軽く剣を当てながら、本当に子供の戯れのような手合わせともいえない事をしている。木製とはいえ、堅い木でつくられた剣はぶつかるたびに音を立てる。使い込まれているのか、ぼろぼろだが、まあ、訓練に使うには支障はないのかもしれない。
 丁寧に教えてくれるヤルヴァ殿と、通訳をしてくれるヨルク殿の声に耳を傾けながら、気を付けて、剣を剣に当てる。

「ノニン」

 呼ばれた、と意識を向けたのと、剣をはじかれ、彼が振りかぶって切りかかる真似をしたのが見えたのは同時だった。咄嗟に、右手は防御として剣を構えて、その振り下ろされた切っ先を受け止める。

「出来るじゃないか」

 近くなった顔が、優しい笑みを浮かべたままそう告げる。

「…やはり話せるのですね」

 小声のまませり合う。随分なめらかに話したこちらの国の言葉は、やはり通訳など要らぬほどだ。きちんと理解して、自分のものに出来ている。低く、落ち着いているが、強い意思が底に居座っているような音。

「君がオウル・オルフェ殿の護衛か?」
「聞いてどうなさるんです」
「気になっただけさ」

 ぎり、と力を込められた分だけ、押し返す。

「何処までが嘘だい?」
「…答える義理はない、と申しておきます」
「残念だ」

 美しい青の瞳が細められ、力がさらに加わったのと同時に、彼を押し、離れる。

「出来ルジャナイカ!」
「ど、どうも」

 からりと笑った彼は、あえて拙い話し方をする。あれが彼のここで示すべき態度、というなら、手を貸すというわけではないが合わせておかなくてはいけないだろう。些細なことで折角オウル殿が進めている話し合いを台無しにする意図はこちらにも、そしてあちらにもないはずだ。

「モウ少シ、本気デモイイカナ?」

 ぎり、と柄を持ち直したのをみて、咄嗟に重心を低くとる。彼がこちらへ跳躍して来ようとした瞬間、彼と、自分の間を何かが飛んで行ったのが見えて、お互い驚いて顔を飛んできた元があるだろう方向に向ける。

「レクス・ヤルヴァ殿、手荒な真似をして失礼しましたが、そちらの男は武人ではない。本気を出されては困る」

 がつがつ、と重い地面を蹴る音とともに、彼女が、レスライン殿が、歩み寄ってくるのが見えて、思わず背が伸びる。飛んできたのは、小さくはないがそこそこ大きい模擬の剣だ、と視界の端でそれを捉えながら息を僅かに呑む。

「勇マシイ女性ダネ」

 こちらに笑顔で話しかけてきたヤルヴァ殿は片目を瞑り笑う。同時に、離れて黙って見ていたヨルク殿が、レスライン殿とヤルヴァ殿の間に割り込めるような場所まで近寄ってくるのが見えた。

「レスライン殿」
「サッヴァ・ヨルク、すまないな」
「いいえ」

 じろり、と彼女に睨み上げられ、目が泳いでしまう。

「レスライン、サン?」

 相変わらずにこにことして、ヤルヴァ殿が彼女へ握手を求めるが、彼女は応じようとはしなかった。

「エデルガルド・レスラインです。レクス・ヤルヴァ殿。失礼だが、この男はただの指南役として雇われてるだけです。戦闘は出来ない、体を動かしたいなら我々でお手伝いしますが?」

 する、と、自然に彼女が俺の前に立ち、彼と会話を始める。軍帽は被っているからいつもの、美しい髪は、見えない。それと、やはり、女性にしては大きい彼女は、ヤルヴァ殿よりもいくらか背があるようだ。
 ヨルク殿の肩を叩いたヤルヴァ殿は、なにか耳打ちをしている。

