春
日課の一つとして、あまり目立っても良くないかもしれないのと、所謂、客と接する仕事というものをしたためしが無く不慣れを露呈してしまうだろう、と自己判断し、薪割りや周囲の掃除、空室の清掃などをさせて貰える事にはなった。裏の仕事なら、まあ他の客人の目につく事はないだろうし、セルベル殿が何か用事の際は裏口から声をかけてくれることにはなっていた。顔の傷も、多分あまり見せて歩いてもまずいと思い、慣れ親しんだローブをすっぽりかぶって黙々と薪を割る。案外、こういう単純作業は好き、なのかもしれない。読書もしてみたいが正直街に出た時店名であろう文字が読めず、あとでレヴェンデル殿に教えていただくしかないかと気長に見ることにした。
「あらぁ?セルベルちゃん…じゃないのねぇ」
間延びするような、ゆったりした声に顔を上げる。桃色の長い髪と、同じ色の瞳にぎくりと体が反応する。自分の知っている場所ではないとわかっていても染みついて、当然の事象であると頭に叩き込まれていることが咄嗟に頭を駆け巡る。
わかっているつもりでもまだまだ反応してしまう。別にここでは、髪と瞳の色が同じであることはなんの不思議でもない事なのだ。恐らくそうだ。だから目の前の穏やかに笑う女性がどこかの古い血筋であるだとかいう事はないはずだ。
「こんにちわぁ」
「……あ、あぁ」
「てっきりセルベルちゃんかと思ったの、ごめんなさいね」
「彼なら、厨房にいる…」
「そぉなのー?」
特に急ぐわけでもなく、彼女はとことこと入り口に向けて歩いて行った。たまたま、彼の周りに集まっている女性がそうであるのかは分からないが、彼女も何というか目のやり場に困る人だと思ってしまう。主に胸囲の問題なのだが、それは、自分がどうにか意識を逸らすしかないだろう。目を向けるのは失礼だ。
それに、少しだけ苦手な女性のタイプだ、と感じてしまった。初対面で、勿論彼女に罪など一つもないのだが、ああいうおっとりとした女性らしい女性にあまりいい思い出がない。まだレヴェンデル殿のような手の女性の方が気がいくらか楽だ。先ほどの女性のようなタイプは、表面上は穏やかだが、腹の内では何か考えて、打算があって近づいてくるのではないかと身構えてしまう。
別に、もうそんな事悩まなくともいいはずの場所だと思うのに、考えてしまうのが物悲しい。
「ため息ー?」
戻ってきたらしい足音も聞こえていた。そっと近づいてきたのも分かってはいたが、敢えて、知らぬふりをして置こうと決めた。声を駆けられて少し肩を揺らす。これで、少しは一般的な者のように見えるだろうか。
「ごめんなさい、びっくりさせ過ぎちゃった…?」
「いや、その、平気だ」
「ごめんなさいね」
覗き込むようにしゃがみ込んだ彼女をつい避けるように顔をそらしてしまう。
「……怒った……?」
しゅんとした、本当に悲しそうな声。罪悪感が湧かないわけではないがそれでも先だって疑心が動いてしまう。彼女が悪いわけじゃない。わかっているのに。
「いや、あの……女性が、苦手、で、すまない」
「そうなの?ごめんなさい、私ってば……」
「い、いい、んだ、俺こそ、すまない、」
フードをつまんで気持ち、深く深く顔を隠すように布を引く。彼女の首から下しか見えないが、それも足元だけ見ておくように気を付ける。踵の高い、赤い靴。好きなのだろうか、足首のベルトに小さな四枚葉の飾りが金属の鎖に繋がれ垂れ下がっている。
「私、リーゼロッテって言います、貴方は?」
「……リーゼロッテ…?貴女が……?」
「…? ええ、そう、知ってるの?」
数日前、見たばかりのあの行列を思い出す。重そうな大楯と、槍を持っていた騎士を、セルベル殿はそのような名前で呼んでいたと思う。
「数日前、に、その、街で、見て」
「やっ、やだぁ、見てたのお?じゃあ、セルベルちゃんの隣にいた人なのお?やだあ、もっと大人しくしておくんだったぁ」
少しだけ顔を上げると、恥ずかしそうに両手を頬にあて、顔を赤くしている。垂れた眉と、とろんとした大きな瞳と、長い睫、ふっくらとした唇も、長い袖から見える指先も女性らしく、本当にあの騎士なのだろうかと疑いそうになるが、恥ずかしがりようからして間違いはないのだろう。
「ぅぅぅ~…」
「す、すまない、その、ええと、その……」
ぽ、ぽ、と段々と赤みを増していくのからして、相当恥ずかしいのだろう。胸を張り、馬に跨って帰還したあの勇ましい姿からは想像がつかないが、可愛らしい方、とセルベル殿が言ったのは、頷けるかもしれない。
「ごめんなさい、私、あの、うう、女性らしく、しとけばよかったって思って、」
「いや、その、言い方が気に障ったら、すまないが…、勇ましくて素敵だ、とおもって見ていたので」
「………」
