聞かないのかもしれないが、本当に優しすぎるというか、大丈夫だろうかと思ってしまう。

「そうねぇ、セルベルちゃんはもーちょっと危機感とか、あったらなあって思うわ」
「えっ」

 うんうん、とユルシュル殿も小さく首を振る。

「狙撃者の腕は凄いし、今でも腕は落ちてないって、エルちゃんが褒めてたけど」
「隊長が?」
「だからってのんびり構え過ぎよぉ」
「そう、思う、…もう少しその、俺の事を勘繰ってもいいんじゃない、だろうか」
「でも、……うーん、気を付けます」

 まだ自分では納得していない顔だ、と思いつつ、ロージエ殿の発言に乗る形になってしまったが、これを機に彼が注意してくれるようになれば多少、自分としても安心とは違うかもしれないが、気持ち的に落ち着きがでそうだ。

「あっ、ノニンちゃんも覚えていてね。エルちゃんがここにきたらきっと質問攻めされちゃうから」
「エル……その、セルベル殿の元上官殿か?」
「そうですね、たまにいらっしゃるんですが、そうか、そうですね、隊長はきっとノニンさんを色々詰問しそうです」
「エルちゃんってすっごい真面目なの」
「わかった、その、…虚偽は言わぬようにする、よ」
「その方が良いわ」

 冷める前にどうぞ、とセルベル殿に言われ、出して頂いた昼食に手を付ける。いったいどんな人なんだろう、恐らく、ロージエ殿の口ぶりからして、女性、なのだろうな、とは思いながら、温かい食事に少しずつ手を付けた。
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