「彼がいい、と仰っています」
「…戦闘は出来ないと申し上げたはずですが」
「デモ、記憶喪失、ダカラ、思イダスカモ」
「許可出来ません、行くぞ、ノニン・シュトロムフト。アメイシャ様がお呼びだ」
「アメイシャ様が?わ、わかりました、ええと、ヤルヴァ殿、ま、また、」
「ウン」
「サッヴァ・ヨルク。後は任せた。頼むぞ」
「お任せを」

 ノニン、と声を掛けられ振り向くと、ヤルヴァ殿がひらひらと手を振っているのが見えて、小さく会釈を返す。ざくざくと大股で先へ行く彼女を慌てて追いかける道すがら、模擬剣を返して、早足で彼女の背中を追う。

「その、アメイシャ様は」
「さっさと行け」
「は、」
「あのままではいくらギーゼラ・レヴェンデルが仕込んでいるとはいっても、何れ素人のお前は怪我をする。…わからんのか」
「……え、っと、あ、りがとう、ございます」

 つまり、あの場から引きはがす為の手はずを、嘘をついた、ということだろう。

「そ、その、レ、レスライン、殿、ありがとうございます。それと、その、あの、お、おかえりなさい、」
「……は?」

 きょとん、と、呆けた顔の彼女が新鮮だった。思えば、帰還してから、きちんと彼女と会うのは初めてだった。

「い、言ってなかった、な、と、おもって…」
「………」
「ご無事で、嬉しいです」
「べ、つに……」

 伏せられた表情は見えない。やはり、こういう、言葉を向けてしまうのは彼女にとって迷惑なのだろうか。

「あの、レスライン…」
「レスライン」

 綺麗な声だった。はっとして顔をあげると、短い髪の、それから左右で瞳の色が異なっているトシュテル殿が大股で歩み寄ってくる。

「フラン・トシュテル、どうかしたか」
「…すまない、話し中ではありませんか?」
「いやいい、丁度終わった」

 本当か、といいたげに此方を見上げたトシュテル殿に、頷いて見せるとさっとレスライン殿に向き直る。

「場所を変えるか」
「その方が助かります、ノニンさん、それではごきげんよう」
「え、ええ、」

 二人並んで歩いていくその背中を見てしまう。もう少し、もう少しだけ話したかった、とつい思ってしまう。気のせいかもしれない、思い上がりかもしれないが、少しだけ、レスライン殿が前より、近い、ような気がした。言葉の距離というのか、そういう、見えない部分で。

「(ああ、でも、やはり思い上がりだ)」

 そんなわけはない、と項垂れてしまうが、安心もしてしまうのは臆病だからだろうか。
 とぼとぼと歩みを進めだし、暫くしたとき、後ろから軽やかな足音と共に腕を掴まれ、踏みとどまろうか、とも一瞬思ったが、ここでは武の経験はないことになっている。瞬時に力を抜いて、そうするとあっという間に物陰に引きずり込まれる。一体何事なんだと慌てると、先ほど近くで見ていたあの淡い青の髪と、空のような鮮やかな青がこちらを見上げて笑う。

「ヤ…」
「シッ」

 人差し指をぴ、と立て、俺の顎に押し当てた彼はじっと息をひそめる。妙な事に巻き込まれただろうか、と思ったが、暫く黙っていれば通路をヨルク殿が、静かに、しかし歩幅を大きく歩いていくのが見えた。

「……ヤルヴァ殿」
「どうしても君と話がしたくて」

 許してくれと肩を竦めた彼は人好きのしそうな笑顔を浮かべる。

「見るに、君はあれだろう、俺はオルフェ様から色々と、お話を伺っている所だが…。君はやはり武術のたしなみか何かあるだろう?」
「……否定は、今更できませんね」
「俺は結構自分で言うけど、知らないことを知るのが好きでね、オルフェ様の話ではどうもまだまだ、世の中には知らないことがあるらしい…君は護衛をしてるんだろう?色々知ってるんじゃないかと思って」