困った様な、今にも泣くのではないだろうかというくらい真っ赤になった彼女がちらりとこちらを見る。ぎく、と体に緊張が走る。
「騎士、はご自分の意思でなられた、んですか?」
「そお、だけど、」
「ならその、え、と、素晴らしい事だと、思います…、お、れはその、貴女の様な女性も素敵だと思いますし」
「ほんとぉ……?ガサツって思わない……?」
「思いません」
むぅ、と唇を尖らせた彼女の睫は少し濡れている。泣かせるところだったらしいが回避できたようで胸をなでおろす。
「セルベルちゃんはね、私の事、貴方と同じで素敵、って言ってくれるけどね、…殆どの男の人って、そうは言ってくれないから、その、ね、」
「そ、うなんですか」
「女性騎士だってたくさんいるし、女性の軍人もいるけど、やっぱりまだまだ男の人の社会だからね、たまに嫌な顔する人もいるの、だから、なるべくね、おとなしーくしなくちゃなあって思ってて」
「あ、ああ、それで……それはその、辛いでしょう」
「……セルベルちゃんのおじさんとかだったりするの?優しいのね」
柔らかい声音で尋ねてくる彼女は、話している間にどうも気が落ち着いたらしい。おっとりとした声から、「お姉さん」と称したセルベル殿の言葉をふと思い出す。姉という存在にはとんと縁がなかったのだが、姉上、というものがいたとしたらこのような感じなのだろうか。まあ、年下、に見えるのだが。
「いや、その、……気を失っていた所を彼に助けて頂いて…」
「そうだったの?大丈夫…?」
「だっ、大丈夫、です」
手を伸ばそうとしたのをすんでで止めて、自分の胸元に留めて置いてくれたのは先ほど言った女性が苦手だ、という言葉を彼女が思い出して下さったからだろうか。
「その、名乗っていなかったんですが、ノニン、と言います」
「ノニンさん、可愛い名前」
なかなか気を付けてはいるが口調が定まらない。自分なりに気を付けて威圧的な言葉使いにならないようにしなくてはいけない、と思いながら、可愛い名前だろうか、と首を傾げそうになる。
「リーゼロッテ・ロージエです、リーゼって呼んで?」
「いや、それはその、流石に、慣れたら、そのようには呼ばせていただきたい、と」
「そお?じゃあ、私、貴方の事ノニンちゃんって呼んでいい?」
「え」
「やだ?」
「い、いえ、どうぞ、呼びやすいのなら」
ありがとう、と彼女が笑う。苦手だ、という意識は消えないのかもしれないが、それでも疑心は姿を隠したように思う。
「セルベルちゃんがお昼はどうですかって、そういえばいってたの」
「そうですか、それなら」
「ノニンちゃんもどーですか、って」
「……はあ」
「いきましょ!あっ、足痺れちゃった、うう…」
ちょっと待ってて、という彼女の、足の痺れが治るのを待って、少し遅めかもしれない昼食を摂りに食堂に向かった。
「あらぁ?セルベルちゃん…じゃないのねぇ」
間延びするような、ゆったりした声に顔を上げる。桃色の長い髪と、同じ色の瞳にぎくりと体が反応する。自分の知っている場所ではないとわかっていても染みついて、当然の事象であると頭に叩き込まれていることが咄嗟に頭を駆け巡る。
わかっているつもりでもまだまだ反応してしまう。別にここでは、髪と瞳の色が同じであることはなんの不思議でもない事なのだ。恐らくそうだ。だから目の前の穏やかに笑う女性がどこかの古い血筋であるだとかいう事はないはずだ。
「こんにちわぁ」
「……あ、あぁ」
「てっきりセルベルちゃんかと思ったの、ごめんなさいね」
「彼なら、厨房にいる…」
「そぉなのー?」
特に急ぐわけでもなく、彼女はとことこと入り口に向けて歩いて行った。たまたま、彼の周りに集まっている女性がそうであるのかは分からないが、彼女も何というか目のやり場に困る人だと思ってしまう。主に胸囲の問題なのだが、それは、自分がどうにか意識を逸らすしかないだろう。目を向けるのは失礼だ。
それに、少しだけ苦手な女性のタイプだ、と感じてしまった。初対面で、勿論彼女に罪など一つもないのだが、ああいうおっとりとした女性らしい女性にあまりいい思い出がない。まだレヴェンデル殿のような手の女性の方が気がいくらか楽だ。先ほどの女性のようなタイプは、表面上は穏やかだが、腹の内では何か考えて、打算があって近づいてくるのではないかと身構えてしまう。
別に、もうそんな事悩まなくともいいはずの場所だと思うのに、考えてしまうのが物悲しい。
「ため息ー?」
戻ってきたらしい足音も聞こえていた。そっと近づいてきたのも分かってはいたが、敢えて、知らぬふりをして置こうと決めた。声を駆けられて少し肩を揺らす。これで、少しは一般的な者のように見えるだろうか。
「ごめんなさい、びっくりさせ過ぎちゃった…?」
「いや、その、平気だ」
「ごめんなさいね」
覗き込むようにしゃがみ込んだ彼女をつい避けるように顔をそらしてしまう。