 それでわざわざヨルク殿を振り切ってまで探していたのか、と思うと少々やんちゃが過ぎる人だ、と思う。

「それは、オウル様が順次お話しされる事ですから」
「やはりそう来たかあ……」
「予測できているのにお尋ねになられたんですか」
「答えてくれるんじゃないかな、という可能性にかけてみたんだ。ほら、顔が良い男は何かと得をするから」

 密やかな声で笑う彼は、片目を瞑り笑って見せる。まあ、確かに、ヤルヴァ殿は、顔立ちがよろしいように思う。瞳は大きいし、はっきりとした目鼻立ちだし、整っている、といって差支えはない。

「ノニンは腕がたつようだし、こういう場にも慣れてるように見えたんだが…本当に記憶喪失…おっと、答えられないんだったか」
「記憶のことなど、些細な事ですから」
「些細、そうか、些細か、君がそういうなら、残念だが頷いておこう」

 薄暗い場所でも彼の淡い青の髪は光を吸い込んだかのようにきらきらと輝いている。腕を組み、笑うが決して下品だとか、大声を出さない静かな笑い声だ。

「君が一人で良かったよ、あの勇ましい女性と一緒だったらヨルクに捕まっていただろうからね」
「……別に大声を出せばヨルク殿がいらっしゃると思いますが」
「でもそうしないということは、君も俺と話がしたかったんだよね?」

 そうだろう?という彼は自信にあふれている。そう、だろうか。少し悩んでしまうが、彼に僅かでも興味がなければ、彼の言う通りヨルク殿を呼び止めて彼を突き出していただろう。結局、俺も、彼に手を貸したことにはなる。彼の人柄を観察したいがために。

「しかし、特にお話しするような事は…」
「まあまあ、そう言わないで。何事も同じ時間を重ねて過ごすことでお互いが見えることもあるだろう?」
「…ヤルヴァ殿は、……お上手ですね」
「そうだろ?自信があるよ」
「……」

 ふっふ、と笑う彼はいくらか、やはり悪戯好きにも見える。

「あっ」

 彼の手首を掴んで足早にヨルク殿が歩いて行った方向に向かう。

「まっ……」
「ヨルク殿!」

 遠くに立ち止まっている背中を見つけ、彼でなくともどこかにいる彼に聞こえればいい、というつもりでかけた言葉だったが、ヨルク殿本人だったようだ。ぐるり、と静かにこちらを向いて、やはり足音も静かにやってくる。

「捕まえました、お探しだったのでは?」
「ええ、探しておりました、ヤルヴァ殿、…逃げてもらっては困りますね」
「ノニン…」
「困らせてはいけませんよ、ヤルヴァ殿」

 むう、と呻くも、肩を竦めただけで、あとはわかったわかったと言う風に笑う彼は、思うに、波風をむやみには立てない方、なのだと思った。今も、手首をひいても抵抗はなかった。

「部屋に戻って頂きます、ヤルヴァ殿」
「ワカッタワカッタ、コワイ顔シナイデ」
「生まれつきこうなので」
「ヨルク殿、それでは、私はこれで…」
「はい…、それでは」

 無言の圧をかけられたまま、部屋に連れていかれるだろうヤルヴァ殿をちらり、と伺うと少しだけ目が会う。片目を瞑って笑うのは彼の癖なんだろうか。

「どう、するかな」

 言ってしまえば、彼の国のことにも興味はある。話が出来るのならしてみたい、のだが、皆の手前、指南役で雇われている得体の知れない男が元々敵対国の男と気軽にあれこれ会話しているのはあまりよくない。身分が近ければ、まあ、情報交換ということで話は通るかもしれないが。難しい所だろう。

「(…気に入られた、んだろうか?)」

 護衛をしている、ということが分かった以上、彼がまた、俺に話しかけてくるのはなんとなく見えた。あとは、もし、会話を重ねるなら、いかに周囲に不審に思われないように振る舞うかだ。
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