「……怒った……?」
しゅんとした、本当に悲しそうな声。罪悪感が湧かないわけではないがそれでも先だって疑心が動いてしまう。彼女が悪いわけじゃない。わかっているのに。
「いや、あの……女性が、苦手、で、すまない」
「そうなの?ごめんなさい、私ってば……」
「い、いい、んだ、俺こそ、すまない、」
フードをつまんで気持ち、深く深く顔を隠すように布を引く。彼女の首から下しか見えないが、それも足元だけ見ておくように気を付ける。踵の高い、赤い靴。好きなのだろうか、足首のベルトに小さな四枚葉の飾りが金属の鎖に繋がれ垂れ下がっている。
「私、リーゼロッテって言います、貴方は?」
「……リーゼロッテ…?貴女が……?」
「…? ええ、そう、知ってるの?」
数日前、見たばかりのあの行列を思い出す。重そうな大楯と、槍を持っていた騎士を、セルベル殿はそのような名前で呼んでいたと思う。
「数日前、に、その、街で、見て」
「やっ、やだぁ、見てたのお?じゃあ、セルベルちゃんの隣にいた人なのお?やだあ、もっと大人しくしておくんだったぁ」
少しだけ顔を上げると、恥ずかしそうに両手を頬にあて、顔を赤くしている。垂れた眉と、とろんとした大きな瞳と、長い睫、ふっくらとした唇も、長い袖から見える指先も女性らしく、本当にあの騎士なのだろうかと疑いそうになるが、恥ずかしがりようからして間違いはないのだろう。
「ぅぅぅ~…」
「す、すまない、その、ええと、その……」
ぽ、ぽ、と段々と赤みを増していくのからして、相当恥ずかしいのだろう。胸を張り、馬に跨って帰還したあの勇ましい姿からは想像がつかないが、可愛らしい方、とセルベル殿が言ったのは、頷けるかもしれない。
「ごめんなさい、私、あの、うう、女性らしく、しとけばよかったって思って、」
「いや、その、言い方が気に障ったら、すまないが…、勇ましくて素敵だ、とおもって見ていたので」
「………」
困った様な、今にも泣くのではないだろうかというくらい真っ赤になった彼女がちらりとこちらを見る。ぎく、と体に緊張が走る。
「騎士、はご自分の意思でなられた、んですか?」
「そお、だけど、」
「ならその、え、と、素晴らしい事だと、思います…、お、れはその、貴女の様な女性も素敵だと思いますし」
「ほんとぉ……?ガサツって思わない……?」
「思いません」
むぅ、と唇を尖らせた彼女の睫は少し濡れている。泣かせるところだったらしいが回避できたようで胸をなでおろす。
「セルベルちゃんはね、私の事、貴方と同じで素敵、って言ってくれるけどね、…殆どの男の人って、そうは言ってくれないから、その、ね、」
「そ、うなんですか」
「女性騎士だってたくさんいるし、女性の軍人もいるけど、やっぱりまだまだ男の人の社会だからね、たまに嫌な顔する人もいるの、だから、なるべくね、おとなしーくしなくちゃなあって思ってて」
「あ、ああ、それで……それはその、辛いでしょう」
「……セルベルちゃんのおじさんとかだったりするの?優しいのね」
柔らかい声音で尋ねてくる彼女は、話している間にどうも気が落ち着いたらしい。おっとりとした声から、「お姉さん」と称したセルベル殿の言葉をふと思い出す。姉という存在にはとんと縁がなかったのだが、姉上、というものがいたとしたらこのような感じなのだろうか。まあ、年下、に見えるのだが。
「いや、その、……気を失っていた所を彼に助けて頂いて…」
「そうだったの?大丈夫…?」
「だっ、大丈夫、です」
手を伸ばそうとしたのをすんでで止めて、自分の胸元に留めて置いてくれたのは先ほど言った女性が苦手だ、という言葉を彼女が思い出して下さったからだろうか。
「その、名乗っていなかったんですが、ノニン、と言います」
「ノニンさん、可愛い名前」
なかなか気を付けてはいるが口調が定まらない。自分なりに気を付けて威圧的な言葉使いにならないようにしなくてはいけない、と思いながら、可愛い名前だろうか、と首を傾げそうになる。
「リーゼロッテ・ロージエです、リーゼって呼んで?」
「いや、それはその、流石に、慣れたら、そのようには呼ばせていただきたい、と」
「そお?じゃあ、私、貴方の事ノニンちゃんって呼んでいい?」
「え」
「やだ?」
「い、いえ、どうぞ、呼びやすいのなら」
ありがとう、と彼女が笑う。苦手だ、という意識は消えないのかもしれないが、それでも疑心は姿を隠したように思う。
「セルベルちゃんがお昼はどうですかって、そういえばいってたの」
「そうですか、それなら」
「ノニンちゃんもどーですか、って」
「……はあ」
「いきましょ!あっ、足痺れちゃった、うう…」
ちょっと待ってて、という彼女の、足の痺れが治るのを待って、少し遅めかもしれない昼食を摂りに食堂に向かった。